――――異伝一
      第二話 意志の下に光るともしび







 鈍く重く乾いた金属の激突音が澄んだ青い空に鳴り響いた。
 水分を余り含んでいない軽い空気を鐘の音のように通るそれは、剣戟の音。
 降り頻る陽の光を反す剣と斧の刃。互いの身を押しては引き攻防進退を繰り返す。
 肌に刺さるような白い鮮光を浴びながら、二人の戦士は対峙していた。
 一人は、三連の刃を持つ大ぶりの戦斧を両手で構えた薄金髪の偉丈夫、カンダタ。
 そして一人は、青碧色の刀身の大剣を片手で軽々と振るう濃紫髪の青年、ゼノス。
 交差する刃は拮抗を保ち、僅かに戦慄く掌が心地良い痺れを心身に齎す。それが深くに染み込んで裡の奥で疼いている闘争本能を揺さぶっては言いようの無い昂揚感を背筋に這わせ、闘いの饗宴の渦中に誘っていった。
「はっ!!」
「そらっ!」
 繰り出した刃に力を乗せては、返る反動に飛び退く。
 数度浅く短く呼吸を繰り返し、構える。体力を削り合いながらも互いを捉える眼光の鋭さは緩む事無く、自然と口元に笑みを浮かべて駆けた。
 カンダタは助走と共に戦斧を大上段に構え、唐竹に斬り下ろす。対するゼノスは全身の筋肉のバネを利用し、身体半回転させながら斬り上げた。
 一度、二度、三度……。激しい裂帛れっぱくの音が晴天に鳴り響いた。
 カンダタの戦士として恵まれた体躯から、空気を引き裂いて繰り出される戦斧の猛襲は並ならぬ威力を秘めている。その一撃一撃全てを、ゼノスは構えた雷神の剣で受け止めていた。
 本来ならば斧の一撃を剣で受け止める事はその性質上愚行にも等しいのだが、“三魔剣”の一振りに数えられる雷神の剣は、斧から繰り出される圧倒的な衝撃にもビクともせず、主の意志通りに揺らぎ無く斬撃を迎え撃っていた。
「結局は、良い術は浮かばなかったか……」
「ま、仕方が無い。結局のところ実戦なんざ、蓋を開けて見ねぇとどう転ぶかわからねぇんだ。何時までもうだうだ悩んでたってはじまらねぇだろ」
 二つの刃の弾かれる戟音に乗せて、名残惜しそうに呟くカンダタにゼノスは暢達に返した。
「……組織を動かす立場に在る者が、そうも言ってられんだろうが」
「ノヴァは直感で動く奴だぜ? 今じゃすっかり盗賊が板に付いてるだろ」
 刃を交えながら会話をする二人。それは互いにまだまだ余力を残している顕れである。攻撃の手を緩める事無く紡がれている会話の合い間には、鋭い金属音が空気に乗って周囲に渡る。
「まぁ、あいつはそうだろうな。だがそれは周りにあいつを良く理解している奴が支えているからだ。……単純に若い、って事もあるがな」
「はは、カンダタさんは年を取って弱腰にでもなったのか?」
「用心深くなったと言えっ!」
「どうだかなっ!!」
 叫呼と共に繰り出される斬撃。双方の全力の斬撃によって生じた一際甲高い音と風に、周囲の草木がその身を震い上がらせた。
 冷厳な二つの刃を挟んでまみえる二つの視線。闘争心がその双眸の奥にギラギラと燃え滾っているのが良く判る。
 互いに繰り出した一撃の威力は等しく、二刃の間に流れ込んでいた力の本流はその臨界を超えて行き場を失い、爆ぜる。二人は生じたその衝撃により後方へと大きく弾き飛ばされた。

 軽やかに身体を翻しては体勢を直し地面に足を着く。心地良い痺れを剣柄から掌に通し、疼く感覚にゼノスは口元を持ち上げた。愉悦に満ちたその表情、その双眸には昂揚に燃える戦いに生きる者の業とも言えるべきものが浮かび上がっている。盗賊団“流星”首領補佐役である“雷神の剣”を駆る魔剣士。何時からか呼ばれた異名『紫狼』が示す通り、今の彼は闘いに餓えた戦士そのものであった。
 剣を地面に突き刺して、利き腕の手首の凝りを解すようにくるりと回すゼノス。
「……どーやら、調子は戻ってきたようだな?」
「ああ。何とかな」
 カンダタもまた似たような光を眸に載せ、ニヤリと嗤う。それは盗賊団“飛影”の首領ではなく、“流星”の先陣を駆り敵を群れを薙ぎ倒す狂戦士、『金獅子』の姿だった。
 完治した右腕で、軽々と斧を振り翳しゼノスを見据える。り返る刃の先端に相手を捉え、周りの景色も雑音の総てを断ち意識を一点に集中する。
 陽になぶられていた刃が一際強く、鮮烈な白に輝いた。
「じゃあ、もう遠慮はいらねぇよな!」
「来るがいいっ!!」
 二人の獣は爪と牙を研ぎ澄ませ、疾駆した。




 領主館であるリンドブルム家の屋敷の庭先で、二人の戦士が刃を交えていた。
 飛び交う剣戟と気迫に触発されたのか、周囲に観戦していた村の若者や“飛影”の団員達は眼を輝かせて戦いに魅入っている。ある者は歓声を上げ、ある者は固唾を呑む。ある者はその闘いに学を見出し、そしてある者は美技の応酬に酔いしれていた。
 その一角。真夏の空の下、渦を巻くような熱気にてられないように人垣から離れ、木立の脇で陽射しを遮るように影に身を潜めていたベンチに腰を下ろし、その闘いを遠目に呆れたように見ていたアズサは背後から近寄ってくる気配に気付いて振り向いた。
「精が出ますね」
 繊細な刺繍が施された日傘をさして、落ち着いた声の主はゆっくりと淑やかに近付いてくる。
「クリューヌ殿か。……あれで、肩慣らしというのじゃから、“流星”というのは随分と物騒な連中じゃな」
「頼もしい事です」
 嘆息と共に綴られるアズサの言に、クリューヌは微笑む。だがその柔らかな相好と言葉とは裏腹に、声調には感情の彩が篭められていなかった。それを感じ、横に立ったクリューヌを見上げたままアズサは怪訝に眉を寄せる。
「……どうかされたのか?」
「カンダタ殿に御用がある方がいらしまして……」
「客か?」
「…………そのようです」
 やはり違和感を覚えるアズサ。普段ならば相手がどのような身の者であろうとも柔らかな厚い氷の仮面を被り心の隙間を見せるような事をしないクリューヌが、今はどうにもそれが疎かだ。疎かというよりは、溢れ出る内からの動揺を抑え切れずに、外面に微妙な変化を齎していると言った方が正しいだろうが。
 その様子に気付きながらも敢えて触れるような事はせずに、アズサは人垣の更に向こうに視線を移した。その先では未だに勢いが衰える様子の無い二人の戦士が闘いの饗宴の最中にいた。
「? ……見ての通り今、取り込み中じゃな。これじゃと当分は続くと思うぞ」
「そのようですね……、困りました」
「止めようか?」
 その言葉を主張するように、アズサは両手をベンチに立て掛けてあった二本の剣の柄に掛ける。半眼で見上げる眼には太陽の光を映しては爛々と輝き、愉しみに弾んだ色を載せている。
 こう言った所はやはり戦いに生きる者故のものなのだろうか。大きく瑪瑙めのうの眼を瞬かせて、不敵に笑むアズサを見下ろすクリューヌはゆっくりと頷いた。
「では、お願いできますか? レティーナ殿」
「任せよ」
 アズサは喉を鳴らし、勢い良くベンチから軽やかに立ち上がった。




「うぉぉぉ!!」
「らぁぁぁ!!」
 互いに武器を構え、吼える。そして大きく刃を振り被る。
 全身を駆け巡る血潮に乗って、戦いに興じ欲する意識が渦を巻いていた。
 二人はその衝動のままに、力強く大地を蹴った。

 両者の眼に映る世界は、ゆっくりと流れていた。
 地を蹴る反動で中に舞う土草も、額から零れる汗の一粒も。まるで何かの魔法に掛かったように緩慢に動いている。
 周囲にあれ程までに賑やかに響いていた喧騒も、今は耳鳴がする程の静寂の虚空に支配されている。
 その中で迫り来る相手の挙動の一つ一つが手にとるように判る。柄を握る手の僅かな動き、相手が自分を見る瞳の動き、大地を蹴る脚の動き。そこからどのような攻撃を繰り出そうとも、今のフォースに漲っている自分ならばどのような対処も可能だ。
 両者は互いにそう思う。
 闘いに没頭する極限の集中が、二人を世界から乖離かいりさせていた。

 ゼノスが、カンダタが。互いが繰り出した刃が空気を断ちながら、肉薄する。
 その刹那。一つの影が両者の間に飛び込んできた。
 それは緩慢に流れていた世界を崩壊させ、在るべき時間の流れの中に二人を還す。
「そこまでじゃ」
 鋭く凛とした声が響いた。それは圧倒的な圧迫感を伴って背中を突き抜ける風のようだった。
 二人は突然吹き入った影にそれ・・を感じた瞬間、直感的に脚を止めざるをえなかった。颶風ぐふうの如き突きが両者に繰り出されていたからだ。
 右手に持った広刃剣の切っ先はゼノスに、左手に持った刺突剣の切っ先はカンダタに。顔の前で腕を交差させ、双剣の先端をピタリと二人の喉元に突きつけて、その余韻に艶やかな黒髪を躍らせながらアズサは両者の突進を止めていた。
 瞠目したまま完全に硬直した二人の男達。少しでも体重を動かして身体を揺らせば、突きつけられた切っ先は喉笛を容易く貫くだろう。戦士として幾度の死線を潜ってきた者達だからこそ、その結末を理解して動く事が出来なかった。
 恐ろしいまでに正確に急所を狙った刺突を喉元に感じ、ただ嫌な汗が頬を伝い顎線をなぞって宙を走った。




 静まり返っていたのは二人の戦士だけでなく、あれだけの熱気を放っていた人垣もまた、突然の闖入者の行動にただ唖然として見守る事しかできなかった。
 周囲の動きが完全に止まったのを確認して、アズサは満足げに両剣をゆっくりと引く。両手のそれらを軽々と躍らせ空気を切った後、鞘にゆっくりと収めた。
 庭先は幽然とした静寂に満ちている。輝く太陽の燦々とした照り様が、音を伴って降り注いでいるかのような空耳を各々に齎す。青い空の下、遥か遠くからの鳥の鳴き声が余計に現実感を喪失させていく。
 その中にあって、アズサの納剣の音が一際甲高い玲瓏のように響いていた。
 剣を振り被ったままの体勢で静止し、目線だけでその様子を見止めていたゼノスは幾分か乾いた声で叫ぶ。
「おい剣姫! お前、何つー止め方するんだ! 危うく串刺しじゃねぇか!!」
「心配ない。ちゃんと寸止めるわ」
 暢達な様子のアズサならば実際にそれが可能なのだろう。戦士同士の闘いに横槍を入れたにもかかわらず、少しも悪びれた様子の無いアズサに釈然としない面持ちでゼノスは剣を鞘に収め、肩に担ぐ。
「ちっ、せっかく楽しくなってきたってのによ」
「度の過ぎた訓練など目の毒じゃ。……んな事よりも、カンダタ殿」
 憮然と悪態をつくゼノスに肩を竦め、アズサは唖然としたままのカンダタに振り返った。
「……何だ?」
 今の今まで瞠目して押し黙っていたカンダタは、唐突に掛けられた声に慌てて気を取り直す。気を引き締めて視線をアズサに移すと、眼前の少女の緑灰の眸は動いてクリューヌを示した。その意に倣ってカンダタは同じように顔を動かすと、クリューヌがゆったりとした足取りでこちらに近付いてきていた。
「……カンダタ殿、お客様がお見えですが」
「客だと?」
 来客の予定など有ったかと瞬時に思考を巡らせるがそれは無く、皆目検討もつかない。
 訝しげに眉を寄せるカンダタ。
「……誰だ?」
「……今、客間で待たせておりますので、どうかご足労願います」
「あ、ああ」
 普段以上に有無を言わせないような口調でクリューヌは言い切り、反応を見ずに踵を返して屋敷の中に消えていった。
 それを見送りながら、愛剣を肩に担いだままゼノスはカンダタに歩み寄る。
「どうしたんだクリューヌの奴……、いつにも増して不機嫌そうだったじゃねぇか?」
「……さぁ、な。とにかく、客とやらに会ってみるか」
「敵側の刺客の可能性は?」
 僅かに目を細めながらゼノス。警戒心を孕んだ鋭い視線に、カンダタは泰然と答えた。
「お前がここにいる。奇襲でやられる心配など無い」
「……りょーかい」
 揺らぐ事の無い絶対の信頼を載せた答えを受け、颯爽と屋敷に戻るカンダタの後を歩きながら、歯痒くなったのかゼノスは大きく肩を竦めた。





 客間の扉が開かれると、その奥で椅子に座っていた人物は顔を輝かせて立ち上がった。
「お、お前は……!」
 思わぬ来客の姿に驚いて眼を丸くしているゼノスとカンダタは、歩み寄ってくる黄金髪の青年を見止めたまま言葉を詰らせていた。
「ゼノス! カンダタ! 久しぶり」
 青年は朗らかな笑みを浮かべながら、喜々として声を弾ませる。
 その様子に不可視の緊縛が解けたのか、微かに動揺を残したままの声色でカンダタは返した。
「ジーニアス! お前、どうしてここに?」
「ノヴァに何かあったのか?」
 すぐさまカンダタの言葉を継ぐように、ゼノスは深刻そうに眉を寄せた顔で問う。
 “流星”本隊から下位組織に連絡事項がある場合は、正確に優先的にその組織の首領格の耳に入るような体制を執っているのである。だが今、眼前の人物…ジーニアスがここに来るという連絡など前もって入ってはいないし、仮に本隊からの火急の用件の場合、それに合致する状況といえば“流星”を指揮している首領をはじめとする幹部達に何かしらの事態が起こったと考えるのが自然である。
 盗賊団“流星”の首領補佐の立場にある者として、ゼノスの懸念は当然のものであった。
 ゼノスのいつにない真剣な表情に、ジーニアスは慌ててそれを否定する。
「いや、そういうわけじゃない。“流星あっち”は変わらず、皆元気にしてるよ。僕がここに来たのは、旅の途中でシャンパーニの塔に寄ったんだけど、そこで二人はカザーブにいるって話を聞いてさ」
 自らの懸念が杞憂に終ったと解し、大きくゼノスは溜息を吐く。が、語られた言葉に疑問を感じゼノスは再びジーニアスを見据えた。
「旅だと? 何でまた、お前が旅に出てるんだ?」
「それは――」
「いくらお前が呑気者だからって、この御時世、物見遊山で世界を旅しようなんざする訳が無いよな?」
 ジーニアスの言葉を遮ってゼノス。
 この黄金髪の青年の性質を良く解っているからこそ、取り繕う事の無い真っ直ぐな言葉だった。
「……あのなぁ、ゼノス」
 言葉を選び発そうとしていたジーニアスは、ゼノスの余りに遠慮の欠片も存在しない言に絶句してがっくりと項垂れる。と同時にその容赦のなさに、相変わらずだなと思いジーニアスは大きく溜息を吐く。
 そして自分の胸の内を見極めるように見据えてくるゼノスの視線を外し、ジーニアスは眸を伏せた。



 自分の個人的、独善的な感情としてはこの旅路に関わる人間はなるべくなら少なくしたい。
 やはり魔物が跋扈する世界は常に死の危険が伴うもので、旅の目的・・・・上、数多の障害にぶつかる事が想定できるからだ。今の仲間達もそうであるが、家族同然と思ってきた“流星かれら”もまた自分にとっては大切な存在であるから、巻き添えにはしたくないのだ。それ以上に、その総てを護りたいのだ。
(何て言えばいいんだろうか。思った事をそのまま口にしたら、ゼノスに殴られるだろうしなぁ……)
 何年か前、状況は違えど正式に“流星”の一員に認めて貰った時。似たような考えを口にしたら、ノヴァやゼノスに「ガキの癖に粋がるな」と思いっきりどやされた。確かにあの時の自分はまだまだ子供で、口先の言葉に実力が伴っていなかったから仕方が無いといえばそうなのだが。
 あれから年月は流れ、自分もそれなりに剣士として成長したとは思っている。剣の腕では、まだまだゼノスには敵わないがその差だって確実に詰めている筈だ。魔法の修練もまた、その方向に適正が有るとは言えないが自分の出来る限りは積んでいる。今では団の本職の魔法使い達には敵わないものの決して劣っているものでもない、と賢者たる母が言ってくれている。
(とはいえ、未だに半人前扱いだからな……)
 まだ発展途上とは言え、自分の中途半端な能力を疎ましく思った事もある。戦闘力に長けたノヴァやゼノス、カンダタ達。魔法に長けた妹のジェシカや母達を妬んだ事もあった。
 だけどそうやって周りに当り散らしている内は自分の成長など見込めない。そんな風な事を穏やかに笑いながら諭してくれた、嘗て団に所属していた白銀髪の参謀の助言もあって、今ではこれが自分のなんだと割り切る事ができるようになった。
 自分は常に全てにおいて一番である必要などは無い。特出しすぎた孤独な万能の地平に立つ必要も無い、という事は今では良く理解できていると思う。また、人間は一人で生きている訳ではないから、他人を頼ると言う世を生きていく上で大切な事を学ぶ事も出来たと思っている。
(肩を並べて戦えるようにはなったけど、背中を預けるにはまだ足りないって事なのかな)
 それに眼前のゼノスやカンダタは、自分達の拠り所である盗賊団“流星”という場において重要な地位に在る為、そう易々と出郷させる訳にはいかないだろう。目標である偉大な父と母の子供と言うだけの肩書きの自分と、自身の力で築き上げた信頼の上に立つ二人とでは団にとっての存在の重みが違うのだ。



 自分で巡らせていた思考にも関わらず、何となくやるせなくなってジーニアスは嘆息する。それで逸れてしまった思考の軌道を修正して、再び思惟に沈んだ。



 自分の旅には重大な使命がある。それは誇張でも傲慢でもない。
 自分にしか出来ない、自分だからこそ出来る事。
 旅に出るきっかけとなった、酷くしっとりと胸の奥を衝いた言葉。その矜持は確かな灯火となって心に燈り、旅に出てから自分の知覚する世界が広がる度に、炎となって燃え上がる。
 自分が何かに必要とされているという事が、これほどまでに自分を高みへと導いてくれる、或いはその意志を奮い立たせてくれる礎になるとは嘗ては思ってもみなかった。
(僕は、『護る者』になりたかった。いや、なりたいんだ)
 だから自分は旅に出た。必要とされている、為すべき事があるから。そして少しでも憧れに近付きたいから。

 自分の理想としてある胸の内に存在し続ける『護る者』、即ち『勇者』に。



 双眸を伏せたまま口を閉ざしたジーニアスを尻目に、ウィルはゼノスの視線を引くように一歩前に進み出た。
「ジーニアス。私の方から……」
「ウィル」
「あんたは? そのサークレットを見る限りでは、あんたはダーマの賢者だろう?」
 豊かな空色の長髪の中では、金と赤からなる色合いのサークレットは否応無しに目を惹く。指摘された事に穏やかに頷きながら、ウィルはゼノスに礼節に則るようにすっと深深に腰を折った。
「お察しの通り、私はダーマ神殿三学“智導師派”所属のウィル=ラインハルトと申します。私が、彼…ジーニアスに共に旅に出る事を要請したのです」
「? 今いち要領を得ないんだが……、ダーマからの依頼と取っていいのか?」
「いえ、そう言う訳ではありません。……詳しく説明したいのは山々なのですが、何分事情が複雑ですので納得のいく説明と理解には時間を多々要します。ですが現状を推し測る限り、今はこの村を護る為に山賊達を蹴散らす方が優先的な事項なのでしょう? ならば、そちらの件が解決した折に、改めて説明させて頂いて構わないでしょうか?」
 穏やかに理路整然と追求の糸口を断ち切られゼノスは僅かに目を細める。が、はっきりとそう言われた以上こちらには既に手は無い。
「俺は構わない」
 隣では両腕を組んでカンダタが提案に了承の意を示している。ならばもう、ゼノスはそれに倣う他無かった。
「……ま、首領のノヴァが良しを出したんなら俺に文句は無いな。一応理由は聞いておきたいから、そうしてくれ」
「判りました。ありがとうございます」
 やはり深深と礼をするウィル。その動作の一つ一つが高い格式にしつけられたもののようであった。



 客間としてあてがわれた部屋のソファにカンダタとゼノスは並んで腰を下ろし、それに対面する形でジーニアス、ウィル、ヴェインの三人は簡単な自己紹介を済ませた。
 窓から射し入る朗らかな陽気は心地良い安らぎを与える。卓に出された紅茶の清涼な香りがこれまでの道程での疲れを癒していく。
 まどろみに誘われる意識があれど、久しぶりに会った友人達との対談はそれを超えて、心を弾ませた。
 もう暫くは帰っていない二人に、現在での“流星”の様子の話を聞かせてやっては安心させてやる。やはり拠り所となっている場所、そこに在る人達の無事は心の内に無意識に生じていた暗雲をも吹き飛ばす。始めは深刻だった二人の顔も、話が進むにつれて徐々に穏やかになっているのが誰にでも見て取れた。

 陽が少し動き、卓の上に映っていた影が何時の間にか移動していた。空になったカップの中、微かに残った水の残滓も空気に解けている。滑らかな象牙色の陶器が柔らかく陽を反しキラリと光っていた。

 温かな風が窓から吹き入る昼下がり。穏やかに和らいでいた空気に終止符を打つようにゼノスがコホンと喉を鳴らす。
 そして今の今までとは異質な、油断無い光を双眸に湛えゼノスは丁度対面する位置に座すウィルを見据えた。
「で…、だ。さっきの口ぶりからすると、こっちの事情に手を貸してくれると取っていいんだな?」
 突然に転換した話題に気遅れる事も躊躇する事も無く、ウィルは変わらない調子で頷く。
「当然です。ジーニアスもそういうつもりで、この地を訪れたのですから」
「そういう事。仲間の手助けをしたくて」
「それに、彼は是が非でも力を振るいたいでしょうしね」
 隣で力強く頷いているジーニアスの言葉を継ぎながら、ウィルは逆隣に視線を動かした。それに従ってジーニアスも、今の今まで沈黙を保っていたヴェインを見つめた。
「ヴェイン?」
 新たになみなみと注いだ紅い水面が広がるカップを両手で包むように持ちながら、ヴェインは蕩揺う鏡面に視線を落としている。微かに漣を打つ水面は、彼の震えを伝えていると言う事が容易に想像できた。
 紅の中に映る自身の顔を睨むように見下ろしながらヴェインは重々しく綴る。
「……俺は、この村の出身でな。帰ってくるのは、だいたい六年振りになるか。……まさか、ここまで様変わりしているとは思わなかった」
「そうだったんだ。じゃあ……」
 語られる事にジーニアスは瞠目する。
 カザーブ村の事情については、カンダタが“飛影”を率いて活動している事と、ゼノスが派遣されたと言う事で概ね以前より理解しているつもりではあった。
 故郷が蝕まれている様子を目の当たりにして、彼は憤りを感じているのだろうか。そんな事を思いながらジーニアスはヴェインに共感を覚える。
 するとヴェインはカップを卓に置き、顔を動かして真っ直ぐにジーニアスを見据えた。
「ああ。頼む、ジーニアス。故郷を護りたいんだ。力を貸してはくれないか」
 ヴェインの真摯な視線を受けて、ジーニアスはフッと口元に笑みを作りながら瞑目する。
「故郷を護る……か。その気持ちは僕達・・には良くわかる。僕なんかの力で良ければ、いくらでも貸すよ」
 言いながら開眼し、覗く澄んだ碧空の双眸には確かな意志の光が、炎が猛るように胎動していた。
「すまない」
「よしてくれヴェイン。僕達は仲間だ。仲間を助けたいと思うのは当然の事だろう?」
 深深と頭を下げるヴェインに、苦笑を洩らしながらジーニアスは言った。
 その落ち着いた声色はどこまでも迷い無く淀み無く、聞く者に安堵と勇気を与えるようであった。




 来訪者の真意を量れた事で幾分か気が緩んだカンダタは、再会したときから気になっていた事を口にする。
「ところでジーニアス。お前は三人で旅をしているのか?」
「え、いや……あと一人いるよ」
 投げ掛けられた問に、不意にギョッとしてジーニアスは顔を上げる。
 ビクリと小さく肩を震わせ眼を見開くその様子に、今までとは違う動揺を垣間見てカンダタは怪訝に眉を寄せた。
「?」
「カンダタ。……落ち着いて聞いてくれ」
「何を―――?」
 むしろ落ち着くのはお前の方だろう。ほんの僅かに頬を引き攣らせた表情のジーニアスを見ながらカンダタは思う。
 呆れたように半眼になってカンダタが口を開きかけた時、バタンと大きな音を立てて客間の扉が開かれた。
「ごめんジーニ! この屋敷広すぎてどこがどこの部屋だかわからなくなっちゃっ……た!?」
 勢い良く開かれた扉は、そのまま弧を描いて壁に当たり、その衝撃で留め金が悲鳴に嘶く。
 扉の向こうから現れたのは赤毛の魔法使いの少女、リースだった。
 辺境で質素な暮らしが長かった為このような豪奢な屋敷とは縁が無かったので、珍しさの余り沸き上がる好奇心の抑えられなかったリースは、ジッとしていられずに顔を輝かせて勝手に屋敷の中を観まわりに行ってしまったのだった。勿論、リースが出てしまった後に主たるクリューヌに謝罪はしたが……。
 屋敷の中なので黒の三角帽子は被ってはいないが、赤い頭と肩を大きく上下させている事から、よほど急いで、慌ててきたのだと言う事が良く解る。早口で一気に捲くし立てる様が更にそれを助長させた。
 唖然とする一同。その中で最も先に反応して立ち上がったのは、カンダタだった。
「リ、リース! お前っ……!」
「お、お父さんっ!!」
 立ち尽くして眼を見開いているカンダタを見つめ、リースも瞠目しながら叫ぶ。だがそれは瞬く間に消え、顔をクシャクシャにして笑みを浮かべながらカンダタに跳びついた。頭部を逞しく支える首に手を回して飛び込んできたリースを、筋骨隆々たる両腕でしっかりと受け止めながらも、カンダタは未だに信じられないのか、再会に涙を瞳に浮かばせて喜んでいるリースの顔をただ黙って見つめていた。
「おい、ジーニアス! 最後の一人って、まさかリースなのかっ!?」
 娘に向けている優しげな顔が一転して、胸倉を掴み上げそうな剣幕でジーニアスを振り返り詰め寄るカンダタ。
 その鬼気迫る眼力に思わず後退りするも、退いた踵がソファに当たって逃げ道が無い事を思い知らされる。そんな状況からか背中に冷たいものが走るのを感じるが、ここで逃げを選ぶのは何の解決にもならない事を悟る。
 確かにここまで危険な中をここまで連れてきた以上、娘の安否を案ずる父親としてカンダタの反応は当然だと思うし、そんな彼に対して誤魔化しなど要らない不安を煽り、彼の心配に対しての冒涜にしかならないだろう。
 そんな感情の下、何を言おうかと逡巡し最善を模索するジーニアス。困ったように眉を寄せ目を細めるも、そんな彼よりも先にカンダタの腕の中でリースが喜色満面に言った。
「そうよお父さん!! あたし、ジーニのお手伝いをしてるの」
 それに先程までの気勢も削がれて、カンダタは瞠目するしかない。
「どうしても着いて行くって、聞かなくてさ……」
 カンダタがリースにそう言われてしまえば、口を噤まざるをえない。そういった彼の性質をかねてより知っていたジーニアスは、リースの先制に内心嘆息する。リースは自分の旅に着いて来ている。まがりなりともそのパーティを率いているのは自分であるので、自分の口からその事をハッキリ伝えなければカンダタも安心する事は出来ないだろう。
 だからこそ出遅れてしまったジーニアスは、どこか諦念の篭められた溜息を吐いた。眼前でニヤニヤとこの状況を楽しそうに笑みを浮かべながら静観しているゼノスが、この上なく小憎らしくなった。
 内心で自らに激を入れてジーニアスは毅然とした眼差しを作り、真っ直ぐにカンダタを見据えた。
「……でも着いて来る以上、リースは僕が護るよ」
「だが、お前の旅に迷惑を掛けているんじゃないのか? まだまだ子供だから……」
「お父さん、そんな事無いよ! あたし迷惑なんてかけてないっ!!」
 叫ぶように必死のリース。早く一人前になりたくて背伸びをしている様子が良く解る。彼女にとって父たるカンダタに認めてもらう事が、自分を確立する第一歩だと言う事を知っているのだろう。
 そんな二人の姿に嘗ての自分を重ねながら、ジーニアスはゆっくりと口を開いた。
「聞いてくれ、カンダタ。……確かにリースは我侭ばかり言って、足を引っ張ったりするよ」
「ジーニ!? 何て事ゆーのよ!!」
 突然何を言い出すのか、と目を剥きながらリースはジーニアスを振り向く。せっかく説得していると言うのにそれをぶち壊すような物言いに、憤りに自然と顔が紅潮する。だが見た…というより睨んだ先のジーニアスの表情は思いの他真剣で、こちらの非など届かないと言う事が長年の付き合いから良く解った。
 リースがそんな事を思う中、ジーニアスは訥々と語った。
「僕もこのパーティでリーダーなんてさせて貰ってるけど、まだまだ至らない所ばかりだ。だからいつもウィルやヴェインに迷惑を掛けているし、助けてもらっている。リースも、僕を助けてくれるって言って着いて来たから、その意志は汲もうと思っている」
「ジーニアス……」
 カンダタは真っ直ぐに見上げてくるジーニアスの碧空の双眸を受け止めていた。両横に座るウィルもヴェインもその状況を黙って見守っている。
「人間って、助け合って生きているだろう? 今までもそう。そして旅に出てまだ数ヶ月だけど、その事が凄く身に染みているよ。だから、リースにも僕の手助けをして欲しいんだ。駄目かな、カンダタ?」
「お父さん、お願い!!」
 二つの真剣で切実な視線を受け、カンダタは双眸を伏せる。そして数瞬もしないうちにゆっくりと開いた。
「……そうか。お前がそこまで言うなら止める事はできないな。……いいかリース。絶対に死ぬなよ。生きる事を諦めるなよ」
「うんっ!」
 娘を下ろし、武骨な戦士の大きな手で赤毛を優しく撫でているその顔はいつもの毅然とした戦士の顔ではなく、純粋に一人の娘を心配している父親の顔だった。それを見止め、ジーニアスはクスリと微笑んだ。
「僕達の旅は世界を周る規模のものだと思っている。本当に危険と感じたら、リースだけは何としてもカンダタの元に帰すから。仲間を、家族を亡くすような事だけには…絶対にさせない」
 微かに声調の下がった様子にカンダタはハッとなって顔を上げる。そこにある真摯な眼差しに、友の面影が浮かんだ。
(自分の父親も今は行方知れずだというのに、こいつは……)
 ジーニアスの身の上の事情も理解してカンダタは思う。そして深深と頭を下げた。
「ジーニアス、これだけは覚えておけ。お前を失う事もサラやジェシカ、……俺達にとっても家族を亡くす事と同義である事を忘れるな」
「わかってる。それはノヴァに何度も言われたから」
「…………リースを頼む」
「ああ。リースは僕にとって、もう一人の妹だからね」
 ジーニアスはしっかりと頷く。澄み切った碧空の双眸の奥には確かな力が宿っていた。
 それは意志の灯火、護る事への覚悟の具現だった。





 今後の計画を更なるものにする為に、来客を伴ってカンダタ達は会議室として利用させてもらっている一室に移動した。調度品がならぶ廊下を歩きながら、先頭を行くゼノスは気楽な調子で呟きながら振り向く。
「だがまぁ、お前まで出たとなると、あっちも戦力が下がったんじゃねぇか?」
「大丈夫だよ。向こうには母さんがいる」
 瞬間、パリンと空気が割れるような擬音がしたかと思うと、恐ろしいまでに水を打ったような沈黙が支配する。
 あらゆるものが凍え止まるような深深とした静寂。それがかえって鼓膜を掻き鳴らすようで耳に痛い。
 一定の間隔で床を蹴る硬質な音がいやに高く鳴り響いている。
 反響し、どこまでも廊下の先へ背後へと伝わっていく音が、このただならぬ空気の変質を否応無しに理解させる。
 瞬時に戦闘状態にでも陥ったかと錯覚してしまうほどに、周囲の空気がピリピリした張り詰めたものに変わっていた。
「……まあ、そうだな。なぁカンダタ」
「…………俺に振るな」
 苦虫を噛み潰したように険しく顔を強張らせ、声を引き攣らせるゼノスは隣を歩くカンダタに視線を送る。
 眉間に深く皺を寄せ、こめかみと頬を引き攣らせたままカンダタは、溜息とともに呟いた。
 腕の立つ戦士の二人の憔悴に辟易した様子を前に、ジーニアスはただ困ったように苦笑を零すしかない。
「あのね……、一応僕の母親なんだけど」
 さすがに自分の母親の事で、あからさまに顔を顰めている二人を見て穏かに笑う事は出来ないが、彼らがそうする理由も充分解っているのでどちらともいえない、曖昧な表情を浮かべるしかジーニアスには出来なかった。
 完全に押し黙ったゼノスとカンダタ。乾いた苦笑を顔に貼り付けているジーニアスとリース。
 事情が解らないウィルとヴェインは、不思議そうに首を傾げながら最後尾を歩いていた。




 その部屋の扉を開けると、そこには“飛影”の幹部の面々…つまりは“流星”の一員達。そして協力者としての立場にあるアズサとコンスが一斉に視線を向けてきた。
 首領たるカンダタやゼノスと共に部屋に入ってくる面々の中にジーニアスやリースの姿を見止め、彼等を知る者達は目を丸めたり、再会に笑みを浮かべたりと温かな歓迎の雰囲気があった。
 和みつつある部屋の中に在って、完全に部外者となったアズサとコンスの二人は丁度、周辺地図を広げた卓を挟んで真向かいに腰を下ろしたゼノスに向けて口を開いた。
「おい、魔剣士」
「何だ剣姫?」
「この、頼りなさそうな男は何者じゃ? 紹介はしてくれんのか?」
 アズサは興味が有り気な表情を作り、ジーニアスを指差した。そしてそれが失礼な事だと気付き、慌てて指を引っ込めている。
 そんなアズサに顔を顰めるでもなく、その前の何気無い一言にジーニアスは打ち拉がれていた。
「た、頼りな……」
「はは。こいつは盗賊団“流星おれら”の一員、そして……」
「そして?」
 ジーニアスとアズサを見比べながら、ゼノスは苦笑を浮かべる。そして意味深な含みを篭めて言った。
「『サマンオサの勇者』サイモンの息子。ジーニアス=エレインだ」
「は? こ、こやつがあの・・?」
 語られた名の大きさに、アズサは眼を見開いてジーニアスを見つめた。
 勇者サイモンといえば、ユリウスの父である『アリアハンの勇者』オルテガと双璧を為して世界に語られている紛れも無い英雄。サマンオサ帝国という国自体がかなりの時を鎖国状態にしている為、仔細は解らないがその英名は世界に轟いている。
 驚愕しているアズサやコンスの様子を見ながらゼノスは肩を竦め立ち上がり、歩み寄ってはジーニアスの肩を軽く叩いた。
「頼りないっつーか人が良すぎなんだよ、こいつは。おまけに呑気者だ」
「頼りない……」
 当のジーニアスは、年端の近そうな女性に真正面からハッキリと「頼りない」と言われた為に意気消沈気味で呟いていた。その弱弱しさが何ともそれを助長させているのだが……。それを差し引いても、もう一人・・・・の勇者の子息という立場の少年を知るアズサとしては、払拭し難い第一印象となってしまった。
(……同じ世界に名立たる勇者の子息とはいえ、ユリウスとはエライ違いじゃな)
 内心アズサはそう思う。戦闘時の事は知れないが、平時においての目つきは元より雰囲気が違いすぎる。常に危うい程の鋭さを持つユリウスと比べてしまうと、どうしても穏やかに和やかに…真逆に感じてしまう。ゼノスが呑気者と称するのも解る気もしていた。もっともこの場合、常識的に普通と言うべきなのはジーニアスの方であって、それに在らざるのがユリウスなのだが……。
(対極と言うのも、また何とも……)
 その後の疼きを伴う言葉を、アズサは内心の奥の深い場所に押し込めた。
 そんな思考を繰り広げている間も、アズサはジッとジーニアスの顔を見つめたままである。
 流石に同じ年頃の異性にジロジロと見定めるように眺められると余り落ち着くものでもなく、ジーニアスは困ったように頬を掻いていた。
「……で、隣にいる赤毛のやかましい子供ガキは、カンダタの娘だ」
「ゼノ兄! 子供って言うな!」
「やかましい、は否定しないのかよ」
 半ば叫ぶように反駁するリースを横目に、小さくジーニアスは呟く。
 語られた単語を耳で捉え、脳髄で理解をするとアズサとコンスは大いに瞠目した。ジーニアスの紹介を受けた時とはまた別の衝撃だった。
「む…、むむむ娘ぇ〜?」
「マジっスか、親分さん!?」
 言葉にならない言葉が口腔を掠めて、ただパクパクと開閉を繰り返す。そんな失礼極まりない程に震えている二人の声と表情に、流石のカンダタといえど眉を寄せる。
「その反応……どういう意味だ?」
「い、いや…決して深い意味は無いぞ。でも……のぅ?」
「うんうん。親分さんって、家庭とか似合わなそうだしねぇ」
 上手く言葉を返せないアズサは横目でコンスに助け舟を求める。やはり狼狽えたままのコンスが何とか紡ぎだした言葉に、体全体で頷いていた。
 そんな二人に胡乱うろんげな視線を向けていたカンダタは溜息と共に呟いた。
「……義理だ」
「「…………」」
「ははははっ!」
「笑いすぎだ、ゼノス!」
 唖然と瞠目し固まった二人に、ゼノスは腹を押えて笑い声を上げていた。




「……いいのか? 決戦前にこんなので」
 部屋に用意されている物々しい物資や道具類を見眺めながら、それにそぐわない空気となった間を前にしてヴェインは静かに呟く。不安に思っている様子ではなく、ただ淡々と眼前を観ただけのぶっきらぼうにさえ聞こえるそれに、最早見慣れた穏やかな笑みを浮かべていたウィルは頷いた。
「頼もしいじゃないですか。気後れがないと言うのは良い事です。普段と変わらない、安定した実力を発揮できますし」
「お前も、相変わらずマイペースな……」
「それこそ今更でしょう?」
 横目にそんなウィルを捉えながらヴェイン。後半は長年培った諦念からか、誰にも聞き取られる事の無い程に小さく、広がる喧騒に掻き消えていた。

 慌しく蠢く意志の波。その波の一つ一つが織り成す強かな鼓動を双眸を伏せたまま感じ取りながらウィルは思う。
(流星の飛翔、その影によって標された軌跡の先に在るのは光の萌芽か、或いは闇の葬礼か)
 思い描く地点は無限にあれど、辿り着く場所はただ一つだけ。限り無い不確かさを束ね一つに導く意志に、光の恩寵が果してあるだろうか。
 自らにそう問い掛けてウィルは深い菫色の双眸を開く。絶対の確信と信頼を秘めた視線は、それ自体が眩く輝いているような黄金の髪のジーニアスを捉えていた。




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