――――異伝一
      第十一話 巡り往く意志達







 雲一つ浮かばない蒼穹の空と、青々と何処までも広がる藍青の海に抱かれて清々しさを感じているのか、真夏の太陽は燦々と輝いている。その眩さは照りつける陽射しの下にいて、暑さの為に剥き出しにしている肌にピリピリと痛い程だ。その上を、海から流れてくる涼やかな潮風が優しく撫でていき、風に乗って聞こえてくる海鳥の悠然とした声色は、悩める事の無い天真爛漫さと、限り無い自由を感じさせる。
 シャンパーニの塔のすぐ側に連なる海岸線。そのなだらかな海岸沿いに幾つかある入り江を利用して築き上げた簡易な船着場に、小型ではあるがそれなりに頑丈な構造と、長い船旅に耐え得る装備を擁している帆船が係留されていた。
 その船着場には、陸から船に水の入った樽を運ぶ男や、同じく食料が入っているであろう木箱を積み込む男など、逞しい喚声が船上と陸を往復して出航の前賑わいの興奮に包まれていた。
 さして広くは無い甲板の上。船縁に身体を預けて、自分達の物資を船に運搬してくれている盗賊団“飛影”の仲間達を眺めながら、ジーニアスは陽気によって頬を流れてきた汗を服の裾で拭う。その佇まいは、武装は解除して無防備といってもいい平服姿だった。当然この暑さの中で外套を纏うという酔狂にも近い愚を犯す事は無い。……といっても何が起こるか判らない世の中、愛剣は自分の傍らにしっかりと立て掛けてあるが。
 潮風に気持ちよさそうになぶられている優美な金髪は、陽に透けて普段よりも更に明るみを増している。その下で額を飾る薄紺色のバンダナは、旅立ちの際に妹がくれたものだ。指先でそれに触れると、今頃どうしているだろうか、という思いが脳裡を過ぎった。
 ジーニアスは隣に立って部下達を見眺めているカンダタに視線を移した。
「何だか悪いね……、こうやって皆に手伝わせちゃって」
「気にするな。仲間の出航……それに俺の娘も絡んでいるからな。所謂いわゆる親心という奴だ」
「ははは……、ありがとう」
 素っ気無い言い様で心配色を面に顕にしているカンダタに、その嬉しさからジーニアスは朗らかに笑った。
「でも、大丈夫なのかい? カザーブ村を空けても」
「ああ。山賊共の件が片付いたとは言え、世情はそれを許さんが大丈夫だ。苦難を乗り越えたのは、紛れも無く村人一人一人の力だからな。誰もがそれを自覚している以上、村を護ろうとする意識は潰える事は無いだろう」
「そうだね」
 自分達もそうやって今まで生きてきた事を自覚して、ジーニアスは深く頷く。
「それに、今ここにはクリューヌも見送りに来ているしな」
「ヴェインの見送りだよね。幼馴染だっていうし、やっぱり心配だろうからね」
「…………」
「ん、何?」
 それだけではないだろう。仲間の事なのに気付いていないのか、と胡乱げな視線を送るカンダタだが、感心する程に気付く様子の無いジーニアスはただ不思議そうに首を傾げている。
 その邪気の無い様子に、カンダタは密かに嘆息して話題の矛先を変えた。
「……いや、これからポルトガか?」
「そうだね。あそこは海運国家だし、僕達はそれから大陸沿いに南下する予定だから、ちゃんとした場所で船の整備と補給をしないといけないから。幸い、ポルトガ辺りの事情についてウィルが詳しく知っているようだから、何とかなると思う」
「そうか」
 仲間に全幅の信頼を置いているジーニアスの様子に、カンダタは安堵に口元を持ち上げていた。




 周囲を駆ける喧騒も一定のリズムで打ち寄せる波の音に溶け合って調和し、一つの大きな漣となって耳朶を、その奥の意識をうつ。その優しく安らぎを齎す潮騒に酷く懐かしい感じを覚えていた。記憶の中にある、ここではない別の場所で耳にした潮騒もまた同じ音だった。一望できる海は溜息が零れる程に広くて、その遥か先の見知らぬ大地に打ち据える波の音は、何処の場所でも違いは無い。ただ等しく、淡々と穏やかで、時に激しい。
『勇者』という大きな存在に対して、それを受け止める人の意識や感情というものも、それと同じだと思う。
 いや、思っていた。
 だけど現実は、氷のように冷たく酷薄に心と感情を揺さぶり、それに準ずる価値観を変えた。
 一つの価値観の変化は、今まで己の中に培ってきた世界を構成する一欠片の崩壊と同じだ。それを認めたくないからと耳や目を塞ぎ、否定し批難するのもまた人の意識によるもの。だからいっその事、叫んで拒んで受け容れなければ楽だったのかもしれない。だが、できなかった。
「……ねぇ、カンダタ」
「どうした?」
 茫洋とした碧空の双眸で、遥か水平線の先を見る。そして言った。
「あの、『アリアハンの勇者』ユリウス君って、強いんだね」
「ああ。……当然、お前よりもな」
 少しの逡巡も迷いも無くカンダタは言った。
「それはこの前カザーブで手合わせした時。あとロマリアでの事で充分わかったよ。でも、なんだか……」
 確かに強いと感じた。戦闘能力そのものもあるが、それ以上に実感させたのは黒曜の冷たい双眸に秘められた何か・・。おおよそ賛同し難いだろう、昏く歪んだ光。それを思い出して瞼をきつく伏せ、何処か傷みに耐えるようにジーニアス言い澱む。
 その先に続く言葉を、強張ったジーニアスの横顔から察したカンダタは、親が子を宥めるように大きな武骨な手を頭に乗せて、ぐしゃぐしゃと掻き回した。それに何事かと目を丸くして見上げるジーニアスに、カンダタは落ち着いた声色で言う。
「余り囚われるな。……あいつはあいつの価値観で動いている。お前がそれに絡め取られる必要などない」
「カンダタ……」
「ユリウス=ブラムバルド……。あいつは、荒野に刺さったただ一本の剱なのかもしれないな。その存在を構成する全てが鋭すぎるが故に、何一つ誰一つ寄せ付けず……近付く者、手を伸ばそうとする者、あらゆる者を切り裂いていく孤高の諸刃の剣」
「……漠然とだけど、その意味わかる気がするよ」
 王都ロマリアでの、闘技場の事件。あの時の、騒ぎの中心地である闘技場から出てきた、全身を魔物の返り血によって青く染めたユリウスの姿を思い浮かべ、ジーニアスは僅かに瞼を伏せた。
 あれほどまでに感情が破棄された表情を見て、正直な話、ジーニアスも周囲と同じように恐怖を抱いた。だけどそれと同時に不可解なやるせなさも込み上げていて、その姿を見ている事がとても痛々しく感じていたのだ。
『――俺に出来るのは、殺しだけだ――』
 あの言葉は、間違いなく自分に向けられたものだろう。以前カザーブ村で手合わせした時の、半ば激昂していた頭で投げ掛けた問への答えの一つのように聞こえていた。頑なに“守る”という事を拒絶し否定していた彼の……。
(殺す事しかできないから、守りたい者をも殺したのか。守りたい者を殺してしまったから、殺す事しか出来なくなったのか。或いは……)
 考える度に無限螺旋に陥ってしまい、グルグルと迷走する思考は答えを見出せないまま闇海の渦へ没してしまう。
 そんな荒波を打つ思考に溺れかけている時、カンダタの深刻そうな声が届いた。
「オルテガの息子…あれは一つの結果だろう。オルテガの再来として望まれ全てを背負わされた者…『勇者』、のな。だが、お前は違う。お前には仲間がいる。それがお前の強さでもある。それに、俺達は誰もお前にサイモンを求めてはいないんだ」
 急流にあって藁の如く差し出された言葉に、ジーニアスは目を見開いてカンダタを見上げた。眼前に広がる青い大海を真っ直ぐに見据える精悍な眼差しには、厳しさと共に温かな光が宿っている。
 カンダタや親友達を始め“流星”の仲間達はこれまでも、度々何か有る度にそう言ってくれた。決して父親と重ね比べるではなく、ジーニアス個人として扱ってくれた。そのおかげで、偉大な父に対して劣等感や卑屈を抱いた事など無いし、その違いに対しての重圧に自己嫌悪に陥った事も無い。
 今まで当たり前の事だと感じていたものが、カザーブ村で『アリアハンの勇者』ユリウスと闘った時や、王都ロマリアでアリアハン宮廷騎士レイヴィスに放たれた言葉によって、その培ってきた認識が大きく揺らいでしまっていたのだ。
 自分を自分と認め、見てくれるという事の大切さをここに来て初めてジーニアスは実感したような気がした。
「引き合いに出してこんな事を言うのはオルテガの友として、いや人としての道義にもとるのかも知れないが……お前はああ・・はなるな。そしてなる必要も無い。お前はどこまでいってもお前だからな、ジーニアス」
「……彼には、そう言ってくれる人は居なかったんだろうか」
「わからん……」
 だが、と出かけていた言葉を呑み込みカンダタは思案する。思い浮かぶのはシャンパーニでの戦いの時の言葉。それを思い返すならば、ユリウスには……。
 脳裡を過ぎった結論を、きつく目を瞑ってカンダタは揉み消した。否定ではなく、それ以上考えたくなかったからだ。
「いや、……憶測に過ぎないか。知らない事が多過ぎる。俺達には、な」
「…………」
 低く呟かれる哀嘆地味たそれに、ジーニアスは言葉を返す事が出来なかった。

 雄大にして、変わらずに悠然と広がる大海を前にすると、人間のなんとちっぽけな事だろうか。自分のこんな悄然とした考えも気持ちも、押し寄せる波間に消えてしまえばいいとジーニアスは思った。
 燦然と見下ろす太陽の射す光は、やはり肌や目に痛かった。





 シャンパーニの塔の最上階。そこから見下ろす遥か眼下には、自分達が乗っている帆船がポツリと船着場に繋がれており、そこに犇く人の姿はまるで掌から零れ落ちる砂礫の如く小さい。窓際に立ち、感情を載せていない何処か超然とした眼差しをしたウィルが遠い海原を眺めていた。
 すると背後から、赤銅の扉を押し開ける重々しい音と共に足音が、そして声が掛かってきた。
「待たせたな。それでウィル殿。聞きたい事って何だ?」
 濃紫の髪を掻き揚げながら、ゼノスは部屋に置いてある椅子に腰をかけ、立ったままのウィルを見上げる。
「ゼノス殿。失礼を承知でお尋ねします」
「ああ」
 そう断っておいてウィルは踵を返す。
「あなたもご存知のヒイロ=バルマフウラ殿……。彼は人間ですか?」
「!? ……それは、どういう意味だ?」
 問われた事に唖然としてゼノスは瞠目するが、一瞬の後、逆に鋭く目を細めた。
「言葉通りです。あの方は、この『山彦の笛』の音色に拒絶反応を示しました。ですが、これが発する高次領域の魔力波を感知する事は、所有者である私以外の人間には不可能だからです」
「……どういう事か、説明してもらえるよな?」
 思いの他、ゼノスの声は低く鋭く冷たい。
 だがその反応は無理からぬ事だろう。彼らが長く苦楽を共に人物を、付き合いの無い自分がへんしているのだから。だがウィルは己の中に浮かんだ懐疑を隠す事はしなかった。
「はい。以前お話した通り、私達の旅はとある宝珠・・・・・を捜す事にあります」
「ああ。確か、“翼の封印たる竜種の遺産”とか言われている宝珠オーブだったな? 聖鳥ラーミアをこの世界に再臨させる為に必要だとか言う……」
 以前聞いた事を思い出しながらのゼノスの問に、首肯するウィル。
「正直、聞かされた今でも眉唾物なんだがラーミアは実在するのか?」
 ラーミアという、その存在を示す名前自体は人々に広く知られている事だった。
 世界に名を轟かせている数々の大宗教の聖典に、その出自や由来は形を多様に変えても、名や姿はそのままに記されているからだ。そこから派生し拡がっていった御伽噺であれ、伝説であれ、媒体を異にしろその存在は広く伝えられている。
 例えるならば、世界で最も信奉者が多いとされる精霊神ルビス教においてラーミアは“神使たる天導の虹翼”と神聖視されている。イシスを中心とした南大陸地方で広く信仰されている太陽神ラー教ならば“再生の火を運ぶ不死なる霊鳥”。遠くサマンオサの地で国変以前に信じられてきた太陰神ゼニス教においては“時空をける聖鳥”……など、様々な二つ名と共に絶対的な力の象徴として崇められてきた。ちなみに大空神フェレトリウスを数多の人間が信奉している、ここロマリア王国では “世に崩滅を齎す凶翼”として信徒達の間で嫌忌と畏怖の象徴とされている。
 そんな世間的な事情を鑑みながら、ウィルは淀み無く続けた。
「はい。かの神鳳は、世界のマナの流れが混迷を極め、危機に瀕した時、世界に望まれて目覚めると言われております。神鳳を求める者達と、神鳳本人の意志を再臨への礎として……」
 その暗示的な言い回しをゼノスは怪訝に思ったが、今現在魔物で溢れ返っている世界を考えると、確かに危機に瀕しているという事は理解できる。全くもって歓迎などできはしないが。
「ラーミアの肉体は今も“閉ざされし地レイアムランド”に眠っており、存在の核たる魂魄は宝珠の力によって分断され、宝珠そのものに封印されているとされています。……そして、全ての宝珠を揃えた者は遥かな“閉ざされし地”にて神鳳と邂逅を果す、と」
 何かの伝承を詠うようなウィルの口調に、ゼノスは胡乱げに半眼を向けてしまうが、賢者たる眼前の人物の言う事。何かしらの知識に裏打ちされた事なのだろう。そう思ってゼノスは小さく嘆息した。
「まぁ、それが事実だとして…何でまた封印なんかされてんだ? いっそのこと、いたままの方が世界にとっては安泰だろうに」
「それは私にも判りません。ただ一説によると、『勇者』と『魔王』の争いの中には、必ず神鳳の存在も絡んでくると……」
「賢者であるあんたの言う事だ。『魔王』はともかく、その『勇者』ってのが決して人によって定められた称号を持つ者、って訳じゃないんだよな?」
 返された言葉に、ウィルは無言で首肯した。そして懐から掌に収まる小さな笛を取り出す。
「この山彦の笛は、宝珠と同時期に作られたと伝えられている古代魔導器です。つまりこの笛の存在こそが、宝珠が実在の物であるとし、ラーミアの存在を確証付ける事実だと私は考えています」
 掌に乗せられた笛を、その存在を確かめるようにしっかりと握り締め、ウィルは続ける。
「この笛は音波と共に、人間では察知できない高次領域の魔力波を発します。その魔力波を受けた宝珠は同調共鳴作用を起こし、一瞬ですがそれ固有の魔力波を発するのです。そして、その宝珠から発せられた反響魔力波が、笛の所有者である私にその位置を示してくれるのです。他の方々にとってそれは、笛の音色が山彦となって聞こえてくるのでしょう」
「魔力の山彦、ってわけか。それにヒイロが反応を示したんだな。……それも拒絶するような」
「…………はい」
 事の大きさに声調を低くして呟くゼノスに、重々しく頷くウィル。
 沈黙が流れる前の微妙な機微の中、考え込んでいたゼノスは静かに言った。
「……一つだけ気になる事はあるな」
「何でしょうか?」
 考え込むように腕を組みながらのゼノスに、ウィルも目を細めた。
「あいつは、俺達と初めて会ってからもう六年以上経つんだが、変っていないんだ」
「……変わっていない?」
「全く歳をとっていないように思う。容姿にも何の変化も見られないからな」
「!?」
 眼を見開くウィルに、小さくゼノスは冷笑した。眼前の青年に悪気が無いのは良く判っている。だが、どうにも学者や賢者とかいう類の者達には無自覚に共通の性癖があるような気がしてならなかった。そんな考えが面に出たのか、浮かべた薄い笑みの中で目は全く笑ってはいなかった。
「それが何を示すのか、俺にはわからない。仮にあいつが人ではない種族の何者であれ、俺達にとっては掛け替えの無い仲間だ。だからそんな質問は決して快く歓迎できるものではない、って事は覚えておいてくれよ」
「……そうですね。事の真相に拘泥こうでいするあまり、私はあなた方の心を慮ってはいませんでした。本当に、申し訳ありません」
 釘を差されて深く頭を下げるウィルに、その自覚・・・・がある事を覚りゼノスは安堵に深く溜息を吐いた。
 日が更に高く昇り、部屋の中を彩る影が動く。明暗の波間を漂う意識達は、緩やかに窓より流れ入る潮騒に耳を傾け、古塔は静寂に満たされた。





 積載の終った帆船は、船着場に繋ぎ留めていた縄を解き、悠然に打ち付ける波に攫われて船は徐々に陸地から離れていく。旅立つ者達を乗せた船は大きく帆を広げて一杯に風を孕み始め、ゆっくり回頭を始めた。その目指す先は、ただ青色が支配する沖合。太陽が燦然と輝き、波間に揺れる海面と白い水飛沫が銀細工のように煌く。
 歓呼に後押され進む船。その舷側に立ち、それぞれの見送り人に手を振るうリースにヴェイン。ウィルは舵を取っているので傍にはおらず、ジーニアスは前の二人から少し下がり、甲板の上から静謐に陸地で声援を送る“飛影”の仲間達を見眺めていた。誰もが喚声を上げ、力強く腕を天に向けて振り翳している。その熱気が勇気となり、沸々と自分に移ってきて気分が昂揚するのを覚えていた。
 そういえば今の“流星”の本拠地を発つ際も同じような送り出され方をした事を思い出して、ジーニアスは彼らの声援に応えるように、力強く高々と烈炎の剣を掲げた。

 陽を浴びて炎が点ったように煌く紅蓮の刃。それはこれからの道で、迷わぬように先を照らす灯台の燈のように爛々と光り輝いていた。






 金色の輝きを放つ、細緻にして豪奢な意匠の黄金鎧を纏ったまま部屋の中を歩くアリアハン国王ラヴェル十二世。清冽な威圧を発している王と、宮廷騎士レイヴィスが真昼の陽が射し入る王の執務室で対面していた。通常であるならば必ず王の側には側近の誰かが控えているのだが、今は王と騎士の二人だけ。
 直日を遮るようにバルコニーへと続く大窓には、薄く麗雅な刺繍の施された絹のカーテンが掛けられており、それを透かして射る乳白色の光は、心地良い午後の空気を運んでくる。
 だが一種の安穏とした場に在って、そこにいる二人の間には何処か油断ない空気が流れていた。
「魔物の襲来があったそうですね。先程、団長達が慌しく階下を駆け回っているのを拝見しました」
「うむ。だがまあ、王都襲撃時のような大規模な襲来でもなかった。以前のあれは確かな意思による統率がなっておったそうだが、此度のは違った。土着の奴らよりも海岸から上がってきた海棲のが多かったが、所詮は烏合の衆。ものの小一時間程度で終ってしまったわ」
 愉快そうに言いながら、王は腰にいていた剣を執務机の傍らに無造作に立てかけた。儀礼用の装飾が施された細身の宝剣ではなく、より機能的、実践的に洗練された武骨な両刃剣…アリアハン王家に伝わる剛剣バスタードソードだ。今は失われた技術と素材により鍛えられたその剣は、壮麗な彫金が施された黒塗りの鞘に収められている。それ自体が美しい芸術品ともいえる鞘は烏珠ぬばたまの輝きを放ち、その黒の上を流麗に走る金細工はその身に収めている刃の鋭さを代弁していた。王は鎧を脱がぬまま、王衣を纏わぬままドカリと執務席に座り、鋭い眼光で前に佇むレイヴィスを見上げた。
 並みの人間ならば萎縮してしまいそうな覇気を前に、特に怯む様子も見せずにレイヴィスは飄々と返す。
「それはそうでしょうね。陛下自ら先頭に立ち騎士団を率いて戦ったのならば、そこらの魔物ざこなど砂漠の中に放り出された粘土と同じでしょう。いや、流石は『剣聖』イリオス殿の直弟子にして、オルテガ殿と同門の身。それに陛下はランシール聖殿騎士団パラディンの団長経験もある方ですからね。対峙してしまった魔物も可哀相に……」
「それは皮肉か厭味のつもりか?」
 ニヤリと愉しそうに口元を歪ませる王に、とんでもない、とレイヴィスは臆面も無く笑みを湛えたまま首を横に振った。
「ロマリアでの件、お聞きになりましたか?」
「ああ。あの国でもユリウスは大層我等に有利に動いてくれたようだな」
 椅子の背に凭れかかりながら、王は満足そうな笑みを浮かべる。レイヴィスは淡々と続けた。
「結果的にはそうでしょうね。王家の不始末と、魔物の襲来…いえ暴走に対して最善を尽くしていました。……といっても、いつも通り魔物を皆殺しにしただけですが」
「それで良いのだ。これであの愚楽な国も気付くだろう。いや、気付いてくれねば『勇者』の意味も薄くなる」
「ですが、少々度が過ぎたかと。まあ、元を正せばあの国の道楽思考が原因ですがね。それなりに被害は出ましたが、同情の余地は無しです」
 執務机の上に両腕を組んで低く厳かに放つ王に、レイヴィスは溜息を吐きつつ肩を竦める。そんな少しも物着せぬ言い方に、王は嗤う。それはこの騎士との、ふてぶてしくもこの遠慮ないやり取りが純粋に愉しかったからだ。
 咥内に笑みを閉じ込めて、湧きあがったものが鎮まるのを待つ。だが、微かに肩が揺れていた。そして、ゴホンと一つ咳払いをして、毅然とした眼差しで言う。
「催事用に鹵獲した魔物の暴走、だったな。仔細は?」
「暴走した魔物自体は闘技場の者達が鹵獲してきた野の者でした。ただ、何者かによりその力を増幅された形跡が発見できました。ちょうど魔物を閉じ込めておく地下監獄に、毒蛾の粉の残滓も確認できましたしね」
 ここで一旦言葉を区切るレイヴィス。王はその間に語られた事実を咀嚼して頭で整理していく。そして、目で先を促した。
「で?」
「私が視た・・限りでは、それには何かしらの魔力が付加されていました。察するに狂乱状態にする毒蛾の粉本来の性質と、能力を増幅させる類の補助魔法……ですかね」
「ふむ……。何者の仕業だと思う?」
 眉を顰め王は瞑目するも、やがて開眼し、眼前に立つレイヴィスを見上げる。純粋に騎士の意見を訊いているのだろう。青銀の双眸は静かに感情を載せぬまま返した。
「さぁ? 私には何とも言えません。魔族が関与していましたが、何分魔族やつらも一枚岩では無いでしょうし」
「そうだな。……彼の国の大臣にはこちらの意向は伝えてあるな?」
「はい。賛同なさって頂けたようです」
 レイヴィスが重々しく頷くのを確認すると、王は席を立つ。そしてゆっくりと大窓に歩み寄り、覆っていたカーテンを一気に開いた。部屋に射る光量が増して、床に敷かれた赤い絨毯がさらに朱く映える。窓の外の澄み切った大空の下には、アリアハンの城下街が一望できる。街を照らしている優しい光は、どこか蝋燭の灯火のように呆気なく消え失せてしまいそうな虚ろな酷薄さを感じる。
 王の背後からそれを眺めていたレイヴィスは、そんな馬鹿げた思考を遮るように眸を伏せて王の言葉を待った。
「ならば適当な人材を送り、彼の国を建て直して・・・・・やれ。早急にな」
「御意」
 振り返り、逆光の中に身を置いて凛然と言い放つ王に、恭しくレイヴィスは腰を折った。

 柔らかな乳白の光によって部屋の調度品が照らされ、浮かび上がっていた影が少し動いていた。
「レイヴィス」
 退室しようと踵を返した矢先に呼び止められ、レイヴィスは何事かと目をみはりながら振り向く。
「まだ何か?」
「この後、どうだ?」
 無礼に値するようなレイヴィスの言葉を特に気に止める事無く、先程机に立て掛けた剣を手に取り王は口元を歪ませていた。掌の中で柄を弄びながら、王は真っ直ぐにレイヴィスを見据える。
「なに、久々に甲冑を纏ったからな。昔の血が騒ぐのよ」
 その好戦的に鋭い光を宿した双眸から、戦いの興奮がまだ冷めていないのだろう。それを思い、レイヴィスは疲れたように深く溜息を吐いた。
「……まあ、構いませんよ。今の陛下の相手をできるのは、アリアハンじゃ私かイリオス殿くらいですからね」
「流石に今のの立場で、そうそうイリオス師の処へ赴く訳にもいくまい」
「……いいんですか? 王の立場にある貴方がそのような粗野な言葉使いで。ガイスト殿辺りにでも聞かれたら、また小言を言われますよ? あの人はその手の礼節に掛けては粘着質ですからね……」
 仮にも配下の騎士の前で自らを「俺」と呼称する王に、レイヴィスは自分の事を棚に上げて苦笑を零す。流石にそれは癪に障ったのか、王は口元を歪めた。
「その言葉、お前にそっくり返すぞ。お前のそれこそおれに対してのものではなかろう。アルベルトに命じて、お前に騎士の礼儀作法というものを一からきっちり教え込んで貰わねばならんな」
「ははは……。是非ともそんな時間の無駄、勘弁願いたいものですね」
「ならば、お互い様というものだ」
 互いに剣呑な視線を交し合った後、同時に耐え切れなくなったのか笑声を吹き出した。
 痛快にひときしり笑い合い、王は試すような視線と口調で尋ねる。
「俺が剣で愉しめる相手といえば、師にお前。後は……ユリウスくらいなものか。……お前はどちらに分があると思う?」
「今のユリウスでは、陛下には敵いませんよ。いかに強力な魔法を行使できたとしても、封じてしまえば脅威にはなりません。一対多数でならばユリウスの方が手段の多い事と、それに慣れているので有利なのでしょうが、一対一でならば話は別。純粋に剣の勝負となると、まだまだ陛下にはお及びはしないでしょうね」
「ふむ。お前がそう言うのだから、そうなのだろうな」
 満足げに王は吐息を零し、剣を肩に担ぎ上げる。王の癖なのかこのやり取りの間ずっと、刀身を鞘から抜いたり収めたり、それを延々と繰り返していた。その度に鋭い刀身が部屋の光を反して、艶やかに輝いていた。
「オルテガ殿が存命ならば、陛下も退屈はしなかったでしょうね。……惜しい方を亡くしたものです」
「……そうだな。俺自身、奴との勝負のケリがつかぬまま永久に先送りになってしまったのは、今でも口惜しく思うな。しかしどうした? 今日はいつになく情緒的ではないか」
 珍しいものを見た、と言わんばかりに口元を歪めている王に、レイヴィスは大仰に肩を竦める。何となく、図星だと認めるのが癪だったからだ。
「さすがに私も先日それなりに動きましたので……正直な話、陛下のお相手は疲れるんですよ。そこらの魔物と戦うよりもね。陛下とり合う位ならば、檜の棒でトロルとり合った方がまだ楽というものです」
「何だその訳のわからん例えは……。ふふ、くくく。はははははっ!」
 皮肉を織り交ぜた慇懃なレイヴィスの物言いに、王は込み上げる愉快な感情を抑えず高らかと笑う。そして剣を手にしたまま揚々と扉を開け放ち、続く荘厳な回廊を雄々しく歩む。
 その王の後ろを、レイヴィスは諦めたように溜息を吐きながらついて行った。

 高かった外の陽も、いつしかゆっくりと傾き始めていた。それに伴い、空の青さは徐々に赤みを増していく。空を覆う帳の交代の中、涼やかな風が少しずつ晴天の下に流れ出していった。






 深い夜闇が露を孕み、しっとりとした空気が静かに在る者達に圧し掛かる。だがそれは決して不快ではなく、光によって照らされる世界での、眼を灼く煩わしい色彩からの解放をもたらしていた。
 底の見えない暗黒に塗り替えられた石床を靴底が蹴るコツコツとした音が、周囲の同じ材質の石壁や天井に跳ね返っては重なり、いつまでも耳の奥に残る。その余韻はまるで残鐘音のように途絶える事はなく、この地の深遠さを改めて知らしめる効果があった。
 その闇の只中を何の光も標も躊躇いも無く進む、この闇に押し広がるように同調する色のローブに身を包んだ翡翠髪の青年が、穏やかな口調で隣を行く大男に言った。
「ロマリアでは悪かったね」
「あ?」
 何事かと思い、声を掛けられた大男…デスストーカーは暗闇の中で目を剥いた。
「君等のストレス発散の場所として相応しいと思っていたんだけど……。火急の指令が入ったから水を差しちゃった、って事だよ」
 言われた事に、ああ、と頷いてデスストーカーは軽く手を振る。
「もういいぜ、その事は。俺は済んだ事をネチネチ引き摺る小物じゃねぇよ」
「そう言って貰えて、助かるよ」
 翡翠の青年はふぅ、と溜息を吐く。
「それよりも、大将の方が何か機嫌悪くねぇか?」
「……そんな事はないよ」
 不貞腐れたような顔でそんな事を言ってもまるで説得力が無い。いつになく憮然とした様子の翡翠の青年を見下ろしながら、大男は失笑した。
「やれやれだ。大将もまだガキだねぇ」
「そりゃあ、ね。僕だって実年齢で君と比べたら、まだまだ子供になるよ」
「へいへい。俺が悪かったよ、だからそんなに睨むなっての」
 返ってきた言葉と視線に何処か冷たさを感じて、何処か逃げるように粗暴に伸び切った髪をぐしゃぐしゃと掻き回しながら、大男は前の闇に目を移した。
 この無限に続いているかのような回廊は、遥か古代に人間か、或いは他の種族が建造した遺跡だ。侵入者を惑わせる為に、方向感覚を狂わせるような、初めて訪れる者達にとってみれば非常に嫌な構造をしている。そして今は光が射さぬ闇の底である事実は、自分が前進しているのか後退しているのか、いやそれ以前に立っているのか倒れているのか。生きているのか死んでいるのかすら判別できない恐怖を否応無しに植え付けてくる。
 勿論、今この地を歩んでいる二人や、彼らに連なる者達にとってみれば縁の無い話ではあるが。
 とある部屋の扉の前に立ち止まり、翡翠の青年は言った。
「さてと……。ぼくは瞑想に入るから、後の事は宜しく頼むよ」
「……またに同調するのか? 最近やけに頻繁に同調しているようだが、余りに過度の同調は自意識を喰われるぜ?」
 怪訝に目を細める大男に、青年は僅かに目を伏せる。
「……それでも、ぼくはまだ求めるものに至っていない。その意志が潰えない限り、ぼくは進まなければならないんだ」
「だがよ、大将の印は俺や小僧のよりもヤバイ代物なんだろ? 俺とて未だ“魔神の斧”は完全には扱えんし、小僧に至っては魔族化したばかりで“慨嘆なげきの楯”を具現するのが精一杯だ。大将の力は知っているが、些か性急にすぎやしねぇか?」
「ぼくは、ぼくの求めるものを諦める訳にはいかない。その為には立ち止まっていられないし、時間なんて惜しんではいられない」
 深闇の中で対峙する二人。真摯な翡翠の眼差しは闇に阻まれて本来ならば見る事は出来ないだろう。だがそこに宿る確かなものに、大男は嘆息した。
「……了解だ。ま、大将が壊れない事を信じてるぜ」
「ありがとう……」
 大きな手で激励するように青年の肩を叩き、デスストーカーは闇の先へ消えていった。




 その部屋の中は、おぞましい程に静謐に満たされていた。
 歩む靴音。擦る衣服の摩擦音。呼吸の音。それだけが闇の中に響いていた。
 部屋の中心に立ち、翡翠の青年はゆっくりと虚空に手を翳す。そして静かに呟いた。
「おいで、“破壊の剣”」
 言葉が闇の深くに染み渡ると、禍々しい闇の輝き放つ邪剣が無から現れた。数基の骸骨とその往々が秘めた呻き嘆きが絡み合うように一つになり、生物のような有機的な鼓動を刻む刀身。その手に馴染む重みを確かめて、自らの前で繊細な硝子細工でも手にするかのように、恭しくそっと掲げ持つ。
 掌から伝わる剣の鼓動に、自分の意識を同調させていく。
 より深く、より昏く。混沌の闇の先にある、さらなる闇の深奥へ足を踏み入れた。
(っ!)
 瞬間的に脳裡に数千数万という大小明暗様々な闇の塊が湧き上がり、それらは泡のように弾け意識に広がっていく。それは止め処なく現れては消え、その波紋は存在の礎である魂にさえも揺るがして、痕跡を残していく。

 圧倒的な闇の波だった。意識に疾った衝撃は身体にまで至り、翡翠の青年は思わず膝を地面に着く。
 それでも留まる事を知らずに、心に侵蝕してくる混濁とした黒に塗り替えられそうになる。今ある意識に亀裂が入りそうになる。だけど怯む訳にはいかない。もう逃げる訳にはいかない。
 だから唱える魔法の言葉を。
 揺らぎ離れかけた肉体と精神を一つに繋げ、その奥にある自らの魂を奮い立たせる貴き言の葉を。
 貫く意志の具現たる、魂に刻み込んだ誓の楔を。

「――剱の聖隷」




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