――――第五章
      第二七話 宵闇は深く







 夜。
 遠く空を揺らす風の音も、砂の流れる漣も宛ら子守唄で、あらゆる者が眠りに着いたかのような静かの大地は、そこを普く照らす月明かりをより一層深化させる。
 魔物の暴虐によって倒壊した家屋の残骸が惨たらしく犇く聖都イシスは、今は静謐の園に堕していた。あちこちに散乱する瓦礫が未だ撤去しきれていない痛ましい街並みは、白翠に燈る空の無慈悲な明かりによってその陰影を濃く浮かばせ、暗澹を誘う現状を人知れず世界に主張する。しかし夜の褥にまどろむその様は、活潤の賑わいを見せていた昼の熱気を鎮めるが如く、疲れを癒す為に深い深い安息の刻を受け容れていた――。



 直接的にしろ、間接的にしろ、聖王国イシス存亡を賭した魔王軍との戦争に勝利を齎した救国の英傑達という事で、ユリウス達“アリアハン勇者一行”は王城に滞在していた。王城は城下の惨憺たる様から比べるとその被害は極めて軽微で、その有り余る敷地内には住むべき家屋を壊された人々が仮設天幕を張って夜風をしのいでいる。
 来賓用の客室は、機密保護や警備面からの観点より当然の配慮なのだろうが、王城の重要な区画から遠く離れた位置に設けられていた。しかし城仕えの侍従達の居住区もそちら側に在り、上層部からの指示も的確に伝わっているので不便を蒙る事はまず無い。強いて言うのならば、部屋の内装や構造は市井では見える事の無い潤沢な仕様であり、その豪奢さに馴染めるか否かが快適か窮屈かを決めるのであろう。
 ユリウス達はその区画の中で、特級とも言うべき国賓をもてなす為に設けられている塔を丸々一つ貸し与えられていた。王城の一角に据えられたそれは、勿論一介の冒険者などに宛がうには余りにも過剰な歓待であった。が、やはり国家存続の恩人とも言える者達に対する王の誠意、そして国家の面子と言った表層の事情もある為に、表立って非を唱える者など城内では皆無だった。

 結局、ユリウスが王墓跡地のオアシスより聖都に帰還したのは、その日の夜も深まる刻限だった。
 ユリウスはエヌマエリスと名乗った至高の剣士と手合わせした後も、一人砂漠に残り鍛錬を続けていた。その中で虚空を薙ぐ度に、難なくこちらの剣撃の全てを捌いた男の姿が幻影として再現され、その崇練なる手腕から見出される遠すぎる高みに悄然とした翳りが意識に浮かぶ。だが、それに浸る事を赦さない程に彼の者の技術には学ぶべき所があると認識させられていた。
 おそらく、その事に対して苛立ちや焦燥を覚えなかったのは、自分に向けられる敵意害意…つまり争う意思が微塵も感じられなかったからだろう。
 以前、絶望的とも言える力量の差を見せ付けられたアークマージに対してユリウスは怖れを抱いた。その怖れは苛立ちと焦りを自らの深くに刻みつけ、暗闇の焔となって常に自身を背中から煽り立てている。だがそれは幼少より魔物を殺戮して育ってきた自分にとっては慣れ親しんだ感覚に過ぎない。弱肉強食が世界の揺ぎ無い理の一柱を担っている以上、狩る側と狩られる側の立場を流転させる背後からの強迫観念は力を求める意志の糧として重要な因子であるからだ。
 しかし、だからこそ同じく絶対的な力の差を見せ付けられたあの青年の競争意思のない無為自然なる佇まいに、これまでに無い違和感を覚えずにはいられなかった。
――剣に載せる感情の波が激しすぎる。
 その剣士はユリウスの剣技をそう評した。ユリウスにしてみればその言はまさに青天の霹靂だったと言えよう。ユリウス自身、剣を振るう時は常に無心…いや、正確には敵を殺す意志以外のものは抱いていないと自覚しているつもりであった。そして同時に思う。日頃から排除しようと努めているにも拘らず、自分には感情がまだ残っていたのかという事に。嘗て、二人に植え付けられたものの深さを改めて実感し、一人戦慄し途方に暮れていた。
 精神活動の基盤としてその存在の内面を支えるのは心だというのが良く人々が口にする一般論だ。だがその心とは何かと考えた時、ユリウスには解を出せる筈も無い。そもそも心というものの定義そのものが曖昧で不透明、且つ眼に見えるものではなく、触れる事のできないもの。人によってそれは感情であったり、意識や精神そのものであったり、信念であったりと応えは千差万別にある。
 ユリウス自身にとってその手の論議は率先して忌諱すべき類のものとして嫌厭してきた事実もあるが、そもそも全ての精神活動は思考という確固たる骨子によって基礎を組まれ、その隙間を意識という不定形の波を充たす事によって補完されるものだと認識していた。そして精神活動の安定を左右する感情というものは、思考の簇柱の隙間を流れる意識の波浪を御するある種の源泉であるとの結論に至っている。
 川の流れを塞き止めんと突き立つ木の列柱は、絶え間なく続く流れに耐え切れず歪みと軋みを生じさせ、いつか確実に折れてしまうように、流れる意識と組み上げた思考には必ず崩壊の因子を内包している。その理の正否は自らの足跡を省みても甚だ自明であり、それはここイシス然り、アッサラーム然り、そして……アリアハン王都襲撃事件然り。自分の残してきた結果の中で己に殺意を誘うまでに忌々しく愚昧な結末には、いずれも感情という歪みが暴走し、擾乱した意識の波が思考の柱を悉くへし折った上での事だった。
 どれ程、強固に思考と意識…つまりは自我を確立して自らを律そうとも、その裡に感情が孕んでいては逆にそれをも同時に強めてしまう。半ば諦念染みた納得が自らの裡にあるからこそ、思考と感情は本当に切り離せないものなのかという疑問を呼び起こす。そしてそれが例え叶わぬものだと半ば知りながらも、如何にして両者を切り離すかという探求に駆り立てられる。それが人として赦されない罪深き業だとしても最早退路は無く、急いでそれを排除しなければならないと言う焦燥の前にはささやかな風韻に過ぎない。自我の崩壊さえも是として、自分の裡から感情を排除するという希求に臨む。
――その意志の流れこそが、ユリウス自身に在る心の葛藤…つまりはその存在証明である事を今はまだ、彼は知らない。

 人々が寝静まった真夜中の時限に、重く厳かな音を発てる扉を開けてユリウスは中に入る。夜に埋もれるその表情には疲労が全面に浮き出ていて、精彩は闇に溶ける程に無い。
 総石造りの空間に満ちている夜の冷涼な空気は、疲れ切った心身には酷く心地良かった。硬質な靴底が石床を蹴る小さな物音ですら幾つも折り重なり合って深々と響き渡る荘厳な音韻は、緩み撓んだ意識を鮮烈に引き締める。
「こんな時間まで、何処に行っていたの?」
「!」
 深夜の礼拝堂と同種の凛とした空気に支配された塔の玄関広間。夢幻の園と表現した所でそれ程差異はない闇の中で、徐々に視界が慣れていくと共に伝わってきたのは綺麗で余りにも唐突な問。本調子とは程遠い為か、些か周囲への注意に欠けていたユリウスは突然の声にしばし眼を瞬かせるも、やがて普段の無感情の眼差しで闇の先を見据えた。
 風を通す為に設けられた天窓から射る月明かりによって、視界には滑らかな白磁の絨毯を敷き広げていて、虚空を薄闇と絡まった淡い藍の帯を織り成している。コツコツと足跡を刻んで近付いてくる乾音に合わせて眼を凝らしてみると、白い闇の中から月光をヴェールの如くその身に纏い清浄な雰囲気を醸して現れたのは、意外な事にアリアハンより最初からの同行者、ソニアだった。

――戦列に立った騎士兵士達の誰もがあの戦争の後、判りやすいまでに白々しく自分を避け、遠巻きに見ながらも近くでは決して眼を合わせようとしていないのをユリウスは気付いていた。その視線に孕む意識の大部分を占めていたのは畏怖や忌諱であり、ある意味自分にとっては慣れ親しんだものでもある……もっとも、それが判った所でユリウスには何の影響も齎してはいないのであるが。
 常軌を逸した現実を目の当たりにすれば、真っ当な人間ならば自らの価値観や認識を守る為に視界から外すか、特殊なものとして同じ地平に立つ事を良しとせず、排他する方を選ぶ。それは実に判りやすい自己安定の選択であり、普遍の判断なのだろう。それを理解するにはアリアハンという国の環境はこの上なく都合が良かったといえる。
“アリアハンの勇者”の名は、その過程を知らぬ者達には清廉に映るのかもしれないが、少しでもその現実に触れた者は、自分達では手に負えない魔物をいとも簡単に虐殺する存在に慄くしかない。嘗て魔物という存在の底が未知数で、その対抗策を模索していた時代において、殺害が可能であるという一つの事実を呈したオルテガは両翼に光に連なる希望を広げる事が出来たが、なまじ魔物が殺せる存在であると認知された現在ではそれが叶わず、ユリウスは時に相反する闇を片翼に据える事を義務付けられた。
 それは、自分達では手におえない魔物を絶殺するその姿は、ある意味魔物よりも醜悪な、新たなる魔そのものという認識。つまり将来の脅威足り得る、現在の守護剣。
 そんな世界の情状もあってか、こんな時間にこんな所にいるのがソニアだというのは、ユリウスとしても予想外の事だった。ただソニアに関して予想外たらしめた理由には、他にも決して外せない要因はあるのだが――。

 珍しく瞠目してソニアを見据えた後、ユリウスは冷厳に問う。
「何をしている」
「それは私が言いたい事よ……こんな遅くまで何処に行っていたの?」
 こちらの問には答えず、逆にソニアは口早に返してきた。
 薄闇の中でもはっきり浮かび上がる彼女の紅玉の双眸は、月明かりの所為もあってか艶かしく映る。しかしその裡から滲む怪訝を載せた眼差しに、ユリウスは小さく溜息を吐いて肩を竦めた。
「俺の行動を、誰かに逐一報告する義務は無い」
「義務とかそういう事じゃないでしょう。あなたが突然いなくなったから、皆探していたのよ。神殿や城の人達だって忙しい中手伝ってくれたのに、あなた一人の勝手な行動で皆を振り回さないで。……それに、あなたは怪我人なのよ。一昨日の戦闘の怪我だって全然治っていないじゃない」
 随分と説教染味た言い回しではあったが、ソニアの言葉は甚だ正論だった。戦後復興の忙しい中での単独行動を諌める言はもとより、ユリウス自身自覚するまでに、その全身に負った傷の具合は快復には程遠い。
 実質的に戦争に幕を引いたのはユリウスの放った召雷魔法ライデインが、魔軍を率いていた獣魔将副官ライオンヘッド諸共残存していた魔物の群を悉く呑み込んで焼き払ったからだ。落雷を免れた獣もすぐさまイシスの兵達によって打ち倒され、完全な掃討にはそれ程までに時間が掛からなかった。
 そして幕引き役を担ったユリウスはと言うと、ライデインを放った直後に砂漠の大地に倒れ伏していた。現場を見ていたソニアやミリアがすぐさま駆けつけた時、ユリウスの状態は辛うじて意識は残っていたものの、惨憺としか表現出来ない程に傷だらけで、あの傷で何故あれだけの動きや魔法を紡ぐだけの集中力があったのかと疑問さえ浮ぶまでの重傷だった。全身に魔物の返り血を浴びていたが、その内側から滲み出る赤の血潮が浸蝕していて、見れば見るほど獣の爪牙によって齎された被害の甚大さは痛ましい。
 地面に這いずりながら、刃を支えにそこから更に立ち上がろうとするユリウスの鬼気迫る様子は、救援に駆けつけたイシスの者達を踏鞴踏ませ、近寄らせない。そして、遅れてきたソニアとミリアの二人掛かりで何とか回復魔法を掛けたにも拘らず、ユリウスの怪我は治癒に向う気配さえ全く無かった。その場にいる誰も知らない事だが、それは魔族の放った上級閃熱魔法ベギラゴンさえ掻き消した反魔法マホステの残滓の影響で、未だ外部からのあらゆる魔法を完全に遮断していた為だ。
 結局、薬草を傷口に宛がう原始的な応急処置で出血を止め、ユリウスは大神殿に搬送されて治癒方陣の一つに放り込まれた。他にも数多の重傷者を抱えていたのだが、数ある中の一つを占拠したまま絶対安静を厳命される状態であったから、ソニアが言う事もまんざら大袈裟では無い。寧ろ、たった一日二日経過して、傷も碌に回復していない状態で一人砂漠の炎天下で鍛錬をするユリウスの方が異常であると言えた。
 自らの怪我の治癒に時間がかかっている事は自覚している為か、だがそれさえも歯牙に掛けぬようユリウスは淡々と紡ぐ。
「傷の治りが悪いのは事実だが……だから何だ? 意識は有る。身体は動く。ならば特に懸念すべき問題は無い」
「何だ、って……あなたね」
 あまりにも他人事のように、それも何ら抑揚さえ無いユリウスらしい言述にソニアは溜息を深める他無い。これまでの道程から気付く事に至っていたが、このユリウスという人間は何処までも自らの安否について無頓着だ。捨て身の如き戦闘スタイルといい、自分に対して口を開く度に憎め、呪え、殺せとの言動といい、その姿は何処までも自らを蔑ろにして追い込んで、宛ら死を望んでいるようにさえ映っていた。
――敵を切り裂く剣とは、切る度にその傷みを抱え込み、やがていつか蓄積された傷みに埋もれ、自らを崩す危うき刃金。
 昔、姉に言われた言葉が不意に脳裏に過ぎる。どういう経緯で言われた事なのかは忘れてしまったが、とても真剣な眼差しで綴られた気がする。
 それがもし“勇者”の事を暗に示しての言であったならば、ソニアとしてはやるせなさを感じずにはいられない。哀しさを、覚えずにはいられない。傷む刃を憐れんだ姉もまた、その傷みの一欠片になってしまったのだから。
 胸中でもやもやした感情が蠢動したのを感じて、ソニアは自らを律さんとする。
「何をしていたの?」
「鍛錬」
 何の臆面も無く、微塵も間が置かれなかったのは、それが紛れも無く事実だからなのだろう。ソニアは思わず頭痛を感じた。
「ユリウス。人が心配しているのに、あなたはどうしてそう……」
「心配?」
 諦念と共に呟かれた言にパチリと眼を見開き、ユリウスは直ぐに底冷えした眼差しになる。
「何を言いだすかと思えば……どんな冗談だ、それは」
「そ、そんな言い方っ――」
「俺はお前の姉の仇だぞ。事もあろうかその仇敵の身を案じる? ……馬鹿な、そんな事を考える必要がどこにある。復讐を完遂する為の謀略でも練っていた方がまだ現実的で、健全というものだ」
 ソニアの言葉を半ば遮るように、ユリウスは呆れたように冷絶に連ねる。ソニアにしてみれば回復魔法の使い手としての矜持…このイシス戦争を経て確立しつつあった存在意義からの本心であった為、あまりにも負の方向に行過ぎたユリウスの懐疑は心に多大なる衝撃を齎した。しかし、大きく心が揺れ動かされたからこそ、いつもこの点に至る、とソニアの頭の中で冷静な部分が弾き出す。
 結局、ユリウスとの会話はいつも姉の死という事実に終着するよう誘われている。それをユリウスが意図的に導いているのか、自分の感情がそこに落ち着きたがっているのか半々であったが。
 これまでならば、この時点でソニアが鬱積した感情を爆発させて会話は終わる。だが今という時においてのみ違った。それは先日、ダーマの少年魔導士…嘗ての戦争でユリウスと戦線を共にしたスルトマグナとの話の中で見出した微かな兆し。それを思い浮かべ、ソニアは決意と共に一つ歩み出てみた。
「…………姉さんの、言葉だったら?」
「何?」
 想定とは違ったのか、ユリウスは露骨に怪訝な顔をする。
「心配の言葉が姉さんからのものだったら、あなたは……受け容れた?」
 些か歯切れは悪かったがソニアは連ねた。言いながら胸の奥で蕩揺う感情が荒々しくなるのを感じたが、胸の上に当てた手をギュッと握り締めて。俯きがちに、瞼を半ばほど伏せて表情に影を落して、何とか理性で抑える。
「スルトマグナ君が言っていたわ。あなたは海戦の時、魔物に姉さんが傷つけられて逆上したって……私、その事を聞いた時、自分の感情で曇っていた視界が少し晴れた気がした。だって逆上するという事は、その事実があなたにとってとても許せなかったと言う事でしょう? だから、姉さんを傷つけられて……怒ったのでしょう?」
「……」
 黙してユリウスは聞いている。深々と眉間に皺を寄せ、相手を射殺さんばかりに眼を細めてソニアを見据えていた。
 これまでに無かったユリウスの反応を前にして、ソニアは鏡の如き黒の内側で何かが動いているのを視た。それはソニアの小さな勇気が導出したものだと言っても過言では無い。少しだけ真実の断片を引き出せたようにソニアは思い、少し勇み足であったが口早に続けた。
「私は……ずっとわからなかった。私の記憶の中では、あなたが姉さんとアトラ様と三人で過ごしていた時の様子はとても……それなのに、あなたが姉さんを殺したという噂が流れ、あなたはそれを認めた。……いいえ、それだけじゃない。旅に出てからずっと、あなたはいつも殺しを肯定しておきながら、一切の弁明はしないで、ただ私に呪えと、殺せと……今のように短絡的に罰の形を求めてくる。あなたは、何を隠しているの?」
「……黙れ」
「あなたにとって姉さんは、大切な存在だった? ……いえ、改めて聞かなくても今なら何となくわかる気がする。嘗てあなたが姉さんとアトラ様と三人で過ごしていた時の様子は、とても楽しそうで穏やかで……姉さんやアトラ様があなたを見る眼は深い慈愛に満ちていて、逆に姉さんを見るあなたの眼は、寧ろ――」
「黙れと言っているっ!!」
 全てを、それ以上を言わせんとばかりにユリウスは拒絶する。
 それは単純な憤怒とは異なるが、だが明らかな感情の顕れ。裂帛した叫びが硬質な室内を反響して駆け回る中、ユリウスは全身に血が奔っているのか大きく肩を上下させて、その気勢はさもあれば斬り掛かからんまでに烈々としていた。
 張り詰めていた糸が一瞬で切れてしまいそうな雰囲気さえ想起させる今までにないユリウスの姿に、逆にソニアが動揺してしまった。
 これ以上開いてはいけない箱である事に、もう少し冷静であったならばソニアも気付いただろう。だが予想に反して、余りにも顕著に浮上してしまったユリウスの裡側に、ソニアも退くに退けなくなっていた。
「それが……本心、なのね。それなら……どうしてっ!? ねぇ、あの時……あの事件で何があったの? 教えてよ……何一つ言わないで、ただ自分の中だけで終わらせようとするなんて……卑怯よっ」
 堰を切って溢れ出した激情は、ただただ想いを言葉に換えて連ねられる。
 双眸を伏せたユリウスは、何かに耐えるように奥歯を噛み締め、顔を顰めていた。
「あなたは……本当に姉さんを手に掛けたの?」
「……」
「ユリウスっ!」
「……うーむ。これはなかなか情熱的な場面シーンに出くわしちまったが、こういう公の場で痴情を縺れ合わすのは感心しないな。何より、真夜中に玄関先で大声を出し合うのはご近所に迷惑だから自重しろよ、お二人さん」
 だが、まったくもって的外れで、この場の張り詰めた空気を微塵も解さない暢達とした声が払拭する。
「えっ?」
「……何故お前がここにいる?」
 何処からか発せられた、全く予想だにしなかった第三者の登場に、呆気に取られたソニアは眼を丸くしてひたすら瞬きをする。反して、その声の主が誰なのか検討が着いたユリウスは、心底うんざりしたように溜息を深々と吐いていた。
「よぅ。思ったより元気そうで、お兄さんは安心したぜ」
 重苦しい沈黙を破るが如きタイミングでそこに姿を現したのは、アリアハン宮廷騎士レイヴィスだった。








 闇色の天蓋が降りた空の下。光と風の残響が飛び交う聖都の中で、唯一現状を拒むようにぼんやりとした光を零す場所がある。それはイシス市中にありながら、周囲の景観に溶け込みつつも絶対的な異質さを醸すラー大神殿だ。
 歴史上何度も大々的な修復の記録を残していたが、建国期より連綿と歳を重ねてきた蒼古なる建造物は未だ健在。そこには光の戦女神ラーを象った『黄金の女神像』が座す礼拝堂や懺悔室等がある本殿を囲うように渡廊が巡り、そこから神殿敷地の外端に建てられた外壁によって構成される。司教や司祭、神殿に仕える神官や修道女達の殿舎も同じ敷地内の、渡廊に連なって本殿に併設されていた。
 また、神殿そのものから外周囲にある壁にかけてはある一定のそれなりの広さになる距離を開けており、神と人を隔てる踏み越えてはならない境界を暗に示すものとして、敬虔なるラーの民は悠久より信じ続けてきた。そしてそんな信念から、その広場は国家としての名目や如何なる利潤を臨んでしても介入する事の出来ない非干渉地帯…即ち、聖域であった。
 この度の魔物の襲撃により外枠は所々無惨に打ち壊され広場に瓦礫が散らばってはいたが、その広さの前では微々たる物に過ぎず、寧ろ周囲に在る座礁した船舶のような惨たらしい様と見比べると一層の無常を感じずにはいられない。

 闇の中に浮かぶ満月の光が深々と大地を抉る夜。大神殿は周囲を隔絶するように孤高に佇んでいた。



 ダーマ神殿特務遣外使節に所属する天才少年魔道士、スルトマグナ=ベニヤミンは大神殿の人のいない廻廊を夜闇にその身を溶かしつつ歩んでいた。
 風は慎ましく木々を揺らし、足音だけが厳かに反響する。
 このままでは到底人が住めるような状態では無い石礫の山々と、人々が寒さに凍えぬよう一時的に用意された仮設天幕が街のあちこちで尾根を形成するも、主たるラーを奉る大神殿の威容だけは変わる事がなかった。その不退転なる姿に、ラーを崇める者達は神を奉ずる場所に宿った寵愛という形無き守護の存在を幻視する。それは虚妄とも言える堅信の顕れであり、それにあやかろうと縋るように神殿周囲に建てられた天幕の群が、彼らの意思を体現する。しかし、それらの天幕のどれ一つをとっても、大神殿敷居内の広大な空間を侵犯する事は無い。聖域は、善にも悪にも揺れ惑う心持つ人間さえも拒んでいた。
「……行過ぎたる敬虔とは盲目の裏返し。聖域とは転じて、あらゆる一切を拒む絶無の地平」
 どんな形でもラーを第一に据えんとする彼らの意識を否定する気はないが、少しは自重して欲しいともスルトマグナは思う。言うが早いが、今回の戦端の一因には、その愚直なまでの一途さが含まれているのは疑いようがなかったからだ。もっとも、戦後荒廃した自分達の国の有り様を前にしてそれぞれの心の安定を支えるものが必要なのは無理もない事であり、その柱には神以外に無い事も認めざるを得ないが。
 詮無い思考に見切りを付け、目的の部屋の前に辿り着いていたスルトマグナは呼吸を整えてその冷たい夜光に曝されている扉を見上げる。質素だが丁寧に造られた古めかしい木の壁の先には紛れも無く誰かの存在を感じ、触れる程度の勢いでその扉を数回叩いた。
「“霊療ネフティス”様、夜分に失礼します」
 反応を待たず部屋の中に滑り込んだスルトマグナは、すぐさま扉を閉め、施錠する。そして盗聴の懸念を断つべく、遮蔽魔法トラマナを変容させて外部に対して完全な防音処置を施した。
 立ち入った部屋は、神殿の偉容に反して小さなものだった。両方の壁を全面に覆うのは書架で、ラー教団に関係するありとあらゆる書物が綺麗に並べ連ねていて、部屋の奥に一つある机の上に備えられた燭台がこの部屋唯一の人工的光源と言っても良い。申し訳程度に設けられた採光用の小さな窓もあるが、今の時限では闇夜の空とその中に浮かぶ月しか見る事は叶わない。人間が時を同じく三人もこの書斎にいれば途端に息が詰まりそうな程度の広さだ。
 ここが太陽神ラー教団、三司教の一人“霊療”イスラフィルの書斎だった。
 部屋の主であるイスラフィルは、入室の許可も得ずに立ち入った急な来訪者であるスルトマグナに特に驚くでもなく、寧ろ来訪を予期していたかの如く、実に淡々とした様子で紅蓮の少年を見つめた。
「スルトマグナ殿……このような時分に如何されました?」
「いえ、貴女に頼まれていた神殿の増築計画を組み直しましたので、報告に参りました」
「あら……まだ戦争も終わったばかりなのに、勤勉な事ですね」
「課せられた任務にはそれなりに忠実なつもりです。それに……戦後処理には関与しない、というのが貴女に予め厳に戒められていた事ですからね。参謀顧問としてこの国に招かれていた大義名分も終戦と共に消失しましたし、本来・・の務めに戻ったまでです」
 特に表情を変える事無く事務的に紡ぐスルトマグナに、イスラフィルも苦笑は禁じえない。何処までも慇懃で堂々とした少年に、逆に頼もしささえ感じられていた。
「……それで、どうでしたか?」
 穏かさを潜め、智謀の光が点った怜悧な目線で問われると、スルトマグナは一つ頷いて小脇に抱えていた二枚の羊皮紙を差し出す。一枚は細かな数式や幾何学図紋の描かれたもので、もう一枚は聖都の全景を記した白地図だ。
 イスラフィルの机の上に図面を広げ、指先で示しながらスルトマグナは続ける。
「こちらが聖都におけるマナの流脈レイラインの分布図です。さすがに、解析魔法インパスで聖都全域を調べ歩いたのには苦労しましたが、“死者の門”によって変移したレイラインの動きは概ね網羅した筈です」
 重要施設や建物が線で描かれただけの味気ない図面の上に、縦横無尽に赤の点や線が走っている。それは煩雑で不規則に折れ曲がり、一点にやたらと集中していると思えば、他では味気ない直線で描かれている。スルトマグナの言う所、赤の線が聖都を走るレイラインであり、時折線の上に描かれた矢印が流れの方向。その線が著しく集約している点は地図上で二箇所ある。地理的に一つは王城であり、もう一つがここ大神殿である。しかし、描かれている点は神殿の方が王城を遥かに凌駕する程の濃さだった。
 場の測量というレイラインの解析作業は世界各地でわりと古くから敢行されている事だが、これは非常に細緻な仕事で根気と精力を要するとされている。だがこのスルトマグナという少年は、戦後慌しさを極めている聖都内の調査を僅か二日足らずで完遂してしまっている。彼自身が解析魔法に長けている事を差し引いても、その能力と怠る事を由としない意志を併せ持った秀逸な人材である事が良く示していた。
「ご覧になって頂ければ判ると思いますが、この神殿が聖都における特異点になります。この特異点深度は他に類を見ない程のものなのですが……残念ながら霊脈の集束、分布状態に着目した地理条件を鑑みても、やはりダーマ神殿に比べれば見劣りは否めません。この現状から“転職”を司るまでの成果は無理でしょう。ですが“鑑別” 及び“選定”ならば問題はないかと結論付けます」
“転職の儀式”とは、“職”と呼ばれる魂魄マナを御し安定を与える為の“器”の容を変換させる儀式。それは“鑑別”と“純化”、そして“選定”の三種の秘蹟を以って行うものだ。
“鑑別”とは、存在の根源たる魂魄の鑑定。その存在を構成する魂が持つ固有色調を見極め、如何なる陰陽属性を得ていて、如何なる親和流動の上を蕩揺っているかを把握する、本質を識る儀式。それは闘氣順応型であるか魔力順応型あるかか、またはそれぞれについて特化しているか調和を保っているかを知る指針にもなる。
“純化”とは、魂魄定在状態の還元。正か反かの外的環境による肉体的成長、内的葛藤による自己確立等、自己を形成するマナの形骸状態…つまりは本来ある魂の色彩が、成長という過程によって様々に上塗りされる色層を浄化し、その魂が本来持つ純色に還す為の儀式。一度組まれた骨子を解き、何者にも染まる事の無い零の状態に還す事である。
 そして“選定”とは、純色になった魂魄が揺らぎ、行く先を外さないように限定し、“器”たる路を明確に照らし示す儀式。自らの意志のみで定める決意とは異なり、これは直接魂に烙印を刻む為、その影響力は極めて大きい。
 これら三つの秘蹟を経る事が“転職”の条件であり、逆を言えば、どれか一つが欠けていると“転職”は絶対に為される事は無い。
 その原理を思い浮かべながら、椅子に座ったままのイスラフィルは静かに双眸を伏せた。
「理解、分解、再構築……“転職の儀式”の内、二つの秘蹟ができるだけでも僥倖です。ダーマは選ばれし地ですし、別に彼の地と等価にする必要はありません。重要なのはより強国になる為に自らを知り、その方向性を絞り込む為の導となれれば」
 そう言うイスラフィルの口元は満足げに薄っすらと歪められており、彼女の中では評価に値する返答に満足しているのだろう。そんな様を目の当たりにしてスルトマグナは小さく肩を竦めた。
 世界には“転職の儀式”の要たる三種の秘蹟のいずれかを敢行できるレイラインの特異点とも言える座標が幾つかあり、それはダーマを筆頭に、ランシール、アリアハン、他にもネクロゴンドという地が現在発見されている。ちなみに、三つの秘蹟全てを執り行えるのは世界中探してもダーマのみであり、ランシールは“純化”と“選定”。アリアハンは“鑑別”、ネクロゴンドは“純化”という様相だ。
 世界の裡側に根を張る現実を思い浮かべ、スルトマグナは指先で頬を掻いた。
「イシスは元々“魔法の鍵”によって先天的に“純化”されているようなものですからね……真なる“転職”には程遠いでしょうが、擬似的な“転職”としては理想的な条件を示していると言えるでしょう。もっとも、それも先日の“死者の門”の効果で先天的素養は剥離してしまったようですが」
「それは事実ですが、過ぎた事を延々と悔やんでも仕方が無いでしょう。では聖都全域の復旧中に併せて――」
「手配済みです。既に作業は開始され、順調に進んでおりますよ。開戦の時点で、エジンベアから取り寄せていた魔導器とレイラインを御する魔方陣との連結実験は既に終わっていましたし。“死者の門”によって大気に満ちたマナ濃度遷移は動作不良を引き起こしかねない懸念材料だったのですが、装置との感応値も閾値に至っていません。これらの事実から適合性、安全面、その他の予測できる問題は全てクリアしています。簡易的な祭壇に偽装する予定なので、遅くとも一ヶ月で完成するでしょう」
 細かな調整は追々やっていただかねばなりませんが、と続けるスルトマグナは、こちらが次に何を言わんとしているのか理解しているようで、イスラフィルは満足げに微笑んで椅子の背凭れに身体を預けた。
「……漸く整うのですね。これで」
「…………」
 小さな窓の枠内に収まっている夜空の月を眺め、イスラフィルは裡から込み上げてくる感慨に浸りながら連ねている。燭台の火で彩られている暖色の背を、スルトマグナは直立したまま無表情の冷めた眼差しで見つめていた。



「古の慣習に雁字搦めに囚われたイシスが、自らを縛する古き鎖から少しでも脱却したように。世界は緩やかながら着実に動き始めました。水面に投じた小石の如く、水面に広がる微々たる波紋はやがて世界全てにを覆う大きな漣となり、波濤となる……アスラフィル殿は、こうなる事を知っていたんですね」
 沈黙が降りた部屋の中では、蝋を貪る灯の咀嚼が深々と響き渡っている。それを壊さぬように、スルトマグナは首を傾げ、指先をこめかみに添えながら静かに綴った。
「……急に、どうしました?」
 何かしらの感慨に浸っていたイスラフィルは、背後からの言葉に冷水を浴びせられたかの如く、醒めた視線を肩越しにスルトマグナに放る。
 水を差した紅蓮の少年は口元で孤を描き、いえ、と態度を改めて顔を上げた。
「僕なりにこの度の戦争を振り返ってみたいと思いましてね。……まだ空気に傷みの熱が残っている内に」
「事が終わり直ぐに反省を行う、ですか……その探求心への妥協の無さが貴方を天才たらしめている所以と言う事なのですね」
「そのあたりの評価は周囲が好きなように下してくれて結構です。そんな事よりも――」
「――アスラフィルは“悪の化身”として逝ったのですね」
 スルトマグナに全てを言わさず、イスラフィルは阻むように重ね言った。
 極めて抑揚の無い、酷く淡々とした声調で問われた言葉の真意を計りながら、スルトマグナは思考を巡らせる。
 仮にも自身の半身とも言える双子の片割れが逝ったのだ。それを心の内で人知れず悼んでいたとしても不思議ではない。寧ろその崇貴なる立場より、人目より隠すのが正しい在り方であると言えるだろう。
 だがスルトマグナには、この女性の言動からその程度の安易な結論に落ち着くなど到底納得できよう筈もなかった。
「……間違いなく。そしてこれから先も、イシスとラーの名が続く限り、その汚名は晴れる事は決して無いでしょう」
 人間の社会で往々の記憶にその名を遺すには偉業を成すか、悪行を重ねるかのどちらかしかない。そしてどちらかと言えば、人々は悪の方こそをその記憶に強く刻みつける傾向にある。それらは、こうして連綿と積み重ねられている歴史が証明していた。
 故人を詰るつもりは無かったが、小さく肩を竦めてスルトマグナは明瞭に返す。
 それに、イスラフィルは安堵を零した。
「それは良かった……これで今後、ラーを信奉する者達の意識はアセトセトの二極に分かれる事ができるのですね」
 部屋に申し訳程度に備えられた窓から、闇夜に染まる街並みを眺望する。そのイスラフィルの面には誇らしげな、充実した笑みが浮かんでさえいる。それに気付いた時、正直スルトマグナは肝が冷える思いだった。だがそのまま震えを見せるのは癪であるので、替わりにわざとらしく深々と溜息を吐いて見せる。そのあたり、スルトマグナの神経も普通の人間からすれば随分と逞しい部類に入るだろう。
「……ご姉兄が逝ったというのに、物騒な事を言いますね。ひょっとして仲が悪かったのですか?」
「そんな事はありません。私はただ、より巨きな見地で物事を見つめているだけです。アスラフィルの言葉では無いですが、世界の存続…正陽負陰の秩序を保つ為には、二つに分かれしそれぞれの極に向かう流れ…循環相補による調和が必要不可欠。これまでのラー教は、善悪という方向性以前にラーという存在そのものに依る姿勢が余りにも強すぎましたから。それは太陽神ラーという偶像は元より、その化身たる者の人間性を見落とし歪ませてしまう」
 聞き様によっては、“ラーの化身”の地位に立つ者達の個を慮っての言だったが、如何せんそれを周囲に認めさせるには彼女の立場は余りにも相応しくなかった。
「とてもラー三司教の……信徒に教えを説く方の言葉とは思えませんね」
「ふふ、若いですね。神の教えを説くのも人間であれば、神を求めるのもまた、人間。人を御する為の策謀によって編まれた信仰とは、闇に迷える人の心に射す導の光。穏やかなる光は病める人々の心を誘い、安寧を与える。その伝導者こそが“霊療”である私の本分です。付け加えるならば、このイシスと言う“国家”を治めるのは王であり、王もまた一人の人間。人間の国を導くのは神ではありません。神であってはならないのです」
「……そういえば、貴女も“賢者”でしたね」
 これまでの饒舌に得心がいったのか、スルトマグナは深く溜息を吐く。
 徹底した神と言う存在の否定。それは“賢者”に就く者達に見られる共通した意識だった。
『悟りの書』という世界の根本原理に触れる事が許された存在である以上、世界に神と言う不透明な存在が介在する余地など無い事を、納得を超えて理解させられるのだ。俗称で“神に選ばれし者”ともて囃されるのは、実は彼らに対してこれ以上無い位の皮肉になるのだろう。
“賢者認定機関”ガルナに出入りをしている以上、“賢者”達の信仰を亡くす姿を幾度と無く目の当たりにしたスルトマグナは、眼前の女性が“賢者”でありながら今もこうして神職に就く現実を前に、その裡に在る意志の堅強さを垣間見る。そして、例え血を同じくする身内を亡くしても顔色一つ変えない冷徹な姿に、微かに畏怖さえ感じていた。
「まぁ、哀悼の言葉なんて受取る側の意思一つで変異するものですし、言葉程度で揺らめく感傷なんて貴女には無意味でしょうね」
「随分な言いようですね……そんな事はありませんよ。私も、血を同じくする姉兄を亡くして哀しんでいるのですよ」
 尚も薄っすらとした笑みを絶やさずに振り返るイスラフィル。丁度窓の中央に登ってきた月の光を背景に、その姿には神々しい威厳があり、凄みがあった。
 その超然とした佇まいに、とてもそうは見えません、と心中で呟きスルトマグナはわざとらしく肩を竦める。そして、その表情を潜めた。
「ここには僕しかおりません。トラマナの変容魔法も掛けてますので会話が外部に漏れる事はありません。もういい加減、化かし合いは止めにしませんか、“霊療”様」
 それが発せられた途端。これまで漂っていた柔和な雰囲気は失せ、覇気と言っても良いピリピリとした威圧感が部屋を包み込んだ。無論、この手狭な部屋を内側から圧迫する気を発しているのは部屋の主であるイスラフィルだった。
「……賢しき意識、怜悧な心胆。流石は御師様の孫という訳か」
 眼前の女性は尚も変わらずにたおやかな微笑を浮かべている。だがそこに先程まであった母性を為す穏やかさや、慈しみという心の大らかさは皆無。代わりに、相対する少年を値踏みするような深謀さを瞳の奥に躍らせてさえいる。
 それが本性ですか、とスルトマグナは眉を微かに寄せて口腔内で反芻した。
「私達姉兄には、先代より継承した役割というものがあった。姉者が引き継いだ役回りは表の顔…つまり、ラーの民を誘い導く光の権化。アスラフィルは、燈した火を昂ぶらせ、煽る為の外からの風。そして、私はこの陽に輝ける地を闇より見つめる事」
「ナフタリ様が排除しようと尽力していたイシスに寄生する俗物達は、殆どがアスラフィル殿によって煽動され、その術式によって不死魔物化して陛下の“死者の門”で消滅しました。そして魔物化を免れた者達は、人知れず闇に葬り去られた……特務監察隊の手で。いえ、その長たる貴女の指示によって、予定調和の下に」
「すべてはこの地に住まうすべての人々の意識の流れの果てに紡がれた結末。私はただその背中を押したに過ぎぬ」
 イスラフィルは何処までも冷厳に言い放った。
「全ては、約一年前。“幽玄の王墓”に異変の兆しが見られた時に始った。それが何故かはアスラフィルには解らなかったようだが、“賢者”であり『悟りの書』を持つ私には、それが“天臨の間”に眠るファラオの娘が目醒めたのだと直ぐに解った。“賢者”としてこの地に戻って以来、イシスの、ラー教の更なる発展を求めて、まずはそれらが歩んできた記憶を『悟りの書』より徹底的に引き出した故、な」
 踵を返し、その身に纏った白の神官衣が大きく翻る。それにつられる黒の髪とその下にある同色の双眸が爛々と輝きを増していた。
「メァトの目覚めは変革の兆し。これまで在った平穏の終焉、破滅の予兆……余り信徒達には浸透していないが、確かにその記述が聖典にもある」
「……貴女は恐ろしい人だ。この度の戦争の全ては、貴女が仕組んだ事なんですね。強固な円を解き一本の線にする為には、円を断ち切る楔の要因が必要不可欠です。アスラフィル殿が智魔将エビルマージと結託するに到った根源には、貴女が彼をそう導いていた」
「…………」
 神妙に語るスルトマグナの言を、肯定も否定もせずにイスラフィルは無言で受け止めていた。
「まぁ、貴女が何を目指していようと、それは聞かない事にしておきますね。どうやら僕は、開けてはならない箱を開けようとしてしまった」
「この事を公表するか?」
「まさか。僕に与えられた任務は、学術者として“転職の儀式”の可能性をこの地より探る事と、参謀顧問としてこの度のイシス戦争を勝利に導くという事だけ。それ以外の事後処理、またはその裏に存在していた真実を明るみにする事ではありません」
「……意外だったな。若さのままもっと踏み込んでくれると、今後ダーマに対して一つのカードを得れると思っていたのだが……貴殿は存外平静だったと言う訳か」
 残念だ、ととてもそう思っていないような表情でイスラフィルは綴る。
「実は、おじい様からもイシスに来る前に言われた事があるんですよ」
「ほぅ、御師様が? それは興味深い……聞いても宜しかったかな?」
「イシスで最も狡猾で油断なら無い狸は……イスラフィル殿、貴女である、と。常にその言動には注意すべし、と」
「御師様らしい言葉だ。が、女性に対して狸と喩えられるとは、相変わらず容赦が無い」
「ええ、僕もそう思いますよ」
 ニコリと幼くスルトマグナは微笑む。どちらにも賛同しているように捉えられる返事に、イスラフィルは苦笑を深めた。








「今回もまた随分と派手に立ち回ったそうだな。色々とぶっ飛んだ活躍が聞けて、俺も鼻が高いぜ」
 二人から完全な死角となっていた柱の影より、アリアハン宮廷騎士レイヴィスは淡緑髪を夜光の下で揺らしながらゆっくりと歩み寄ってきた。彼がそこにいたという気配は、ソニアは勿論ユリウスにしても声を掛けられるまで少しも気付かなかった。
「レ、レイヴィスさん!? どうして、ここに?」
「不審者をこうも容易く宮中まで侵入させるとは……まったく、この国の警備も底が知れるな」
 素直な驚きを見せるソニアに対して、ユリウスは無感動に冷然と連ねた。そのあまりに辛辣な言にソニアが目を剥いて非難染みた視線を送るも、ユリウスは淡々と素知らぬ振りを決め込んでいる。
 相変わらずな少年少女の様子に、レイヴィスは苦笑を深めた。
「しかし、けしからんなぁユリウス。可憐な女性にこんなにも心配されておきながらお前の態度は余りに尊大不逞で、女性に対する礼節がまるでなっていない……かの聖女、“癒しの乙女”殿を慕う男性諸氏から袋叩きに遭っても文句は言えんぞ」
「そんな事、俺の知る事では無い」
「相変わらずつれない奴だな……まあいい。それよりも、久しぶりに大好きなお兄さんに会ったんだから、もっとうれしそうな顔をしてみせろ。その方が可愛げがある」
「お前の突拍子が無く前後の脈絡を無視した話は、つくづく俺に不快を齎す」
「ふ……お前らしい照れ隠しだな。そんな需要があるような態度を見せられては、こちらとしても供給は幾らでも増やしてやるんだぜ」
「下らない戯言に付き合う暇は無い。用件は何だ?」
 意味の無い言葉の応酬は終わりだと言わんばかりに厳しい眼差しを向けるユリウスを鮮やかに無視して、レイヴィスはソニアに同情の眼差しを向けた。
「こんな唐変木で朴念仁だとソニア嬢も道中困っただろう? こいつは基本的にも応用的にも唯我独尊で、周囲の人間の言葉なんざまるで聞かないから、他のお仲間達もやきもきしてんじゃないかと気の毒に思っていたんだ」
「え、ええとその……」
 まったくもって無遠慮にユリウスをなじるレイヴィスに、ソニアは答えに窮してしどろもどろに言葉を濁すしか出来ない。ただレイヴィスに言われた事は強ち…というより殆ど当たっていたのだが、ここまで真正面から徹底的に言い放つ事などソニアの細い神経では為せる筈もなく。だが、この応酬の間に億劫さと倦怠感を曝け出しているユリウスの様子と、そんなユリウスの反応さえ愉しんでいるかのようなレイヴィスの姿が余りにも新鮮で、印象的だった。
「だが存外こいつの扱い方は簡単なんだ。それはな――」
「用件は何だ?」
 ソニアに耳打ちしようとするレイヴィスを遮り、ユリウスは冷淡に重ね言う。抑揚が失せた声調は、若干温度も下がっているようだ。
「やれやれ、せっかちな奴だ。……あ、ひょっとして誰かに好物を知られるのが嫌――」
「……用件は何だ?」
 スッと目を細め、ユリウスは無表情で剣を引き抜いた。響き渡る澄み切った玲瓏が、一層その静かな圧力に拍車を掛ける。
 あまりにも自然な動作で抜剣する冷厳なユリウスの様子に、ソニアは表情を引き攣らせたまま後退した。しかし逆に、正対するレイヴィスはそんなものもお構い無しで実に暢達とした佇まいだった。
「なに、お前が立てている今後の予定を聞いておこうと思ってな」
「必要性を感じない。外にも内にも監視がいる以上、こちらの行動など筒抜けの筈だと思うが?」
 そう返してくるのは予想の範疇だったのか、ユリウスの期待通りの反応にレイヴィスはニヤリと邪な笑みを浮かべた。
「良く解ってるじゃないか。まあ強いて言えば、アッサラームに到着したお前が、その晩どこに消えたのかだけはこっちも把握していないがね」
「……え?」
 ユリウスの拒否が遠回しな皮肉に聞こえてソニアは表情を曇らせていたのだが、続いてレイヴィスが揶揄の韻で発した言葉に、呆けた表情のまま思わずユリウスを見てしまった。
 アッサラームという地についてソニアが直ぐに想起できた事象といえば、街全体を覆う異常な魔力の流れによって強烈な眩暈に襲われた事。ミコトから伝え聞いた限り、街中の人々が魔力の影響で何かしらの意志に操作された事。そして、何処かへと姿を晦ましていたユリウスが瀕死の状態でヒイロに運ばれてきた事だ。
(そういえば……街に入った途端、辛そうにしていたわね)
 今更ながらにソニアは思う。誰よりも先にあの魔力に当てられ、不調を前面に出していたユリウスは、あの異変の真相にさえもしかしたら近付いていたのかもしれない、と。医者であるサクヤの言から、魔法学的に在り得ない消耗状態で死に掛けていた事も、大きな何かに繋がる糸の一本なのかもしれない、と。
 思考を進めながらソニアは暫しユリウスを見つめていたが、そのユリウスといえば当時を思い出しているのか険しく眉を顰め、口元を真一文字に引き締めていた。
 それは普段の無表情が災いしてか、邪推を生じさせる程に図星を匂わす様相で、目敏くそれを察したレイヴィスは口の端を持ち上げていた。
「ほぅ……何か思い当たる節があるって顔だな。いいねぇ、若いってのは」
「何を言いたいのか理解しかねるが」
「ああ、気にするな。青少年の甘酸っぱい一夜の記憶を根掘り葉掘り聞く下世話な趣味は無えよ。お前くらいの年頃は、その手の秘密を後生大事に抱え込みたい年頃だろうしなぁ。いや、青春時代というものは良いものだ」
「……何の話だ?」
 一人何度も頷きながら謎の納得を示すレイヴィスに、ユリウスは本当に彼が何を意図して言っているのか判らない様子で、胡乱の視線でレイヴィスを捉えている。
 そんなユリウスとレイヴィスを、ソニアは目の前にいるにも拘らず、どこか遠く離れた所から見つめている錯覚に襲われた。姉達との間に立ち入れなかった時と同じような、踏み込めない不可視の壁を今まさに実感していたのだ。

 思えば、このレイヴィスという人物とユリウスの関係についてもソニアはいまいち計りかねている。アリアハン大陸脱出の際に合流した時より、ユリウスがレイヴィスを疎んじている態度を何度も見てきたが、このやり取りを見ている限り、どうにもユリウスが一回り年上のレイヴィスを苦手としているようにしか見えない。どのような相手だろうと、例えそれが王侯貴族であったとしても決して臆することなく堂々泰然と振る舞い、ある意味で尊大不遜な姿勢を崩す事の無いユリウスが、と思う事もある故にその感想は一入だった。
 国内外にその英名を轟かせるアリアハン王国現王ザウリエの腹心にして、アリアハン王国“三雄”の一人。二十代半ばの若さにして、王国最強最高の騎士としての栄誉を欲しいままにしている“天眼の騎士”レイヴィス=ヴァレンタイン卿。ソニア自身はレイヴィスと同じく“三雄”の一人、“理慧の魔女”である姉を持つ為か言葉を交わす機会が幾度もあった。そして最後の“三雄”である“次代勇者”のユリウスと交流があってもそこは何ら不思議ではない。気になった点は、平穏を形成していた姉達との環とは異なるその佇まいだった。
 しかしそれでも、穏やかさとは違う環内には直情的で余人には立ち入れない空気が満ちて、どういう訳か巧妙に隠されているのは疑いようが無かった。
 ソニアがその機微に気付いたのは、偏に彼女自身の感受性の高さ故だ。
 その後、暫くレイヴィスとユリウスの意味の無い言葉の投げ合いは続いた。殆どレイヴィスの場違いな言葉に向けて、ユリウスが律儀に逐一冷徹に切り棄てているだけであったが。それでも半ば無理矢理に蚊帳の外へ放り出されてしまったソニアは、その事を内心で不満に思いつつも、これまでに見た事の無いユリウスの一面を垣間見たような気がした。
 今後の接し方に少し方向が見えたソニアは、これ以上ユリウスに問う事を諦め部屋に戻る事にした。魔王討伐の旅はまだ続くのだからと、自らに言い聞かせて。

 ソニアが立ち去り、その気配が完全に遠のいた事を察したレイヴィスは、これまでの調子の良い砕けた韻を潜ませ、低く厳かな声調に戻す。同時にその双眸にも冷厳なる光が鋭く宿り、本来の姿に還った。
「……やれやれ、嫌われたかね。まあ望んでいた真実の核心に至る前に話の流れをぶった切られたんだから、当然といえば当然か」
「全て計算した上、か……相変わらず空々しい奴だ」
 レイヴィスの本性など知っているユリウスは、先程までのやり取りが最初からソニアをこの場から外す為だけに記した茶番に過ぎない事を理解していた。
 それ故の意思の顕れなのか、ユリウスは変わらずの無感動さを以って半眼でレイヴィスを見据えていた。無機質で無遠慮で容赦無く、だが先程までの猛りの残灰を確実に孕んでいるそれを、レイヴィスは敢えて気付かない振りをしつつ、かもな、と一笑に伏す。
「しかし、危なかったなユリウス」
「何?」
「あのままソニア嬢に追求されていたら、お前は口を割っていただろう? お前は、お前が自覚している以上に解りやすいからな」
「在り得ないな」
 即座に返された答えに、レイヴィスは嘲るような冷笑を浮かべる。
「見え透いた虚勢など俺には無意味だ。自覚しておけ。あれほど無様に叫びだすまで、今のお前は冷静さを欠いている。先日の魔力エーテル過剰消費に伴い、お前の精神制御はこれまでに無いくらい脆くなっているように俺には見えるがね。……魔法剣イオラを曝してしまってこれまでに無く追い詰められているのは解るが、そんな人間らしい不調和さを露呈するのは好ましくないな」
 どこまでもこちらの実情を見透かした言質に、ユリウスは眼を細める。
「……例え俺の状態がお前の言う通りだとしても、在り得ない。ソニアに真実を言う位ならば俺はその前に自らの喉を掻き斬り、首を落すと決めている」
「あの娘の心を慮っての事か? それは随分と悲愴な覚悟な事だが、それはお前自身が言葉という形を与える事で、事象化してしまうのを認めたくないって事の裏返しにもなる。追求を穏便にかわしたいのなら、反発や無関心を装うだけではなくもう少し柔和に受け流す術も学ぶべきだな。それが、大人の対応って奴だ」
 見上げればそこには底の見えない余裕の笑みが浮かんでいる。それに小さく舌打ちして、ユリウスは踵を返した。
「……お前の、その無駄に廻る減らず口を封じてやりたいと思う時が多々ある」
「ほぅ、試すか?」
 刃の如き漆黒の眼光を受け、レイヴィスは挑発的に口元を歪ませた。
 抜剣したまま暫しユリウスは眼を細め、酷烈な殺気を無遠慮にレイヴィスへと向け放っていたが、当のレイヴィスは実にあっけらかんとした様子で呑気に立っているだけ。見ようによっては、やれるものならばやってみろ、との挑発さえ想起させる。ユリウスは普段と変わらぬ展開になった事に、やがて疲れたように嘆息した。
「……愚問だな。負けると解っていながら戦いを挑むのは愚行の極み、とはお前らの教えだ」
「ふ、自分の力量は弁えているか。実に殊勝な心掛けだ。悪くない」
「弁えざるを得ないだろう。お前と言い、王と言い、あの国は揃いも揃って化け物揃いだ。わざわざ俺のような道化を仕立て上げなくとも、お前らでバラモス狩りに行った方が話が早かったのではないかと思う位だ」
「否定はしないが、現実問題そう言う訳にはいかないだろう。それに、今となってはお前としてもその道化は望んでの事だろう?」
 魔王を討つのは勇者の役割。それはどこまでも愚直であり、これ以上無い程に明瞭とした世界の姿勢。世界的英雄である“勇者”オルテガの息子であるユリウスは、その環から逃れる事はできない。生きていても、そして死んだ後も、だ。世界が書き下ろしたシナリオだった。
 自身の本当の目的をその筋道上に敢えて同調させているユリウスにしても、それは既知の事実であり、さして気にする事でもなかった。
「今更、言われるまでも無い」
「どうだかな。……ユリウス、お前は“勇者”という華やかな仮面を被り、その内側から見える血に塗れた修羅の路を進むと選んだ。あの娘・・・をその手に掛けた時からな」
「……わかっている」
「ならば奪った命を頭にちらつかせて一々足を止めるな。屍を踏み躙る位の気概を持って修羅で在り続けろ。失態の一つや二つぐらいで揺らぐ程度の脆弱ないしなど棄ててしまえ。そんな錆付いたなまくら刃に、剱としての価値は無い」
「くどい」
 それは反発を匂わす言だったが、声色も佇まいも平時のユリウスのものに戻りつつあった。本人すら自覚していないであろう意識の流れを認めて、レイヴィスは内心でやれやれと嘆息する。
 わざとらしく肩を竦めて、レイヴィスはおどけた仕草を見せた。
「ま、覚悟云々の事なんざ、お前相手に今更する話でも無かったか……で、建設的な話題に戻るが」
「ああ」
「ポルトガへは行くな」
「! ……どう言う事だ? あそこの造船技術は旅を進める上で必要不可欠な要素だろう?」
 端的に、だが拒否は認めない強制力を思わせる韻で綴るレイヴィスに、ユリウスは思いがけず反応を示した。だがそれは無理も無い。ポルトガは次の旅路の目的地として見据えていた場所であり、そこに至る為にここイシスに来て戦争などという面倒事に参加したと言っても過言ではないからだ。
 不承の意思を浮かべたユリウスに対し、レイヴィスは極めて冷静だった。
「そうだ。陸路の限界を予め見据え、次なる海原という舞台を想定し、そこに漕ぎ出る為にポルトガ製の外洋船を得んとするお前の考察は正しい。だが、物事には何にでも想定外という事象がある」
「要領を得ないな。何が言いたい?」
 こちらの思考を読み、更には肯定した上で否定するレイヴィスにユリウスは眦を細めた。
「これから暫くロマリア以西は立ち入りを極端に制限される事になるだろう。無論、ロマリア―ポルトガ間の海底回廊も使えない。たとえお前がイシスで“勇者”と認められ、その後援の一つとして“魔法の鍵”を得てもだ」
「何故だ?」
 胡乱にユリウスは眉を顰める。この男が何を考えているのかだけは、昔からわからなかった為、その言の一つ一つに油断はできなかった。
 猜疑にも似たユリウスの視線を受けて、レイヴィスは内心で笑みを深めた。
「まだここだけの話だが、西側が色々きな臭くなってきてな……戦争でも始まりそうな空気さえある。勿論、この国のように対魔王軍とかいうものじゃない。人間対人間で、だ」
「……それが本当ならば、ポルトガとやり合う可能性があるのはどこの国だ? ロマリアか?」
 嘗てポルトガはロマリアの一都市であり、そこから独立したという歴史的背景を鑑みれば真っ先にその名が浮かぶのは自明。だがレイヴィスはゆっくりと首を横に振ってユリウスの言を否定した。
「エジンベアだ」




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