――――第二章
      第九話 血染めの兇刃







 肉を切り裂く音、骨を断ち割る音、崩れ落ちる音……。
 恐怖に怯えおののく震い、透き通る甲高い剣戟の響き、耳底を衝く断末魔の叫び……。
 幾多の剣戟、悲鳴が動擾どうじょうし、深静の回廊を何時しか喧騒に誘っていた。
 殺気と敵意を冷たい刃に滾らせて襲ってくる人間が一人、また一人……。爪と牙を剥いてきた盗賊達が力無く崩れ、地に伏していく。のっそりと砂色の石床に滲み広がる紅き水湖は、その者の内に流れる生命そのもの。
 生命が流れ落ちて倒れた無数の躯を足元に、ユリウスは眼前で怯え切って震えている二人の人間を、感情の伴わない漆黒の眼で見下ろしていた。紅い返り血を頬や外套に浴びて、その黒と赤のコントラストは不気味に映える。人が、生物の本能が元来保有する恐怖心。それを魂の底から震え上がらせる。
「あ…、ああああああ………」
「ひ、ひぃ〜」
 数という物量で絶対的に勝っていたにもかかわらず、その部下達は既に事切れている。彼等を援護しようと用いた、斑蜘蛛糸や爆弾石等の道具類は効力を発揮する事無く惨めな残骸と化している。
(……何なんだ。こいつはっ……!?)
 何が起こったか理解はできていないが、眼に映る凄惨な現実を前に既に腰を抜かし力無く後退し続けるバグとその相棒のガロス。見上げてくるその双眸には涙を湛え、恐怖の色に染まっていた。弥立ち、肌骨を驚かせている様は、もはや先程までこちらを不敵に見下していた気勢など見る影も無く散落していた。
 ゆっくりとユリウスが一歩を踏み出せば、二人は一気に数歩後づさる。自分達の中の警鐘が恐怖によって最大限に打ち鳴らされ続けていた。
(やばい……。やばい。やばい、やばいっ! やばいやばいやばいっっ!!)
 檻の中、空腹の肉食獣の前で竦む小動物の如く怯え切った二人を見下ろし、その冷厳な切先を二人の首筋に向けながらユリウス。射し入る陽光が刀身、面、そして額へと移り、キラリとそこに座す紅蓮の宝玉が妖しく煌いた。
「……カンダタの所に案内してもらう。拒否すれば殺す」
 カンダタが最上階にいると言う事は、既に耳にしていたが、まだ幾つか部屋はある。そして階下にいたゼノスという男の言葉を鵜呑みにしている訳でも無い。ならば、件の首領の元に確実に着くには、この方法が最も確実だ。ユリウスはそう考えながら行動に移していた。
 鈍色の刀身から滴り落ちる紅き雫が、二人の衣服をじわじわと舐めるように染めていく。その夥しさと艶かしさ、生温かさに床に腰を落した二人は心臓を冷たい爪に鷲掴みにされる感覚を覚え、更なる恐怖に襲われる。目の前に広がる血海と躯の山…これだけの凄惨な状況、目にする事など初めてであったからだ。
 怖れ昂ぶる鼓動に、詰まりそうになる呼吸を続かせるのが精一杯だった。
「さ、最上階に居る。勝手に行――」
 恐怖を眸に湛えながらも、つっかえ棒の様に背を押す自尊心からかバグが尚も虚勢を張って強がって見せるが、全てを言い終わる前にユリウスの鋼鉄の剣が先刻切り裂いた左肩口を再び捉え、貫いた。
「ぎゃあああああああっっ!!」
「ひっ! ひぃぃぃ……」
 勢い良く吹き出て頬に降り掛かる温かい紅い血液と生々しい鉄の臭い。そして相棒が苦痛に喘ぐ姿を見て、ガロスの精神は足元かジワジワと這い上がって来る大蛇の如き恐怖に耐え切れ無くなり、とうとうバグを置き去りにして逃げ去っていった。
 小さくなって行く相棒の後姿を悄然とした様相で見追いながら、バグはただ嗚咽の様に音を発するだけ。
「…あ、ああ……あ。おい……待てよ……」
「……見捨てられたな」
 無表情に見下ろしながらユリウスはポツリと零し、バグの肩口から剣を抜きさる。
 その際に更に出血がおこり、床を衣服もろとも紅く染め上げていく。赤一色の斑模様になった石床は、その色の持つ暖かさに反して肝が底冷えする心象を齎していた。ハッキリと焼き付く死のイメージ。それが波打つ紅い波面の中で嘲笑う様に、自分の顔を映し出す。そんな床に両手を着いて魂が抜けたように虚ろに見眺めるバグ。
 苦楽を共にした親友に見捨てられたという事実に打ちのめされ、力無く項垂れている彼を彩を載せない漆黒の眸でユリウスは一瞥した後、踵を返して逃げ去ったガロスを追い走り出す。
「畜生……。畜生っっっ!!」
 背中に聞える行き場の無い慟哭が、名残惜しく紅い回廊に響き渡っていた……。




 手も足も出ない相手と相対した時、それに対する力を持たざる人間は持つ人間に縋り着くであろう事を見越した上での行動だった。バグという男を狙ったのは、先程相対した時、カンダタに対しての言動から彼らの信頼関係とバグの気質を推測して、カンダタに反目していると判断したからである。
(案内する気が無いなら、泳がせて案内させれば良い……か)
 内心でそう呟きながら、カンダタの元に逃げたであろうガロスの服から飛び散った血痕を辿り、それに続く。

 数戸の扉が犇く中、やがてその先に他とは明らかに異なる仰々しい赤銅の扉が構えており、慌てて開けられたのか半開きの状態のまま来訪者を待ち構えているように佇んでいた。微かに暗がりになっていてはっきりと目視する事はできないが、その奥には上に続く階段らしきものを見止める事ができた。
 外から見た塔の全景と、開けた回廊から見てとれる大海原と大平原の景色より推察される塔の高さは、次で最上階を示しているものであった。
(……間違い無く、この先にいるな)
 思いながら、ユリウスはその部屋の中に足を踏み入れた。






 窓際に立って沈黙していた男は、慌しく開かれた扉に目を向ける。
 そこには、焦燥し切ったガロスが雪崩れ込んで来ていた。
「しゅ、首領ー、助けて下せぇ! こ、ここ…、殺される!!」
 先程から階下より止む事の無かった悲鳴が今は聞こえて来ない……。その事実から、予想通りに新入り達が先走って討伐者達と争いを起し、返り討ちにあったという事を悟り、胸中で嘆息する。
 ガロスに目を向けると、恐怖の色を湛え怯え切った様相で震えていた。見ていても気の毒な程に憔悴しているので、カンダタは安心させる様に自身の背後に促す。既に、人の気配が扉の先からしていたからだ。

 蹴破るでも無く、ゆっくりと扉を開けてその人物は入って来た。瑞々しい豊かな黒髪を持った年若く、線の細い少年は頬や羽織る外套に紅い返り血を浴びており、部屋の暗さに塗れたその様は、さながら死神か悪魔の様に思えてしまう。およそ人の感情の篭っていないような漆黒の瞳が、それを更に際立たせている。
 ユリウスが一歩部屋に足を踏み入れると、ガロスは再び腰を抜かして壁際まで後づさった。
「……お前がカンダタか」
 そんな彼に目もくれずに、ユリウスは眼前に立つ大男を真っ向から見据える。
 鍛えられ隆々とした筋肉の鎧を備え、それが一見して判る様に上半身には薄い肌着を纏い、更にその上に不相応に厚みの有る黄銅色のマントを羽織っている。その偉丈夫は殺気こそ篭められていないが、冷厳とした鋭い視線でこちらを居抜いて来た。
 凄まじいまでの威圧感は歴戦の戦士たる証。それをユリウスは肌で感じ取っていた。
「……ロマリアから来た者達だな?」
「金の冠を返してもらう」
 それには答えず、ユリウスは用件だけを言う。そう訊いて来ると言う事は、既にその事を知っている事の顕れだ。既知の事柄について問答を交わす気など、特に持ち合わせてはいなかった。どうやら相手もそう思ったらしく、意を得た様に溜息を一つ吐いていた。
「“奪還者”か。……ならばその金の冠、持って行くといい」
 言いながら、視線で部屋の脇にある小さなテーブルの上で燦然と輝いている金の冠を指す。
 ユリウスはカンダタの覇気に満ちた視線に警戒しながらテーブルに歩み寄り、目的の物を手にする。純金製と言う事もあってずっしりと重みのあるそれを、外套の下に背負っていた自身の道具袋の中に無造作に放り込んだ。
 その様子を終始静観しているカンダタと、名残惜しそうに眺めているガロスを順見て、ユリウスは肩を竦める。
「盗賊が、盗んだ物をそう易々と返すのか?」
「勘違いするな。そんなもの、俺達は求めてなどいない。……不服か? こちらとしてはこれ以上の争いは避けたいんだが」
 ユリウスとしては散々襲い掛かって来ておいて、今更何を言っているのかと耳を疑ったが、自分も敵を全て返り討ちにして被害は皆無であったから、特に意を唱える気にもならなかった。確かにこんな僻地にまで駆り出されたのだが、それに対しての不満を眼前の男に言ったところで意味は無い。言うべき相手は、今頃あの安寧の檻の中で暢気に玉座で踏ん反り返っている事だろう。
「……俺達の目的は金の冠の“奪還”だ。それ以外やる気も義理も無い」
「下の階ではすまない事をした。部下が先走ってしまったようだな」
「手下の統制がなってないんじゃないか? あんな戦闘の素人達が、この辺の魔物を駆逐できるとは思えないな」
 呆れた様に肩を竦めるユリウスに、外套の下で拳を震わせながらカンダタは込み上げる怒りにジッと耐えていた。不本意な面倒事を持ち込んできた部下であっても、それを配下にする事を自分は認めたのだ。部下である以上、それを総括している身として彼等は保護対象であったのだ。
 表面上は冷静を装ってはいたが、今すぐ淡々と述べる眼前の少年を殴りつけたい思いが渦巻いていた。
「……部下達は?」
 予想は付くが、訊かずにはいられなかった。
「斬った」
「!!」
 恐る恐るといった様子で訊いてくるカンダタに、光の宿らぬ瞳のままユリウスは端的に答える。その言葉の指し示す事を理解したカンダタは、その黄碧色の眼を大きく見開いた。後方で聞いていたガロスは、見捨ててきて逃げて来たにも関らず相棒を殺されたと思い、怒りを露にして立ちあがり腰の剣柄を手にしようとしていた。が、それをカンダタの拳が止めていた。
 腹に深くめり込んだ拳は一瞬でガロスの意識を奪い、昏倒させる。気を失った彼を部屋の隅に移し、振り向きながら先程よりも何倍も鋭い視線…敵意をユリウスに投げかける。
「……仮にも国宝、金の冠を国庫から盗んだんだ。王前に突き出した所で、結局は国家の反逆者として処刑されて終わりだ。どの道、死ぬしか先が無いのであれば、今殺されようと同じ事。遅いか早いかの差でしかない」
「……その生殺与奪の権利が貴様にはあると言うのかっ!?」
「さぁ…、な。そいつ等が斬りかかって来たから、俺もそれに応じた。……ただ、その結果に過ぎない」
 光の灯さぬ眼で、ユリウスは冷厳に言い放った。
「それに、お前にそんな事を言われる筋合いなど無いな。お前等とて、お前等の一義的な正義に従って市井を脅かす悪党を殺している。敵として人も魔物も殺しているんだろ? その生殺与奪の権限が、お前等にはあるのか?」
「…………」
「……結局は同じ、敵を殺しているだけだ。お前等と俺にどれだけの差がある? 偽善を翳したところで、命を奪うと言う行動に違いないだろ」
 半ば嘲笑っているかのようなユリウスの言葉に、カンダタは大きく目を見開く。
「偽善だと……!? お前は偽善だと言うのかっ!!」
「……違うのか?」
 真っ直ぐにユリウスは激昂するカンダタを見据えたまま、肩を竦めた。

 以前ゼノスが言っていた。お前カンダタは甘い、と……。確かにその通りだった。
 友との誓いを果す為今まで生きてきた自分にとって、人間とは護る対象であり、絶望に塗れ市井を脅かす悪党ではない限り庇護すべき存在だと考えていた。故に、眼前の少年の言葉は、自分には持ち得る物では無いと思った。自分達の信義を、友との誓いを偽善と罵られ、許せないと思った。
「………名前を聞いておこうか」
 不倶戴天ふぐたいてんの怨敵の名を刻むような心構えでカンダタは尋ねる。
「ユリウス=ブラムバルド」
「な、……に?」
「……?」
 冷淡と発せられるそれに、頭をハンマーで強打されたような感覚をカンダタは覚えた。動揺を顕に大きく眼を見開き、その言葉の意味に愕然としている。
 対して、名乗った程度で明らかに驚愕しているカンダタを訝しみつつ、ユリウスは向き直る。
「……貴様が。貴様がオルテガの息子だと!?」
「それがどうした?」
「信じられん。貴様のような奴が勇者だというのか!? ……あの『オルテガの息子』だと言うのか!?」
 まさか盗賊の頭からこんな科白を聴かされると思ってもいなかったユリウスは、辟易した様に大きく溜息を一つ吐いた。無表情のまま半眼で見上げるその姿は、至極鬱陶しそうだった。
「信じる、信じないはお前の勝手だ。そんな事実、俺には何の意味も無いことだ」
「…………これ以上の争いは避けるつもりだったが、気が変わった。死んだ…いや、貴様に殺された部下達の仇、討たせてもらおう」
 唖然としていたカンダタはそう言って、外套と同色の布地に鋼線を幾重にも編み込んだ、目の部位が開いたマスクを被り顔面を保護する。そして壁に立て掛けてあった総鋼鉄製の鎚…ウォーハンマーを掴み、重量のあるそれを軽々と片手で持ち上げてユリウスに向かって掲げた。侮蔑を込めた冷たさに満ちた目は敵意と殺意が滾り、絡み合い、射殺す様にこちらを捉えている。
 対して、ユリウスも顔色一つ変えずに剣を構える。そして、文字通り荷物でしかない金の冠の入った袋を無造作に壁際に放り投げた。
 袋の中の、金の冠が壁に当たった時の衝撃で金属特有の甲高い音を上げる。悲鳴の様にも聞えるそれは、丈夫な布の中でくぐもりながら、満ちる殺気に緊迫した室内を響いていた。

 その余韻が消えると同時に、対峙していたユリウスとカンダタは駆け出した。




 高々と振り上げられたウォーハンマーは、重力に逆らわずに勢い良く振り下ろされた。
 足の竦むような威圧感を放ちながら豪快に、その凄まじい威力を物語る様に空気を撒き込んで轟々と来る鎚撃。ユリウスとカンダタ…二人の身長差も相俟って、それは遥か空より至る天雷の烈閃だった。
 流石にそれを楯で受け止める気にもなれず、ユリウスは瞬時にバックステップで躱す。その後退の勢いを殺さずに着地した右足を軸に大きく翻り、身体を回転させ遠心力と自重を篭めて剣を真一文字に薙いだ。剣閃に沿う様に、部屋の中を鋭く青白い円弧が疾る。
 が、それをカンダタは総鋼鉄製のウォーハンマーの柄部分で易々と受け止める。カンダタにして見れば、その圧倒的なまでの体格差は攻撃にも防御にも多大な影響を齎し、こちらが近接戦において有利である事は自明だった。だからと言って、攻撃の意志を緩める気は微塵も無い。
 目の前の少年は大勢の部下を屠った怨敵なのだから。

 鎚が轟く度に石床は深深と抉られ破片を撒き上げ、カンダタは尚もそれを軽々と振り抜いて連撃を放ってくる。その一撃一撃がまともに喰らえば、華奢なユリウスの全身の骨など簡単に砕いてしまう程の威力を誇っていた。
 楯で防ぎ切れるようなレベルの威力では無い。
 総鋼鉄製で重量のあるそれに、先程から見せつけられている並ならぬ腕力。その前では自分の青銅の盾など気休め程度にもならないだろう。
(受け止めるのは愚の骨頂、か)
 そう判断してユリウスは回避し続ける。剣で弾こうにも総て鋼鉄製のそれを斬る事はできず、振り下ろされている時に剣を合わせるものならば、簡単にこちらの剣が折れてしまうのは容易に想像できる結末だ。
(戦い辛い相手ではあるが、勝てない相手ではない)
 ユリウスはそう考える。あれ程の重量を誇る武器、振るうだけでもかなりの体力を消耗する。そして武器の特性故、攻撃の一振り一振りは隙が大きい。それは攻撃の読み易さも示唆している。
 そう判断して、その隙を突くように攻めの算段を立てていた。
(相手が力で攻めて来るのならば、速さで抗するまでだ)

 ユリウスのこちらの動きに合わせて的確に対処をしている攻撃に、内心舌を巻きながらカンダタは得物を繰り出す。床も、壁も、柱も、卓も障害になるものを全て穿ち、砕きユリウスに襲い掛かっている。
 鎚を振り抜いた風圧で、床の破片が次々と舞い上がった。それが砂埃となって、足元を漂う煙幕の様に緊張と興奮、この裂帛した闘いの場を盛り上げていく。
(大した腕だ)
 何度目かの大上段からの打撃をユリウスは体を捻って躱した。
 先程から、自分の攻撃を完全に紙一重で躱している。それはつまりこちらの攻撃射程を完全に見切っている事に他ならない。その隙を突いて来る斬撃、突撃を全て喰らいはしていないが、その正確さには眼を見張るものがある。
(……だが!!)
 その巨体をものともせず跳び上がり、高い跳躍から落下に転じながらカンダタは一気に両腕で鎚を振り下ろした。石床を易々と穿ったその衝撃の余波は、一瞬部屋の床全体を揺らすまでの威力である。敷き詰められた石床がギシギシと喘ぐ。それらの隙間から勢い良く噴き上がる土煙に、身を包みながらカンダタは一瞬静止した。
 深深と床を抉った武器の柄に己が両手を掛けたまま、大きく息を吸い、吐いた……。

 完全な隙だ。そう思いユリウスは斬撃を繰り出す為に、己の間合いにカンダタを捕らえようと勢い良く踏み出す。
 しかし、それこそがカンダタの狙いだった。
「うおおおおぉぉぉぉっ!!」
 鋼鉄製の柄を掴む両腕に瞬間的に闘気フォースを爆発させる。見る間に両腕の隆々たる筋肉は流動して迫り上がり、鋼鉄がひしゃげるほどに力強く柄を掴む。そして全身に漲らせた闘気を載せ、柄を支柱にカンダタは大車輪の如き蹴りを放った。
(! しまっ――)
 今までに無い速さと剛さを纏ったそれに、本能的にユリウスは回避が出来ないと判断し、左腕を上げて間一髪、楯でそれを受け止める。が、繰り出された蹴りは大回転による遠心力、カンダタの自重、そして漲らせた闘気を載せた痛恨の一撃であった。ユリウスの翳した左腕…青銅の楯にカンダタの踵の烈蹴が肉薄する。
 轟音と共にユリウスは、紙の様に楯ごと勢い良く吹飛ばされて後方の石壁に全身をしたたかに打ちつける。楯で防御したにも拘わらず、それを突き抜けて身体中を走る激痛に目を細めた。床に片膝を着いて、大きく息を吐く。
 それを見下ろし、軽々と肩にウォーハンマーを担ぎながらカンダタ。その風体は歴戦を潜り抜けた者が持ち得る覇気を放ち、こちらを威圧して来る。
「……やるな。蹴りの進行方向に跳んで衝撃を最小限に抑えたか」
「…………」
 左手に括りつけてあった青銅の楯は見るも無残に抉り裂かれ、そればかりか左腕の感覚すら薄れていった。
(折れた、な)
 激痛を感じながらも、冷静に自分の身体の被害を見る。壁に叩きつけられた右半身は大した事は無かった。少々痺れてはいるが剣も握れるし、走る事も可能だ。そう結論付けて一つ溜息を吐く。
(土煙を隠れ蓑として、フォース集約の際の、肉体強化の様子を見えない様にするとはな……)
「…まだ、余裕といったようだな」
「当然だ」
 無感動に見下ろしてくるカンダタの言葉に、ユリウスは抑揚無く返す。そして最早使い物にならないであろう青銅の楯を忌々しげに投げ捨てて、右手の鋼鉄の剣を握り直す。そして……。
「貴様では、俺には勝てな――」
「メラ」
 カンダタの言葉を遮り、折れた左手を翳してユリウスは火球を放つ。
「メラ。メラ。メラ。メラ――」




(何だと!?)
 連続して紡がれる火球魔法を、カンダタは容易に避けながらも驚愕していた。
 それもその筈である。あれほどの衝撃を与えたのだ。その華奢な左腕には甚大な損傷を与えた筈だ。それなのにその左腕を翳して魔法を放つ事など尋常では無い精神力の持ち主か、或いは絶望的に神経が太いのか鈍いのか……。
(……いや、フォースを高めて一時的に痛覚を遮蔽しゃへいする事は、可能だ。だが……)
 驚くべきはそこでは無い。そうカンダタは猛る思考を鎮め、冷静に考える。
 自分はフォースを瞬間的に爆発させるタイプだが、先程からの攻防を見る限り眼前の少年は常にフォースを一定量保ち、纏い続ける型と見るべきだ。剣士や武闘家など軽武装者に良くある傾向なのだが、そんな人間がこれだけ速く、魔法を具現化できるだけの魔力エーテルを収束できるのか……。

 フォースにしろエーテルにしろ、扱えば扱う程身体がそれに順応する。筋肉を使えば使う程硬く剛くなるのと同様に、フォースの扱いに慣れれば慣れる程身体はフォースに順応し、それの収束により物理攻撃力、物理防御力は増大する。逆にエーテルを紡ぐ事に慣れれば慣れる程、エーテルへの親和性が高くなり自然と魔法攻撃力、魔法防御力が高くなる。極端な話だが、戦士と魔法使いの絶対的な差がこれだ。長年魔法の修行を積んだ魔法使いはエーテルに順応している為に、フォース集約の効率が悪く物理攻防が不得手である事、フォースに順応した歴戦の戦士がエーテルを介する魔法に疎いのはこの為である。
 それは言わば、この世の摂理とも言うべきものだ。詳しい原理は解明されていないこそすれ、どんな生命も、これに従って存在している筈なのだ。

 常に一定のフォースを溜め、保ち続けているのなら確実にそれはフォースに順応し特化した型だ。だが、放たれている火炎弾は、団員の魔法使いが扱うそれをも凌駕している。この事実が指し示すものとは……。
 額から汗は浮かばせているものの、やはり無表情のまま信じがたい行動をし続ける眼前の少年に、カンダタは背筋が凍るような思いを抱いてしまった。
(有り得ない。……こいつ、一体?)
 戦いの最中で、それ以外の事を考えるとそれは隙を生む事に繋がる。ましてや一対一の決闘にも似た状況の中でのそれは大きい。カンダタも未だに放たれ続けるユリウスの火球を避けつつも、思わず自身が抉った床の窪みに足を取られ、バランスを崩してしまう。
 その隙をユリウスは見逃さなかった。
「……ベギラマ!」
 眩い閃光と共に熱線がカンダタに襲い掛かる。
 今まで火球の速さに慣れてしまっていたカンダタの眼に、その眩い閃光を捕らえる事はできなかった。ただ直感的に躱せないと判断したカンダタは即座に左手をウォーハンマーの柄から離し、身を包んでいる魔法耐性の高い特殊な素材で繕われた外套を捲り上げ、鍛え上げられた左腕で心臓と顔面を護るように楯にする。
 その刹那の後、熱線が外套を貫き、手の甲を、肘を、皮膚と肉を容赦無く焼く。その激痛にカンダタは歯を食い縛るも、声は上げない。顔中から汗を流しているが、その熱と衝撃に耐え切った。
 だが、ユリウスの攻撃はそれで終わりではなかった。
 ベギラマの熱線がカンダタの左腕を焼いている隙に一気に間合いを詰め、魔法による現象が消えるのと同時に、灼かれたばかりで、プスプスと黒煙を登らせているその左腕に斬り付ける。
 焼け焦げた皮膚から肉の焼けた黒い煙と共に、赤い鮮血が勢い良く吹き出した。
「ぐわぁぁぁあ!!」
 この波状攻撃には、鎧のような強靭な筋肉を纏うカンダタといえ絶叫を上げてしまった。身体中から吹き出る汗がその痛手の大きさを物語る。
 それを見止めながら、ユリウスは咄嗟に後退して間合いを取った。




 会心の一撃を繰り出しつつ、互いに消耗した体力を取り戻す様に肩を上下させ空気を貪った。




 ふと、ユリウスは左腕の袖が破れかかっているのが眼に止まる。穿たれた楯の破片によってボロボロに引き千切られていた。それを無造作に破り去り、捨てる。そこに完全に青紫色に変色し、その太さも本来の何倍にも腫れ上がった左腕が痛々しく露になった。
 襲い掛ってきた熱線が耐魔性質の外套をも易々と貫いたのは、偏にユリウスの魔法の威力の高さによるもの。その名残を口惜しそうに見眺めた後、カンダタはユリウスを見上げる。その額からは玉の様に大粒の汗が流れ落ち、激痛に耐えているようだった。無表情な面が、より一層のその様をひき立てている。
 だが、それでもカンダタの視線は鋭さを衰えさせない。研ぎ澄まされた敵愾てきがいの牙は尚も健在だった。
「その腕……もう使い物にならないだろ」
「もう使い物にならない腕ならば、この場で使い捨てるまでだ」
 正気とは思えない言葉を吐きつつ、ユリウスは再び左手をカンダタに翳す。
「メラ」
「同じ手が通用すると思うな!」
 怒号と共に、カンダタは疾駆して一気に間合いを詰める。
 空気を貪りながら迫る火炎弾にはフォースを滾らせて、敢えて避けもせずに突貫した。
 エーテルとフォース。その互いに相容れない性質において、フォースによる肉体の防御強化は魔法抵抗力を上げるものでは無い。ただ魔法現象の結果齎される物理的被害を僅かだが抑える程度でしかない。カンダタ自身その事を熟知していたが、それでも怯む事は無い。それほどまでに、カンダタの精神は昂ぶっていたのだ。
 右手に引きずられるような形になっているウォーハンマーの鉄針が、石床を削り耳を劈く不愉快な金属音を火花と共に発している。その猛る意志の顕れが、更に自分の気勢を後押しする。
 轟嵐の如く接近してくるカンダタに、効果が無いと判断したユリウスは魔法を撃つのを止め、剣を構え踏み出そうとする。が、先手を取ったカンダタは、ユリウスの顎を目掛けてサマーソルトを放つ。弧を描き勢い良く振り上げられた蹴りを、何とか上体を後ろに逸らし紙一重で躱した。が、一瞬その烈蹴の風圧で眼を細めた。
 その隙に重心を後方のウォーハンマーに預け、更に力強く柄を握ったままの右腕の腕力により身体を引き戻した為、思いの他速くカンダタの余剰動作は終わる。そして、焼き斬られた左腕から勢い良く紅い血潮が吹き出し、激痛が雷鳴の様に自身の裡を走るのも厭わずに、両腕で全身の力を込めて武器を突き出した。
 鋭利な鉄針が付いたその剛猛なる一撃を、寸での処で床を転がりユリウスは回避する。転がった際に左腕に激痛が走ったが、無視し即座に立ち上がろうとした。相手に弱みを見せてはいけない。そう考えていたからだ。
 そんなユリウスに、一呼吸も置かずにカンダタは空いた型となったその腹部にボディーブローを繰り出していた。
「うおおおおおお!!」
「――アストロンッ!!」
 カンダタの咆哮と、ユリウスの叫呼は同時であった。戛然かつぜんとした爆音が轟き、部屋中を翔け回る。
 繰り出された殴打の威力を物語る様に、ユリウスの体は再び勢い良く後方の壁にまで吹き飛び、石壁にめり込んでは、パラパラと崩れる瓦礫の下に伏した。
 対して、カンダタは拳を振り抜いた体勢のまま硬直していた。

「……ぐあぁぁっ!」
 呻き声はカンダタのものだった。右腕の拳を震えさせながら、苦痛に顔を歪ませている。ポタリポタリと拳から滲み出た紅い血液が重力に逆らわずに滴り落ちていた。床で波立つ血溜まりの音が、喧騒の止まぬ部屋の中で尚も大きく、澄んで聞えて来る。それを何処か遠くに耳にしながらカンダタは険しく眉間に皺を寄せ、鼻腔を激しく縮張し、肩を大きく上下させながら押し寄せて来る痛みに耐える。
 その数瞬後。抉られた壁の瓦礫の中から、ユリウスは颯爽と立ち上がった。その寛然とした様は、今のカンダタの攻撃によるダメージなど微塵も感じさせ無い。無表情の漆黒眼は冷厳にカンダタを見下ろし、射抜いていた。
 ユリウスがカンダタの攻撃が命中する直前に唱えたのは、自らの肉体を金属の塊に変化させる硬金属変化魔法アストロンだった。この魔法を掛けられた存在はあらゆる行動の自由も奪われる変わりに、如何なる物理攻撃、魔法攻撃も受け付けないという絶対的防御魔法である。これをカンダタの攻撃が触れるや否やの瞬間に完成させていたのだ。
 カンダタは痛みでも衰えを見せない、鋭利な眼光をユリウスに返しながら叫ぶ。
「何故だっ!? それ程までの力を手にしているなら、部下達を殺さずにやり過せた筈だ。何故、無益な殺戮をする!」
「言った筈だ。お前の部下とやらは俺を殺しに掛かってきた。だから抗した、と。それに……」
 自らの掌を自嘲的に見詰めながら、周りに聞こえるか聞こえないか声量で呟く。
「……ただ敵を殺す為の存在に、それ以外の選択肢があると思うのか?」
 訳もわからず、ユリウスを見上げたままカンダタは目を見開いた。
「何……?」
つるぎ…武器は敵を殺す為の物。そしてそれを手にすると言う事は、敵を屠る事への意志の顕れ。結末はいつも一つしかない。敵が自分よりも強ければ自分は死に、自分よりも弱ければ敵が死ぬ。……それだけだ」
 そんな視線を鬱陶しく感じたのか、ユリウスは口元を歪ませる。その嘲るような様子はカンダタの猛っている神経を存分に逆撫でした。
「立てよ。あんたの大切な部下を殺した俺が憎いんだろ? 仇を討ちたいんだろ? 殺したいんだろ?」
「貴様……!」
 発せられる言葉と共に、視線はどんどん冷たく鋭くなっていき、やがて生物のそれでは無く、抜き身の刃を彷彿させる程の無機質で冷酷なものに変わる。漆黒の双眸には微かに狂気が孕み始めていた。
 言いながら、ユリウスは口の端を持ち上げて嗤う。



――この男は強い。
 一撃、一撃が下手な喰らい方をすれば即死する程の威力だ。
 戦闘経験だけでは無く、戦術にも明るく頭も切れる。見たところ、フォースの扱いにも長けている様だ。
 何よりも隙が無いし、こちらが油断をするものならば、恐らく簡単に敗北するだろう。
 ……強敵と戦って、戦って、その結果敗北する。敗北の示すものは死……。

 もしかしたら、自分はここで死ぬかもしれない。……そうなれば死の、その先で――。



 そう考え至り、ユリウスは自分の中で沸沸と何かが込み上げて来るの感じる。止めど無く湧き出してくるそれは、腹部から徐々に上がっていき、胸、喉元。そして口腔にまで至り、もう抑え切れそうに無い。
「……ふふふ、はははっ、あーはっはっはっ――!!」
 酷く楽しそうに、どこか嬉しそうに。自らの眼前に忍び寄る死の影に、ユリウスは肩を揺らして笑い声を上げていた。
(狂ってやがる。……これが、オルテガの息子だと!?)
 少年の異様な豹変振りに、カンダタは滾る怒りに微かな憐れみを絡めた視線を送り、鋼鉄の武器を手に立ち上がる。憐れみを覚えても許す事はできない。この少年は仇敵だ。カンダタの威勢に満ちた眼光はそれを物語っていた。
 それをユリウスは満足気に眺めながら、携えていた剣を握り直す。
「第二幕だ」




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