――――第二章
      第八話 闘いの刻







「…………困ったな」
 壁を背にしたヒイロは、首を傾けながら呟いた。
 今、自分の視界の殆どを艶かしい黒髪が覆っている。互いの吐息が掛りそうな程間近に、見下ろす先にミコトの顔があった。その意思の光を点さない緑灰の双眸、発せられる虚ろな視線。感情が通っていないであろう無表情で自分を睨み上げてくる。
 その意思の宿らぬ視線の先…自分の頬を掠めれそうな位置に、真っ直ぐスラリと伸び切ったミコトの腕がある。淡緑の武闘着の袖から露になっている白磁の腕が、背にある石壁を深深と貫いていた。パラパラとその残滓が肩口に落ちて、白銀の髪に砂色の灰塵が降り掛かるのを認め、ヒイロは内心で冷や汗を掻いて狼狽する。声と共に口元が引き攣ったように感じられるのは、それの顕れだろうか。正直、生きた心地がしていなかった。
 石壁に正拳突きを繰り出しても何の反動も見せないミコトの様子から、フォースを集約してそれを放ったのだと容易に想像できる。幾ら鉄甲付きの手袋を穿いているとはいえ、利き腕では無い筈の左腕でこの威力だ。それだけ彼女のフォースを扱う技量には舌を巻く。が、状況が状況だけに素直に褒める事ができない自分も、確かにそこには存在していた。
 ミコトが壁から腕を抜く前に、即座にヒイロは身体を滑らせて離れる。あのままの状態だと、続いて跳び膝蹴りも繰り出されるであろう事が明白だったからだ。
 一方、二人から少し間合いを取ってソニアは、同じく生彩の無い面でこちらの様子をつぶさに窺っていた。
(さて……、と)
 二人の少女との間合いを取って、ヒイロは佇む。
 ミコトの連撃からの回避行動の中で乱れた帽子を深く被り直し、毅然とした眼差しで対峙している仲間を見据える。その鋭さの増した銀髪と、怜悧さを醸す琥珀眼からはいつもの飄々とした傍観者振りは微塵も無い。今まで旅をして来た仲間達にも見せた事が無い敢然とした表情で、意識を無くしているであろうソニアとミコトに向う。手にしたチェーンクロスを真横に引き構え、眼前にできた鎖の線上に二人の少女を捉える。
(……ソニアの武器は魔導器ルーンスタッフ。ミコトの武器は右腕に装備してある鉄の爪。武器自体の危険性はミコトの方か。共に近距離用の武器だから距離を取れば良いけど、ソニアには魔法がある。それに何の魔法が篭められた魔導器か判らない以上、それは脅威と取るべきだな)
「はっ!」
「おっと!」
 一気に間合いを詰めて来た、ミコトの裂帛した気合と共に繰り出される後ろ回し蹴りは、ヒイロの鼻先の空気を切った。一瞬冷やかな風が頬を撫で、脇を駈け抜けていく。
(二人の動きは意識、意思を欠いている分、本能的直線的攻勢に特化している。……それだけに単調で読みやすい)
 上体を反らしながら後退して、紙一重で躱したヒイロは利き腕を振り上げた。技の直後で隙のできた彼女を、手にしていたチェーンクロスで絡め執る。素早く勢いのある動きをしていたのが災いしてか…ヒイロにとっては幸いだが、相乗効果でミコトの肢体を鎖の鞭が大樹に絡む蔦のように巻きつき、その機敏な動きを封じ込めた。
 ミコトは絡まれたまま身動ぎするが、一向に解ける気配は無く、虚しく鎖の金擦り音が回廊に響き渡る。
(ミコトはこのまま牽制しつつ、ソニアには……)
 鞭の柄の微妙な動きで、ミコトの鎖を外そうとする力を殺しつつ、逆の空いている手で腰の道具袋を漁り、目当ての物を探り出しては、それを掴む。
(一瞬の隙で良い。……これで)
 横目でソニアを確認すると、既に魔法構築が完成していた。
「大気を律する清流、此に集いて牙とならん。聖なる風よ、翔けろ。バギ!」
「それ!!」
 ソニアの構える、ルーンスタッフの頭に集まっていた真空の刃が閃くと同時に、ヒイロの投げた球体を切り裂いた。その瞬間、眼前を覆うほどの粘着性のある糸が弾かれた様に広がり、ソニアを襲う。
 唖然としながらも、それをなんとか後退して直撃は免れたが、数本の束がソニアの足に執拗に絡みついていた。
 ヒイロが投げた球体は、“まだら蜘蛛糸”という非常に粘着力のある蜘蛛の糸を特殊な製法で玉状にしたもので、外部からの力で衝撃が加わると、一気に飛び広がる性質を持った魔導器ではないが、それに似た特性を持った道具である。本来ならば、素早い敵の動きを封じるのに有効なのだが、魔法詠唱をさせまいと一瞬の隙を作る為にソニアに放り投げたのであった。
 中々振り解けそうに無く、もがくソニア。意識が無い中でも、それは焦りとなって行動に映っている。それは敵と認識していたであろう自分に見向きもせずに、足についた糸を解く事に没頭している事から、容易の見て取れる。
(幻惑魔法メダパニを解くには、それ相応の肉体的な衝撃…刺激を知覚できれば良い。女性を殴るのは趣味じゃないから、コレ・・しか無いな)
 狙い通りにその隙を狙って、ヒイロはミコトを絡め取っていたチェーンクロスを手放し、ソニアとの間合いを一気に詰める。虚ろな眼のソニアがヒイロの接近に気付いた時には、既に二人の間合いは皆無であった。
 ヒイロは道具袋を探りつつ一言。
「ゴメン」
 そう言ってソニアの口に球状の物を親指で弾き、放り込んだ。
「はっ!!」
 鎖の縛から逃れ、背後から飛び蹴りを放ってきたミコトを半身で躱して、互いの擦れ違い際にミコトの口にも同様の物体を放り込む。
「すまない!」

 やがて操り糸の切れた様に二人の動きは止まり、その場に立ち竦む。
 塔外からの空気の流れが、薄暗い回廊で獣の遠吠えの様に聞える中、立ち尽していた少女達それぞれが同時に口を開く。
「「……苦」」
 異口同音された言葉には、しっかりとした意志の顕れがあった。それを聞いてヒイロは口元を上げる。
「正気に戻ったかい?」
「……あれ? 私達何を……、飴?」
「……旅の扉を通った時に貰った奴だよね……。うっ…」
「それは、混乱した人間の気付け薬としても効果があるからね」
 ソニアは自身の口の中に広がる異物と、それが齎す感覚に苦々しい顔をしながら呟いた。ミコトはあらかさまに顔を顰めて、口元を押さえる。そんな二人にヒイロは苦笑を浮べた。
 ヒイロが二人の口に放り込んだのは、以前アリアハン大陸からこのロマリア王国の旅の扉に辿り着いた時に、気分を悪くしていたユリウスとソニアの為に与えた飴玉であった。
「混乱? じゃあ、さっきの粉は…」
「……毒蛾の粉ね。私達、ヒイロに攻撃していたの?」
「気にしなくて良いよ。それよりも、さ……」
「ああ、……囲まれているな」
 周囲に神経を張り巡らせながら、ヒイロは先程放ったチェーンクロスを拾い上げる。漸く気を取り直したミコトは鉄の爪を嵌め、ソニアもルーンスタッフを握り直した。
「……ユリウスとアズサは?」
「先に上に行ってもらったよ。今の問題はこっちにあるけどね」
 目で問い掛けて来るミコトに、階段を背にしながらヒイロは指差す。
 眼前には、通路を埋め尽くす程の人相の悪いゴロツキ達がミコトとソニアを足元から見定め、下卑た笑みを浮べながら手に剣や斧、手鎌を構えジリジリと詰め寄ってきていた。どれも自分達と変わらなそうな年代の盗賊達に、違和感を覚えつつもヒイロは目を細める。
 このタイミングで現れたと言う事は、恐らく先ほどの爆発は、合図として彼等の中で定められていたのだろう。
 先行しているユリウスとアズサの背後を取らせない為にも、三人でこの大勢を相手にしなければならない。数の上では圧倒的に不利な状況だが、通路が狭いのと、背後を取られる心配が無い事がせめてもの救いだった。
「…取り敢えず、礼はさせてもらうよ」
「ええ」
 客観的に見て追い詰められている状況にも関らず、ミコトやソニアは微塵も気後れした様子は無く、余裕すら感じる。彼女等にして見れば先程の毒蛾の粉で混乱し、仲間に攻撃を加えた事実に自身を苛む処に現れた敵に、名誉挽回の機会を見出していた。特に真っ直ぐな気質のミコトは勢い込んで両拳を打ち付ける。
 それを皮切りに、盗賊達が一気に押し寄せてきた。






 階下の人間の喧騒も、塔外の自然のざわめきも、この階層…二人の戦っている部屋には聞こえても来なかった。天井近くに開けられた小さな窓からは、申し訳程度の光が零れてくるだけ。
 この部屋に鳴り響くのは硬質な鋼のぶつかる音。石床に軽快なリズムを刻む足捌きの音。肩で息をする荒荒しい呼吸の音。
 剣と剣の技量の勝負では、相手との間合いが命取りになる。アズサの長剣よりも幾分か長い剣を携える目の前の相手、ゼノスの方がその点で若干有利でもあった。しかし、アズサも女性故の身軽さでことごとく繰り出される剣閃を躱し続けて来た。
 互いに互いの剣の間合いを牽制しながら、剣をぶつけ合う。その度に、薄暗い部屋に火花が飛び散る。
(このままでは埒があかない)
 そう思い、アズサはバックステップで相手の間合い外へ飛び退く。
「降参かい?」
「まさか」
 アズサの行動に僅かに目を細めながら、ゼノスは疲労を隠したような声で言う。明らかな挑発だった。
 こんな愉しい白熱した戦いの最中で、そんな安い挑発など最早意味など無い事をアズサは元より、掛けたゼノス自身にもわかっていた事である。
 やがてアズサは、ゼノスの手にする剣に視線を移した。
「……その剣、普通の剣では無い……魔剣じゃな?」
「へぇ、気付いていたのか。……こいつは“魔剣・雷神の剣”だ。そこらの魔導器と一緒にするなよ」
(成る程、“魔剣士”か。……面白い)
「ま、安心しな。こいつの能力を使う気はねぇ。こんな愉しい闘いは久しぶりだからな」
「そいつはありがたいのぅ」
 油断無いゼノスの言動にアズサは皮肉気に返す。この闘いに愉しさを感じているのは自分も同じであったからだ。

 数呼吸置いた後、二人は同時に間合いの外より一気に駆け出し、互いにそれぞれの力と重さを乗せた刺突を放つ。
 光の余り入らない、薄暗い部屋で二筋の青白い光が交錯する。
 それは耳を劈く金切り音と、青白い火花を撒き散らしながら交叉し、一気に鍔迫り合いに持ち込んだ。
 震える刀身が、僅かに力で押されつつもアズサの口元は上がったまま、瞳には敗色の色さえ見せない。ゼノスはそれを満足気に見下ろした後、突如押し攻めるのを止め左足を軸に回転し、遠心力を乗せて剣を真一文字に薙いだ。
 迫り掛かって来た力が失せた事により、返していたアズサは重心をずらされ、バランスを崩す。そこへ空を切る鋭い斬撃が襲いかかってくる。咄嗟にアズサは膝を屈め、身を沈めた。
 振り抜かれた剣を確認した後、アズサは全身の筋肉をバネの様に撓らせ、その反動で剣を振り上げる。それをゼノスは上方から思い切り剣を振り下ろし対処する。
 ぶつかる金属音と共に、昇るアズサの刀身をゼノスは柄底でしっかりと受け止め、そのままの体勢で二人は硬直した。






「はっ!」
 勇ましく、凛とした声が通路に響き渡る。
 振り下ろされる剣にミコトは鉄の爪を装備した右手を、正拳突きの様に繰り出す。
 手甲状になっている武器の特質上、拳に触れる事無く、振り下ろされた剣は鉄甲に阻まれる。そこをミコトが勢い良く右手を捻り、払うと梃子の原理により、腹に負荷を掛けられた剣は敢え無く真っ二つに折れた。
 その様子を唖然として見詰めている盗賊に、相手の力量を見極めたミコトは手加減をしてその腹に膝蹴りをお見舞いする。床を蹴り上げた勢い、筋肉の伸縮反動、ミコト自身の自重。それら力の移動が綺麗に一直線に伸びては男の腹を天に突き上げる様に貫いた。放ったミコト自身が驚く程それは鮮やかに決まり、鳩尾を寸分違い無く貫通しては身体全体を骨の髄から揺らすその衝撃に、言葉を洩らす暇なく男は昏倒し床に蹲った。
 横から剣を真一文字に薙ぎ払って来た盗賊には瞬時に腰を落とし、全体重を乗せた足払いをがら空きの軸足に放つ。まともに威力のあるそれを食らった盗賊はバランスを崩して前傾し倒れ込み、丁度それに入れ替わる様に立ち上がったミコトは、倒れ往く男の頚椎に手刀を叩き込み、男を意識を一瞬で奪い失神させた。
 続いて高らかと跳んでは、自重の乗った膝蹴りを敵の盗賊の顎下に決める。盗賊が仰向けに倒れる際、その膝、肩…と駈け上がり更に高くに昇っては、宙で風車の様に回転する。その勢いを表すように両側で結われた黒髪が大きく翻る。遠心力をつけた跳躍から、横にいた盗賊の延髄に向かって蹴撃する。再び、床に倒れ伏せようとする男の背中を踏み台にして跳び上がり、唖然とそのミコトの武踏に魅入られていた男…その頭頂に雷の如く踵を振り下ろした。
 華麗な体術で数人の盗賊を難無く打ち倒した処で、相手の盗賊達は戦闘の経験が殆ど無いという事を悟ったミコトは、これ以上大技を出す事はせずに、相手の鳩尾、頚椎、顎下等の人体の急所といわれる部位を狙って突掌、蹴撃、或いは殴打という最小動作で確実に無力化させていく。
 長年、獰猛な魔物と渡り歩くような旅をして各地を廻っていた武闘家ミコトにとって、それは容易な事であった。
 その動きから碌に戦闘経験も積んでないような盗賊達など、普段から命のやり取りをしている魔物に比べると酷くお粗末で、逆にこちらが加害者になっていると錯覚させてしまう程度のものでしかない。
「弱い者苛めは、趣味じゃないんだけど……」
 余裕からか、ミコトはそんな事を呟いてしまう。

「ふっ!!」
 ヒイロは最前線で攻撃を繰り出しているミコトに当たらない様に、チェーンクロスを振り抜いた。先端に取り付けられた分銅が、ミコトを背後から斬りかかろうとしていた一人の盗賊の肩口に叩き付けられ、後方へ吹き飛ばす。それに連なり襲いかかる鎖鞭は数人の盗賊達を横薙ぎにして、打撃を与えた。鎖の鞭による攻撃は、身を斬るのでは無く穿ち、抉り削ぐのだ。その激痛は下手な斬撃よりも遥かに大きい。
 普段戦っている魔物であるならば、ここで怯んだりはせずに更に敵意と殺意を滾らせて牙を剥いて来るのだが、鎖分銅を打ち付けられた盗賊達は悲鳴を上げて、恐怖を湛えた視線を送るだけで、こちらの様子を見るに止まる。
 盗賊達が主に使っている剣と、チェーンクロスの間合いが違う事から相手側もヒイロに近寄る事が出来なくなっていた。ヒイロとしても相手側から攻めて来た方が、カウンターによる鞭の打撃威力は大きくなり、一撃で済むと踏んでいた。が、こうも呆気無く尻込みされてはその期待が薄くなる。
 こちらから相手の間合いに入り込んで薙ぐ事も可能であるが、鞭はその振り幅が大きければ大きいほど威力を増す武器であり、威力を補う為に攻撃を繰り返すと、返って相手にダメージを蓄積させすぎて殺してしまう懸念もあった。今、自分達が成すべき事は、出来るだけ相手を殺さずに一撃で昏倒させる事だと考えていたヒイロにとって、先程の勢いなど既に消えている相手に対して、どうしようものかと考え込んでしまう。
「うーん、どうしようか……」
 その声色は恍けたもので、負ける気など微塵も思っていないものだった。

 前衛で戦うミコトとヒイロに護られる様に、ソニアは階段の数段上で目を瞑っていた。こんな状況で祈っている訳でも、ましてや二人に戦いを任せている訳でも無い。
 目を閉じて精神を集中させて、ソニアは魔法を構築していた。
 人間であれ、魔物であれ生命には変わりはないが、その手で人間の命を奪うような事は絶対にしない、とソニア考えていた。僧侶の攻撃魔法…真空魔法バギを放てば、その鋭利な風刃は間違い無く相手に致命傷を与えてしまう。そんな懸念があったソニアは、人間を相手にすると決まった時から考えていた幾つかの手段を取った。
「……降り注げ、夢幻の光よ。マヌーサ!」
 呪文と共に発生した視覚を惑わす紫色の霧が、盗賊達を包み込んでいく。それをまともに浴びた盗賊達には、最前線で戦うミコトの姿が幾人もいるように見え始めた。半ば自棄に無って適当にその一人に斬りかかっても、水を斬る如く、まるで手応えが無く自勢でバランスを崩す。そんなまるで見当違いの方向に斬りかかった盗賊の顎を、ミコトの裏拳が捉え、即座に意識を奪う。周りで次々と間の抜けた空振りをしている盗賊達にミコトは次々と急所攻撃を仕掛け続けていた。そんな中、ミコトは刹那ソニアを向いて礼の代わりに微笑を送る。
 幾ら並外れた動体視力と俊敏さを持っているミコトといえ、狭い回廊のしかも最前線で敵の攻撃を躱し続ける事に不安を拭い切れなかった。ミコトの実力を信頼していないというのでは無かったが、心配性のソニアにとってその微笑が何よりも励みになった。
 続いて再び精神集中をして呪文を紡ぐ。
「……彼の者達に、怠惰なる心を。ルカナン!」
 その魔法の言葉と共に、石床を透き相手の足元から不思議な光を放ち始めた。その光は相手の全身の筋肉を弛緩させ、緊張を強制的に解して肉体の守備能力を減退させた。戦闘という連続した緊張状態から、筋肉が強張って固くなるという生来備わった守りの本能とも言うべき機能を麻痺させたのだ。
 次々と緊張の色が表情から抜けていく盗賊達。
 その効果が現れたのを感じ取ったヒイロは、すかさずチェーンクロスを薙いだ。しなる鎖鞭は次々と力なく佇んでいた盗賊達を打ち据えていく。織り成した衝撃は体表を事無く素通りしては骨を軋ませ、内臓を揺さぶる。相手の間合いで振り抜かれたにも関らず、その柄に受ける感覚は相手の抵抗など微塵も感じさせないものだった。
 ヒイロはそれを満足気に眺め、ソニアに向って感謝の意を込め、手を軽く振る。
 二人と示しを合わせた訳では無いと言うのに、互いの行動を解し、それに見合った援護をする見事な連携。三人には黙示でのそれが可能になっていた。自分の良かれと考えた行動が仲間達に受け容れられて、嬉しさのあまり頬が緩みそうになるのを何とか自制しながら、ソニアは集中を続ける。
 次々と仲間が打ち倒されていく事に、とうとう逃げ出そうとしていた残りの盗賊達に向って一言。
「……蠢く者達に、安息なる一時を。ラリホー!」
 透涼な声が、高らかとその呪文を発す。
 それと同時にソニアが掲げたルーンスタッフの先端から、甘いまどろみを誘う優しい光が盗賊達に降り掛かる。やがて、逃げ出そうと無防備になっていた彼らは次々と力無くその場に崩れていき、とうとう全ての盗賊達が床に伏していった。
 催眠魔法を掛けられて心地良く寝息を立てる盗賊達。それを見て、ソニアはホッと胸を撫で下ろした。




 苦痛に呻きながら気絶している、夢の世界をさまよっている盗賊達を起こさない様に、ミコトとヒイロはソニアの立っている階段に歩み寄る。
「何だかあっけないな。とてもカザーブ村で訊いた盗賊達とは思えない」
「と言うよりも、ただの一般人にしか思えないんだけど……」
 やけに手応えのない相手に、肩透かしを食らったような表情でミコトは溜息を吐いた。
 ミコトの言葉通りに、彼らはつい最近まで王都に屯していたチンピラに過ぎないのだが、彼女はその事を知らない。故に、想像していたよりも遥かに、…いや、全くの労をせずに片が着いたので拍子抜けといった顔をしている。
 眠っている盗賊達を眺めながらソニア。
「……どうするの?」
「放って置こう。全員意識が無い事だし」
「そうだね。本来ならば縛にしてやる所だけど、先を急がないとね」
「魔法の効果は当分続くと思うから大丈夫よ」
 三人がお互いの意思を確認して頷く。
 そして、先行した二人を追うべく踵を返し、勇み足で階段を駆け上がっていった。






 アズサの上向きに力を掛けられた刃と、ゼノスの下向きに力を掛けられた柄。二つの力は拮抗したまま、沈黙を保ち続けている。極度の緊張と集中の所為で、部屋の中の時間が止まってしまったと錯覚させるような感覚が二人を襲っていた。事実、この拮抗状態は悠に十数分は保たれていた。
 根負けして力の支点をずらした瞬間に連撃が入る、という事をこの状況から既に二人は理解していた。それ故に二人は動けず、この状態を保ったまま力と精神力の勝負になってしまっていた。
「へぇ…やるじゃないか、お嬢ちゃん」
「ふん。褒めても手加減はせぬぞ」
 額に玉の様に吹き出た汗を拭う事もできずに、それを鬱陶しそうにしながらゼノスは口元を上げる。アズサもそれに表情を変えずに受け流した。
 体勢は変わらぬまま、応酬される言葉にはこちらの動揺を誘っているという事が手に取るようにわかる。
(見え透いた手を……)
 アズサは内心で舌打ちしながら、一人ごちた。
「あらら、残念。……名前聞いておこうか」
 企みが外れたにも関らず、苦笑を浮かべるゼノス。その声色から微かに余裕が見え始めていた。やはり純粋な力の勝負では女が男に勝つのは難しい。僅かだが確実に膝が重くなってきていた。その事に歯噛みつつアズサ。
「…アズサ=レティーナじゃ」
「レティーナ? ……そうかイシスの“剣姫”か」
「! な……!?」
 納得したようなゼノスの反応に、一瞬だがアズサは硬直してしまった。
 その刹那を見極めてゼノスは、柄にかかっていた力の支点をずらし剣閃を連ねる。バランスを崩したアズサも咄嗟に身を逸らしながらそれに抗するが、同等以上の実力者が相手であるゼノスに突かれた一瞬の隙が命取りになってしまった。
 袈裟懸けに振り下ろされる剣がアズサの剣を弾き、光に閃く白刃が開いた肩口へ容赦無く振り下ろされる――。






 ユリウスは階段を駆け上がり、石床に道標の様に連ねられている血痕を辿って先に進む。
 三階から四階への階段の所で唐突に現れては、無様な格好で逃げ去っていった男を今も追っていた。
 階下のゼノスと名乗った剣士についてはアズサに任せる事にした。凄腕の剣士だという事は一見して直にわかったが、アズサの腕ならば負けはしないだろう、と踏んだのも要因の一つだった。
 ユリウス自身、こんなロマリア王の威信回復の尻拭い等に駆り出された事だけでも億劫であるのに、この塔の高さと構造にいい加減辟易していた。面倒事はさっさと終わらせたい、という考えが自分を支配していたのだ。

 階層面積がいよいよ狭くなってきた五階の、壁が無く開けた見晴らしの良い空中回廊でユリウスは足を止める。
 眼前には、先程ユリウスが斬り付けた男バグとその相棒であるガロスが、部下であろう十数人の盗賊達の後ろでほくそえんでいた。その盗賊達は薄汚い皮鎧に身を包んで、鎖鎌や剣、斧を弄びながら相手が一人であるという事にニヤニヤと下卑た薄ら笑いを浮べている。
 その様子を見て、街の酒場で屯するようなチンピラのようだとユリウスは思う。事実アリアハンにいた頃にもそういった連中は見た事があったからだ。
(敵は…十五、六人。見る限りただのチンピラだが、そんな事気にしても仕方がないな。…………敵は敵だ)
 剣を握りながら、ユリウスは至極面倒臭そうに肩を竦め、溜息を吐く。
 数の差を見せつけても慄く所か小馬鹿にしている様なユリウスの様子に、痺れを切らしたのかバグが叫んだ。
「お前等、かかれっ!」
 全く独創性の無い叫びと共に、一気に盗賊達がそれぞれの持つ刃を光らせて襲い掛かってきた。
 疎らに近寄ってくる動きは戦闘訓練された者のそれでは無く、ただ思い思いにそれぞれが勝手に動いている統一性の無いお粗末なものであった。
 数十歩先に盗賊達が「一人の人間相手に負ける筈は無い」、「一方的な暴力で相手を蹂躙できる」、と言った浅ましい考えを眸に宿して愉しそうに顔を歪めながら襲い掛かって来ているのに、ユリウスは眼を瞑り、また一つ名残惜しく長く深く溜息を吐く。

 そして、開眼と同時に剣の柄を強く握り締め、迫る敵に向って駆けて行った。
 その面は、いつも情け容赦無く魔物を殺してきた時と変わらない、無表情で冷徹なものだった……。






「アズサ!!」
 飛び込んできた第三者の声に、ゼノスの動きは止まった。
 アズサの肩口の衣服はその剣風により切られてしまったが、本人に傷は付いていない。その事を訝しんでアズサは眼前のゼノスを見ると、彼は眼を見開いたまま声の主を凝視していた。
 この隙に斬り返す事もできたが、剣士としてのプライドがそれをさせない。ゼノスのそれを追うようにアズサも視線をその方向へと走らせる。逆光ではっきり見えないが、確かにそこには先程別れたヒイロと、毒蛾の粉によって混乱をきたしていたソニアとミコトが佇んでいた。
「ん? ヒイロか。そっちは片付いたのか」
 たった今、大事になろうとしていた人間の言葉とは思えない程間延びした口調のアズサに、ヒイロは苦笑し、「片付いた」の言葉が示す事にミコトとソニアは申し訳無さそうに頭を下げていた。
 そういったやり取りをする暇を許し、唖然とした表情で眺めていたゼノスは、ポツリとその名を呟く。
「………ヒイロ?」
「………ゼノス!」
 その声に、漸く部屋の薄暗さに眼が慣れたヒイロは、剣を振り被ったまま硬直しているゼノスを見止めて、近づく。その声色には親しみを持つ人間に相対した時の気安さが、その場に居合せた少女達には感じられた。
「は?」
「ヒイロ?」
「知り合い?」
 今の今まで白熱した戦いを繰り広げていたアズサは勿論、傍らに立っていたソニアとミコトも、この邂逅に訳も判らず唖然として立ち尽くすだけだった。




「久しぶりだな。まだ生きてやがったか」
 薄暗い食料庫に、場違いな声色が響き渡っていた。
 つい先刻まで仲間のアズサと戦っていたゼノスのものである。それは、盗賊のヒイロに掛けられたものだった。旧友の物着せぬ言葉に苦笑しながら、ヒイロは返す。
「それはお互い様さ。君がいるって事はやっぱりあのカンダタかい?」
「他にいると思うか?」
「いや、彼がこんな泥棒まがいな事をするなんて信じられなくてね」
 肩を竦めるゼノスに、頷きながらヒイロ。
「ああ…、金の冠か。ありゃ、“飛影”に入ったばかりの新参連中が手土産に持ってきた物だ。アイツの指示じゃねぇよ」
「そんな事信用できると思っているのか?」
 事情を語りながら、無造作に濃紫の髪を掻き揚げて言うゼノスに、終始警戒の色を発していたミコトは眉を寄せて詰め寄る。彼女の性格からして、目の前の存在に不信を抱いているのが判ったヒイロは宥める。
「いや、ミコト。大丈夫だよ」
「ヒイロ。そいつの肩を持つのか!?」
 落ち着き払ったヒイロの態度が癪に障ったのか、ミコトはその不機嫌の矛先をヒイロにも向けた。対してヒイロは困った様に苦笑を浮べるだけ。そこにゼノスが割って入った。
「あのなぁ、お嬢ちゃん。そもそもこの盗賊団“飛影”の活動は慈善活動なんだぞ」
「はぁ?」
「そこらを蔓延っている魔物を駆逐して、ご時世に嘆いて悪事を働く野盗共を蹴散らしているんだよ。ま、活動資金とかはそういう奴等から巻き上げているんだけどな。所有者の照会が出来た盗品なんかは、ちゃーんと返品してるしな」
「そんな話、信じられると思っているのか!?」
 目の眩むような正義感の片鱗を見せるミコトを、見下ろしながら肩を竦めるゼノス。
 ミコトとしても、自身の価値観から信じがたい事を言っているゼノスに、更に不信感を募らせ詰め寄ろうとする。が、アズサその肩に手を置いて、それを遮った。目を見開いて振り向き、意を唱え様とするミコトだったが、その先の同じ顔を持つアズサの視線は、それすらを圧倒してしまう程の強い光を秘めていた。黙れ、と言っているのが判って、思わずミコトはグッと言葉を呑み込んでしまう。
「……私掠か?」
「いや、今じゃどの国の首脳も胡散臭くて敵わない。そんな王侯貴族どもの都合なんかに合わせていたら、間に合うものも間に合わなくなっちまうからな。おまけに自由もきかねぇし」
 不本意だが聴きながら、ミコトは思わず胸中で頷いてしまった。確かにこの領土を保有するロマリア王家の不甲斐無さが、カザーブ村の嘗ての悲劇を引き起こしたという事を思い出したからだ。
 ソニアもただ沈黙を保ったまま、国に仕える者として複雑を極めた表情を浮べている。
「……カンダタとは、その首領という訳か?」
「だろうね。ゼノスがここにいるって事は、盗賊団“流星”に従属している組織だと思う。“流星”本隊は立場上、諸国にそうそう立ち入れないからさ。おそらく“飛影”はこのロマリアでの活動部隊といった処かな?」
「…………」
 アズサの問いには何故かヒイロが答えた。列ねられるその推測を腕を組んでゼノスは聞き入っている。

 ミコトは“流星”という単語を聞いて頬を引き攣らせた。
 確か、サマンオサ帝国相手に戦争をしかけている盗賊団だと聞いたことがあったからだ。放浪していた身であってもその名は冒険者達を介して噂で聞き及ぶし、何より盗賊団がサマンオサ臣民に支持されているという事が信じられなかったので、逆に覚えてしまっていた。
 平静にしているアズサを見ると、“流星”を知っているようであった。しかし、この旅以前にアリアハン国内から出た事の無かったソニアは、わからない固有名詞に不思議そうに首を傾げて、訪ねるような視線を送ってくる。
 教えるべきか悩んでいるミコトを他所に、ヒイロの推測は続けられていた。

「……それで、噂が噂を呼んでこの国で義賊って事になった。違うかいゼノス?」
「全く…、相変わらずの洞察力だな。お前を手放したのは俺達に取っちゃ痛手だな」
 感心し切ったように、言葉通りに残念そうに溜息を吐くゼノス。
「悪いね……。だけど、俺には俺の事情があるからさ」
「気にすんな。……ノヴァの奴が何時までも未練がましく愚痴っているのを思い出してな」
「ははは、彼らしいね」
 旧友であるその人物の顔とその様子が頭に浮かんで、ヒイロは苦笑する。
「……ヒイロって、何をやっていたの?」
 盗賊団の内情を良く知り、幹部らしき人間と親しそうにしていることから、嘗てはそこの団員なのだったろうか。言いながら、ソニアはそう思う。
「こいつは俺達の元参謀さ」
「え!?」
「は?」
「ちょっと待て。何時の間にそんな大仰な立場になってるんだ? 何回か、作戦を提案しただけだろ……」
 唖然とするソニアとミコト以上に、ヒイロがゼノスの言葉に一番驚いていた。
「そうか? “流星”オレらの中じゃそういう事になってるぜ」
「おいおいおい……」
 狼狽えながらヒイロは言葉を詰まらせる。

 するとその時、回廊の窓の外から吹き入る風に混ざって、血の匂いと悲鳴が上層の方から流れ込んできた。
 そこで漸く一同は現在の状況を思い出し、慌てて最上階を目指して走り出した。




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