――――第二章
      第七話 舞い振る爪牙







 激しい剣戟の音が広々とした空間に響き渡っている。
(……強い、な)
 鍔迫り合いから一旦引いて、アズサは溜息と共に胸中で呟いた。
 対峙している相手の剣の腕と自分の実力が拮抗している為に、なかなか決定打が繰り出せずにいる。閑散とした部屋には誰もいない。完全に目の前の相手との一騎討ち。そんな状況下でアズサは口元に笑みを浮べていた。
 実力が拮抗した者との戦い…白熱しているそれはひとえに愉しい。ユリウスの時もそうだったが、改めて思う。
「へぇ……余裕だな」
「……お主こそ」
 対峙している相手の皮肉を込めた言い様に、皮肉で返す。
 相手は濃紫の髪をした剣士。どこか斜めに構えた印象を覚える青年とアズサは戦っていた。
 アズサも青年も隙が無く、もう幾十にも及ぶ剣戟は互いの体力を否応無く削り取っていく。そんな長時間の攻防の結果、二人とも肩で息をしていた。
 部屋の外からチリチリと漏れ入る申し訳程度の光が、幾重もの細い筋となって部屋の中の覆い漂っていた薄闇を貫き、身体から靄の様に立ち昇る体力の消耗の証たる蒸気を霧散させる。微光の中でもそれはしっかりと映え、場に凛然とした緊張感を齎している。

 少しでも油断するものならば、即敗北につながる……。

 そんな張り詰めた緊張感を互いに覚え、背筋をくすぐり撫でられたように昂揚し、そして嗤う。
 アズサは今、普段背に携えている両手持ちの長剣を携えている。両手にずっしりとした重さと、戦慄を齎すそれを油断無く相対者に向けて構える。鋭く延びる切先と視線が絡み合い、真っ直ぐに濃紫髪の青年を見据えていた。
 対してその青年、ゼノスは青碧色に輝く特異な形状…切先が鍔の部位よりも幅の有る刀身をした両刃の長剣を、その重量を気にする事無く、軽々と片手で構えていた。向けられる切先から不可視の、魔法的な波動のような威圧感をピリピリと肌に感じられる。
 互いに楯など装備しておらず、剣撃のみの純粋な技量の勝負。
 もしこの閉塞した場が、闘技場という闘う事を生業にしている者にとっての華やかな場であるのならば、その静かだが確実に熱を帯びて盛り上がりを見せていた二人の接戦は、訪れた観客に固唾を飲み込ませ、拍手喝采を沸き起こさせるのは間違い無い。織り成す剣戟は観客を煽り、応酬される美技の数々は彼等を魅了していただろう。
 それ程までに二人の剣技は洗練されていて、そして互角だった。

 一進一退の戦いは一体いつ始まったのか。もう二人にとって、それはどうでも良い事だった……。






 一見した限り、塔の入り口の前にも、その屋上にも見張の人間の姿が無い。
 それを訝しみながらもユリウス達は勢い込んで盗賊団“飛影”の根城、シャンパーニの塔に踏み込んだ。
 遥か昔に建てられたという建造物。その悠久なる時の流れの中で、理に反して停滞している様に塔の中は整然としていた。高く広がる壁面にはナジミの塔と同系統の紋字が装飾の様に連ねられ、高きにある天井を支えている柱は、年月に朽ちる事無く、ほぼ建てられた時のまま端整に佇んでいる。人の往来が多い為か、微かに石床はその痕跡を残してはいるが、嘗ては鏡の様に磨き抜かれていたと言う事を容易に想像させるえがあった。
 荘厳さに畏怖すら覚えてしまう空間を、前衛がユリウスとアズサ、後衛をヒイロが固め、中堅でソニアとミコトが周囲に気を配りながら慎重に進んでいく。だが、妙な事に魔物はおろか人、一人の気配とてその階ではしなかった。
 慄然と緊迫し、口を閉ざしたまま言無く進む五人が生み出す音…固い革靴が石床を蹴る音。布と肌、布と布の擦れる音。そして緊張の為に早まる、各々の呼吸の音しか聞こえなかったのだ。
 それらの音が高く響き渡るのは、空気が冷淡で澄んでいる為。そしてナジミの塔より血生臭い、身体の芯が底冷えするような感覚がしないのは、やはり魔物という存在がいない為であろうか。
 色々な憶測は立てられるが、それでも警戒を解かずに常に緊張して一歩一歩慎重に進む。
 通路の角、小部屋の扉、整然と延びる石床、高くから見下ろしてくる天井、自重に剥がれ落ちた壁の残滓。高く聳える柱の蔭。動くもの、動かぬもの。粗大なもの、細小なもの……。
 それら総てに注意しながら違和感の模索…敵陣に攻め込む時の必須の心構えで少しずつ、確実に進んで行った。




 敵陣に踏み入ってから、どれだけの時間が過ぎただろうか……。
 シャンパーニの塔の三階辺りに差しかかった時、それぞれが大きく溜息を吐いた。
 長時間も緊張状態が続いた為に戦闘は今まで無かったにしろ、かなりの疲労がそれぞれの身体に圧し掛かってきていたからだ。
 敵陣において、何も無いという事の緊縛がこれほどまでに消耗を促すなど、市井の人間の誰が想像できようか。常にこちらは、いつ敵が襲いかかってきても良いように、爪も牙も研ぎ澄ませているのだ。だが、それらをいつまでも剥き出しでいられる訳が無い。爪も牙も休ませなければ、肝心な時に折れてしまいかねないのだから。
(妙だな……)
 その意味で、ヒイロはこの状況に危惧を覚えていた。
 白昼堂々、正面から敵陣に攻め入ったというのに、今まで一度も戦闘が無かった事や誰にも遭遇しない事。アジトである以上生活の音が聞える筈なのに、それを感じない事。その事実にヒイロは思考を巡らせる。



(現状を見るに、俺達の存在は相手側には既に知られていると考えた方がいいな)
 こんな僻地にある遺跡…魔物の巣窟としては絶好の条件だ。が、その気配が微塵も無いと言う事は、退魔結界処理を周囲に施している事になる。ユリウスの言では四方塔は魔を呼び寄せる性質があるらしいから、これほどまでに魔物の気配がしないのは、それ相応の対応が為されているに違い無い。
 つまりそれは、この塔に人の手が入っていると言う事。カザーブ村で得た情報の裏付けとなる事実だ。ならば、組織だって行動しているであろう集団の本拠地…敵陣内がこうも手薄なのは何らかの意図によるもの。そう考えた方が、この異様な状況は納得できる。
 そして、今現在こんな対応を執られていると言う事は、盗賊団“飛影”は既にロマリアからの追跡者である自分達の存在を認識している、と言う事になる。
手薬煉てぐすねひいて待ち構えているのか? 自分達に有利な状況を作り出して、一気に畳み掛けるつもりなのか……)



 ヒイロの警戒心が高まる。その琥珀の双眸は鋭さを増し、油断無く周囲を注視した。
(……塔外には見張の姿すら見えなかった。既にここはもぬけの殻、というのも考えられる)
 思いつく限りの可能性を脳裡に並べて咀嚼し、それらを吟味しているヒイロは、ふと、仲間達を仰ぎ見る。
 慣れぬ長時間連続の緊張状態に疲弊したソニアは、憔悴した表情で大きく肩で息をして空気を貪っていた。
 比較的に消耗の少なそうなミコトとアズサは、手の甲で頬を拭いつつも周囲への警戒を怠らない。
 周りに反して、全くの疲弊も感じていない様相のユリウスは、通路の先に無表情で視線を泳がせている。
(皆、結構疲労がでているな――!)
 その時、ヒイロはある事に思い至った。




 ユリウスはいつも通りに肩を竦め、黒き眸で反する様に白く明ける天井を見た。
 壁の遥か上方にある小窓の様に刳り抜かれた壁からは、外の新鮮な空気が流れ込んでくると共に、太陽の陽射しが薄暗い通路を照らしている。それは帯の様に照り、チラチラと宙を漂う石埃が静穏とした薄暗い空間の中で、幻想的な煌きを点しては来訪者に降り注いでいた。
 建物の内を歩いていく中でも、ユリウスは方向を見失う事は無かった。歩きながら、正確に脳内にその建物の図面を構築している。その為、この陽射しによって生み出される影の角度、方向から太陽が丁度真南に差し掛かった事を知り、正午になったという事をユリウスは理解していた。

 シャンパーニの塔の構造は尖塔状になっていて、上へ進むほどその階層面積は狭い。塔全体の中心軸に沿う様に部屋が集中している構造になっており、外周はその殆どが通路だった。
 その為、伏兵が潜んでいるのならば部屋の中で、その入り口の前を通る時と通り過ぎた後も警戒を密にしながら進む。最悪挟み撃ちも考えられる事態なので、部屋の中の僅かな音にも神経を研ぎ澄ませていた。
 そんな面倒な進み方に、いい加減億劫になったユリウスは歩みの早さを上げようとするが、それをヒイロに肩を掴まれて遮られる形になる。
「待った、ユリウス」
「……何だ」
 訝しげに振り向いてくるユリウスに、ヒイロは眉を寄せて通路の先を見据える。そして、傍らの床に転がっていた石壁の朽ちた欠片を掴み上げて、通路の先に放った。

 コロコロと回廊に音を響かせながら転がる石ころが突如、轟音と共に視界から消える。
「やっぱりね……」
「…なっ!?」
「……罠か。ご苦労な事だな」
 内側の壁際に人一人歩ける程度の隙間を残して、先の通路の床がポッカリと口を開けていた。覗き込むと、暗くて良く見えないが鋭利な針が隙間無く連ねられているのが僅かに見止められた。それはさながら獲物を待つ猛獣の檻の様に静寂を保ち、入る陽射しを受けて猛禽類の眸の様に鋭く、妖しく光を湛えている。
 そんなゾッとする階下を、恐る恐る覗き込みながらソニア。
「危なかったわね……」
「用意周到だな……」
 余り身を乗り出すな、とソニアを手で制しながらミコトが続いた。
「不安や極度の緊張による精神の疲弊を促した上での罠だね。悪くない手だ」
 精神の疲弊は注意力を散漫にする。そしてそれは有事の際に冷静な判断力を鈍らせるのだ。先程、ヒイロはそう思い至ったのだった。
 それを背で聞きながら、肩を竦めるユリウス。視線は鬱陶しそうに、回廊に大口を開けている落とし穴に向けられていた。
「罠自体は陳腐だな」
「引っ掛かりそうになっておった奴が何を言う……」
「…………」
 間髪入れず半眼を向けてのアズサの鋭い言葉に、思わずユリウスは言葉を呑み込むが溜息と共に踵を返した。ヒイロはそんな二人に苦笑しながら、ポッカリと口を開けた通路を避けながら先に進み始める。
「皆。多分ここからは罠が張ってあると思うから、俺の後ろに着いて来てくれ。間違っても壁や何かに触らないで」
 落ち着いたヒイロの口調にソニアは頼もしさを感じ、しっかりと頷く。ユリウスは今のヒイロに何処か愉しげなものを感じた。古代遺跡の探索を生業としていたという彼の略歴を思いだし、納得してしまう。だが……。
「何故そう思う」
「……俺なら、この階層からは罠だらけにするね。一、二階は何も無かったから、この辺りが良い頃合いだ」
「どういう事?」
 言葉通り、心底不思議そうにソニアが口を徐に開いた。
「俺達は潜入する側。そして地の利が無いから、警戒を最大限に密にする側。つまり、極度の緊張を強いられるからさ。それは体力的、精神的消耗を促すのには効果的だからね」
 丁寧に指を一本ずつ立てながら、ヒイロは説明する。それに、訊いたソニアは無言で頷いていた。ミコトもその横で感心した様に、腕を組みながら首を縦に振っていた。

 盗賊ヒイロによって道を示される中、最後尾をアズサが一同のやり取りを見て、眼を細め不敵に口の端を持ち上げていたのだが、それは誰にも感付かれる事は無かった。





 塔の三階は、ヒイロの予想通り罠だらけの階層だった。
 少し出っ張りのある石を踏むと何処からとも無く矢が飛んで来たり、いびつに浮いている石床を踏むと床が突然抜けて大穴が出来たり……と、まともに引っ掛かるのであればそれなりの被害を蒙ったのだが、そこは職業盗賊であるヒイロの得意とする事なのか次々と罠を見破っては、的確に処理していった。
「……時期、状況は悪くないんだけど、単純な罠しかないな。設置の仕方もお粗末だし、抜け穴だらけだよ……」
「耳が痛いんじゃ無いかユリウス?」
「……」
 半眼で見上げてくるミコトに、ユリウスは溜息と共に肩を竦めた。それに苦笑しながらヒイロは助け舟を出す。
「いや、あの初めの奴だけは別物だね。恐らくあれはこの塔が建造された時に備え付けられた物だと思うよ」
「……どうしてわかるの?」
 言いながらヒイロは、目に付いた外壁の崩れ落ちた瓦礫の山に近寄り、そっと周囲の瓦礫を退かして罠を外す。そして、そこから何かを取り出した。
「……これを見てくれ」
「矢?」
「ああ。このシャンパーニの古さを考えるとこれは至極最近の物だよ。だから、近い内に誰かが持ち込んだ物を罠として使ったんだろう。今までにあった落とし穴にしても、明らかに掘り返した後が残っていたからね」
 矢を瓦礫に放り投げながらヒイロはソニアの疑問に答える。古代遺跡の探索を主な仕事としていた為、この程度の罠など彼にしてみれば子供騙し出しかなかったのだった。




 やがて一行は、上層への階段を見つける。
「良くここまで来たな!」
 そこで聞き慣れない甲高い声が、シンと静まり返っていた通路を木霊した。石造りの塔の為、響き渡る声は遠くまで翔けて行き、いつまでもその余韻を残していた。
 山吹色のマントを羽織った青年が、こちらを見下すような視線で口元を歪めている。少年期を脱したばかりのような幼さが、その表情には見え隠れする。
「……誰じゃ?」
「知るか」
「あの人がカンダタ?」
 階段の上の方から現れた青年に、それぞれが違和感を感じながら思い思いに口を開いた。
「カンダタ? あんな腰抜けのオッサンと一緒にしないでくれ」
「カンダタは何処だ? お前達が盗んだ金の冠は何処にある?」
 話題の人物を鼻で笑う少年に、ミコトは表情を強張らせながら返す。
「馬鹿か、んな事言う訳ないだろ。どーせ、お前等にはここで死んでもらうからな!」
 胸を張って高笑いする様が、とても滑稽で陳腐なものだったのでユリウスは盛大に溜息を吐きながら、抜剣しつつ間合いを詰める。濃紺の外套が薄暗い回廊内で大仰に翻った。
「……邪魔だ」
「そらよっ!」
 バグが、マントの下に隠し持っていた布袋をユリウスの顔面に向って勢い良く投げつける。対して、ユリウスはそれをものともしないであっさりと両断した。
 が…その瞬間。僅かに差し込んでくる陽の光に照り返り黄金色に煌きながら宙を麗雅に漂う紛塵に、ユリウスは目を細め反射的に鼻と口を外套で覆った。
「!」
「いかん…。これはっ!」
「……毒蛾の粉」
 ユリウスがそれに気付くのとほぼ同時に、階下ではアズサとヒイロも慌ててその粉が呼吸器に入らないように防御する。掌や衣服で鼻と口を覆い隠し、眼を細めて舞う粉塵を凝視している。

 猛毒を持つ蛾の燐粉には精神を撹乱する効果があって、幻惑魔法メダパニと同等の効果を齎す。正常な精神状態であれば混乱する確率はそう高い物ではないが、疲弊した精神は判断能力を鈍らせて、よりその効果を覿面にする。ここに来るまでに精神的に追い詰めて、疲弊し切った所を狙ってこの粉を撒く。一件姑息だが、確実な効果を狙った狡猾な手法であった。
「はははっ! せいぜい同士討ちでもしてくれよ!!」
 ただ、バグ達の張った罠の全てがヒイロによって看破された為、それ程精神的に追い詰める効果に至っていない事をバグは知らない。ただ己の策謀の運びに満足して、ユリウス達を見下ろしている。
「こんな物が効くか」
 両肩を震わせて笑うバグに、これ以上茶番に付き合っていられないとユリウスは、息を止めて即座に階段を駆け上がる。降り頻る金幕の中を疾駆しながら、油断し切っているバグに斬りかかった。
「な、何ぃ…!?」
 間一髪の処でバグは身体を捻って躱したが、鈍色の切先に肩口を浅く掠められたバグは狼狽しながら後づ去る。
「こ…のぉぉぉ!」
 動揺の色を瞳に浮べて退きながら、袖口からせめてもの抵抗としてユリウスの足元に拳大の石塊を投げつけた。
 転がる石ころを呆れながら一瞥して、ユリウスは胸中で嘆息しながらバグを振り向こうとしたが、微かに視界に捉えられた石塊の表面に刻まれた紋様を見止めて、眼を見開いた。
「!!」
 続く動揺よりも先にユリウスは行動に移る。左腕を翳して青銅の楯を前に突き出しながら、一気に後方へと跳び退いた――。
 その刹那の後、石塊の紋様は紅く発光して、弾け飛んだ。
 解き放たれた圧力は、轟音と共に噴煙と爆風を以って床や壁を抉り、回廊の空気を圧し飛ばす。
 跳躍していたユリウスは、その際の爆風に捲かれて、勢い付いてさらに後方へと押しやられた。階段の中腹辺りで体勢を整えながら着地し、爆心地を忌々しげに睨み上げる。楯を翳していた為に直接の衝撃は来なかったが、左腕には痺れが疼いていた。

 バグの投げた石塊は、彼が秘密裏に組織の武器倉庫から盗み取っておいた爆弾石という道具だった。それは一般には爆弾岩という魔物の欠片と認知されているが、実際にはそうでは無い。爆裂魔法を封じ込めた魔導器…その表面に刻まれた紋様にユリウスは見覚えがあった為、即座に回避行動に移れたのだ。
 その爆発力はアリアハン大陸脱出の際に用いた魔法の玉に比べると、雲泥の差はあるが、あれを直接自分に投げつけられたのであれば、結果は余り面白いものでは無い。床に叩きつけた事で、威力は激減した為に被害は殆ど蒙らなかったのだ。
 ユリウスは眼を細めて噴煙の先を見据えるが、既にそこには人の気配はしない。この煙に紛れて逃げ出したのだと思い至り、心底億劫そうにユリウスは溜息を吐いた。




 階段の上からの爆風によって、その場の空気が換気され、微かに光に煌いていた燐紛は完全に去る。
 それを見計らってユリウスに駆け寄るアズサ。
「大丈夫か、ユリウス?」
「……ああ」
 掛けられる言葉に僅かに眉を寄せながら、抑揚無くユリウスは返す。
「爆風は収まったみたいじゃな。しかし、あやつは一体何がしたいんじゃ……!?」
 せっかく撒いた毒蛾の粉。それは爆弾石の爆風で吹き飛ばされる事ぐらい、長けた冒険者や組織だった盗賊、戦闘を知る者なら解る筈。その事を、アズサの溜息は言っていた。
「ただの阿呆だろ」
 外套に付いた埃を鬱陶しそうに払いながら、ユリウスは肩を竦める。
 階下にいた為、発破の余波も受けなかったヒイロは階段に歩み寄ろうとするが、今だ俯いて立ち尽くしたままのミコトを見止め、訝しそうに声を掛けた。
「……ミコト?」
「……!」
 ヒイロが声を掛けた刹那、ミコトはヒイロの顔面に向って飛び膝蹴りを繰り出した。
 まともに受けていたら、顔面の骨が折れてしまう程の速さと、威力が篭められていたが咄嗟に上体を逸らし紙一重で回避する。盗賊であるヒイロの俊敏さが効を奏した。
 慌てて態勢を立て直しミコトに向き直るヒイロに、今度は真横からブツブツと、聞き逃す事のできない言葉が連ねられている。その言葉の意味を悟ったヒイロは慄然とする。
「……聖なる風よ、翔けろ! バギ!!」
「うわっ! ……ソニアもか」
 飛んできた真空の刃を、ヒイロは床を転がり何とか躱す。標的を無くした風刃は容赦なく石壁を抉り、その威力を物語っている。それを見てヒイロの頬に一筋、汗が伝った。
 階段の丁度中段辺りで、緊迫した三人の様子を眺めながらユリウス。
「……しっかり混乱しているな」
「んな、冷静に言える状況か?」
 すぐさまユリウスに半眼を向けて言うアズサ。微かに声色が引き攣っていたのは、焦りを感じている為か。
「毒蛾の粉は幻惑魔法メダパニと同等の効果だな。ならば、当身でも食らわせて大人しくさせるしかないだろう」
 剣を抜き放ったまま、茫洋とした視線で混乱している二人の少女を見下ろすユリウスに、呆れながらアズサ。唇を小さく尖らせて、その厄介さと自身の躊躇いを主張する。
「簡単に言うのぅ……」
「……ユリウス、アズサ。君等はさっきの彼を追ってくれ。ここは俺が引き受けた」
「ヒイロ?」
 虚ろな視線のまま、周囲に敵意を放っているミコトとソニアを警戒しながら、ヒイロは視線を移さずに言った。その口調はいつもの飄々としたもので無く、毅然としていて真剣そのものであった。
「…………」
「二人とも剣だろ? 正気に戻すだけなら、小細工ができる俺のほうが向いている」
「………任せた」
 無言のまま視線で問いただしてくるユリウスに、半分だけ顔を向け口の端を持ち上げるヒイロ。
 その意志を確認すると、ユリウスは踵を返し階段を駆け上がって行った。
「お、おい……良いのか?」
「ああ。行ってくれアズサ。仲間に刃を向けるのは、見ていて気持ちの良いものじゃ無いからね」
「……わかった」
 その言葉にアズサはコクリと頷いて、上階へと足を運んで行く。アズサの抱いていた躊躇もヒイロは看破していたからだ。

「さて、と。……どうするかな?」
 二人の足音が上層に消えたのを確認し、いつもの飄々とした風体に戻る。左手で頬を掻きながら腰のチェーンクロスを引き抜いて、ヒイロは迫ってくる仲間と対峙した。






 砂色の石床に標の続いている紅い飛沫を辿りながら、塔を駈けるユリウスとアズサ。
 先程、唐突に現れては去っていったバグという男のものらしき血痕である。滴っている量から、大した深い傷では無いという事が解ったが、ユリウスにはそれはどうでもいい事だった。
 四階には罠や見張りの姿は無く、ただ閉め切られた扉により沈黙を保っている部屋が幾つも並んでいるだけであった。不審に思いながら回廊を走るユリウスに続くアズサは、急に足を止めた。
「?」
「……この部屋に、誰かおるな」
 扉に背を着け、利き手で剣の柄に手を掛けながらアズサ。それを見て、ユリウスも頷く。敵陣を進んでいる以上背後を取らせる訳にはいかない。そんな考えが浮かぶ。
「……行くぞ」
 言葉と共に、ユリウスは勢い良く赤銅の扉を蹴り開ける。鼓膜を貫く轟音が暗静とした回廊に響き渡った。
 暗がりで良く部屋の中の様子はわからないが、壁一面に大きな木製の棚が敷き詰められており、樽やら木箱やらが所狭しと並べられている。微かだが、穀物の朗らかな香りが鼻腔を擽っていた。
「……ここは?」
 思わず声を洩らしたアズサに、ゴソゴソと棚の前で蠢いていた人影が振り返った。
「……ン? …よぉ、あんたらがロマリアからの討伐者か」
「お主……、何をしておる!?」
「何をって……、ここは俺らの家だぜ。不法に侵入してきたあんた等に、んな事を言われる筋合いは無いんだがな……」
「道理だな」
「おい!」
 男は肩を竦めながら、手にしていた黒パンの欠片を口に放り込む。男の言は至極もっともだったので、ユリウスも思わず頷いてしまった。口元を引き攣らせ、半眼で睨んでくるアズサを無視し、ユリウスは男に視線を戻す。
「ま、いいか。この階を見廻ってたら何か急に小腹が空いてな。…って事でここは食料庫さ」
 恍けた口調で続けるこの男に、ユリウスとアズサは目を細める。
 今現在、自分達の根城が攻められている事態だと言うのに、このような間の抜けた態度を取るのは只の阿呆か、それとも討伐者など歯牙にも掛けない程に己の強さに自信があるのか。一体どちらなのか、二人は思案しようとする。……が。
(……強い)
 ユリウスは直感でそう感じる。
 何気ない立ち振る舞いに、隙が全く見出せないからであった。纏う緊張感の無い雰囲気ですら、研ぎ澄まされた刃の様にこちらに突き刺さってくる。
「……お前は?」
「俺はゼノスってんだが…まあ、俺の事はいい。こっちはあんたらとやりあう気は無いんでね」
「何を抜け抜けと言っておる! 先に仕掛けてきたのはそっちであろうが!」
 いきり立つアズサの反応に、ゼノスは腰に手を当てて溜息を一つ。
「? ………はぁ、やっぱりか。それについては悪いとしか言い様が無いな。あのガキ共が勝手にやった事だ。間違ってもカンダタの指示じゃねぇ。そこの処は、はっきりさせておくぜ」
「信じられると思うておるのか?」
「んな事言われてもなぁ……。あんたがリーダーか?」
 頭を掻きながら考え込んでいると、ふとユリウスに視線が移る。
「……だとしたら?」
 ユリウス自身そんな自覚など持った覚えは無いのだが、今どうこう言った所で意味が無いので聞き流した。
「この塔の最上階…六階にカンダタがいるから、金の冠を貰って来いよ。それで万事解決だろ」
「そうやって、油断させて後ろから斬りかかるつもりかの?」
 扉を指差してこの塔の内情を語るゼノスに、アズサは尚も詰め寄る。それに困った様に頬を掻き、言った。
「そんなみっともねぇ真似しねぇよ。だったらあんたが俺を見張っているかい? ……お嬢ちゃん」
「行け、ユリウス!」
「……ああ」
(ユリウス?)
 言い方が気に入らなかったのか、憮然としたように声の調子を下げてアズサがユリウスに向き直る。その為、ユリウスの名前を聞いた時にゼノスが眉を寄せたのを見逃してしまう。
 特に反論する意思は無いので、ユリウスはアズサの提案を受け入れて踵を返し、その部屋を後にした。




「あんたら、勇者様御一行だろ?」
「!!」
 ユリウスの走る足音が遠く聞こえなくなるのを待って、ゼノスは口元を上げながら言う。それにアズサは目を見開いた。その様子を見止めて肯定の意と取り、クックック…と肩を揺らしながら腰に下げていた剣の柄に手を掛ける。
「だったら……よ。ここで喋っててもつまらねぇから、相手してくれねぇ? 食後の運動もしてぇしさ。勇者様に同行するなら、それなりに腕に自信があるんだろ?」
「…生憎、最近同行したにすぎんがな。ま、いいじゃろ」
 微塵も気負わずに言いながら、アズサは背負っていた長剣を抜き去る。それを両手で持ち、右肩が相手に向くように半身に構えた。手にした剣の重さは、自然と自身の気を引き締める。
 ゼノスもやがて、薄い笑みを消して腰から両刃の大剣を引き抜いた。僅かに射し入る光を受けて、ぼんやりと青碧色に輝く剣からは、何処と無く只ならぬ気配を感じる。圧迫感…とも言うべき禍禍しい魔力の波動、それに似た感覚をアズサは肌で感じていた。
 ゼノスはそれを正眼に構え、軸足ではない方の足を半歩分後ろに下げる。
「参る!」
「行くぜ!」
 犇く緊張の中、高らかと叫びアズサは、ゼノスは、剣を振り翳し駆け出した。




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