――――第二章
      第六話 善悪の鎖交







 山間のカザーブ村を出発して三日。
 ユリウス達は村の西に連なる山脈を越え、山岳地帯と平原地帯との境にある渓谷を結ぶ頑強な吊橋を渡り下り、草々に埋もれた街道を進んで行くと、視界一面には広大な平原地帯が空を包む様に広がっていた。
 なだらかな草海を駆け抜ける、微かに潮を含む風がしっとりと頬を優しく撫でて行く。
「カザーブ村で聞いた事って、本当の事なのかしら?」
 その風に、浅葱色の髪を優麗に靡かせながらソニア。陽に透け、風に梳かれる長髪は宝石を翳した様に煌いていた。
「……盗賊団が村を護るなんて信じられない」
 歩きながら呟かれたそれを、隣を歩くミコトが顔を顰めて、肩を竦めながら拾う。歩を進める度に、両側で結われた髪房がしなる様に躍っている事から、相当に心内が穏やかでは無いと見る事ができる。纏う雰囲気は不満が鬱積したような、怏怏おうおうたる色に満ちていた。
 その彼女らしからぬ行動には、それなりの理由があった。
 人生という時間の中で、確固たる自身の価値観によって培われた“正義”という信念。そして、根が単純で曲がった事が嫌いな気質と性格であるミコトにとって、カザーブ村で得られたカンダタ一味の情報は、言葉通りに信じられ無い話だったからだ。
 不服そうに憮然としながら、その形の良い桜色の唇を小さく尖らせている。
「じゃが、村人の殆どが口を揃えて言っておるのじゃ。事実と認めぬ訳にはいくまい」
 その情報を仕入れてから、既に六日という時間が経っているというのに、ミコトは未だ釈然としていない様であった。そこに、王都ロマリアからカザーブ村までの道中、カンダタ一味の元に同行する事になったアズサは、やれやれと内心溜息を吐きながら釈然としていない面のミコトを諭していた。
 その瓜二つの少女達のやり取りを眺めながら、ソニアは考える。



 今は遠い、アリアハン王国は『勇者』を謳う国。
 謳われる矜持と賛辞と共に長久に渡る深い歴史は、先人の悪しき轍を踏まぬ様に洗練された法を築き上げるに至った。国家運営機関の一つである王国法務院による定められし法律、貫かれる司法は国内においての犯罪を抑止する力として、今も充分に効を奏していると言える。
 歴史的に見てもアリアハン王国から悪名高い犯罪者、『大盗賊』なる人間が世界に輩出されたという歴史は無い。語られぬ歴史として闇に抹消されたかどうかの真偽は別として、国に住まう人間にとってそんな泥の付かない‘善き'国は誇りであり、自覚の無いおごりでもあった。

 そのアリアハンに住んでいた自分にとって『盗賊』として“悪”に形容される人物と言えば、十三賢人バウルより賜った盗賊の鍵の製作者、盗賊バコタが真っ先に思い浮かぶ。彼は王都アリアハンに住む貴族、豪商の邸宅に侵入しては家財を始め、金銀財宝を掻っ攫い私腹を肥やしていった。終には王宮や、アリアハンに住む十三賢人バウルの所有する非常に希少な魔導器“燈杖・岩漿マグマの杖”を盗もうとナジミの塔に侵入したのだが、賢しき者の前に返り討ちに遭い、アリアハン国内を騒がせていた悪党は無残に牢獄行きになったのであった。
(職業とは言えヒイロも盗賊だけど、絶対に悪人じゃ無い。結局はその人の心次第という事なのね……)



 そうソニアは結論に至る。
「でもさ……」
 未だに割り切れていない様子のミコトに、苦笑を浮べソニアは隣を歩いていく。その更に横にアズサが並び、少女達三人の数歩後方で、周囲に警戒の目を走らせているヒイロが続いていた。

 見渡す限りの果ての無い大空と大海原のように広がる草原。そんな開放感を存分に味わえる景色が、安穏とした雰囲気を醸すのに反して、人里から離れている為、それだけに魔物の跳梁跋扈する危険領域なのだ。突然に周囲の茂みの中から魔物が飛び出してくるという事も充分想定でき、迅速且つ的確な対応を取れるように気を張らねばならない。
 それは、魔王降臨以来、魔物の出現する地を渡り歩く冒険者達の必須の心構えである。団体行動では、その事が判っていても、自分だけで無く他の人間もいる、という安心感からくる油断を心内に無意識的に抱いてしまう。その事に僅かに危惧を覚え、ヒイロは慎重を期して周囲への警戒を怠らない。
(生き残りたければ、用心深くなれ、か……。確かに、の言う通りだな)
 前を談笑しながら歩く少女達三人を眺めながら、この魔王討伐の旅以前に聞いた言葉を思い出していた。指先で鼻の頭を掻きながら、自嘲的に内心で苦笑する。
 今、共にいる面々ならばこの周辺に現れる魔物など然したる脅威では無いだろうが、その油断は大敵となる。再び気を取り直して周りを見渡す最中、三人の少女達の更に前方で、一人黙々と歩を進めているユリウスの後姿が視界に捉えられた。
(ま、大丈夫かな)
 ヒイロは内心一人ごちり、被っていた帽子を脱いで、透ける銀糸を掻き揚げた。






 三日ほど王都からの強行軍の疲れを癒す為に、一行はカザーブ村に滞在した。
 その初日、村の空き地でユリウスとアズサが手合わせしている間。ソニア、ミコト、ヒイロは武器屋と道具屋でカンダタ一味の事に関する情報を集めていた。アジトにしているというシャンパーニの塔に最も近い村落である為、王都よりも信憑性のある噂や、その被害等を訊けると踏んでいたのだが……。
「カンダタ一味? ……ああ、盗賊団“飛影”の方ね。彼らがいて助かっているよ」
「そうそう。あの方達が居なかったら、この村はもう無くなっていたからねぇ……。この村の東の山中を根城にしている山賊共にね!」
「国の騎士団なんかよりも“飛影”の方が私らに取っちゃありがたいねぇ……」
「あぁ…、カンダタ様……」
 被害どころか、彼のカンダタ一味を英雄視している様相である。

 語られる話を要約するとこうであった。




――農業大国と銘打つロマリア王国にあって、カザーブ村は高山地帯に存在していた為に作物の実りは厳しいものだった。故にその国内の重要度は低く、省みられる事は無かった。
 だが、その事情は一変する。周囲の山岳には貴重な鉱石である魔晶石クリスタル秘錬鋼ダマスカス、そして降魔銀ミスリルが産出される事が判明したからだ。それらの貴鉱石は言うまでも無く求められ、カザーブ村や周辺の山岳村落はその採掘拠点となった。それは大勢の人間の流入を促し、周囲の山々から齎される豊富な鉱物資源は村を豊かにしていく。やがて、カザーブ村は鉱山街として王国の財源を荷う地として栄えるようになっていった。
 主産業が農業である大国にあり、王都からかなりの距離が有るにも関らず、現在でもこの村が重要視されてロマリア国内でも王都に次ぐ都市として存在しているのはその為である。
 だが、大自然からの恩恵はいずれ底を尽き、やがて鉱物が採れなくなってしまい急速に衰退の途を辿る事になる。鉱山夫を生業として生きてきた男達やその家族はこの地を離れ去り、村の命脈が尽きようとしていた。しかしそんな最中、逆にこの薄い空気と寒冷な気候という、高山地帯特有の厳しい環境を自らの鍛錬の場にしようと旅の武闘家達が次々と訪れてきた。風評と実績は見事に重なり、畏敬の念と共にその門戸をたたく者も増えていく。やがて、嘗ての鉱山の街は武闘家の街へと移り変わり、それに追従した文化が根付いていった。
 ……今より二百年ほど昔の話である。

 ロマリア王国は有史初期以来大きな戦も無く、永く平穏な地として穏やかな時間が流れていたのだが、世界の一大異変である『魔王降臨』による怪物種の魔物化。そして、それにより蒙る多大な被害。
 倒しても倒しても尽きる事の無い魔物群から村を護る為に一人、また一人この地に居を構えていた武闘家が倒れていった……。
 そんな無情な現実に絶望した人々は次々と狂気に走り賊徒と化し、村の東方に数多有る嘗ての鉱山跡の坑道を根城として周辺の集落に略奪と殺戮の限りを尽くしていった。
 国内を荒しまわる賊徒を放置しておく訳にいかなかったが、国を守護すべき義務にある騎士団は王都を守るだけで手一杯。そんな現状により、打ち捨てられる事になってしまった。
 そんな国家の不甲斐無さが、山賊達の勢いに拍車を掛けたのは自明の理である。
 そして、国ですら手が出せない事を良い事に無法の山賊達はその勢力と規模を増して、次々と人々の安寧を蹂躙していく。異形の魔物に手を焼いている現実で、更に同じ人間である者達から受ける絶望に耐えられる者などいなかった……。
 このカザーブ村でも幾度と無く山賊の襲撃に遭い、家財を奪われ、娘を奪われ、そして命を奪われ続けていった。

 そんな世の終わりを思わせる暗澹の折、村より遥か西の地に存在している、打ち捨てられていた古代遺跡シャンパーニの塔から盗賊団“飛影”の面々は現れ、カザーブ村周辺の魔物や野盗、山賊などの賊徒を次々と駆逐していった。
‘盗賊団’などと如何わしい名を冠してはいても彼らは決して略奪などせずに、幾度となく村を護ってくれている。そんな事実から、村では盗賊団“飛影”、それを束ねる首領カンダタは英雄視されていったのである。
 税だけ取っておいて何の対策も打つ事の無い国よりも、カザーブ村の人間にとって身近に在るカンダタや盗賊団“飛影”は尊ばれる存在になっていったのであった。




――本人達の思惑とは裏腹に……。






 そんな御伽噺地味た英雄譚に至極納得のいかないミコトは、村にいる間中憮然としたままであった。
 正義感の強い彼女にとって、‘盗賊団'とは無法者の集まりで安穏と暮らす人々に害を成す存在である、とこれまでの人生で培われて来た価値観が主張しており、“悪”に一括りされるべき存在でしかなかった。
 それ故、盗賊団を英雄視しているカザーブ村の人々の考えが理解できず、また凶悪な山賊団を放置しているロマリア王国そのものに、払拭し難い疑念が生れたのであった。尤も、疑念自体は王に謁見した際に既に生れていたので、それに拍車を掛けた、というのが正しい表現なのだが……。
 カザーブ村の様子を思い起こして未だに腑に落ちないといった面持ちのミコトに、後ろを歩いていたヒイロが苦笑交じりに言う。何処か肩を怒らせている彼女に、言葉を選びながら。
「ミコトは以前に来た事が有るのに、知らなかったのかい?」
「うん。私が来たのは二年以上も前だったからさ。村人の話を聞く限り、カンダタはその後に来たんだろ?」
「そうらしいわね。教会の神父様もそう仰っていたわ」
 ミコトが全員に尋ねる様に語尾を上げ、それにソニアが続いた。
「あの辺りは王都から離れすぎている上に、山岳地帯だから騎士の護りの手が薄くなってしまうんだのぅ……」
「それもこれも、あの国の愚鈍さが原因だからさ。全く……」
 いつに無く不機嫌で辛辣な口調のミコトに、ヒイロはただ苦笑いを浮べる他なかった。彼女の気質的に、彼女自身そのような陰口は最も毛嫌いする事だろう、と踏んでいたからだ。

 独り、仲間の輪から外れて先を進んでいたユリウスに、アズサは小走りに駆け寄って声を掛ける。
「ユリウスはどう思うのじゃ?」
「…………何を?」
 振り向きもせず、ただ前の草海に悠然と視線を泳がせたまま、ユリウス。
「聞いてなかったのか……? ミコトのロマリア批判・・・・・・じゃよ」
「アズサ。私は別にそんなつもりじゃ……」
 明らかにからかうような口調で視線を送ってくるアズサに、ミコトは再びその唇を尖らせる。そして、そう言われた事により自身が今の今まで言っていた言葉を改めて思い起こした。
 曲がった事が嫌いなミコトはたった今、自分がこの国やカザーブ村の人を扱下ろしていたと言う事に気付いて、自身への強い憤りを感じる。そして自身の吐いた言葉を恥じて、強くきつく下唇を噛んだ。それが余りにも強かったのか、瑞々しい唇からは血の気が失せてしまっていた。
 ギュッと拳を握ったまま自戒に声を萎め、バツが悪そうに眉を潜ませてミコトは同じ顔のアズサに向って呟く。
「ゴメン、……アズサ」
「? 何の事じゃ」
 どうやら頭に昇っていた血が収まり、冷静さを取り戻した様だ。
 ミコトは素直にアズサに頭を下げたが、アズサは厭くまでも惚けた口調で首を傾げていた。漸くいつもの調子に戻ったミコトを見て、ソニアはホッと胸を撫で下ろす。
 何時の間にか流れ始めた和気藹々とした雰囲気を横目にし、ユリウスは再び前を見て無言で進み始める。
 ミコトの義憤を宥める為にアズサに話のダシにされた事を特に気にする事無く。ただ、いつもの様に無表情のまま草原の中に埋れ掛けている道を歩き出していた。





 草原地帯の中腹辺りに差しかかった頃。
「………魔物だ」
 ポツリと一言。剣を抜きつつユリウスは言い捨てた。
「え!?」
「何処に?」
 対して突如のユリウスの行動に、不可解な表情で辺りを見回すミコトとソニア。
 陽の傾き始めたの草原が、漣の様に風に揺れて穏やかな情景を作り出している。そこに魔物の姿など影も形も見受けられなかった。
「ユリウス?」
 ヒイロも一応、チェーンクロスの柄に手を掛けて辺りを警戒する。が、やはり草草が陽に萌えているだけだ。抜剣して戦闘体勢を執っているユリウスに倣い、アズサも腰に下げていた鋼鉄製の広刃剣の柄に手を沿わせて、いつでも剣を抜き放てる体勢になる。
 ユリウスの奇怪な行動に、四人は首を傾げつつも緊張と戦慄を全身に覚えていた。

 その緊張状態がどれだけの間、続いただろうか……。
 突然、場の空気が変わった。
 首の後ろが寒気を感じるような、射すような視線…殺気が急激に周囲を包む。それに気付きミコトはカザーブ村で調達した武闘家専用の武器…鉄の爪を構え、ソニアが両手で魔導器ルーンスタッフをギュッと握り締める。
 茂みの中から突如躍り出て来た、麻痺毒の針を尾部に持ち、群れで襲いかかってくる大蜂…キラービーの群れが、ユリウスに襲いかかってきた。蛇の如き俊敏さを以って、蠍の尾を想起させるそれを繰り出してくる。盾で防ぎ、剣で弾き、或いは躱しながら奇襲を回避し続ける。次々と押し寄せて来るキラービーの群れを牽制しつつ、隙を見ては一閃してその胴を斬り断つ。
 自分達が魔物の群れに囲まれているという事に気付いたアズサは、人間の大人程の巨体と、固い甲羅に覆われて群れを成す蟹の魔物…軍隊蟹とキャタピラーの群れに突撃していた。守備能力の高い甲羅や外殻に斬撃を叩き込むのではなく、節目を正確に狙って斬り込み、突き刺しては守備を無効化させていった。
 一方、身体のあちこちが腐り落ちて内臓や骨が剥き出しになり、見た目にも不快感を煽る狼…アニマルゾンビにはミコトが鉄の爪で三連の裂傷を与え、ヒイロがチェーンクロスを薙いで打撃で止めを刺す。速度鈍化魔法ボミオスを使われでもしたら、戦局に大きく響いてしまうので、素早さのある二人の連携でそれを未然に防いだ。元々腐り落ちかけていた体表の為、アニマルゾンビは打撃に弱く、脆くも崩れ去っていった。
 最も苦戦していたのはソニアだった。ガスが魔王の瘴気によって意志を持った、実体の無い魔物…ギズモにはルーンスタッフによる物理攻撃は通用せず、真空魔法も敵の特性上余り効を成さない。ならば、とソニアが浄化魔法を唱えようとすると、ギズモは火炎魔法メラで反撃してくる。物理攻撃が効を奏さないだけでも厄介なのに魔法まで使ってくる敵に、ソニアは狼狽せざるを得なかった。迫り来る火弾を身を屈めて躱し続け、やがてアニマルゾンビの群れを片付けたミコトがギズモの注意を引いている間にソニアは浄化魔法を完成させ、漸く魔物を消滅させていた。




 道を歩みつつ剣を振り、魔物の青い血を払いながらユリウス。
「カンダタ一味が何を考えていようが、魔物を駆逐していたというのは事実らしいな」
「どういう事?」
 ユリウスの後ろを歩きながら、訝しそうにソニアが詰め寄る。それに一つ溜息を吐いて返した。
「…ここに至るまで、数える程しか魔物に襲撃されていないだろう」
「ああ。そういえば……」
 納得の意を示したのはヒイロ。カザーブ村を出て三日、実際に魔物に遭遇したのは、両手で数える事の出来る回数しかなかったからである。世界情勢から見て、そのある種の異様さに頷きながら続くユリウスの言葉を待つ。
「一般に認知されている魔物とは、元を糺せばモンスター種や動物種が魔王の『魔』によって変異された存在だ。他の種族よりも自然に近く、野性が強いが故に行動はその本能に依存する。魔物になったとはいえその習性が消える訳ではないから、敵に対して慎重さも増す」
「……成程、そういう事か。確かに、今の魔物達は何かに恐れる様に息を潜めていたからな。現れ方も、一度では無く疎らだった」
「そういう事だ。と、なるとさっきの魔物はカンダタ一味に駆逐されずに生き残った奴らになるな」
 ヒイロは魔物の行動を分析しながら、納得した様に再び頷いた。
 盗賊であるヒイロは魔法こそ使えないがその分析力、洞察力は並の魔術士や専門家をも上回る程で、道具や魔物に関しても博識だった。時折見せる、空々しい傍観者振りは彼の評価を幾許か下げるものであるが、アリアハン以来の同行者であるソニアやミコトにとって頼もしい存在に変わりは無い。
 ユリウスにしてみても、アリアハンの宮廷文官や魔術師を上回る知識量を誇っている事をソニアは知っていた。猜疑の対象たるユリウスを認めると言う事に抵抗はあったが、それはアリアハン王国において周知の事実であり、旅に出て既に二ヶ月近く、これまでの道程でもその異常なまでの知識の深さの断片を垣間見る事が出来たのも、また事実であった。
 二人の言を聴きながら、一行は再び歩み始める。

 そこを西南に海岸線に沿ってひたすらに進んだ。地図上ではその遥か先に、目指す塔が存在している筈である。
 ロマリアからカザーブの道程とは比べ物にならない程に道中襲いかかる魔物の数は少なく、稀に受ける襲撃を難なく退けながら、傾いた夕日に朱く萌えている草海を横切っていった。






 更に三日後、遠巻きに臨む丘の上からでも圧迫感を受けてしまうような、その巨大な姿をシャンパーニの塔は旅人達に見せ付けていた。背後には見渡す限りの海。そして、その奥には何処までも果てし無く続く水平線……。
 蒼と藍の中にポツンと浮き彫りにされた孤独な雰囲気が、この塔の存在感を更に際立たせているようであった。
「あれがシャンパーニ。四柱神を翳すかつての四方塔も今では盗賊団の根城か……。まあ、ナジミの塔はジジイの住処だし、所詮過去の遺物なんてそんなものか……」
 ユリウスは無表情に何の感慨も無く言い捨てた。
「浪漫の無い奴じゃのぅ……」
 溜息と共に呆れながらアズサ。
「この塔も、気の遠くなるような年月、世界の移ろいを見てきたんだな。自身は何一つ変わらずに……」
「……詩人ね」
 ユリウスとアズサのやり取りを聴いていなかったのか、続けて口を開いたヒイロの言葉に、ソニアは苦笑した。

 実際に塔の入口付近まで近寄ってみて、その大きさを改めて窺い知る。
 遥か天に向って聳え立つそれに、古き時代の人間が天を支えていると信仰の念を抱くのも頷ける。そうソニアは思った。
「さっさと連中に襲撃をかけて、目的の物を奪い返すぞ」
「襲撃って……。私達は盗まれた王冠を取り戻しに行くんだぞ」
 肩を竦めながら言うユリウスに、ミコトは眉を顰めながら律儀に訂正した。義勇と礼節を重んじる彼女の気質がそうさせたのかもしれない。その凛とした表情からは、自分達が“是”であり“正義”である事を遺憾無く主張している。
「お前の言い方じゃ、どちらが善悪なのかわからなくなるな……」
「善悪? …………下らない」
 溜息混じりに呟かれたミコトの言葉に、ユリウスは心底億劫そうに肩を竦めて言葉を返す。普段ならば聞き流すであろう声量の呟きだったにも関らず、だ。その意外な反応に周りは眼を見張った。
「何?」
 言葉通りに馬鹿にしているような、『勇者』らしからぬユリウスの発言に、ミコトはその整った片眉を上げる。
「そんな事気にしてどうする? 善悪など各々の立場の違い、定義付けの仕方で幾らでも変わるだろう。“善”も“悪”も、所詮は相容れぬ者達との相対立によって生れる価値観の差でしかない」
 珍しく多言なユリウスに、その冷え切った視線を真っ向から受けるミコトは黙り込んだ。
「物事に善悪を求める…それは己が“是”の行動理念から迷いである“非”を断つ為の、只の詭弁にすぎない」
「…………」
 ユリウスの声は、感情の抑揚が無い冷厳さで満ち溢れている。その冷徹さに、ミコトは息を呑んだ。ただ不服そうに顔を顔を歪めて、ユリウスを睨みつける。それを見止めながら。
「……訊くが、本能に依って人を襲う魔物と、理性を持って人を襲う人間の一体どちらが悪だと言うんだ?」
 先日訪れたカザーブ村での事を指しているのだろう……。
 その場にいた誰もがそう思った。事実、あの村は昏迷の世に絶望し、狂気に走った者達の理性と意志の下で、幾度も略奪という被害に遭っていたのだから。
 言われて、ただ眼を見開くばかりのミコト。その横でソニアも絶句してユリウスを見上げている。
 そんな二人の様子を嘲るように、ユリウスはミコトを漆黒の双眸で居抜いたまま、冷々淡々と続けた。
「どうだっていいだろ、そんな事。お前の正義や善とやらが何であろうと構わない。……ただ、お前の勧善懲悪を推し付けるのはやめてくれ」
「……お前っ――!!」
「そこまでじゃ、ユリウス。……これから敵陣に乗り込むというのに、気勢を削ぐような事を言うでない」
 憤慨するミコトを遮るアズサ。ユリウスとミコト、両者の間に身体を滑り込ませていた。
「人それぞれに十色の考えがあるように、戦う為の理由も千差万別じゃ。ミコトにとって戦う理由が己が“正義”であり“善”なのであろう。それをお主が否定する道理などどこにも有りはせぬよ。……お主はどうなのじゃ?」
「“善悪”問答などどうでもいい。…………敵はたおす。俺に在るのはそれだけだ」
「ならば、それでいいじゃろう。ミコトも、な」
「……うん」
 一触即発の雰囲気を醸していたユリウスとミコト。そんな両者の間に立って上手く宥めるアズサに、何処かホッとしたような安堵の笑みを浮べてソニアが見つめていた。

 高く聳える塔を見上げながらヒイロは囁く。今まで傍観していただけあって、声色に変化は無い。
「上手い具合に収めたね、アズサ」
「なに、捻くれ狼・・・・熱血石火・・・・の扱いには慣れているだけじゃよ」
「は?」
 謎の言葉を言い残し、苦笑しながらアズサは立ち塞がる扉に手を掛けた。
 それを何処か憮然とした様子で聞いていたユリウスは、大きく溜息を吐いてヒイロとアズサに視線を移した。後ろから憮然とした視線を送っているミコトは、この際無視する。
「……ここまで来れたという事はロマリアで尾行していたのはカンダタ一味では無い、という事だな」
「或いは、誘い込んで背後から襲うって可能性も考えられるね。そもそも、見張がいないのが気掛りだけど……」
 塔の外観を遠視技能タカのめで眺めながら、瞑目したままヒイロは呟いた。
 遥か上空では、塔の真上を旋回している鳥が、探る様に地上を見下ろしている。鳥の眼の習性の為か、窓から薄暗い内部を目視する事はできないが、石造りの塔の外観に人の影は全く映っていない。
「来る奴を倒していけば良いじゃろう。早く行こう」
 ヒイロの戸惑いを打ち消す様に、アズサはお気楽な声を出す。すると反対側に手を掛けていたユリウスが、半眼でアズサを捉えながらポツリと呟いた。
「……判り易いな」
「……お主に言われたくないわっ!」
 頬を引き攣らせ、アズサはユリウスに眼を剥くが、当のユリウスは素知らぬ顔で扉を見上げた。その様子にアズサは嘆息しながら、扉に掛けた手に力を込めて押し開ける。

 ズズズッ…、と地面を引き摺るような重々しい音を立てて開かれた扉の先には、外の明るさに相反する様に暗幕が下りていた。息を潜め獲物を待つ獣の如く、静けさを保った闇が不気味さを醸す。
「いくぞ」
 相変わらずの、抑揚無い声でユリウスは一言発した。
 そして、先に待つ結末を暗示するような眼前の黒に、ユリウス達は躊躇い無く一気に駆け込んでいった。







「おい、カンダタ。やっこさんら、来たらしいぜ。白昼堂々、正面から」
 塔の最上階の部屋にて、ゼノスが肩を竦めながらカンダタに声を掛けた。口調は極めて軽軽しく、焦燥の色など微塵も存在していない。ただ、余裕からか不敵に口元を歪めている。
 カンダタの反応を待ちながら、ゼノスは視線を移した。
 その先…部屋の片隅に有るテーブルの上に無造作に置かれた金の冠が、とても滑稽に見える。飾り気の全く無いこの部屋で場違いに輝くそれは酷く浮き、彼等にとって厄介事を引っ張り込んで来ただけに過ぎなかった。威厳在る輝きに慄き、平伏し、魅せられ、付き従う者などこの場にいない。……別の意味で、大勢の騎士達を呼び寄せてはいたが。
 そんな権威の象徴を忌々しげに一瞥し、ゼノスは再びカンダタを見止める。
「そうか…。それ程腕に自信があるようだな」
 カンダタは部屋の中央で仁王立ちし、窓の方を向いて眼を瞑ったまま返した。穏やかに放たれたそれとは裏腹に、戦慄さえ覚えてしまう程の気迫を漂わせていた。
 その油断無い凛然とした様子に、満足気に口元を上げながらゼノスは踵を返す。
「ま、どっちでもいいがな」
「……大丈夫だろうが、気をつけろよ」
「お互いにな」
 直後、赤銅の扉は音を立てて閉じた。その際の轟音の余韻が静まり返った部屋を駆け回っている中、ゆっくりとカンダタは瞼を上げる。
 揺るぎ無い意志の光を宿す碧玉の双眸が、鋭く遠い水平線を捉えていた。




 キラリ、と高く広がる蒼穹の空を往く入道雲から反射した光に黄金の冠が煌く。
 まるで戦いの始まりを告げる狼煙の様に、厳かに…………。




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