――――第二章
      第五話 影を飛ぶ獅子







 遥か天を貫かんばかりに、雄大に聳え立つ石造りの巨塔。そして、その最上階……。
 それほど広くは無い殺風景な間取りに、壁半分を占める面積の大きな窓が一つ。部屋の石壁には不可解な幾何学的紋様が刻まれている。文字…の様にも見えなくは無いが、理解が出来ない以上部屋の主には意味の無い物だ。
 部屋には小さな木製のテーブルと、椅子を数個だけ持ち込まれているだけの質素なものだった。

 眼下に際限無く広がる青藍の海が黄金に染まり始め、草原の様に明々と萌えている。部屋に拵えられた窓から吹き入ってくる潮風をその大男は全身で受けていた。
 短く刈り込まれた薄金の髪と、一切の無駄が無い筋肉の鎧を纏った剛健な体躯。数々の死線を潜り抜けてきた者のみが持ち得る、針の様に研ぎ澄まされた突き刺さる覇気を全身から発しているこの偉丈夫は、遥か遠くから潮風と共に微かに聞こえるカモメの輪唱に耳を傾けている。

 殺伐とした部屋の中にあって、一種の安穏とした時間は泡沫の如く消え失せる。
 背後に座す赤銅の扉が轟音と共に勢い良く開けられた。その衝撃でパラパラと長い年月と絶えない潮風に蝕まれた錆が宙を舞う。慌しくなだれ込んできた男は荒れた息を肩で正し、焦燥を浮べた面を上げた。
「大変です。首領!」
「…………」
 返事は無い。言葉に大男は目を瞑りながら黙し、佇んだままだ。
 そんな彼を横目に、脇の卓椅子に腰掛け書物に目を走らせていた濃紫の髪の青年が、次の句を繋げずに佇んでいる男に声を掛けた。
「……どした?」
「カザーブに行っていた奴から報告が入りましたぜ」
「何だ?」
「ロマリアから討伐隊が出たらしいですぜ。それで今、カザーブからこっちに向っているって……」
「ロマリア騎士なんざ腑抜け揃いだ。そう慌てるモンじゃねぇだろ」
 明らかに拍子抜けと言った表情と溜息を吐いて返す青年に、慌てて付け加える。
「いえ、それが騎士じゃ無ぇらしい。どうも冒険者らしいですぜ」
「冒険者だぁ? はっ、とうとうあの国もそこまで堕ちたか。自国の威信を流れの冒険者に委ねるとはなぁ……」
 呆れた様にロマリア王国を酷評する青年。それは国の、ひいては王室の実態を知っているからであった。
「凄腕の剣士が二人いるって話もあがってますぜ」
「ほぅ……」
 続いた言葉には興味を持ったのか、青年は目を細め口元を歪ませた。声色から愉しみだ、と続くのが容易に想像できる。そんな青年の喜悦を見越した様に、今まで沈黙を保っていた大男は至極落ち着いた声色で言う。
「話は判った。お前は塔の見廻りに戻れ」
「は、はい」
 大男の厳粛さと威圧感に気圧されて、報告にきた男は背筋を伸ばして頭を下げ、その部屋から颯爽と出ていった。

 流れる沈黙……。それは思惟意志の顕れ。
 心地良く染み入る遠くからの潮騒に耳を傾けていたが、青年は小さなテーブルに両肘をついて溜息混じりに呟いた。
「全く、あの馬鹿共が国宝‘金の冠’なんて盗んできやがるから、国側はすっかり討伐ムードに溢れてやがる。“飛影”に入る為だ、って手土産なんざ持ってきやがって。手前の悪事の捌け口に使われる側としちゃ堪んねぇ……」
「だが、今では部下だ。見捨てる訳にもいかねぇな」
 半ば愚痴の様に呟かれたそれを、大男はすくい上げた。
「相変わらず、お優しい事で……」
「…殴るぞ」
「フッ……」
 肩肘を揺らしでケラケラとした笑みを向ける青年。その口調はいかにもからかっているような軽薄な物だった。対して大男は些か憮然とした、抑揚の無い声で言い返していた。

「…ゼノス。お前は、このままこっちにいて良いのか?」
 ここで漸く、窓の外から部屋の中に…ゼノスと呼んだ青年に視線を移す。
「ああ、こっちの様子を見て来いってさ。ノヴァの奴に頼まれてな」
「奴の右腕のお前が来るとはな……。“流星”は大丈夫なのか? ……今は海戦中だろ」
「大丈夫だろ。サマンオサ帝国船団と言っても嘗て・・のじゃ無ぇんだ。それに、俺としてもあいつのお守ばかりだと疲れるからな……」
 ゼノスと呼ばれた青年は心配無い、と肩を竦める。その仕草は「つまらない事に気を回すな」と物語っていた。大男はこの眼前の青年の事を熟知しているからこそ、この仕草に苦笑を浮べてしまう。
「だが、あの皇帝は……」
あっち・・・の心配はいらねぇ。寧ろあんたの方が面倒だろ? 血気盛んな若者の活躍で、今じゃすっかり国賊だ」
 男の言葉を遮って明らかに、厄介事が降り掛かっているのはお前の方だ、と言うようなゼノスの態度に観念して大男はフウと一つ溜息を漏らす。
「だが、連中の入団を認めたのは俺だ。部下の失態の責任は取らんとな」
「“飛影”に入る前の責任なんざ、あんたがとる必要は無いと思うがな。それに生憎と“流星”としてもあんた程の男を失うのは避けたいんだ。いつも通り手を貸してやるよ」
「………悪いな」
 言葉通りに目礼をする男にゼノスは口元を歪ませながら、よせよ、と手を振った。




 ギシッと木製の椅子の背凭れに身を預け、思い出した様にゼノスは言う。
「おっと、そういや一月くらい前にアリアハンの勇者様とやらが旅立ったそうだぞ」
「オルテガの息子、か……」
 低く唸るように声を絞りだす。その間、男は苦々しい顔をしていたのだが、ゼノスは天井を見ている為に気付いていない。尤も、声のトーンが変わった事からどんな事を考えているのか、付き合いが長いゼノスには知れていた。
 テーブルに置いてあった何本かの酒瓶の中から栓の開いていない一本を取り、開栓して自身のグラスに注ぐ。透明なそれに小気味良い音が反響し、芳醇な香りが軽い空気に乗り辺りを漂い始める。ゼノスはそれを鼻腔で感じ、満足げに口の端を上げていた。
「あんたも『勇者』に期待している口か?」
「それは無いな。オルテガの代わりなど誰にも出来ないさ。例えその息子といえども、な」
 試すようなゼノスの言葉を、間髪入れずに否定した。
「へぇ……」
「お前はどうなんだ?」
 声の調子が癪に障ったのか、大男はゼノスに半眼を向けながらテーブルの向いの席に腰を下ろした。急に身体が重くなった様に感じるのは、疲れやストレスが溜まっているのかもしれない。
「……生憎と、俺は勇者を信奉しちゃいないんでな。だいたい、たかが十六のガキに何ができんだよ」
 男が席に着くのを見止めた後、既に用意していた相手のグラスに酒を注ぎながらゼノス。今しがた相手に注いだのとは別の自分のグラスを口に着けて、その琥珀色の液体を流し込む。ワインでは無く強い酒だった。
 ゼノスの答えに満足げに笑みを浮べながら、男は受け取ったグラスを一気に空ける。鼻腔を貫き脳を揺さぶる深い醇味の香りは、疲れた心身の緊張をほぐしていく。それは男の気風の変化が顕著に物語っていた。
 紅潮した頬と続く言葉には吐く息と共に酒気が混ざり、気分が上々になっている事が見受けられた。それを眼前で見止めてゼノスは苦笑する。
「俺から見れば、ノヴァもお前もガキなんだがな」
「ははは。ま、あんたから見りゃそうだろうな……。それでどうするんだ、カンダタ?」
 自分と、今別の場所にいる相棒をガキ呼ばわりされて怒るでも無しに、相手の空いたグラスに酒を注ぎ足す。なみなみとグラスに酒を注いで酒瓶をテーブルに置き、言葉と共に真剣な黒眼でゼノスは眼前の男を見据える。
 グラスを握ったまま、カンダタと呼ばれた男は目を瞑ったまま沈黙した。
「…………」
 カラン、とグラスの中の氷が身じろいだ。






「成程。それでその討伐隊とやらは昨日の朝カザーブを発ったんだな?」
 ゼノスは部下の報告を改めて確認した。隣にはカンダタが席に座っており、目を瞑ったまま事の成り行きを聞き入っている。
 盗賊団“飛影”の首領カンダタ、首領相談役ゼノス以下十名の幹部は根城にしているシャンパーニの塔の一室にいた。他の小部屋と違い、大広間になっている部屋に木製の大きな円卓を持ち込み、その上には塔周辺の地図と羽ペン、インクの入った小瓶が無造作に置かれている。

 元々、シャンパーニの塔はその建造された年代すら覚束無い程の古代遺跡で、魔物の巣窟でもあった。それを盗賊団“飛影”の面々が魔物を駆逐して乗っ取り、周辺を荒しまわっていた野盗群を蹴散らしてその活動の拠点としたのである。乗っ取った当初は幾度無く魔物の襲撃にみまわれたが、それらを全て返り討ちにして、退魔の効力を持つ聖水を塔の周囲に定期的に振りまく事で、やがて魔物は寄り付かなくなっていったのだ。
 塔内には所々理解の出来ない建築構造になっている部屋があったり、明らかに居住目的とした施設が整えられている部屋が幾多にも存在していた。自分達の理解の及ばない部屋に立ち入らない限り問題は無いと結論を出して、団員達はこの塔で生活をしている。幸いな事に最寄りの最大の集落はカザーブ村で、この国土を所有する王都ロマリアからはかなりの距離がある為に、活動が容易だという事も一因であった。

「はい。村にいる連絡役からそういう報告が来ています。見た所、五人所帯だそうです」
「五人か……。嘗められたのか、余程腕が立つのか…」
 状況を報告している幹部の言葉に、カンダタは顎に手を当てて呟く。
「その中の二人が、カザーブ村の草原で剣を打ち合っているのを目撃したそうです。…そいつが言うには二人とも恐ろしく腕の立つ剣士だと……」
「いいねぇ……。そりゃ楽しみだ」
 報告にクックック、と肩を揺らして笑いながらゼノスは喜悦を浮べた。ゼノスは魔剣『雷神の剣』を繰る剣士で、この組織で屈指の実力者だという事を誰もが認めている。カンダタはそんなゼノスの子供染みた様子に、呆れた様に一つ溜息を吐いた。
「……昨朝、カザーブ村を発ったのならここに到達するのは早くても六、七日位か」
「妥当な線だな。魔物や野盗どもに襲撃されるならいざ知れず、生憎とここら一帯の魔物や野盗は結構な数、俺らが駆逐したからな。ま、今の世の中、魔物なんざ何処からでも湧いてくるんだろうが……」
「………」
 冷静なカンダタの分析にゼノスは相槌を打つ。自分達が駆逐した為に野盗や魔物が激減して、件の追跡者達の進行を円滑にした事を皮肉った。
 それを目を伏せ聞きながら、カンダタは思案する様に沈黙した。

「……金の冠を返せば、大人しく帰るんじゃねえのか?」
 沈黙しているカンダタを見兼ねたのか、ゼノスは椅子の背凭れに仰け反りながら提案した。が、その言葉にすぐさま異を唱えるのは、この円卓に座る中で最も新参な、まだ少年と言っても良い年齢の男バグであった。
「せっかく盗って来た物を返すんですか? そりゃ盗賊の流儀に反しますぜ!」
 何故、この幹部が集まる席に新参者が居るのかと言うと、バグはこの“飛影”がロマリアでその名を知られる様になって以来、入団を希望する若者達を束ねる存在であるからだ。新参の部下を細やかに統制する程盗賊団“飛影”は人員が充実しておらず、やむなく新参の部下の統制を彼に一任させているのであった。
 尤も彼自信“飛影”に入る前は、王都で屯しているただのチンピラの集まりの頭に過ぎなかったのだが……。
 そんな小僧の異に、呆れた様に溜息を吐きながらゼノスは半眼で視線を移す。
「あのなぁバグ……。あんな物、お前等が勝手に持ってきたんだろうが。そのつまらん尻拭いで大勢の部下の命を危険に晒す訳にはいかねぇんだよ」
「だけど、せっかく苦労して手に入れてきた物をみすみす……」
「そりゃ、盗賊の流儀じゃなくて単なる泥棒根性だ――」
 尚も食い下がるバグに呆れながらゼノスは言葉を続け様とするが、沈黙を保って聞き入っていたカンダタが声を上げる。その声に、この場に居た誰もが声の主に注目した。
「……確かに、無益な争いは好まん。それで引き下がってくれるならば、先ずはそうしてみるか。都合が良い事に国の騎士団では無く冒険者だ。国に対しての忠誠心など無いだろう」
「だな。ま、俺個人としてはその剣士達と戦ってみたいがなぁ」
 うんうん、と頷きながらゼノス。設立以来の幹部達もカンダタの意見に深く頷いていた。が……。
「首領! 見損ないましたぜ!」
 バンッと円卓を叩いて勢い良く立ち上がるバグ。肩を大きく揺らして息遣いが粗くなっている為か、鼻孔が大きく縮張していた。興奮していると言う事が傍目にも良く判る。
「あんたは義賊として、こんなつまらない国を……世の中を変えていける男だと思っていたけど、とんだ腑抜け野郎だ!!」
「おいおい。そりゃお前等の勝手な考えだ。その辺の適当な噂に捲かれてここに来たのはお前等だろ…」
 聞き捨てなら無いと言った口調で、ゼノスは続けようとするが他ならぬカンダタ自身に遮られる。
「ゼノス」
「チッ…。あんたには幻滅しましたぜ、首領!」
 無言で首を横に振るカンダタを一瞥して、独創性の無い捨て台詞を残しバグは会議室を後にする。勢い良く閉められた扉の轟音が虚勢のように響き、暫し部屋を漂っていた。




「やれやれ、これもお国柄かね……。とんだ、甘えたガキ共だな」
「仕方無いだろう……。これも平和の代償だ。刺激の無い生活に慣れ切った者は得てして喧騒を求めるからな。……特に、アレくらいの血気盛んな年代は」
 極めて呆れたようなゼノスの溜息と共に呟かれたそれを、カンダタは抑揚の無い声で拾う。
「否定はしないが、それは国によるんじゃねぇか? ……サマンオサじゃ考えられないぜ。それもこれもこの国の平和ボケが原因だろ。……ったく、最近入ってくる連中はああ・・言うのばかりだからな。“流星”から連れてきた奴等以外あまり当てにはできないな」

 盗賊団“飛影”は結成して僅か二年も経っていない若い組織だが、その実はサマンオサ地方を主な活動地としている大盗賊団“流星”の下位組織として、ロマリア地方での活動を目的に結成された組織である。その為、“飛影”の構成団員、古参団員の殆どが“流星”の団員であり、カンダタも例に漏れない。
 盗賊団“流星”はここ十年、その様子が激変したサマンオサ帝国と対立している。突如暴君となった皇帝の下、弾圧されている臣民の心はその解放者である“流星”へと移り、帝国側としてもそんな“流星”は邪魔者以外の何者でもない。相容れる隙間など微塵も無く、その結果“流星”は幾度と無く帝国兵団との戦争を繰り返しているのであった。
 そんな苛烈な戦場を、幾多も潜り抜けてきた猛者が揃う“流星”の団員からなる盗賊団“飛影”は、ロマリア北部地方を根城にしていた山賊、野盗、そして魔物を片っ端から駆逐してその活動の足場を固めていった。
 特に意識して周辺の村落を護ろうとした訳では無いのだが、永い平和により堕落したロマリア騎士団に変わり賊徒の恐怖から救ってくれた“飛影”はやがて‘義賊'と賞される様になったのである。
 やがて噂は噂を呼び、紆余曲折を経てその名声は王都ロマリアにまで行き渡り、「非合法な手腕で私腹を肥やしている貴族しか狙わない義賊」、「堕落した王家に変わり世を変える盗賊団」等と何とも身勝手な噂が氾濫するようになっていった。
 そして、そんな妄執とした甘美な響きは少年達の心を掴み、十八歳で成人を迎えたロマリアの少年達は挙ってこのシャンパーニの塔に、“飛影”に入団してきたのである。
 しかし当然とも言うべき、平和な国に生きてきた少年達は戦闘の経験など皆無であり、戦闘行動を主体とする“飛影”の活動に着いて行ける筈も無く、その殆どの重荷は古参団員に圧し掛かって来るのであった。

 ゼノスの愚痴に幹部達は苦笑いを浮べ、げんなりしながらもカンダタは口を開く。
「言うな、気が滅入る。………ロマリアからの冒険者にはそう言う方向で行く。今までの騎士達は征伐・・だったから衝突しか選択肢はなかったが、今度は冒険者だ。その点を考えると少しは有難いな。目的がある以上、目先の諍いで戦力を無意味に消耗するのは避けたい」
「ああ、そうだな。で、本題のカザーブ東の山中を根城にしている山賊共はどうする? 調べさせたところじゃ、かなりの数と規模らしいぜ。……余りでかい声で言えないが、アッサラームのどこぞの商会やこの国の一部の貴族、商人からも支援があるって話だ。混乱を望むのは何も魔王だけじゃないって事だな」
「……だからこそ、余計に戦力を下げる訳にはいかん」
「全くだ。問題が山積みで泣きそうだぜ……」
 会議室にいたカンダタ以外の全員が、ほぼ同時に乾いた笑い声を上げた。

 痛々しい笑い声が止むのを認めカンダタは言う。
「……一つ気になる事がある」
「何だ?」
 声のトーンから、深刻さを感じ取った面々は自然と真剣な顔つきになる。この辺りは、流石に付き合いが長い者達がそろっているから意思の統制が楽だ、とゼノスは思う。
 気を取り直して、カンダタの次の言葉を待った。
「何故今になって再び討伐隊が出たか、だ。最後に騎士団が来たのは約一ヶ月前。それまではかなり頻繁に来ていただろう?」
「ま…そうだな。あのガキ共が来てから大体半年近く……。いちいち覚えちゃいないが頻度は高かったな」
「それがここ一月まるで兆候が無かった。だと言うのに何故今頃……」
 思案する様に、カンダタは深くきつく目を瞑る。
 沈黙が滔々と部屋を流れる。
「……何らかの意図があるのかもな」
「………」
 腕を組みながら落ち着いた声を出すゼノスに、一同は黙ったまま聞き入っていた。





「おいバグ、どうするんだよ? あんな啖呵切っちまって……」
 勢い勇んで会議をしている部屋を飛び出してきたバグに、彼の相棒とも言うべき部下のガロスが声を掛ける。
 階下に繋がる階段を忌々しげに踏み頻りながら下る。その間、バグは自身の頭であるカンダタに対しての罵詈雑言を延々と呟いていた。
 それを聞き流しながら、肩を怒らせて進むバグの後ろを付いていく。
「決まってる。クーデターだよ、クーデター」
「クーデターってお前……」
 相棒の強気な発現に、声を無くすガロス。
「あんな腑抜け野郎共、この俺様が出し抜いてやるぜ」
「で、具体的には何をするんだ?」
 若さ故の過信なのか、大胆不敵に捲し立てるバグに半眼を向けながら、その意を確かめる。
「地の利はこっちに在る。この塔に誘い込んで罠をしかけりゃイケるさ。……耳貸せ」
 一体何処からそれほどまでの自信が湧いてくるのか、ガロスには不思議だったが、相棒がこうなってはもう手がつけられない事を熟知していた為、観念する。
 手招きしているバグに、そっと耳を近づける。
「……お前、悪党だな」
「馬鹿野郎、賢いって言ってくれ」
 計画を聞いたガロスは思わず本音を零してしまう。
 そう言えばそうだった。自分達がこの“飛影”に入る為の手土産にしたロマリア国宝、金の冠を警備の厳しい王宮の宝物庫から盗み出したのはこの男の案によるものだった。
 それが、単なる偶然と神の気紛れに過ぎないという事を、やり遂げた事があるという自信と、たった今聞かされた計画への期待に浸り切っていた彼等には気付く由も無い。
 年相応に瞳を輝かせて相棒を見やる。ガロスのその表情を満足げに眺めバグは胸を張る。
「じゃあ、賛同しそうな奴を集めれば良いんだな」
 すっかり乗り気になったガロスは、まるで新しい玩具を得る前の子供の様にはしゃいでいる。
「ああ。だが古参の連中には話すなよ。連中はあの腑抜け共の手下だから駄目だ」
「判ってるさ」
 一応の警戒を見せるも、バグも薄ら笑いを浮べている。
 こうして、平和に浸かり切った少年達の反抗が始まった。
 カンダタに対する当て付けとして、その矛先を向けた相手が『勇者』だという事を夢にも思わずに……。





 再び、会議室。
 今現在、このシャンパーニの塔に向って来ている冒険者達に対する打ち合わせは大詰めを迎えていた。新参のバグが退室してから二時間、何の荒波も発たずにすんなりと会議は進む。この場にいる全員、互いに付き合いが長い為それぞれがどのような気質なのか熟知しているので問題など起こり様が無かった。
「じゃあ、殆どの部下をカザーブ村に待機させるのか?」
 ゼノスがカンダタの案を確かめる様に反芻する。
「ああ。こちらに戦う意志は無い。ならば、塔外に下手に迎え撃って争いを起こす必要も無いだろう。それに今までの強行で疲れ切っている奴らばかりだ。新参の連中以外には休息が必要だろ」
「ま、そうだな。今までの野盗狩りも、魔物退治も殆どが俺ら“流星”からの古参団員でやった事だからな。新参の連中は、口ばっかりで実戦経験がまるで無い連中ばかりだったしな」
 カンダタの言葉に頷きながらのゼノスの言に、幹部達から引き攣った笑い声が挙がった。その声色は誰しも似たような物で、全くだ、と異口同音されそうなものであった。
 そんな部下達に苦笑しながらカンダタ。
「だからこそ皆には休息を与えなければな。こちらが隙を見せれば、山賊の連中は一気にカザーブを襲い攻め入って来るからな」
「成程。休息がてら、連中に対しての牽制の意味も篭めるのか」
「そういう事だ。連中とて馬鹿ではない。大勢がカザーブ村に待機している事を知れば慎重を期するだろう。幸い、ロマリアからの冒険者達は既に村を発っている。これからキメラの翼で古参連中を送り出せば鉢合わせになる事は無いだろう」
 一同納得がいった様に頷いた。この息の良さには思わず吹き出しそうになる。だが、これからの方針を決める為の場でもあるので和んでばかりいられない。そう考え、ゼノスは気を引き締め直した。
「じゃあ、この塔の留守は新参連中にさせるのか。……いいのか? あんたがあんなガキ共の考えそうな事を見抜けないとは思えないな」
「当然、俺は残る。お前もな」
「りょーかい。ま、あいつ等の“飛影”に対しての考えを見る為のいい機会だ。“飛影”…ひいては“流星”にとっての膿は切り取っておく必要があるからな」
 言葉少なく発せられたカンダタのそれと視線を受け、その意味を解し溜息と共に了承する。
「……ああ」
「もしも、勝手に行動を起こしたのならば放置しておくぞ。それでどうなろうが自己責任だ。あいつ等も一応成人だから、手前の行動に自覚と責任を持ってもらわねぇと。自分達はそーゆー世界に自ら踏み込んだ、って事をな」
「…………」
 カンダタは苦渋を浮べ、盛大に溜息を吐いた。






 会議室から幹部達が退室し、カンダタとゼノスだけになった。
「…コンス! コンス!! いるか?」
 カンダタがその名を叫ぶ。
 すると数瞬もしない内に、いつの間にこの部屋に入ってきたのか、背後の壁に背を預けた一人の青年が佇んでいた。手に持っていた熟れた林檎を掌で弄んでいる。恐らくは食料庫から調達したのだろう。
「何スか? カンダタ親分さんよ」
 白金色の髪、赤茶色の瞳を持ち、褐色の肌の青年がカンダタとゼノスを見据えていた。コンスと呼ばれた青年は、カンダタの覇気に微塵も臆する様子は無く、飄々とした風体で呼び出された理由を目で問う。
「カザーブ村に主力の部下を待機させるから、そこの指揮を頼めるか?」
「まあ、いいッスよ。それが‘仕事'なんでね」
「すまないな。本来ならば頼めた義理じゃないんだが……」
 直接の部下ではないこの青年に、カンダタは苦笑を浮べながら詫びを述べる。
「気にしなくて良いッスよ。あの山賊共の危険性は‘あっち'でも警戒の色が浮かんでるッスからね。盗賊ギルドもやっと重い腰を上げたみたいでスし」
「そうか……。お前の御上・・には感謝する」
「ま、こんなご時世。不穏な連中なんてのは幾らでも出てくるってもんスよ。秩序を守るロマリア騎士団の弱体化もあるッスからね」
「………」
「しかし、あんた等も難儀な事をするッスね〜。誰に褒められるって訳でもないのに」
 言葉に円卓に肩肘を突いたまま、ゼノスがコンスを見る。
「ま、俺としては“流星”の背後を取られない様にする為に動いてんだけどな。カンダタはそれだけじゃねーんだろ?」
 淡々とゼノスは自らの行動理念を語り、意味深な視線と口調をカンダタに送る。それを追う様にコンスも。
 眼をきつく強く瞑り、カンダタは沈黙した。

 甦るのは遠い昔。志を同じくした友の言葉……。

 静かに口を開いて言葉を発する。厳かな、自身に言い聞かせるような口調で。
「……戦友との約束だ。命を賭け消えていった友に報いる為にも、な」
「健気だねぇ……」
 ゼノスの言葉にカンダタは黙り込む。軽薄な口調が癪に障るが、遠慮が無いから信頼が生れる。改めてそう思う。
 そんな様子にコンスも肩を揺らしながら。
「そういう考え、嫌いじゃないッスよ」
「だな」
 三人は暫く黙していたが、やがて声を上げて笑った。




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