――――第二章
第四話 躍る剣閃
カザーブ村はロマリア大陸の南北に別つ山脈と、西の海運国家ポルトガとを隔てている山脈が丁度交わる、僅かな盆地に存在していた。この山々に囲まれた地では大地の恵みである鉱物資源が豊富に採れ、嘗ては鉱山街として栄えた。カザーブより東にはそれを利とする幾つもの村落が存在して、この地はそれらの村々と王都ロマリアを繋ぐ、重要な交易拠点としても機能していた。
だが人も世界も、時と共にその姿を変えて移ろうもの。
自然の恵みと、それを享受していた人々は去り、この高山地特有の気候帯、厳しい環境に修練の場を求めた武闘家達がこの地に流れ、その足を留める。やがて時の経過と共に、カザーブ村は“武闘家の里”として発展し、その路の人間にとって
所縁の深い地に変わっていった。
山道を進む事は、平地を進む事よりも苦労の掛かる事だった。
登れば登るほど空気は薄くなり、息苦しく疲労しやすくなる。斜面を行く訳だから前から押し寄せてくるような圧迫感に気が滅入る上、進むペースに個人差が出てくる。
また、年月に煤けながらも整備された街道とはいえ、魔物の襲撃は執拗に続く。何せ道の両脇の森林や茂みの中から、突然襲ってくるのだ。物音や動く物の気配に神経を研ぎ澄まし、緊張し続けねばならなかった。
麓からカザーブ村の中腹位に差し掛かった頃には、四人とも疲労が顔に出始めていた。
「少し…休んで……いかない?」
パーティの中で一番体力の無いソニアが、肩で息をしながら提案した。憔悴し青白くなった面から紡がれる声も途切れ途切れで、これまでの道程で消耗した様子を顕著に物語っている。巡礼で世界中を回る僧侶が世に大勢いるというのに、これしきで弱音を吐いている自分に少し自己嫌悪に陥りながら。
そんな苦々しい表情のソニアにミコトは、無理はするな、と近くの切り株に座らせる。
「そうだね。休めるうちに休んでおかないと」
ミコトはソニアの意見を尊重し、ヒイロもそれに頷いた。ミコトもヒイロも汗は掻いているものの、声色から疲労感が余り感じられない。自分が迷惑を掛けてしまったのかと思うと、ソニアの視線は自然と下を向いてしまう。
(また、足を引っ張ってしまった……)
旅に出てから既に一月半。旅暮らしに身体が慣れて来たとはいえ、戦闘でも進行にも周りに遅れを取ってしまう。長年旅暮らしのミコトやヒイロにとっては、自分の疲労程度など大した事では無いのだろう。現に彼らに疲労困憊の様子は無い。その現実がまたも思考行動を負の方向へ誘っていく。元来責任感の強いソニアに、それは重しの様に圧し掛かっていたのだ。
高い青空から吹き流れる清涼な風が、疲弊した身体を心地良く撫でていく。
それにより軽くなる身体に呼応して、自責の念も次から次へと心の底から込み上がって来てしまう。それを感じてソニアはきつく目を瞑り、止めようと逆に深い思考の淵へと引きずり込まれそうになっていた。その苦悩の様子を体現する様に、胸の前で両手を固く握り合わせ渋面を浮べる。
そんな彼女を進んでいる道の先…遠く小さく、まるで空に続いているかのように見える山道を見据えていたユリウスが、横目で見ていたのだが気付かない。
「あの、みんな…ごめんなさい。私の所為――」
「トヘロス」
ソニアの言葉を遮るように、ほぼ同時に発せられたユリウスの呪文の効果は、辺り一帯に聖なる気に満ちた結界を張り巡らせる。
突然周囲に満ちた清浄な空気に清清しさを感じ、また同時に起こった出来事に驚き思わずソニアは声を呑み込んだ。似たような表情をしていたヒイロとミコトは、この現象を引き起こしたであろう声の主…ユリウスを振り返る。
「……今のは?」
ミコトは不思議そうに首を傾げながらユリウスに尋ねた。
「ただの魔物除けだ」
「は? そんな魔法があるんだったら、何で早く使わなかったんだ?」
シレッとしているユリウスに、不満そうに眉を顰めミコト。
「こいつは維持するのにそれなりの魔力を使うんでな。疲れるだろ」
魔力の消費は、精神力の消費と同義である。そういう事をユリウスは言おうとしたのだろうとソニアは思った。ミコトは納得していなかったが……。
「……まあ、魔物が来ないのならそれでいいか」
ミコトは溜息と共にそう言い、地面に腰を下ろそうとした。
――その時。
街道の脇の茂みから、人面蝶がより醜悪になった魔物…人喰蛾の群れがパーティの頭上に飛び込んできた。
突然現れた魔物の群れに抗する為、ユリウス以外の面々は身構えたが杞憂に終わる事となる。ユリウスの唱えたトヘロスの結界に触れるや否や、魔物達は断末魔の叫びを上げて消滅したからだ。
「……こうなる訳だ」
説明の手間が省け、肩を竦めつつユリウスは興味無さそうに言った。その無関心さを露にした様子にミコトはなんだか腹立たしくなったが、第三者の声によってそれは阻まれる。
「たしか、この辺りに逃げ込んだ筈……」
何処かで聞いた事があるような凛とした声でそう言いながら茂みを掻き分けて、森の中から一人の人間…否、少女が現れた。木々の間を駆け抜ける風に肩まである豊かな黒髪を靡かせながら、意志の強そうな光を湛える緑灰色の双眸で、先程結界で消滅した魔物を探している。
「…………ミコト?」
ソニアが信じられないように口元に手を当てて、隣に座っているミコトを思わず見てしまう。ヒイロは開いた口が塞がらないといった面持ちだったが、それ以上に当のミコトは目が点になっていた。ユリウスはというと、相変わらず無表情だったが、目を僅かに細めて現れた少女を見つめていた。
仲間にそう思わせるくらいに、現れた少女の容姿はミコトに酷似していたのだった。もしも、ミコトが両方で結んでいる髪を解けば、どちらがどちらかわからなくなるだろう。
「ん? すまぬが、この辺に魔物が来なかったか?」
こちらの動揺など微塵も介せずに、現れた少女は予想に違わずミコトと良く似た声で尋ねてきた。
その不思議な雰囲気に、ミコトはもちろん直に対応できる者はその場にはいなかったが……。
「…いや、来たには来たけど結界によって消滅したよ」
気を取り直して、ミコトが自分達を囲んでいる淡い光のドームを指しながら、同じ声で返す。それを傍から見ている周りの三人にはとても奇妙な光景に映っていた。
「ふむ、そうか……。実は私が仕損じてな。すまぬ事をした」
唖然としている冒険者達にペコリ、と少女は頭を垂れた。それを見てようやくユリウス達の束縛が解ける。
「お前、何者だ?」
ユリウスは不信さを隠す事無く少女に言い放った。その声色は地面から響く様に低く、相手の如何次第では問答無用で斬りかかりそうな油断無い意志に満ちている。対して、その殺気にも似たユリウスの視線をまるで受けていないかの様に流し、呆けた口調で少女は返す。
「これは失礼した。私はアズサ。アズサ=レティーナじゃ」
「……姉妹がいたのか?」
容姿にそぐわない妙な言葉使いには敢えて触れない事にした。他人事だから自分には関係無い。そう言い聞かせ一つ浅く溜息を吐き、ユリウスはソニアの傍らで未だに唖然としているミコトを見、言った。
「何でそうなる……」
姓が違うと言うのに、とユリウスの突拍子も無い質問に呆れ返り、辟易した様子でミコトは力無く項垂れる。
「いや……。瓜二つだからな」
「…………」
ユリウスの真顔での言葉に、ミコトは頭を抱えて溜息を吐いた。どうやら反論する気力が失せたらしい。
そんな中、人に自己紹介をさせておいて自分は名乗らないユリウスに、捨て置かれていたアズサは憮然としながら言う。桜色の小さな唇を尖らせて憮然とする表情は、やはりミコトに酷似しているものだった。
「人に名を名乗らせておいて、自分は名乗らぬとは不逞の輩じゃのぅ……」
「……ユリウス=ブラムバルドだ」
言葉に、ユリウスは半眼でアズサを捉えながら抑揚の無い声で返した。苛立った様子は無かったが、その視線は冷たい。
それを気にせずアズサは漸く相好を崩し、得心がいったように頷き口元に手を当てて、ユリウスの名を反芻していた。その仕草に何か引っ掛かるものをユリウスは感じられた。もっとも、それが何故なのかまでは解らなかったが……。
やがて、緑灰の双眸がユリウスから横に座っていたヒイロ、少し離れて切り株に腰を下ろしているソニア、そしてその傍らに腰を下ろす自身と良く似た容姿のミコトに移る。
「できれば、そちらの方々にも名乗ってもらいたいが」
アズサにそう促されて、他の三人は慌てて気を取り直した。
「ソニア=ライズバードです」
「ヒイロ=バルマフウラだ」
「………ミコト=シングウ」
次々と名を名乗る。アズサは口の中でその名を呟き、了解した、の意志表示かコクコクと頷いていた。
「うーん。世の中には自分に似た人間が三人はいるって言うしなぁ…」
そのヒイロの絶妙なタイミングで放たれた呟きは、場の雰囲気を和やかにするには充分な効を奏した。
ユリウスは自分には関係の無い話だといわんばかりに明後日の方角を見、ソニアはヒイロの言葉に何度も頷きながらミコトとアズサの顔を見比べている。ソニアにそんな珍しげな視線で見つめられて照れ臭くなったのか、居心地が悪くなったのか複雑な表情を浮べた後、ミコトは目を伏せた。
「お主等もカザーブ村を目指しておるのか?」
ここで突然話題を転換したアズサに、少々呆気に取られながらソニアは返事をする。
「はい。私達はカンダタという盗賊を追っているんです」
「カンダタか……。ならば行き先は同じじゃな」
アズサのその言葉に全員が同時に顔を上げる。
「じゃあ、貴女も王に頼まれて金の冠を?」
ミコトは恐る恐る訊ねてみる。あの浮かれたロマリア王が増援を用意したなどと考えられなかったからだ。
「ん…まあ、そう言う事じゃな……」
ミコトの問いに、コクコクと判りやすく反応を示し、アズサはそれを肯定した。
再び、ユリウスは今の仕草に何処か後ろ髪を引かれるような違和感を覚えたが、特に興味が無かったので追想を止める。この少女が何者であれ、自分達の行動の障害になろうともどうでも良い。そう考えた。
ミコトは、自分の考えが否定されて何処か釈然としない面持ちだったが、直に気を取り直してソニアを交えて女同士三人で和気藹々と話し込み始めた。
ヒイロはユリウスの張った結界に興味が沸いたのか、結界領域の境界を詳しく検分している。
ユリウスはユリウスで、周りの様子に興味が無かったので、切り株に腰を下ろし剣の鞘を抱えたまま瞑目した。
各々が自由にしていたが、その気分の解れが失われた体力の癒しの礎となる。そうやって、一同は体力を回復させて、再びカザーブ村へ歩を進め始めた。
一行がカザーブ村に着いたのはそれから三日後の日が傾き始め、黄昏が広がり始めた頃だった。
招かれざる客の来訪を阻む様に、頑丈な丸太で組まれた柵。その西南北に宛がわれた門のうち、南側から一行は村に入る。武具を携えた門番の村人からは余り良い対応はされなかったが、旅装束を纏った風体から冒険者と判断したのか滞り無く村に入る事が出来た。
村を往く人々は何かに怯える様に、警戒心を密にしている様でもあった。確かに今の時世、魔物という脅威がある以上、決して珍しい風景では無い。自分達の居場所を守る為に目を光らせるのは、寧ろ自然の成り行きだろう。
ただ、この村の人々からは、外から来る人間に対しても警戒色を浮べていた事に、何かしらの事情があるのかと思ったが、それを知る術も、興味もユリウスは持ち合わせてはいなかったので、特に気にしない事にした。
村の中を見渡して一行は直に宿に向かったが、夕食の時間まではまだ結構な時間が有った為、各々自由行動を取ることになった。同行者達…ソニアとミコト、ヒイロやアズサは武器や道具を見に行ったが、ユリウスはアリアハンで王から貰った鋼鉄の剣がまだ充分使えたので、鍛冶屋に研ぎに出してする事が無くなっていた。当ても無く村の中央にある大池の辺道を無表情で歩いていると、後方から武器屋へ行った筈のアズサが小走りに近づいてきた。
「おお、ユリウスか。こんな処で何をしておるのじゃ?」
「……別に。お前は?」
「武器屋に行ったが、今使っている物よりいい剣はここには無いようだからのぅ。故に私は帰ってきたが他の者達はまだ見ると申しておったぞ」
「そうか」
適当に相槌を打ちつつ、とりあえずユリウスはすることが無いので宿で少し眠ろうと考え、宿の方角へ踵を返そうとしたが、アズサがそれを遮った。
「お主、暇なら少し付き合え」
「?」
突然の申し出にユリウスは首を傾げる。
「これまでの戦闘を見てずっと思っておった。お主の剣はなかなかのものじゃ。是非、手合わせ願いたい」
腕を組み、独りで頷きつつアズサは真剣に言う。自分の持ち得ない熱情を帯びた少女の眼光に目の眩むような感覚を覚えつつも、ユリウスには特に断る理由も見当たら無かった。
ただ首を縦に振り、ユリウスはこの少女の申し出を受け入れる、が……。
「…構わないが、今研ぎに出していて剣が無い」
言いながら、両腕を開いて皮肉気に肩を竦める。剣が無い事を主張しているのだ。それを見てアズサは顔を綻ばせてクスリと笑った。
「ならば、私の予備のものがある。宿においてあるから取りに行こう」
アズサの普段の装備は、かなりの刃渡りの両手持ちの大剣を背負い、両腰に一本ずつ片手持ちの広刃剣と刺突剣を携えている。
「お前、一体何本剣を持っているんだ?」
「剣は三本じゃ。他にダガーやらナイフやらを含めると十は軽く超えるであろうな」
「……」
どこか楽しそうに爛々と語るアズサ。そんな様子に流石のユリウスも呆気に取られ、ただ沈黙するだけであった。自分自身、両足のブーツに一本ずつ、腰のベルトに一本ナイフを隠し持っていたが、眼前の少女は優にそれを越えているという……。
絶句しているユリウスを尻目にアズサは宿に向かい始めていた。慌てる事無くユリウスはそれを追う。
「……持ち過ぎだ、いや……それよりも戦いの時に邪魔にならないか?」
剣を振るう動作の中で、何本も鞘が自分に纏わりついていたら相応に動きが制限される。ユリウスは今までの人生でそう思っていた。更に、アズサは武闘家のミコト並の動作で剣を振るっているのだ。動作の妨げになっていないとは考えられない。確かに、‘斬’に適した広刃剣。‘突’を追求した刺突剣。重量を以って‘打’とする両手剣。それらの特性を活かして臨機応変に使い分ける彼女の剣技は並外れたものであった。その卓越した技量は同行して僅か三日程度だが、魔物相手にその断片を見せつけられていた。だが、そう聞かずにはいられなかった。
「備えあれば憂い無し、と言うじゃろう」
「……備え過ぎだ」
嬉々として惚けた返答をするアズサに内心で溜息を吐いて、軽い足取りで先行する彼女に続いて行く。
まだ、日は落ちておらず充分な明るさがあった。肌寒い山の気候とその空気がかえって心地良かった。
村外れの柵に面した空き地で、ユリウスとアズサは互いに剣を構え向き合っていた。
抜き放たれた互いの刃は、傾き始めた西日に照らされて黄金色に染まっている。
真剣で打ち合いをする事を提案したのはユリウスでは無く、アズサであった。彼女曰く、緊張感が有った方が戦いは楽しめる、との事である。それを聞いてユリウスとしても都合が良いと思った。
戦いに享楽を見出す事は良く判らない事であったが、今までの修練でアリアハンの騎士達や魔物と戦った時はいつも真剣を使っていたからだ。そう身体に染み込んだ習性の為、真剣とそうでないとでは構えた時の気構え、振るった時の感覚が違う。
そして何より眼前の少女は、恐らく自分と同等か、それ以上の剣の腕なのだ。これまでの魔物との戦いから彼女の実力の断片は窺い知る事が出来た故に、決して油断は出来る相手では無い。
そう考えていた時、ユリウスの口元が自然に上がっていたのだが本人は自覚すらしていない……。
互いに隙を窺い緊張を解く事は無い。山の冷気を含んだ風が黙した二人の間を悠然と駆け抜ける。
ユリウスは両手持ちの長剣を正眼に構え、アズサは自然体で右手に持つ広刃剣と空いた左手をダラリと落している。通常、正眼に構えた方が左右両方の攻撃に反応しやすい。対して、無形の構えは剣を持つ手と逆側に対しての反応が動作上僅かに鈍る。
(付け入る隙はそこ……か)
ユリウスはそう思い、気構える為一つ小さく息を吐く。
その一瞬をアズサは見切り、動いた。
風に捲かれた様に草々が宙を舞った。それはユリウス視界から突然アズサの姿が消え去ったように映る。が、慌てずユリウスは咄嗟に体を後ろに引いて左に剣を薙ぐ。長剣の為、振り切るとその後に大きな隙が出切るので、相手の剣にぶつけて止める程度の勢いで。
けたたましい金属音が風に乗り、村外れの空き地に鳴り響いた。
柄を握る手に衝撃が走る。それはジワリジワリと疼きを伴う痺れに変わり、掌の中を這い擦り回る。
「ほぅ、よく止めたの」
「……序の口だ」
ユリウスが左に薙いだ剣の先には、アズサが不敵な笑みを浮べて剣を合わせていた。
二人の剣に掛かる力が拮抗しているのか、刃と刃が擦れ合う金属音が唸る。やがて鍔迫り合いになり互いに後方へ飛び退いた。
一呼吸置いて駆け出し、互いに動きの中に余裕を見せながら何度も剣閃を合わせる。
「はっ!」
ユリウスが上段から唐竹に切り下せば、アズサは剣を斜めに構え、その刃に沿わせる様にユリウスの斬撃の軌道を誘導、逸らしては完全に威力を殺して往なす。勢いを削がされたユリウスの剣はそのまま大地を穿った。衝撃で草や土が宙に飛散する。
「やあっ!」
返す刀でアズサが左に切り上げてくるのを、ユリウスはタイミングを合わせて柄で刃の腹を強打する。当然の腕力の差で、アズサは剣を弾かれた反動で上体を後ろに逸らしてしまった。僅かにバランスを崩してよろける。
「ふっ!!」
その隙を逃さずユリウスは真一文字に右に薙ぐが、即座にアズサは地面を強く蹴り上げ、跳躍してそれを回避する。高く舞い上がったその姿が夕日の逆光に攫われて、一瞬ユリウスの眼を眩ませた。光の眩しさに眼を細めた為、視界が狭まる。
「はぁぁ!!」
跳躍から落下に転じているアズサが、逆に出来た攻撃後の隙を狙って大上段から空襲する。これにユリウスは足の指先に力を入れて、バックステップで瞬時に後退した。その刹那の後、ユリウスの立っていた場所をアズサの振り下ろした剣が空気を切り裂いた。ヒュンという風が切れる音と共にパラパラと数本、ユリウスの漆黒の髪が宙を舞う。
「ていっ!」
着地の反動に乗せた、間髪入れず繰り出されるアズサの追撃の斬り上げに対して、ユリウスは引く事無く袈裟に斬り返した。高らかと空に響く剣戟の音と共に、斜め十字に交錯した剣を越して相手の愉しそうに笑みを浮べる顔が視界に入る。
「せいっ!」
膠着状態から、地面の草々を力強く踏み締めていた足にかかる力の重心をずらし、ユリウスは大きく身体を反転させて遠心力を乗せた一撃を繰り出す。が、アズサは逆に前に踏み出して剣を合わせ最小限にその威力を止めた。
「ちっ!」
一旦後退し、すぐさま前に出ながらユリウスは刺突を連続で繰り出す。休む間の無い鋭い連撃をアズサは見切り、左に、或いは右に身体を半身に反らせて躱し続けた。軽やかなステップで回避するその様は、軽快なリズムに拍を踏んでいる様にも見える。
「くっ!!」
悉く突きを躱すアズサに、剣を突き出したままユリウスは斬撃に転じる。突から斬に、腕の力だけで為されたそれに驚きつつも、アズサは脇に跳び退いた。だが、それを見逃すユリウスでは無い。退いた隙を狙って更なる斬撃を繰り出す。対してアズサは宙で独楽の様に回転して剣を繰り出し、その斬撃を迎え撃った。
「「はぁぁぁあ!!」」
二人の咆哮と共に、合わさった斬撃は激しい火花と金擦り音を散らせては、草原を吹き抜ける風に攫われ、その白熱した闘いに拍車をかける。互いの攻撃の威力に後方に弾かれるが、二人は直ちに体勢を立て直し、剣を構えて駆け出した――。
重ねられる剣閃、空を斬る音。斬撃を受け止め、回避する身体捌き足捌き。それらはまるで美しい舞踊のような流麗とした動きであった。
二人の動きに合わせて叢がざわめき、剣風に捲かれて草が舞いあがる。吹き抜ける風は甲高い金属音を周囲に運び、傾く夕日は二人の影を草原の上に躍らせる。
手にした剣が閃くと、その軌跡が夕日を反射して光の筋となり、刃と刃の交錯が光の粒火を産み出しては、忍び寄る夜闇を退ける様に煌き
爆ぜる。
今この時、この場所を取巻いている自然の総てが、この演舞を彩る華雅と化していた……。
(スピードは私に歩があるが、腕力は向こうが上じゃな。……ま、当然か)
何度目かの交錯をしながら、アズサは冷静に相手の少年をつぶさに観察していた。
まず、何よりも鋭さが感じられた。剣閃にも、動作にも、眼光にも、そしてその剣を振るう時の心にすらも。だが、その鋭さは……。その鋭さ故に行き着く先に在るものは……。
(これが、アリアハンの勇者……)
それに気付き、アズサは内心舌打ちをする。
(流石に、速いな……)
速さはアズサの方が上だが、力では自分が勝っている。剣を交える内にそれは理解できた。
アズサの剣技は非力さを補うために武闘家の体術を取り入れて、全身の力を剣に乗せる類のものであった。それだけに、速さに乗った剣撃は並の大男の一撃に匹敵する。まともにそれを受けては体力の消耗を促すだけだ。
(強い、な……)
ユリウスは対峙している少女の実力を分析していた。
アズサの動いた後の叢が次々と踊り出す。もう既に十数度目になるアズサの全体重を乗せた上段からの打ち込みを、なんとか剣の柄で受けたユリウスは剣ごとアズサを弾き飛ばそうと片足を踏み込んだがしたが、逆に右の方から来る衝撃を躱す事ができなかった。
頬が熱を帯びる。それは脳髄を覚ますような鮮烈な痛みと化す。
「っ!」
後退しつつも蹴撃に耐えたユリウスは蹴られた頬を手の甲で一撫ですると、何かを言いたそうに眉を顰めてアズサを一瞥した。……が。
「剣を持っているからといって剣撃だけがくるとは限らぬぞ」
「……確かに、そうだな」
剣を肩に掛け、余裕の笑みを浮べて言うアズサに対しユリウスは冷静さを取り戻す。
(戦いでは何が起こるかわからない。いつもの魔物との戦闘で判りきっている事だ)
そう自分に言い聞かせる。そして、静かに剣を構えなおし大きく深く息を吐いた。
吐き終わると同時に真正面から剣をアズサに突き出す。その溜め無しの刺突に意表を突かれたのか、アズサは突き出された剣を何とか身体を捻って、間一髪躱した。
通常、刺突はその殺傷力を高める為に前動作として溜めが必要となる。それ故に隙が大きく、相手に先手を撃たれたり、回避する余裕を与えてしまう。だが、だからこそ当たれば必殺の一撃に成り得るのだ。その剣を扱う者にとっての常識故に、このユリウスの前挙動作無しの刺突は奇襲として成功したのだ。
ユリウスの奇襲を何とか凌ぎ、内心で一息吐いた矢先、ユリウスは躱される事を見越した上で、剣を持つのとは逆の手で鞘を持ちアズサの手首を逆袈裟に薙ぐ。
「くぅ!」
鈍い衝撃にアズサは剣を落しそうになり、低く呻き声を上げる。尚も続くユリウスの上段からの切り下ろしをアズサは躱せないと瞬間的に判断し、逆に前に踏み出してユリウスの剣の柄を蹴り上げることで妨害、間合いを取った。
「……何故、今斬りつけて来なかった? 今のタイミングなら俺は躱せなかった」
追撃をしてこない、という事に訝しみ、ユリウスは剣先を下げて構えを解いた。僅かに声が憮然としている様に聞こえる。
「これは殺し合いではなかろう。それにお主、何かを隠しているからな」
そう、斬り込めたがあの隙には自分を誘い込んでいる様にアズサは直感的に感じた為、敢えて隙を突く事をしなかった。戦いに身を置く者の直感…それは危険に対しての防御本能、信ずるに足る守りの術。それがアズサにそうさせたのだ。
対して、自分の手の内を読まれていると思ったユリウスは、無意識的に口元を歪ませていた。
「そういうお前も、実力を全然出していないだろ。斬撃に
闘気すら篭めていない」
「ふむ、気付いておったか…。じゃが、それはお互い様じゃな」
そうキッパリ言いきるとアズサは剣を鞘に収めた。そして、視線を村の方に移して。
「残念じゃが、もう終わりじゃな」
その言葉に訝しげにユリウスは周りを見てみると、いつの間にか村の人間が大勢集まっていた。開けた場所とは言え、人目に付く。そして、旅人に警戒色を露にする村だ。剣戟の音は彼らの警戒心を煽ると言う事に、今更ながらにユリウスは気が付いた。それを証明するかのように、村の警護に携わる者達が数名、訝しそうな視線を野次馬の中から送ってきていた。
その中には、買い出しを終えて荷物を持っている他の仲間達の姿もある。ユリウスは不覚な事に、目の前のアズサに集中する余り周りの状況まで気が回らなかったのだ。
「とんでもない奴だな……」
「……お主もな」
口の端を持ち上げて
嗤うアズサ。
「さて戻ろうか。良い汗も掻いたし、腹が減ったから飯も美味いじゃろう」
「……ああ」
ユリウスの返答を聞き、アズサは三人の元に駆け寄っていった。
その場に残され、立ち尽くしていたユリウスは、沸沸と体の内から震えるのを感じていた。
これが何なのか解らなかったが、不思議と悪い気分では無い……。それこそが戦いに享楽を見出す事と同義なのだが、それを知るに至るまでの情緒が今のユリウスには存在していない。
ただ、鞘に収められた借り物の剣の重さが、冷涼と心に染みを落していた。
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