――――第二章
      第三話 冷酷な白刃







 ロマリア半島の先端に位置している、王都ロマリアから出発して数日。
 結局、乗合の馬車は見つける事ができず、徒歩で行く事になった一行は古く煤けた石畳のロマリア街道をひたすら北に進む。平原地帯を横切っているそれを行く中でも、このロマリア周辺を跋扈する魔物の襲撃は頻繁で、それを蹴散らしながら進んでいった。

 王都から半島を越えるまで北にはしるロマリア街道。そして、そこから北東西に続く街道が交差している。
 まず、遥か北に延びるカザーブ街道。ロマリア国内の重要な交易路としてロマリア有史から存在している。次に、ロマリア王国の西に構える海運国家ポルトガ。彼の国に延びるポルトガ街道。東には自由交易都市アッサラーム。その南西には太陽神ラーを奉ずる聖王国イシス。アッサラーム東の険しい山脈を越えると、イシス王国領バハラタ。そしてその更に北東の山中には“魔導の聖域”ダーマ神殿……。東の大陸の端にまでその足をのばしている、世界一の距離を誇る東方街道。
 それら三つの街道が集まる場を中心として、ロマリア王国は有史以来、発展してきた。
 今でこそ魔物が跳梁跋扈しているが、危険を顧みずに外の世界に羽ばたく冒険者達は、この先人の足跡を様々な思いを抱いて歩み続けている。





 カザーブ山脈の手前の森林地帯で、ユリウス達は何度目かの魔物の群れに遭遇した。
 固い外殻に包まれた巨大な芋虫…キャタピラー。不浄なる魂が朽ちた鎧に憑依した傀儡…さまよう鎧、など強力な魔物に囲まれながらも、ユリウスは極めて冷静にそれらに対処していた。

 その身を縮めて体当たりをしてきたキャタピラーを、大地を蹴ってバックステップでかわす。
 勢い良くキャタピラーは轟音と共に大地を抉り、尚も回転を続けている。その余波で抉られた大地から土砂が飛び散り、その威力を物語っている……。まともに楯で受けでもしていたら、吹飛ばされるだけに止まらないだろう。
 それを見越してか、ユリウスは防御では無く回避を選ぶ。
 やがて抉られた大地の土砂の抵抗によりその回転力が弱まり、その身を戦慄わななかせていたキャタピラーの上から、外殻の節目を狙い鋼鉄の剣を突き刺した。
 青い血が飛び散り、その生暖かい液体を頬に受けるが無表情のままだ。
 ピギャアアア、と耳障りな悲鳴を上げながら、身を激しくのた打ち回っているキャタピラーの身体を、足蹴に押さえたまま傷口から剣を抜き去る。すかさず、刺傷から血が溢れ出ている節目に沿う様に両手で剣を構え、大上段から一気に振り下ろした。
 肉を斬った時の手応え、外殻を断ち割った時の痺れを剣の柄越にユリウスは感じる……。
 その鋭い斬撃に敢え無くその強固な身体は一刀両断され、キャタピラーは絶命した。

 同胞をやられていきり立つ、さまよう鎧はその長剣をユリウスに向って真一文字に薙いで来るが、剣での闘いに長けたユリウスは、返す刀でそれを受け止め、何度も剣閃を合わせる。
 甲高い剣戟の音が、刃と刃の擦り合う金切り音が、戦いの喧騒を飾るように周囲の森林に響いていった。

 何度目かの交錯の後、左手で持っている青銅の楯でさまよう鎧の剣鍔を弾き、隙を突いて開いた腕部を逆袈裟に切り下げて肩を切り落とす。が、手応え無さと空洞音に目を細め、一旦さまよう鎧との間合いを取った。




 見るからに毒々しい青白さの体表をしたフロッガー…ポイズントードにミコトは飛び膝蹴りをお見舞いし、吹き飛んだ処を狙ってヒイロは鎖の鞭を薙ぐ。連ねられた鎖分銅にその肉を穿たれ、抉られて、悲鳴と体液を撒き散らしながらそのポイズントードは絶命した。
 ソニアはそんな彼らから少し離れ、後方から僧侶の得意とする補助魔法で前線の二人を援護、応戦している。慣れない内は魔物の勝手の違いに戸惑っていたが、王都から幾度も戦闘を繰り返してきた経験から、的確な判断、対処ができるようになっていた。

 たおした怪蛙の骸から滴り落ちる体液に触れた地面の草花は、シュウシュウと嫌な溶解音を発てて崩れ落ちている。
 そんな猛毒の体液を避ける様に軽やかな足捌きで攻撃を繰り出しては下がり、またそれを繰り返す。ヌメヌメした体表に嫌悪感を持っているのか、ミコトは足技を主体として繰り出し続けていた。
「はぁぁあ!」
 気合いを込めた咆哮と共に、全身の体重を軸足に込め、身体の捻りと全身の筋肉の反動力。そして高めたフォースを乗せて強烈な回し蹴りをポイズントードの群れにお見舞いした。固い皮のブーツの踵がまるで鞭のようなしなりと剛さをもって、その醜く垂れた腹部に喰い込み、抉り、引き千切っていく……。放たれた裂帛の蹴撃は、付近にいた数匹の魔物をも巻き込んで一気に後方へと吹き飛ばした。
 ここで一旦下がるミコトに示しを合わせるかのようなタイミングで、痛みに身悶えているポイズントードの群れに、ソニアは冥福の意を込めて胸の前で十字を切った。そして構築の完成した魔法…その発動呪文を唱え、追撃する。
「……聖なる風よ、翔けろ! バギ!!」
 突風が掛け抜けるような音が傍らを通りすぎたかと思うと、ソニアの翳したルーンスタッフの先端から真空の刃が幾重にも閃いた。ミコトの回し蹴りによって未だに倒れたままのポイズントードに烈風は次々と襲いかかり、いとも簡単にその肉と骨を切り裂いていった。青い血潮と体液を草々が萌える周囲に撒き散らして、ポイズントード達は平原に散る。
 そこで一息吐いたミコトとソニアの周囲に、唐突に暗幕が下りた。遥か空に座す太陽の光が何か・・に遮られたのだ。
 二人の後方から天高く跳躍し、その自重をもって落下の力とし、生き残っていたポイズントードは強襲する。だが大地に写る影でその事に気付いたミコトはソニアを伴い、慌ててその場から飛び退いた。標的を失ったポイズントードは虚しく空に手足をばたつかせていたが、その隙にヒイロはチェーンクロスを勢い良く振り上げた。
「はっ!」
 魔物の自重と落下の力、そして振り抜かれた鎖の鞭の相乗効果も相俟って深深と肉を抉り、終には四肢をも分断した。バラバラになって地に落ちたポイズントードは文字通りに命を堕とし、その残香を虚しく周囲に漂わせる。

 様になってきた三人の連携の前に、ポイズントードの群れは無残に打ち倒され、残ったのはユリウスに集中して剣を繰り出している、さまよう鎧の一団だけになっていた。




 剣ごと腕を切り落とされたさまよう鎧は、引く事を知らず果敢に逆の手で構えている楯で打撃を繰り出していた。
 流石にそれに剣で応戦しようとは思わなかったので、ユリウスは踊るような足取りでそれを掻い潜り、さまよう鎧が振り出した楯と腕を引き戻すタイミングに合わせて、その腕を断つ。
 両腕と武器、防具を失っても尚も残った脚で攻撃を仕掛けてくるが、そうなってはもうユリウスの敵では無かった。傀儡故に痛覚が無いのか、敵は引く事を知らないようで面倒だったが、既にその対策もユリウスの頭では練られている。
 余裕をもってその蹴りを躱し、楯を括り付けた左手を敵の開いた胴にそっと触れさせて、力ある一言。
「……ニフラム」
 呪文と共にユリウスの掌から発した、鮮烈な浄化魔法の光を至近距離で浴びたさまよう鎧は、抵抗する暇無く光輝の中に消え去った。
 その地上に堕した太陽を彷彿させる眩い光に、その場にいた仲間も魔物も一瞬怯んだ。
 その隙を見逃す程ユリウスは悠長では無く、光の余韻で敵の眩んだ視界が回復しない内に動き出していた。その先には、残っている最後のさまよう鎧が未だ状況を理解をできていない様に、只うろたえている。
 ユリウスは大地を蹴り上げ、疾駆した。
 敵が反応をする前に、その速さに乗った勢いで刺突を繰り出す。さまよう鎧の視界に捉えられない、疾風の如き速さで繰り出されたそれは、兜と鎧の継ぎ目…人で言う首を易々と貫き、その鉄の兜が虚しく宙を舞った。
 ドサッ…、と兜が大地に着く音とほぼ同時に、振り向きざまの体勢でユリウスは首を穿たれたさまよう鎧に剣を翳し、放つ。
「ギラ」
 翳した剣先から真っ直ぐ伸びる一条の熱線に、魔物の剣や楯、鎧は飴細工の様に溶け崩れ、寄代となっている鎧を失った不浄なる魂は、その怨念をも失ったかのように消滅していった。

 怨念の残滓を微かに残していた兜が、虚しく大地の上でカタカタと音を鳴らしているが、歩み寄ったユリウスが無表情で剣を振り下ろす。
 真っ二つになって地に伏した兜は、砂の様に崩れ去り、風に攫われて生い茂る森の梢の中に消えていった。




 戦闘が終了して、ミコトは額に浮き出た汗を拭う。僅かに呼吸が乱れていたが、疲労など微塵も感じていない。長年旅して腕を磨いてきたミコトにとって、この界隈で遭遇する魔物では役不足であったのだ。
 攻撃と補助魔法の連続使用で流石に堪えたのか、ソニアもその場に力無く腰を下ろし、肩を上下させて空気を貪っている。その様子は、戦闘という特異な状況下での精神集中の難解さを物語っていた。
 息一つ乱していないヒイロは、鎖の鞭を手繰り寄せては魔物の血脂を拭い取り、こまめに消費した道具類の確認をしている。自分達の状態、装備品、道具類の現状を常に把握するのは、一流の冒険者として当然の事だった。
 そんな安息という一時の中、ユリウスだけは剣を収めずに、ただ立ち尽していた。やがて来る夜闇を彷彿させる漆黒の瞳を、虚ろに周囲の木々に巡らせている。
 その様子を訝しんだミコトは近づき、声を掛ける。
「どうかしたのか、ユリウス?」
「!」
 言いながら背中越しにユリウスの肩に手を置こうとしたミコトは、突如ユリウスに腕を引かれて前方に押し退けられてしまった。
「うわっ!!」
 突然の事だったので、不覚な事にミコトは受身も取れずに、敢え無く地面に尻餅をついてしまう。目を瞬かせながら見上げるミコト。そして、地に腰を下ろして休んでいたソニアとヒイロも、何事かとユリウスに視線を仰ぎ見た。三者三様の視線を受ける中、ユリウスはミコトに目もくれず、生い茂る枝葉のすだれに視線を送っている。
 やがて、気を取り直したミコトがいきり立ってユリウスに突っ掛かった。
「いきなり、何をするん……っ!?」
 ミコトが開口とほぼ同時に、さっきまでミコトが立っていた場所に冷気を纏う氷柱が数本大地に縫い付けられた。
「なっ……!」
 その様に驚愕するミコト。氷柱から漂う冷気に思わず背筋が凍る。
 あのままユリウスが自分を押し退けなければ、あの氷柱に貫かれていたのは疑いようがない。
(助けられた?)
 普段のユリウスから、他人を助けるなどという事を考えられなかったミコトにとって信じられない事だった。動揺を隠せないミコトは、目を見開いたまま再びユリウスを見上げる。
 ユリウスは半眼で、大地に突き刺さり溶ける様子の無い氷柱を見ていた。その視線は、先の氷柱よりも冷たく鋭い。
「氷刃魔法……ヒャドか」
 ポツリと呟かれたそれを待っていたかのように、夕空を覆い隠す様に生い茂っていた葉の間から、次々と影が飛び出してくる。夜の闇に同化してしまう蝙蝠のような風体の魔物…バンパイアが数匹、ユリウスとミコトにその鋭い牙と爪を向けて飛び掛って来たのだ。
(こんな所に…バンパイアが現れるなんて!)
 完全に虚を突かれたミコトは、未だ大地に膝を着いたままである。既に戦闘態勢を解いていたソニアやヒイロは、武器を構え直すが間に合わない。ただ一人、こんな切迫した状況下でも動揺を微塵も見せていないユリウスは、無表情のまま左手を迫ってくるバンパイア達に翳す。そして……。
「べギラマ」
 ユリウスの掌から眩い光を発し、疾る赤い閃光は、周囲の空気を灼きながら魔物に襲いかかる。
 通常、常識的に森林の中で炎の魔法を使う事は、自分も炎に包まれる可能性があるので行われる事は無い。それは魔法を使う事の出来るソニアが一番判っていた。しかし、ユリウスの放つそれは高度に制御されているのか、幾条もの熱線は対象となる魔物のみを貫き、灼き尽くしていった。
 その身を焼かれてバンパイア達の耳をつんざく悲鳴が、シン…とした森林に鳴り響いた。
 やがて燃え尽き、炭となった魔物の躯は次々と音を立てて地面に落ち、その際の衝撃で朽ち果て、灰塵になる。対して周りの木々を始め、枝葉は一本一枚焼かれていない。そんな異様な光景にソニアは驚愕した。

 逡巡と沈黙が流れる中、どこからか地面を這う音が静けさを保っていた森林に駆ける。
 視界の端で、運良く熱線の直撃を免れたが、翼を焼かれて飛ぶ事が出来なくなったバンパイアが、大地を這いながら逃げようとしている。
 ソニアやミコト、ヒイロは戦意の感じられないそれを追おうとはしなかったが、ユリウスはゆっくりと歩み寄っていった。抜き身の刃が、木々の間から零れてくる夕日に照らされて白く、冷たく輝く。
 既に逃げる事に専念していたバンパイアは、背後から近寄る気配に震え恐る恐る振り向くと、そこには無表情のユリウスが、何の光も灯さない漆黒の瞳で見下ろしていた。
 魔物といえども元は怪物モンスター種。動物よりも野性が強い故に、その行動はより本能に依存する。そしてその強い本能が感じているのは圧倒的な死の恐怖。それは人間の目から見ても明らかなものであった。
 闇の住人である筈のバンパイアですら、そのユリウスの瞳が湛える闇に、恐怖に怯え、慄いている。
 ユリウスが一歩踏み出せば、バンパイアは一歩後ずさる。一歩、また一歩……。
 確実に迫ってくる死の恐怖に、本能が耐え切れ無くなったバンパイアは後ろを向いて一気に逃げ出そうとした。
 ……が、背中を向けた瞬間、冷たい刃がバンパイアの心臓を寸分の違い無く、深深と貫いていた。断末魔を上げる事すら出来ずに事切れ、その躯は虚空に消え去る。
 ユリウスの手に握られた、白刃に滴る青い血だけがその存在の証明を物語っていた。




 凄惨な状況に、周囲の音が止んだように誰もが思った。
「……ユリウス。何も殺さなくても良かったんじゃないか?」
 ヒイロは苦々しい顔をして言う。そう言葉にするのがやっとだった。
「……そうよ。あの魔物はもう戦意を無くしていた。生命は無意味に奪って良いものでは無いわ」
 目を伏せ気味に少し顔色を青くし、ソニアは眉を寄せながら言う。こちらの返事を待たずに地に膝を着いて、魔物達の鎮魂へ祈る。ミコトも無言でソニアの傍らに立ち、黙祷を始めた。
 ソニアとミコトは仲間として同行してから、戦闘が終わった後には一度も欠く事無く屠った魔物への冥福を祈る。それが彼女等の性分なのか判らなかったし、理解し難いものだとユリウスは思っていた。
 そんな彼女達を氷のような冷たい眸で一瞥し、瞑目する。
「敵は全て…………殺さなければならない」
 そう呟いてユリウスは剣に付着した青き血糊を振り掃い、鞘に収めた。






 もう既に、陽が落ち始めていた。
 周りの木々の壁の中に、陽日が取り込まれる如く明るさを失い、続く薄闇がその壁をも飲みこんでいった。
 このまま先へ進むのは得策じゃない、と判断したヒイロは提案する。
「日が落ちてからの山登りは危険だ。今日はここで野営にしよう」
 その提案にミコトは頷き、ソニアも疲れ切った為か再び腰を下ろした。
 ユリウスは無言で頷いた後、手近な木の根元に座りこんで、ここで始めて大きく息を吐いた。

 野営の準備で、ミコトが集めてきた枯れ木にユリウスは魔法で火を点けていた。そのとき、ミコトが思い出したかのようにユリウスを向いた。
「ユリウス……」
「?」
 いつもの溌剌で凛とした声では無く、どこか済まなそうな、照れの混ざったような篭った声でミコトは話し掛けて来る。ユリウス自身にとって、ミコトから自分に話し掛けて来るなど滅多に無いから、訝しげに眉を寄せる。
「……さっきは、すまない」
 そこへ、ミコトは両側で結われた髪を躍らせて深深と頭を下げた。それに益々意味がわからなくなったユリウスは、もう目を瞬かせるしかなかった。
「……何の事だ?」
「氷の魔法から庇ってくれただろう。その礼だ」
「…ああ。そういえば、そうだったな」
 真意を掴めていないユリウスに、苦笑しながらミコトは言った。それを聞いて漸く得心がいったのか無感動、無表情でユリウスは呟く。
「だが、礼を言われる事じゃないな」
「?」
 ユリウスの言わんとしている意味が理解できなくて、ミコトは不思議そうに首を傾げる。その様子を見て溜息を一つ零し、ユリウスは面倒臭そうにその説明を始めた。
「あの時お前が立っていた場所は、俺の魔法…ベギラマの射線軸上だったからな。そのまま、あそこにいられたら邪魔になったから退かしただけだ」
「…………」
 そう言えば、とミコトはその時の状況を思い出す。



 確かにあの時、私がいた場所には魔物の魔法が降り注いできたが、あの後ユリウスが放った魔法も、丁度そこを通過していた気がする……。
 ソニアやヒイロも慌てていたのに対して、ユリウスは微塵も慌てた様子も見せていなかったし、既に魔法構築は完成している様でもあった。
 あの落着き払った様子はまるで、あの場所に敵が出てくるのを待っていたかのように――――!!



 そこまで考えが至ると、ミコトはある事に気が付いた。
「…と言うことは、始めから魔物がいる事に気が付いていたのか?」
「ああ」
 微かに声を震わせながら、恐る恐る訊く自分に対して、この眼前の少年は臆面もなくキッパリと肯定する。だんだん自分の頬が引き攣っていくのをミコトは自覚できた。
「…………だったら、何で早く言わないんだ!」
「木の上に何匹かいるのは判ったが、どんな種類なのかまで判らなかったからな。だから、敢えてこちらから何もせずに、相手に先手を撃たせた。その方が確実に魔法で一網打尽にできると踏んだからだ」
「…ひょっとして、私は囮だったのか?」
「いや、お前があの場所に突然踏み込んできただけだ。……だから、礼を言われる筋合いはない」
「……………」
 開いた口が塞がらない、と言った面持ちで唖然としているミコトにユリウスは抑揚の無い声で綴った。それがミコトの癪に障ったが、結果的に助けられたという事実をおもんぱかって、ぐっと堪える。無性に一発、その表情の無い顔を殴ってやりたくなったが、その衝動は胸中で押し込められた。






「カンダタって人は、義賊…なんだよね」
 焚き火を囲みながらの食事を終え、これからの予定について話し合っていた時、ソニアが自分たちの追っている人物の名を徐に呟く。それを聞いてヒイロやミコトも頷いた。
「街の人の話を聞く分じゃ、そうらしいね」
「教会でも同じ事を言っている人が何人もいたな。若い男連中が、こぞって手下になりに行くって嘆いていたよ」
 馬鹿げている……、と後に続きそうだった。そんな憮然とした表情と声でミコトが焚き火に薪を放る。
「義賊……か」
「どうかしたのか?」
 一人、近くの木の幹に背を預けて、抜き身の剣を手入れしていたユリウスは呟いた。
 それは焚き火の燻る音で掻き消されそうな程度のものだったので、ヒイロとソニアは実際には聞き逃していたのだが、ユリウスの近くに座っていたミコトが反応したので、二人もユリウスに視線を移す。
 三人の視線を受けてもそれに気付いてかいないか、焚き火の光を受けて白く輝く刃から目を離さない。
「単なる結果論だろ? 盗みに入った貴族の屋敷とやらが、偶々悪どく稼いでいたってだけで」
「それは、……まあ、ありうる事だけど」
 所詮は人の噂だ、と呆れた様に溜息を吐きながら刃を磨くユリウスに、苦笑しながらも否定はしないミコト。
 事実、そういうやり方で財を成した人物がいる事を旅先で幾人も見たからだ。お世辞にも世間体が良いとは言えない職である冒険者とはいえ、そういった人物に雇われる事を極度に嫌い、避けていたので彼の言葉を否定する気は無かった。
「だいたい金の集る所など大抵非合法に稼いでいるか、水面下で不穏な事をしているからな」
「……偏見だぞ、それは」
 尚も辛辣な言葉を続けるユリウスを、呆れたように半眼で見つめながらミコトは肩を竦めた。

「で、どうするんだ?」
 ここで初めて、ユリウスは同行者達に視線を移す。その口調は聞く人によっては、酷く他人事の様であるように聞こえてしまう。例に漏れず三人はそう捉え、眉を顰めていた。
「捕えるに決まっているだろ。盗賊なんて輩を放置するわけにはいかないな」
「…………」
 そこへ両手を握り締めて、正義感の強いミコトは言い放つ。その真っ直ぐで意志の強さを物語っている視線は、『勇者』という称号を得ていながら、それらしからぬ態度と思考のユリウスに向けられていた。当然、そんな視線を歯牙にも掛けていないユリウスであったが、ミコトの横でそれを聞いて、『職業』盗賊のヒイロは何ともいえない苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あ、ヒイロ。そう言う意味じゃ………」
 自分の言葉と、ヒイロの溜息に気付いてミコトは慌ててフォローするが、余り効を奏さない。
「はは…、いや、俺は盗みはしないよ……」
 ヒイロの乾いた笑いが、夜の冷気と共に周囲に響き渡っていた。




「じ、じゃあユリウス。お前はどうするつもりなんだ?」
 気を取り直して再度、ミコトは真っ直ぐな緑灰の視線をユリウスに向ける。強い真摯な視線で答えをはぐらかされない様に。そんな考えが自分の中にあった。



 この『勇者』は今までの旅路の中で、他人を欺く事に長けていると言う事がわかった。
 それが本心を隠そうとしての事か、単なる享楽からか判らないが、性格的に後者は無いと思える。試す様で気分は良くないけど、確かめる必要性がある。
 何故なら、これから相対しようとする相手は『魔物』ではなく『人間』なのだ。



 ミコトの真っ直ぐな視線を受けて、億劫になったのか溜息を吐きつつユリウスは言う。
「………俺らが受けた勅命は金の冠の“奪還”だ。それ以外やる気は無い」
「盗賊が、盗んだ物を返すとは思えないな。カンダタ達が敵対したらどうするつもりだ?」
 一層、語調を強めてミコトは言う。これだけは言っておかねばならない事であったからだ。
「……どう、とは?」
 訝しそうに目を細めるユリウスに、ミコトは再度目を瞑る。



 相手は『人間』である以上、自分は命のやり取りをするつもりは無い。相手を捕え、正義と秩序の下で罪を償わせる事が、自分の考えるこれからの行動指針だ。
 だが、今までのユリウスの戦闘行動を振り返ってみると、敵対した・・・・魔物は全て例外無く殺してきている。それが、手負いで放っておいても絶命する事がわかっている魔物に対しても、その刃を振り下ろし自分の手で屠ってきている。そして何より、先程敵意を無くして逃げようとした魔物ですら躊躇無く殺したのだ。
 そんな情けと言う言葉を知らないような戦いをするユリウスが、『人間』に対して戦闘行動を起こせば、その結末は凄惨なものになるのではないか。
 考えたくは無いが、ユリウスの情動が見られ無い面は、否応無くそれ・・を想起させてしまうのだ。



「捕えるにしろ、説得するにしろ、戦いは避けられないと思う。その時お前はどうするか、だ」
 凛とした声が、深々としている夜の森に響き渡る。ミコトとユリウスは視線を合わせたまま外さない。
 張り詰めた緊張の下、見詰め合ったまま、暫し静寂が訪れる。
 その気が遠くなりそうな静けさと緊縛は、この森にいる全ての者が続くユリウスの言葉を待っているかのようだった。
 ピリピリと重圧を感じる沈黙。そして言葉の意味と重さに言い出したミコトはもとより、聞き入っていたソニアとヒイロもいつしか真剣な表情になる。
 誰かが、ゴクリと唾を呑む音が聞こえてきそうでならなかった。

 雰囲気を介さずに、ゆっくりとユリウスはミコトから視線を外す。そして……。
「言ったはずだ。敵は殺す。……魔物であれ、人間であれ」
 鞘に剣を静かに収めながらポソリと呟いた。その声はいつも以上に抑揚は無く、研ぎ澄まされた利刃のように冷淡だった……。




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