――――第二章
      第二話 錯綜する思惑







「……馬鹿馬鹿しい」
 城を後にしたユリウスの第一声がそれだった。
 今は昼を前にして大勢の人間が縦横無尽に闊歩する大通りを、四人並んで歩いている。人の流れに呑み込まれ無いように、と気を張る程の賑わいがそこには在った。
 喧騒の中を元気良く掛け回る子供。異国情緒溢れる珍しい品々に眼を奪われる青少年。鳥の囀りの様に手にした竪琴を掻き鳴らして詠う吟遊詩人。それを恍惚とした表情で聞き入る婦女子。家庭の日常を切り盛りする寡婦。それら、過ぎ行く人々と変わらない日々を遠く眺める老夫婦……。
 人の数だけ存在する安寧の群像。揺らぐ事が無いと信じて疑わない平和。
 ユリウスの言葉は、それらに対しての皮肉も込められていたのかもしれない。
「随分ノリの軽い王様だったな。お調子者というべきか……」
 ミコトも珍しく、深い溜息を吐きながら言った。
「それもあるけど、ユリウスが王の頼みを受けたのも以外だったね」
 ヒイロは感心したように口を開く。その口調にはどこか、からかうような気安さが込められている。
「………あの状況下で、それ以外の選択肢など無いだろう」
「……確かに」
 そんなヒイロを半眼で睨みながら、ユリウスはこれ以上無いくらいウンザリした様子で返し、双眸を伏せた。



 そもそも勅命を無視できるのであったら、自分は今ここにいる訳が無いのだ。
 もし自分に何の身寄りも家族も無ければ……、自分ただ一人であれば勅命を無視し、差し向けられるだろう追手を掃いながら、ただ目的を果す為だけに形振り構わずに進む事は可能だ。
 だが実際には、故郷にはこんな自分を育ててくれた家族がいる。絶対にその人達に諍いを齎すわけにはいかない。家族の為にも、妥協による選択をしなければならないのだ。
(……或いは、それを家族の所為にしているのかもしれないな)

 ロマリア王は、金の冠を取り返してきたら・・・・・・・・・・・・“真”の勇者と認め旅の援助をする、と掌を反した。
 自国の不利になって、既に決定していた事項に条件を付けるなど、自らの狭量さを露呈しているにすぎないと言う事に、微塵も気付いていないようであった。まさにミコトの言う通り‘お調子者’だ。
 そればかりか自国の威信をかけた問題を、一介の冒険者…それも他国の庶民に委ねてくる王の思考は理解できないものだ。一国の主としての対応として、正気の沙汰とは思えない。
 尤も、その王の采配の結果、この国が栄えようが廃れようが自分には関係無い事だし、自分個人としても、このロマリアという国の為に働く気など微塵も無いから、どうでもいい。
 そもそも国家の威信の象徴たる金の冠を盗まれたのは、この国の落ち度に他ならない。その尻拭いなど誰が進んでやると言うのか……。それこそ、民の税で生活をしている騎士団、王侯貴族の仕事ではないか。
 別に自分は『勇者』などと認めてもらう必要は全く無いから、このまま捨て置いても良かったのだが、ここで不興を蒙れば面倒事が起きる事になるなど目に見えていた。
 最悪、アリアハンとロマリアの外交問題にでもなったら、直接原因の自分はおろか、故郷の家族に確実に火の粉が降りかかる。それだけは、何としても避けねばならない。
(『勇者』とは本当に面倒な肩書きだな……)



「それで、これからどうするの?」
「……取り敢えず、情報を集めるかな。現状を把握し、認識するのは、何か行動を起こす上での第一歩だからね」
 大通りの真ん中に位置している噴水広場に辿り着いて、休憩をしているとソニアが今後の方針を尋ねてきた。
 ユリウスは未だ眼を瞑ったまま思案に耽っており、それを横目で捉えながらヒイロが提案する。この辺り、流石は年長者なのか、或いは面倒事に慣れているのか的確な判断だった。噴水の縁に腰を下ろして、近くの露店で買った冷たい飲み物を飲んでいたミコトも、異存無いと無言で頷く。
 やがてユリウスも思案の淵から帰り、開眼した。
「そうだな。ついさっき盗まれた事に気が付いたのなら、そう連中も遠くには行っていないだろう」
「……ああ」
「尤もキメラの翼を使われたか、この国の宝物庫の見張番が平和ボケで気が抜けていたのなら、もう追い付かないだろうがな……」
「おいおい……」
 酷く面倒臭そうに肩を竦めるユリウス。
 それにヒイロは苦笑するばかりで、訂正しようとはしなかった。王室でのあの状況を見て、そう感じたのは自分も同じだったからだ。
「実はかなり前に盗まれていて、今頃気付いた……何て事も有り得る」
「……確かに、この国の様子ならな」
「ミコト……」
 尚も続くユリウスの批判地味た推測。いつもならその穿った言に真っ先に反目するであろう筈のミコトまでもが同意した為に、その様子の違いからソニアはただ不安そうに名前を呟くだけであった。
「ま…まあ、取り敢えず情報を集めよう。全てはそれからだ」
「そうね。……私は教会に行ってみるわ」
 噴水の縁に腰を下ろして遠巻きに視界に入る、教会の聖印が先程からソニアの目を惹いていた様で、巡礼がてら情報を集めに行く事を主張する。このご時世、旅の安全の祈願を込めて教会を訪れる冒険者や旅商人も少なくないからである。ここロマリアでは、大空神フェレトリウスが国民の多くに信仰されているが、国教として祭り上げられている訳では無い。よって精霊神ルビスを奉ずる教会も存在している。ソニアの目に映っていたのはそちらの方であった。
「私も着いて行くよ」
「うん」
 そこで、いつもの調子に戻ったミコトも意気込んで腰を上げた。旅人が集まる所には、応じて何かと面倒が起こる。そんな諍いにソニアを巻き込む訳にはいかない。そう考えての行動だった。
 普段の、溌剌とした様子に戻ったミコトを見て、ホッとしたソニアは微笑を交わしてルビス教会の方へ歩を進めた。異国の信仰の様子を垣間見れる事もあってか、その足取りは軽い。
「じゃあ後で、宿で落ち合おう」
「わかった」
 ヒイロの掛けた言葉に、二人は微笑みながら手を振って答えていた。

「……さて、と。じゃあ俺は道具屋に行ってくるよ」
 一息吐いて、ヒイロも行き先をユリウスに告げる。その言葉にユリウスは訝しんだが、思い当たる節もあったので、真意を探る様に言葉にしてみる。
「道具屋? ……この辺りの地図か?」
「そういう事。ミコトはどうか知らないけど、俺はこの辺は詳しく無くてね。後、色々噂話も聞いてくるよ」
「ああ」
 レイヴィスが賢者バウルに頼まれて持ってきた地図は、現在位置を把握する事には申し分無い働きをするが、未踏の部分が空白なのだ。その補完の為に、地域の周辺地図と照合する必要があることをユリウスは思い出し、余計な出費に思わず溜息を吐いた。
 その様子にヒイロは苦笑を浮べ、商店街の方へ踵を返しながらユリウスを見る。
「ユリウスはどうするんだ?」
「……気は進まないが、城の兵士連中に何か聞いてくる」
 酷く気だるそうに、ユリウスはロマリア城の双塔を見上げる。言葉通り、再び城に赴くのが心底嫌そうな様子だった。だが『勇者』であるユリウスの方が城で有益な情報を得られるだろうと踏んだヒイロは、面倒臭そうにしているユリウスにまたも苦笑を漏らす。
「はは、じゃあ頼むよ」
「………ああ」
 こうしてそれぞれ情報収集へと移って行った。




 そんな彼らの様子を、遥か遠くから見つめている影が有る事を、今は未だ誰も気付いていなかった………。






 道具屋でロマリア周辺の地図を買ったヒイロは、商店街の一角に佇む酒場を訪れていた。
 酒場には人が集まり、そこには噂の種が芽吹く汎用的な情報源である事をヒイロは知っている。その際に物事の真偽を見抜く眼力の有無が問われるが、これまでの自身の人生においてそれは有ると自負していた。
 ルイーダの酒場より幾分か店の規模は大きいが歴史が深いという訳ではないので、真新しさを感じてしまう。
 以前に来たのはアリアハンに渡る前だから、もう一ヶ月以上も経っている。普通、たかが一月でそんなに受ける印象が変わる事などは無いのだが、歴史の深い‘冒険者の聖地'とまで呼ばれているルイーダの酒場に行った後では、どうも見劣りを感じてしまう。
 酒場の経営者に失礼だな、とヒイロは苦笑しながら酒場の戸に手を掛ける。小気味良い音と共に開かれた戸の先には、酒や煙草の匂い、そして人の喧騒が在った。




 屋外から急に屋内に入った為、目がその明るさに慣れないのかヒイロは思わず目を細める。やがて琥珀の眸には昼になったばかりの刻限だというのに、人で賑わっている様子が窺えた。この酒場は大衆食堂も兼ねている訳だから、当然といえば当然なのだが……。そう思いながら、ヒイロはカウンターに向って歩き出す。
 テーブルを囲んで団欒だんらんを愉しむ人々や、カウンターで昼間から酒を煽っている人々には、陽気な笑顔で満ち溢れていた。それはこの国が平和だという事を示すものであり、本来ならば歓迎すべきものなのだが、先程王に謁見を済ませて来たヒイロにとって、それらを見ていると何とも言えない感情が込み上げて来る。‘平和ボケ'とはユリウスの言だが、あながち外れでは無いと思えてくる。
(ま、言葉を言い替えたところで意味は同じか)
 ヒイロは内心でそう呟いて、カウンターに腰を下ろした。

「カンダタ一味? ああ、知ってるよ。この辺りを縄張りにしている大盗賊だろ」
 マスターにそれと無く訊いて見たが「さあねぇ……」、と曖昧な笑みと返事しか返ってこなかったので、ヒイロは苦笑しながらジョッキで麦酒を一杯頼んだ。そうすると今度は、にこやかにマスターは情報を提供してくれるのであった。この辺の機微は流石は酒場のマスターといったところか。ヒイロは胸中でそう呟く。
「近頃じゃ、街の若い衆が次々とカンダタの手下になっているっていうぞ」
「あの大盗賊だろ? 憧れるよなぁ……」
 マスターの発言とほぼ同時に、ヒイロの隣に座っていたユリウスぐらいの年齢と思しき少年が、グラスを持ちながら話に加わってきた。その表情からは恍惚としたものさえ感じられ、思わずヒイロは苦笑してしまう。
「そうなのかい?」
「そりゃそうさ。悪どいやり方で財を成した貴族、商人からしか、盗みはしないからな」
「それって、義賊気取り?」
「気取じゃない! 義賊そのものなんだよ。……兄さん、ひょっとしてここに来たばかりだなぁ?」
「ま…、まあね。田舎の方から出てきたばかりでさ。良くわからないんだ」
 既に五.六杯のグラスを開けている少年の目は剣呑としていて、訝しんで来る視線をかわす為にヒイロは話を合わせる。確かに、この国に着いたのは昨日の晩なので、全て嘘を吐いている訳ではないのだが……。
「成程なぁ…。じゃあ、覚えておいた方が良いぜ。義賊盗賊団“飛影”の首領カンダタは最高の漢さ。変わり映えの無い、つまらねぇ世を変える盗賊団! ……やっぱ、男ならああ言う生き方してぇよなぁ……。腑抜けた騎士団なんかより、よっぽどカッコイイぜ!」
 グラスを力強く握り、力説してくる少年の迫力に半ば圧倒されながらも、必要な情報を知っていそうな少年の話を聞き入る。少年のカンダタに対するその心酔振りに、ヒイロは何歩か引き下がってしまうが……。

 少年の語るペースに比例してグラスの数も増えていく……。マスターとしてはいい売上になるのだが、加速度的に上昇する少年のペースと、その顔の赤さに危機感を覚えたヒイロは、欲しい情報を明確に口にする。
「…そ、そうなんだ。じゃあさ、君は彼が何処にいるか知っているのかい?」
「そりゃあ〜、な。カンダタぁ親分の元で働きたくて〜、俺のダチとか何人も遥か北西に〜有るって云う、古い塔を目指して旅立っていってるんだ〜」
「北西の塔? ……マスター、知ってる?」
 とうとう呂律の回らなくなってきた少年に、水の入ったグラスを差し出してきたマスターにヒイロは尋ねる。
 正直な話、ヒイロはマスターのこの行動に感謝すら覚えていた。このままのペースで飲み続けられでもしたら確実に倒れるのは目に見えている。そうすれば、自分にその面倒を押し付けられやしないかと内心、冷や冷やしていたからだ。
「ああ、確かシャンパーニ……だったかな? よく判らんが、とにかく無茶苦茶古い塔って話だ」
「へぇ…、そうなんだ」
 自分は盗賊として、古代遺跡の探索を主な生業としていたので、マスターの言う「無茶苦茶古い」という言葉には、少なからず好奇心が湧いてきたのを自覚する。魔王討伐の旅に同行している最中で、その様な場所を訪れる事ができる機会に、不謹慎だと思いながらも笑みを止めることはできなかった。

「止めとけ、兄ちゃん。今の時世、何処へ行っても魔物が出てくる。わざわざ危険を冒す真似は止めるんだな……。お、魔物って言えば昨日、アリアハンから『勇者様』がこのロマリアに来たんだそうだぞ」
 まるで、珍しい生物を見たかのようにマスターは嬉々として語る。その様子から、この国の人間にとって『勇者』や『魔物』などは自分たちには縁の無い、娯楽的話題提供としての価値しか存在しない。とすら思えてしまう。
 その話題の人物が、自分の仲間だと知ったら彼らはどう言う反応をするのだろうか……。
「へっ、『勇者』が何だってんだ〜。大方、親の七光りの〜腑抜け野郎に決まってらぁ……」
「……まぁ、そうだろうな」
 半ば夢心地の少年とマスターのやり取りを見て、『勇者』に対しての反応がアリアハンのそれと違う事に妙な感心を覚える。が、仲間の事をそう言われて良い気分はしなかったので、ヒイロはそろそろ立ち去ろうと席を立つ。ほんの少し憤りを感じ、卓に着く手に力が入った……。
「…じゃあマスター。お代」
「まいど。……ん、ちょっと多いぜ兄ちゃん」
「ああ。彼の分ね」
 カウンターに突っ伏して、鼾を掻き始めた彼に、与えてくれた情報に対しての報酬……。なのだが、その真意を判る者はいなかった。気前が良いねェと、にこやかに言うマスターに、ヒイロは口元を歪ませて踵を返す。
 颯爽と酒場を後にして、この国の人間の気質を僅かだが垣間見て、「平和ボケ」というユリウスの言に本気で賛同してしまい、苦笑を浮べる他無かった。




 地図を買い、欲しい情報も手に入れた。後は、仲間達の情報と照らし合わせて今後の行動を決める。そう考えながら、ヒイロは宿場街に向う為に大通りを目指して、迷路の様に入り組んだ商店街を通り抜ける。
「義賊盗賊団“飛影”首領カンダタね……。………なのか?」
 ふと、帽子を指で弄びながら呟く。
 それは、周囲の喧騒に掻き消されて、誰の耳にも届くことは無かった。






「皆の集めた情報をまとめると、カンダタ一味はシャンパーニの塔を根城にしているのは確実だね」
 ヒイロは道具屋で購入したばかりの、ロマリア周辺地図を眺めながら言った。
「……遠いな。地理的に直接シャンパーニに乗り込むのは得策じゃない。最も近いのはカザーブ村か……」
 ロマリア領土内の様子が描かれたそれには、街道の距離や地形、標高など欲しい情報が詳細に記されている。それを賢者バウルから頂戴した魔導器の地図と照らし合わせていた。
「そうだね。まずはそこを目指す事になるな」
「ミコトはカザーブには行った事があるの?」
 得心がいった様に断言するミコトに、ソニアは不思議そうに訊いた。
「うん。一度だけだけど、……ヒイロは無いのか?」
「まあね。知識としてどんな所かは知っているけど。俺は王都ロマリア以北の町には行った事が無いんだ」
「そうなんだ……」
 旅続きの生活を送ってきたと二人から聞いていたソニアにとって、ミコトとヒイロの旅の道程の差異に、世界の広さを感じずにはいられなかった。そうした道を自分も辿るのだと改めて思い、唾をゴクリと呑み込む。

 シャンパーニの塔を指差し、そこからカザーブ村まで指を這わせながらミコトとヒイロが話をまとめていた。地図上の事なので、いまいち距離感が掴めなかったソニアが質問する。
「ロマリアからカザーブまでどれくらいで行けるの?」
「この距離からすると徒歩で十日間位はかかるだろうな」
 ソニアの疑問に、自身の指を縮尺の様に翳しながらヒイロが答える。それにミコトが念を押す様に付け足す。
「………何も無ければの話だけどね」
 この時世、旅をするのに何も無いと云う事は皆無である。どこにでも魔物は現れるし、人里から離れればそれだけ魔物の領域テリトリーなのであるから。
「乗合の馬車でも当たってみるか……。まあ、どちらにしろ早いうちにカザーブ山脈の手前まで進めれば良いほうだね。山越えはしんどいだろうし、体力を温存しておかないと。あと、カザーブはここより標高が高いから少し寒いかもしれない」
 ヒイロは端的に言うが、かえってそれがソニアを不安にさせた。
「そ、そんなに寒いの?」
「大丈夫だよ。外套を羽織ってさえいれば凌げる寒ささ。この地方ももうじき夏だからね」
 唯一人現地を知るミコトは、ソニアの不安を和らげるように優しく言った。




 そこへ、今まで黙って窓際に背を凭れ掛けていたユリウスが口を開く。
「おい、つけられているぜ」
「何!?」
 ミコトが即座に反応した。ユリウスとは反対の位置に立ち、覗き込む様に外を仰ぐ。
 宿の影になっている納屋の傍に一人。遠くに群立する木陰に一人。そして、露天商の前で屯している人々の中に一人。流れ往く人々の中で、その三名だけが時間が止まったかのように、佇んでいる。……全て、この部屋に視線を向けていた。が、こちらからの視線には気付いていない様だった。
遠視技能タカのめを使われていないだけマシか)
 胸中でユリウスは嘆息する。
「……三人か。でも、一体誰が?」
「さあな? 心当たりが多すぎる」
 窓から離れ、肩を竦めながらユリウスはミコトの問いに答えた。
「多い?」
「ああ、組織だった集団と言う意味で、とりあえず三つは考えられる」
「三つも?」
 ソニアが呟くように言った。
「一つはロマリア王国。幾ら勅命を下したといっても所詮は他国の人間。しかも一介の冒険者だ。信用しきれないのかもしれない。ま、国宝を託すという訳だから当然といえば当然だな。もう一つはカンダタ一味。連中はこの一帯を縄張りにしているらしいから、俺達の事を何処かで嗅ぎつけたのかもしれないな」
「確かに考えられるな。……それで最後の一つは?」
 一本ずつ指を立てながらのユリウスの推論に、ヒイロは納得したように相槌を打つ。
「……アリアハンだ」
 躊躇ためらう事無くはっきりとユリウスはその名を言った。その闇色の瞳には何も映す事無い。

「アリアハン?」
 その地の出身者であるソニアが声を上げた。
「一応、不本意極まりないが俺は名目上アリアハンの看板を背負っている事になっている。国家の威信を失墜させないように、或いは他国で余計な事をされないように、監視しているのかもしれない」
 半ば自嘲的に話すユリウスに一同は黙って聞き入っている。肩を竦めて話すユリウスに、ソニアは何か言いたそうにしていた。
「アリアハンが俺らを監視しているとすると、タイミング的にレイヴィス辺りが怪しいな」
「ユリウス、それは全てあなたの憶測でしょう!」
 彼の現れ方は、非常に不自然だった。あんな僻地に、都合良く封印の石壁が破壊されると同時に現れたのだ。怪しまない方が可笑しい。ユリウスはそう考えていた。
 対して、躊躇無く他人に嫌疑をかけるユリウスに、僧侶としての本分か、彼女自身の性分からかソニアが抗議をした。整った眉を顰めて、紅い瞳で真っ直ぐにユリウスを見据える。
「憶測? お前が何を言っている……。アリアハン城を出た時、お前が初めに言った事を忘れたのか?」
「それは……」
 もう旅立ちから一月近く経っている。その初めに言った事を思い出して、ソニアは言葉を詰まらせてしまう。
「はっきりお前は、俺を監視する為だ、と言っていただろう」
「………」
 瞠目した後、ユリウスは溜息を吐き半眼でソニアを見る。その驚く程冷厳な視線と言葉に、ソニアは虚ろに視線を泳がせる事しかできなかった。
「同行者として近くでの監視か、或いは観察者して距離を置いての監視か。ただ、それだけの差だろう。何にしても奴が疑わしいのに変わりは無いな」
「そんな言い方って!」
 思わずテーブルを叩いて、立ちあがる。その普段らしからぬ情動のまま動くソニアに、ミコトは眼を丸くした。同郷のユリウスの言葉がそんなにも許せないのか…。そうソニアを見上げながら考える。
 ふと、それが自分の故郷についてだったら、自分はどうしていただろうか。ミコトは瞑目して考えると、ソニアと同じである事に思い至った。それだけ、故郷というものには思い馳せらせる何かがあるのだ。それに躊躇無く猜疑を向けるユリウスの考えは、解しがたい。
「そこまでだ。二人の言い分もわかるけど、今は言い争っている場合じゃないだろ?」
 ミコトの思案を他所に、有無を言わせない厳しいヒイロの口調に、ユリウスは「ああ」と頷き、ソニアは開眼したミコトに肩をポンと叩かれて平静を取り戻す。それらを眺め一つ深く溜息を吐いて、ヒイロは論点のずれを修正しようと試みる。

「まあともかく、ユリウスの考えからすると注意するのはカンダタ一味って事か」
「敵対する可能性があるという点では、な。だが、監視で行動を留めているうちはこちらの出方次第ってことだ」
 頷き合うユリウスとヒイロ。
「そうなるね。妨害したいのならば既に襲撃を受けても良いだろうし……。ロマリアやアリアハンに至っては、俺達を襲う意味は無いだろう。となると、ここにいつまで留まっていても仕方が無い。どこの監視なのかをハッキリさせる為にも、こちらから動くしかないって事だね」
 口元に手を当てて極めて冷静に対策を練るヒイロに、珍しそうにユリウスは、どこか攻撃的な口調で声を掛ける。
「……随分冷静だな。普通、監視なんて受けていると判れば、もっと慌てるはずだぜ」
「……まあ、いろいろあってね。慣れている……、ようなものかな?」
 余裕を持ってそれを受け流すヒイロ。その琥珀眼の瞳に微かな影を宿していたが、誰もそれに気付かない。否、気付かせない。
「ま、俺には関係無いからいいけど」
「はは…、そうだな」
 いつもの様に肩を竦めてユリウスは、溜息を吐く。その様子を認めてミコトやソニアもホッと息を吐いた。やがて三人は、出発の目途が着いたので必要と思われる物資を補給と、カザーブ村までの乗合の馬車を探しに部屋を後にした。
 ただ一人、部屋に残ったまま窓の外を見るヒイロの澄んだ琥珀の瞳は、自身の白銀髪の様に鋭く、そして儚さを灯していた……。






 ロマリア王宮謁見の間。夕日に照らされた二つの影が、壁面に幽々と映し出されている。
 玉座に座す王と、その眼前にて跪くアリアハン宮廷騎士レイヴィス。やがて、ロマリア王クラウディアスは重々しい口調で言葉を紡ぐ。
「レイヴィス殿。本当に『勇者』は、やり遂げてくれるのかな? カンダタとは強き者。我が国の騎士団でさえ、奴にはまるで歯が立たなかったのだ。あのような小僧が勝てるとは思えぬな」
 その冷淡な口調は、国民に愛され親しまれている人物とは同一とは思えない酷薄さを醸し出していた。
「心配には及びません。我々の造り上げた・・・・・『勇者』が、辺境の賊如きに遅れを取る筈もありません」
 王前で恭しく跪き、頭を垂れたままレイヴィス。その声には抑揚は無く、凡そ感情が感じられない。
 そんな他国の騎士の落ち着き払った様子に、王は思わず歯噛みする。眉間に刻まれた皺が一層強張った。
「随分と自信がおありの様だな。………そなたを信じないと言う訳では無いが、これは我が国の威信問題でもある。我々の方から“草”を放たせて貰った」
「構いませんよ。こちらとしても、信用を得るには先ず実績が必要ですからね。……そう考えれば、この国の失態は我がアリアハンにとっては都合が良かったと言うもの………、口が過ぎました。お許しを……」
 普通ならば激昂してしまうようなレイヴィスの発言。だが王にとってその淡々とした口調は、異形の生物が眼前でこちらの様子を窺い、隙在れば何時でもその牙を剥く様に思えてならなった。
「………口惜しいが、反論はできぬ。我が国の軍は平和の代償故に、実戦経験に乏しい者ばかりじゃからの。この王都を護るだけで手一杯なのが現実じゃ。カンダタ一味だけでなく、領内の北東に屯している大規模な山賊共にも手がだせんのが現状じゃからな」
 他国の騎士風情に気後れなどしていられない。そんな王の自尊心が、今の冷静さを保っているのであった。
「……心中、お察しします」
「我々が、既に盗まれていた物を今の今まで隠し通してきたのを利用して、ここで『勇者』を使おうとはな……。一体、アリアハン王は何を考えておるのかの? ……政権が交代して既に十年近く。ザウリエ王はかなりのやり手と聞く。『勇者』を使って何を望むのか?」
「……国の為を思うのであれば、その言葉はご自身の胸の内におしまい下さい」
 淡々としたレイヴィスの言葉に、重い沈黙が謁見の間を支配していった。
 遠く部屋の外での兵士や女中達の会話が、隔てられた壁を伝わり室内に響きわたる。

 やがて、その緊縛にも似た沈黙を破る様に、王がその口を歪ませながら言う。それが虚勢に過ぎない事を王自身理解していた。
「………食えぬ男を遣わせたものよ。では、この書状にあった協力とは如何なるものか? よもや、『勇者』への援助だけとは思えぬからな」
 王の問いに突如、レイヴィスは立ち上がり優雅に手を広げる。楽団員を指揮する指揮者の如く雄々堂々と。
「……世界は『勇者』と共に動きます。然るべき時、然るべき場所で我がアリアハンが有利になる様に近隣諸国に口添えをして頂ければ、それでいいのです。………簡単な事でしょう?」
 その声は抑揚の無いままであったが、王はその様相に心の臓を掴み取られたかの恐怖に襲われる。
「………それが、世界の為になる事を祈るよ」
 そう言うのが、精一杯だった。肘掛に置いた手が、汗で滲んでいるのが忌々しかった。



「それはもう……。世界の平和と存続こそが我等の願いです」
 恭しく頭を垂れるレイヴィスの青銀の双眸は夕焼けの逆光の中で尚眩く、赤金に変容し妖しく輝いていた。




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