――――第二章
      第一話 平和の国







 ロマリア王国は豊かな土壌に恵まれた農業大国である。
 年中穏やかな気候帯に国土の大半が存在する為、季節を問わずにほぼ全域で農業が盛んに行われており、その収穫を以って近隣諸国との貿易を有利に行い、国力を潤い保ってきた。……それが農業大国たる所以である。
 また、温暖な気候や肥沃な大地は人や動植物を育む。豊かな地には人や物の流れが自然と集まり、それを求めて人は往来する。多種多様な人の文化は交わり、古くから東西の文化交流の中継地として絢爛豪華な高い文化水準を誇っていた。
 王都ロマリアの街並は、長い歴史を誇るアリアハンのそれに比べるとその規模において少々物足りなさを感じるが、景観としては非常に美しく、洗練されたものであった。
 街を取り囲む外壁をくぐると、均一に並べられた石畳の大通りが遠く城にまで続いており、その先に目に入るこの国のシンボルとも言える荘厳な王城の双塔ツインキャッスルが、等しく城下を見渡している。
 大通りに列なるように武器、道具屋等の商店街、宿場街が機能的に居を構え、国きっての娯楽施設である雄大な佇まいの円形闘技場コロシアムが街並の景観を損なわずに調和を保ちながら存在している。
 また王城の眼前には、古き時代に造られた美しい彫刻があしらわれた噴水を囲むように広場になっており、そこでは朝から様々な市場や露店が催され、人々の安穏とした日常を彩っていた。

 ただ一つ難点を挙げるとすれば、王都に住む人々の現在の世界情勢に対する危機感が薄い、という事である。
 平和の代償とも言えるそれは、国を統べる王城に住う王家の人間も例外ではなかった。






 旅の扉が設置されているロマリア半島の最南端の祠から、一行は重い足取りで出て来た。
 アリアハンとは時差がかなりある為か、未だ日は落ちてはいなかった。
 アリアハン宮廷騎士レイヴィスの案内で、誘いの洞窟を最短ルートで抜けてきたとはいえ、丸一日近く閉塞した空間にいた事になる。時間の経過を認識し、自覚する事の一つの導である大空の移ろいから掛け離れていた為に、時間の感覚が麻痺してしまっていた。恐らくアリアハンでは今現在は真夜中になっている刻限だろう……、と思うが、見渡す限りの草原は暮れ始めた陽に彩られて一面茜色に染まっているので、更に時間感覚を狂わせる。
 また、アリアハンとは緯度も経度も違っているので、気候も風土もまるで異なっていた。周囲を吹きぬける風は、アリアハンでの夏の暖かい風ではなく、まだ肌寒い晩春のそれであった。
 そんな環境の違いを楽しむ事無く、旅の扉による移動を初めて体験したユリウスとソニアは、気分が悪くなってしまっていた。超長距離の瞬間移動をこなした事に加え、この地方の空気が身体に馴染んでいないと言う事実がそれに拍車を掛けている。
「二人とも大丈夫?」
「………」
 ミコトが顔色を悪くしているソニアとユリウスに話しかけるが、口を開くと更に気分が悪くなりそうだったユリウスは、眉を顰め憮然とした表情を浮べるだけにした。できればいつもの様に放って置いて欲しい、と内心で呟く。
「ちょっと頭が……」
 ソニアは帽子を脱ぎ、元々白い顔を更に青白くして、苦笑しながら側頭部をさする。何だか身体の内側から揺さぶられた様で、不快感が内から込み上げて来る。背中からは冷たい汗が吹き出ていた。そんな自身の変調を押さえる為にも、ソニアは肩を動かして大きく空気をむさぼった。

「ま、旅の扉に慣れてないから、仕方無ぇよな」
 ケロッとしているレイヴィスが笑いながら言っていた。そんな余裕を全面に示しているレイヴィスを、恨めしそうに半眼を向けてユリウスは一瞥する。
「そうだ。いいものがあるよ」
 彼らのやり取りに苦笑しながら、ヒイロは何かを思い出したように自分の道具袋を探り、幾つかの包み紙を取りだしては全員に配る。
「……何、これは?」
 ヒイロから包み紙を貰ったミコトは、珍しげにそれを色々な角度から眺めている。
「飴さ…。気分が悪くなった時に効くからさ」

「苦ッ!!」
「……何…この味…」
「うっ、不味い…。ヒイロ、何なんだこれは?」
 そういって包み紙の中の琥珀色をした物体を口にした面々は、次々に苦虫を潰したような顔をする。やがて、それを皆に配ったヒイロに一斉に不満の声を上げていた。その不満を隠す事の無い反応に慣れているのか、許容して苦笑しながらヒイロは説明する。
「数種類の薬草を細かく刻んで黒砂糖と混ぜ合わせた物なんだ。味は悪いけど、その分体にはいいからね。気分も直ぐ良くなるはずだよ」
 良薬口に苦し、とその落ち着いた笑顔は語っている。色素の薄い白銀の髪が、夕焼けに照らされて黄金色に染まり風に靡いていた。その朗らかな暖かさが、三者の不満を一様に掻き消していく。
「あ、本当……。すごく胸がスッとしてきたわ」
「……ホントだ」
「へぇ……」
「だろ?」
 ヒイロの言を後押しするかのように、やがて各々の口の中で舌に転がされていた飴は、その役目を果す様に姿を変えて消えていった。その時面々から驚嘆の声が上がったのを、ヒイロは満足そうに眺めていた。

「……美味いな、これ」
「「「「…………」」」」
 今までのやり取りをまるで聞いていなかったかのようなユリウスの反応に、一同頬を引き攣らせながら絶句した。逆にその様子を訝しんだユリウスは、眉を寄せながら同行者達の顔を一瞥する。
「ん、……何だ?」
「………いや。何でも無いよ。気分は楽になっただろ?」
「ああ。すまない。助かった」
 気を取り直してヒイロは言葉を紡ぐ。ユリウスはそれに軽く礼をして、肉眼ではっきりと目視できる距離に在る王都に向うべく、踵を返して独り歩き始めた。

「……どういう味覚しているんだ。アイツ…」
「これを美味いっていう感想は初めてだなぁ…」
「……」
 呆れたような、珍しいものを見るような仲間の反応にユリウスは気付く由も無かった。






 幸い魔物の襲撃は無かったので、数十分草原の風に吹かれ歩いたら王都ロマリアに着く事ができた。辺りに薄闇が広がり始め、外を歩いていた人々が家路に着き始める頃であった。
 祠の在った半島の先端と、それ以北とを区切り取る様に王都ロマリアを取巻いている城壁が高々と聳えていた。それは高く堅牢に出来ており、じ登る事はできそうにない。所々にそれ程大きくない窪みや破損が見られるのは、魔物の襲来によるものだろうか。
 その壁を割る様に唯一つの南側の入り口には、小さな小屋と物々しい数の兵士が屯しており、王都に入ろうとする者達に目を光らせている。そこは検問所で出入国管理をしているのだと気付くのに、そう時間は要らなかった。アリアハン側から旅の扉で出てきたのならば、位置的にまずはこの王都に立ち寄るであろう事が明白であったからだ。

 今、世界の殆どの国家では出国・入国管理を重要な拠点都市単位で行われている。
 複数の国家の領土が隣接する場合は、その境界にも関所を設けている訳だが、人里離れた地に魔物の襲撃による被害が出ないとは言い切れない。国家にとっては互いの調和を保つ為の重要な事決めだが、魔物にそんな人の常識など通用しないのだ。襲撃による被害が頻繁に起こっているのが現状である。度重なる甚大な人的被害によって検問機構は推移していき、結果的に重要都市への進入管理がそのまま出入国管理に繋がる事になっていった。
 アリアハン王国は島大陸という閉ざされた環境であった為に、それ程の意識が根強い訳では無いのだが、大陸ではそういうはいかない。陸続きで徒歩による異国への侵入が可能である為に、出入国管理に慎重になるのも頷ける。

 数名の見張りの兵士が夜分に訪れたこの一団に訝しんだ視線を投げ掛けて来たが、アリアハン宮廷騎士が纏う甲冑姿のレイヴィスを認め、彼が話を通すと直に慌てながら態度を改めていた。
「あなたがあの『勇者様』ですか」
「ようこそ、我等がロマリア王国へ」
 何とも空々しく、恭しい敬礼にユリウスはウンザリしながらも、表情を変えずに軽く頭を下げる。
 夜闇のおかげで、表情がハッキリと見えなかったのが幸いしてそれに気付かれず、兵士達も世に言う『勇者様』と直に対面できたという感慨に耽りながら胸を張っていた。『勇者の供』のソニア、ミコト、ヒイロに対しても期待と羨望、憧憬、そして微かな嫉妬の入り雑じった視線のまま敬礼をし、再び彼等は彼等の職務に戻って行った。

 まず一行はたて続いた戦闘と、閉塞した洞窟を抜けてきた事もあって疲弊していたので宿に行く事にした。幸運な事に手近な所に宿場群が居を構えていた為、直にその中の一つに入ろうとした時、レイヴィスが口を開く。
「じゃあ俺は城に書状を届けに行くから、ここでお別れだ」
「そうか、早めの方がいいからな」
「そういうこと」
 レイヴィスの本分を思い出して、納得した様にヒイロが頷いた。それを見止め、薄く口元に笑みを浮べながらレイヴィスは大通りの方角に踵を返す。その先には、既に城に通達が成されていたのか、門番の兵士よりも厳つい鎧兜を纏ったロマリア王宮騎士が数名、こちらに勇み足で向ってきていた。
「お願いします、レイヴィスさん」
 深深と頭を下げて礼を述べるソニアに倣って、ミコトも無言で頭を下げる。ユリウスは周りを気にする事無く、宿の入り口の扉を開けて入っていった。唖然として扉を見ている仲間を他所に、レイヴィスは苦笑を浮べるだけだった。
「これも仕事さ。城には明日行ってみるんだな」
「ああ、そうするよ」
 ヒイロが何とか気を取り直して頷く。確かに血や汗、埃塗れの格好で謁見などできる筈も無い。そして何より既にもう、夜の蚊帳が降り始めていたからだ。
 それを頷く事で肯定した後、レイヴィスは背後で規律を重んじる様に整然と佇んでいたロマリア騎士達と何かを話し込んで、やがて彼等に付き従う様に夜の闇が霞む街中に消えていった。
 そんな姿を見送った三人は、宿の敷居を跨ぐ。
 既に宿帳にサインをして、ロビーで無表情に佇んでいたユリウスは、他の三人が宿に入ってくるのを認めると、さっさと自分の部屋に足を運ぼうとする。慌てて宿の給仕の若い女性が、微かに頬を上気させながらユリウスを部屋へ案内して行く。残された三人もそれぞれ宿帳にサインをして、他の給仕の女性に案内され割り当てられた部屋に向って行った。





 翌朝、王に報告が届いた為、すぐにユリウス達は王宮へ召喚された。
 久々のベッドの上でゆっくり休む事ができたのだが、その余韻に浸る暇もなく呼び出され、今現在王が用意した馬車の中で、敷き詰められた石畳の上を規則正しいリズムに揺られている。

 ロマリアの街は、まだ昼にはまだ時間が早いというのに喧騒で賑わっていた。
 街の中央に位置する噴水広場には朝市の露店や屋台が所狭しと並んでいて、それを目的に街の人間たちが闊歩している……。
 今、自分達の世界が平和である事を信じて疑わない笑顔。そんな人々の日々の平穏な日常を、用意された豪奢な細かい装飾の為された馬車の窓から眺めながら、ソニアはミコトと共に物珍しげに辺りを見まわし、嬉々とした声を上げている。
 そんな物見遊山然とした彼女等を横目に、ユリウスは朝から人を呼びつける王に苛立ちを覚えていた。王族が下々の人間の都合を気にする訳が無い、という事は既に知れた事ではあったが……。
 真っ直ぐ城へ続く、均整に敷き詰められた石畳を窓から忌々しげに見下ろしながら、朝日に照らされてもなお暗い闇色の瞳で、アリアハンとは異なる優雅さと見る者を圧倒する双塔を擁く宮殿を睨みつける様に見据える。

 大通りを往く馬車を何事かと仰ぎ見る人々。その好奇に満ちた視線から、来賓用の麗華な送迎馬車が、咎人を断頭台へ運ぶ牢獄馬車の様に思えてならなかった。




 城門を潜り、馬車を降りる。
 城門を警護する兵士達、城仕えの女中や奉公人からの数々の奇異の視線を浴びながら、一行は兵士に案内されて回廊を進む。謁見の間へ続く階段の前に着いたユリウス達を待っていたのは、アリアハン宮廷騎士のレイヴィスだった。いつも通りに薄い笑みを浮べて、到着したばかりのユリウス達を一瞥する。
「よう。早くからごくろーさん」
「………」
 白々しく言うレイヴィスを無視して、ユリウスは無表情で彼の前を素通りしていく。その様子にレイヴィスは肩をガクッと落した。
「おいおい……。無視する事は無ぇだろうが」
「…………」
 微かに声を荒げるレイヴィスと、無表情で憮然としているようなユリウス。険悪な雰囲気になりそうな予感がしたソニアが慌てて言葉を紡いだ。
「レイヴィスさん。おはようございます」
「やあ、おはようソニアさん。今日も相変わらず美しい」
 ユリウスに向けていた表情とは打って変って、爽やかな笑顔で言うレイヴィスの言葉に、ソニアは慌てて顔を真っ赤にする。軽いノリが嫌いなミコトはしかめっ面をしながら頭を垂れ、ヒイロがいつも通り傍観者気味に苦笑を浮べながら続く。ユリウスはそんな周りの様子を微塵も介せずに、階段の方を黒の視線で見上げている。
「さあ、陛下がお待ちかねだ」
「ああ……」
 レイヴィスの招きにユリウスは極めて消極的に返事をした。




 古き時代に培われた豪華絢爛な文化の粋を集めて築き上げられた宮殿。
 謁見の間はその全てが雅さを翳していた。床、柱、壁…それら全てが鏡の様に磨き上げられた大理石であり、麗美な装飾や彫刻が惜しみ無く施され、荘厳華麗な空間を生み出すのに一役買っている。
 それ自体が宝物であろう、細やかな宝石や貴金属がちりばめられた玉座に座し、千二百年の永きに渡る歴史を持つこの国の、現支配者である王は口を開く。
「おお、よくぞ我がロマリアへ参られた。儂はこの国を治めるクラウディアス。こちらは妃のオーフェリアじゃ。そなたに会えて光栄に思う。アリアハンの勇者」
 恰幅の良い、人の良さそうな王は『勇者』という単語を強調し笑顔で言った。王の座る玉座の隣には、清廉とした気品を醸す美しい王妃が、ニッコリと優雅な笑みを浮べて謁見者達を眺めている。
「ユリウス=ブラムバルドと申します。本日はお招きに預かり、大変光栄に存じます」
(空々しい奴……)
 恭しく肩膝を立てて、礼節に則った辞儀をするユリウス。凛々しく発せられる美辞麗句、王に気圧されていない毅然とした態度。その様子を一歩後ろで平伏し、目線だけで眺めながら、普段が普段なだけにミコトはそう思う。
 やがて、王の視線がユリウスから後ろに控えていた自分達に移ったので、慌ててミコトは気を引き締めた。
「私はアリアハン王国宮廷司祭、ソニア=ライズバードです」
「供の、ミコト=シングウと申します」
「同じくヒイロ=バルマフウラです。陛下、妃殿下」
 まずソニアが脱帽し、アリアハン宮廷司祭として身についた礼儀作法で返す。礼節を重んじるミコトは社交辞令を卒無くこなし、それはヒイロも同様であった。
『勇者の供』達を一巡した後、王は再び他の三人から一歩出る形で跪いているユリウスに視線を戻す。
「そなたの英名はこの儂も聞き及んでおる。半年前の魔王軍の王都アリアハン襲撃をたった一人で退けたとか。流石は『勇者』じゃな」
「恐悦至極に存じます……」
 跪いたまま、恭しく言うユリウス。
 その声は相変わらずの無感動で抑揚が無かったが、後ろに流した外套が微かに揺れていた事に、ミコトは疑問符を浮べる。他には悟られない様に目線だけを上げると、本当に注意深く見ない限り判別できない程度にユリウスの肩から垂れている外套は揺れていた。
 横を見れば、悲壮的な色を顔に浮べてソニアも眼を伏せている。瑞々しい眉間に皺を寄せ、眉尻が下がっている事から余り触れられたく無い話題なのかもしれない。確かに、その事件で大勢の犠牲者が出た上に、彼女にして見れば義姉を失う結果になったのだ。
(……無理も無いか)
 ミコトはそう胸中で呟いた。同時に抜け抜けと、鷹揚に言う王に対しての憤りも生れる。
「アリアハン王からの要請の通り、我が国はそなたの旅の援助をしよう」
 王はレイヴィスから受け取った書筒を片手に穏やかに言う。その言葉に、ユリウス達の横に控えていたレイヴィスが恭しく頭を下げていた。
「ありがとうございます。必ずや、ご期待に添えるよう尽力致す所存にございます」
 しみじみと白と黒の混ざった顎鬚を弄びながら、嘗て見たオルテガと重ねる様にユリウスを見下ろす。
「……ふむ。噂に違わぬ素晴らしき若者よ。これもオルテガ殿の血筋か」
「………」
 その郷愁に満ちた視線を、極めて無表情に受けたままユリウスは沈黙して床に視線を落としていた。

「ところでユリウスよ。そなた、この国をどう思う?」
「どう……とは? 他国の人間である私が口にするのは、何かと不味いのではないでしょうか?」
 唐突に掛けられた王の質問に、ユリウスは訝しげに声色を下げて、満面の仮面の笑顔を上げる。自身の言葉通りに思い、この王の思考回路はどうなっているのかと内心呆れながら……。
 後ろでは、ユリウスの言葉に三人が焦思しながら見つめていた。
「王である儂が尋ねておるのじゃ。構わぬ、思う事を言ってみるが良い」
 玉座の背に凭れながら、王は尊大な態度でユリウスを急かす。
 そうされては、もう答える他に手段は無いので、内心で盛大に溜息を吐きながら口を開いた。
「……昨晩、この地に着いたばかりなので多くの事は知り得ませんが、街往く人々に笑顔と生気に満ち溢れた…平和な国かと存じます」



 下手な事を言って臍を曲げられでもしたら、援助を打ち切られるかもしれない。領内を進行する以上、それを統治している王の気分次第で旅の難易度が変わってしまう。
 魔王討伐…それはつまり人類存亡を掛けた旅であるというのに、人間の世界を往く方に気を配り、問題が有ると言うのは、全くもって支離滅裂な話だ。
(面倒だな……)
 そうなら無い様に、この国の人間に極めて表面化している安寧さと、危機感のまるで無い愚鈍さを‘平和'という言葉に置き換える。自国を平和と言われて、気を害するような王はそうはいない。その言葉の真意を汲み取れるかどうかは別として、自身のまつりごとを褒められれば悪い気はしない筈だ。



 そうユリウスは考えて答えたのだった。眼前の王への嘲りに内心、ほくそ笑みながら……。

「そう思うか。……確かに魔王なる輩が世界を脅かしているが、この国にその脅威は現れてはおらぬからな。それに今は隣国との諍いも無い。時折、魔物の小集団が城壁外をうろついておるが我が勇敢な騎士兵士達がおる故に問題なぞ有り得無い。まさに平和そのものだ」
 ユリウスの皮肉にまるで気付く様子が無く、逆に得心がいった様に王は頬を緩めて声を弾ませる。
 頭を垂れているユリウスの背後で、ミコトが眉を寄せたまま拳をきつく握り、非常に不愉快そうな表情をしていたのに気付いている者は、この場にはいなかった。

「…………」
「そなた。この国を好きになりそうか?」
 取り敢えず面倒事を避けたかったユリウスは、必要以上の事を言うまいと口を閉じていたが、王の能天気な質問は続く。これにはユリウスも辟易するしかなかった。
(昨日今日訪れたばかりの旅人に何を聞いているんだ……)
 ユリウスはまた、内心で溜息を吐かざるを得なかった。
「……平和故に、好ましくはあります」
「そうか、そうか」
 何やら含みの有りそうな王の笑みに、ユリウスは訝しんで眉を寄せる。
「?」
「ユリウスよ。どうじゃ、そなた。この国を治めてみる気は無いか?」
 玉座から身を乗り出して王。その双眸には子供のような溌剌とした光が宿り、声は軽やかに弾んでいる。
 先刻からの王の質疑が何となく胡散臭い物だと感じていたユリウスであったが、続いた王の言葉に絶句するしかなかった。後ろの三人も突然の耳を疑ってしまうような申し出に固まっているが、王の癖を事前に知っていたレイヴィスだけは口元に薄く笑みを作って、狼狽しているユリウス達を見下ろしている。
「………仰る意味が判りかねます」
 頭の中で次々と生まれてくる揶揄を口に出さまいと自分を押さえながら、ユリウスは冷静を装って返す。
 出来る事なら、今すぐこの場から走り去りたかった。
「儂に代わってこのロマリアの王になってみないか、と聞いておるんじゃ」
「ご冗談を……」
 逸る気持ちを必死で押さえ、ユリウスはこの場を脱しようと思考を巡らせようとしていた。
 良く見れば王の隣の王妃は、王の癖に困った様に微笑んでおり、周りの側近達も同情染みた視線をユリウスに送り苦笑している。
「冗談では無い。何なら、今すぐにでも戴冠式を開こうぞ」
「………」
 乗り気な王に、ユリウスはただ唖然として虚空に視線を泳がせているだけであった。



(……何だ? 日常茶飯事なのか、こんな事は)
 世界の事などどうでも良かったが、魔物の侵攻に切迫した状況に追い詰められている国も有ると言うのに、人の上に立ち、率先して民を率いていく筈の王がこの様にはしゃぎ、浮かれている………。
 年に一度あるという世界会議で、この王は何を見聞きしてきたのか。呑気にいびきでも掻いていたのではないか?
 危機感が足りない、という次元の話では無い。この国の民や王には危険と認識する価値基準すら存在していないのか? 自分達の身に直接死の冷光が降り注がないと、その意志すら生れないのか?
(……ふざけるな。こんな平和ボケした国が世界には在るというのに、どうして……)
 自分の中に残された黒い光が、爛々と猛り輝くのを感じる。
 平和を享受し、その平和に溺れ、貪っている愚昧な王侯貴族の茶番にこれ以上付き合う気は毛頭無い。
(……いっその事、滅んでしまえ。こんな国)



 ユリウスはこの眼前の王を心底軽蔑しながら、侮蔑の光を燈らせた視線を送っていた。
 その後方で、この尋常では無い状況に着いて行けず、アリアハン王宮に従事しているソニアは目を点にしている。ミコトはその生真面目な性格からか、お調子者の王の発言に憮然としながら頬を引き攣らせ、逆にヒイロは傍観を決め込んだのか、この状況を静観している。
 周りの大臣や近衛兵達からは憐れむような、そしてどこか反応を愉しむような視線で見られ、王からは新しい玩具を見るような子供地味た熱烈な視線を受け、王妃はそんな夫を微笑ましげに見つめている。
 そんな荘厳とした宮殿の、ましてや謁見の間に全くと言って良いほどそぐわない雰囲気に、億劫さと不平不満で思考行動が暴走しかけていた時に、慌てて駆け込んで来た兵士の言葉はまさに鶴の一声だった。

 内容はこの国の失態を全面に体現していて非常に面白かった。





「大変です! 金の冠がカンダタ一味に盗まれました!」




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