――――第二章
      第十三話 夜空の先へ







 夕日の茜色に染まった空を、鈍色の雲が暢達と往き、その後に来る夜闇の来訪を地上に犇く者達に告げるように、遠く地平の彼方まで流れていく。地上の誰もがそれに夜の帳が下りるのを感じ、一日が終わるという事を意識し、今日という日の残された安寧を往き過ごす準備をして、家路に着く。
 喧騒に満ち溢れていた大通りからは闇の侵食と共に人の姿は失せていき、夜の冷気を含んだ風が物惜しげな咆哮を立てながら街路樹の木の葉を揺らし、颯爽と吹き抜けていた。
 常日頃と何ら変わりの無い穏やかな時間を過ごせるという事は、ここが平和である事を遺憾無く示している。

 そんな平穏に満ちた王都ロマリアの街並を、空の高みから分け隔て無く見下ろす双塔にある一室。
 ロマリア王クラウディアスの私室にて、絢爛豪華なソファに深深と身を沈めたこの城の主たる王は、眼前に氷の様に固まった無表情で直立している大臣ウォルフを、苛立ちを露にした瞳で見上げていた。
「あの勇者こぞう共はどうなった? ‘草’共の行方は、まだわからんのか? ウォルフよ」
「……『アリアハンの勇者』については、カザーブ村に到着した事を彼の地の駐留武官が確認しております。報告によると予定通りにシャンパーニの塔へ向ったと。あの者の監視に向わせた者達は依然消息を絶ったままです。申し訳ありません」
「………そうか。しかし、一体何処へ姿を晦ましたものかの? ……まさか逃げたのではあるまいな?」
 冷たい視線を送りつけながら、傍らの卓上にある杯を傾ける。それに伴い吐息は酒気を孕んで、芳醇な香りが部屋中を漂う。王の顔はすぐさま紅潮し、それが酒によるものだと言う事は誰にでも判る事だった。
「それは有り得ません。彼等の国に対しての忠義心を疑うような事は、どうかお控え頂きたい」
「だとよいのじゃがな……」
 横柄に語る王に、大臣ウォルフは胸中で嘆息する。
 気さくな人柄という事で国民達からは親しまれている王も、一旦公務から離れれば、虚栄心を満足させる事にのみ意識を傾ける、ただの凡庸で矮小な人間に違いないという事か。立場上、それを口外する訳にはいかないが、そう思わずにはいられない。

 窓から射し入る夕焼けに、彼等を覆う影が一層濃くなり互いの表情は飲み込まれる。各々の冷たい眼光だけが影の中でその存在を主張していた。息苦しくなるような鈍重の雰囲気の中で、王と大臣の間に陰鬱とした沈黙が流れる。
 が、まるで予め示しを合わせたかのように、それは慌しく部屋の扉を叩く音によって掻き消された。
「国王陛下。大臣閣下に御報告がございます」
 主たる王は入室の許可を与え、報告に来た兵士は、すぐ傍に佇んだままの大臣に耳打ちしようとする。王に一礼をしてウォルフは兵士に向き直った。
「暫しお待ちを。……どうした?」
「……はい、それが――」

 王よりも先に大臣に報告を通すのは、この国を運営する首脳陣にとっては当然至極の事だった。
 国家の総括者たる王自身、国の政には余り感心は無く、どちらかと言えば自身の欲に忠実に生きる類の人種であったからだ。普段表面的に顕れている人当たりの良い気さくさは、その裏返しとも言えるだろう。その奔放さが平和なこの国の人間達には暖かく迎えられているのだが、実際に国家を統治する立場にいる以上、疎かにしてもらっては困るで済む問題では無い。民の税で贅の生活を送っている為政者の義務は、治めるべき民草に普く翳り無い平穏を齎す事なのだ。
 そういった無機的な怜悧冷徹に形作られる体制の中で、在る意味これ以上無い程の人間的な事情を鑑み、行く末を危ぶんだ結果、この国の政務の殆どはまず大臣や内務官、高級文官を通し、集められた報告をまとめて大臣が王に報告する、という組織形態が自然と形作られていったのだった。そのため内政や外交においての最終的な決定権は大臣が保持し、滞りなく国家運営を支えている。今現在、市井の人間達が何の憂い無く日常を送っていられるのは、王と言う飾られた柱を影で支える大臣達の尽力に他ならない。尤も、国風とも言うべきお気楽さは、紛れも無く怠惰な平穏をただ享受し、永い間貪った事に起因しているものだが……。
 平時であれば、王が政務に進んで関与する事は無い。だが、今回の“金の冠窃盗事件”だけは違った。国宝管理という王家の威信問題、そして王個人の秘蔵宝物コレクションでもあった“金の冠”。それが盗まれたという事象は、王の激怒を買うには充分過ぎるものであったのだ。大臣の忠言も聞かずに王は、どんな理由があれ犯人が現れた日には、即刻はりつけにして晒し首にしてやる。という怒りの感情を顕にしていたのだ。
 その個人の感情に先走ったそれが、幾度も騎士団を魔物の蔓延る中、遠く離れたシャンパーニの塔へ派遣し、敗績する結果となってしまったのだ。

 大臣と報告に来た兵士とのやり取りを視界から外し、王はただ無機的に杯を傾けている。その表情からは、いかにも関心が無いような、傍から聞える騒音に辟易している様でもあった。
「――判った。下がって良い」
「は……!」
 やがて、報告の内容を理解した大臣ウォルフは目を見開く。が、すぐさまこの場の事を考えて、冷静さを装い兵士を下がらせた。
「……それで?」
 兵士が退室したのを認め、尊大に足を組んだままソファに凭れながら、王は杯を片手に口を開く。
「‘草’達の行方がわかりました。たった今届いた報告によりますと、カザーブ村手前の山岳地帯の森林で、何者かに殺された数名の遺体が発見されたそうです」
「何? ……まさか勇者共か?」
 険しく眼を細めながら、王は大臣を睨み上げる。冷徹な飾りの為政者の眼は、剣呑と危うげな光を点していた。
 王自身、『アリアハンの勇者』を信用している訳では無かった。いや、全く信用していないと言った方が正しい。以前謁見した時に相見えた線の細い少年に、単独で魔物の大群を退けたと言うアリアハンで語られる逸話など、信じられる筈も無かったからだ。だからこそ、猜疑を向ける矛先として充分だったのだ。
 そんな王の視線を外しながら、ウォルフは頭を横に振る。
「いえ、街道から離れているそうですから、勇者の仕業では無いでしょう。勇者に監視が気付かれたとしても、あちらがそれをどうこうするメリットなど無い筈です。カザーブ山中には魔物や賊も多く出没しますので、そちらの線が濃厚である、とカザーブの捜索隊から報告が届きました」
「魔物にやられる程度のものを派遣したのか?」
「いいえ、あの近隣に棲息する魔物に遅れを取るような事は無い筈です。ただ、彼らも人間。万能では無い。想定外の事象に捲き込まれたのでは無いでしょうか」
「ふん、幾ら言葉で取繕おうが結果を出さずに逝けば同じ事じゃ。……まぁ、それは彼の国の『勇者』にも言える事じゃが」
「…………」
「我が領内を好き勝手に動かれるのは癪だが、まぁ行動が把握できれば良い。……あの若造は、どうしておる?」
 大きく溜息を吐きながら、王は鬚を弄んだ。その脳裡には、先日苦渋を嘗めさせてくれた淡緑髪のアリアハン宮廷騎士レイヴィスの底冷えする眼光が未だに焼き付いていた。騎士風情が、と胸中で毒吐くが植え付けられた畏怖の感情は、それすらも霞ませてしまう。それがこの上なく忌々しかったので、王は一気に酒の入った杯を煽った。
 その場に大臣はいた訳では無かったが、眼前の王の様子から私怨に満ちている、と感じ取る。
「アリアハンからの使者の方ですか? 今は城下のアリアハン大使館に滞在している筈ですが」
「……なら良い。くれぐれも、この事を知られる事の無いようにな。これ以上、儂の顔に泥を塗られては困る」
 そういう王は、もう話をする気は無いようだった。杯に酒を注ぎ直し、紅潮させた頬を持ち上げて下卑た笑みを造る。
「……御意」
 人払いの様に手を振っているので、これ以上ここにいる訳にはいかない。抑揚無く大臣ウォルフは言葉を返し、深深と頭を下げた。





 すっかり日も落ちて、各所に備えられた燭台に明りが灯される。コツコツと石床を蹴る音が、静まり返った回廊に響き渡り、その者に付き従う影が壁や床、天井すらも駈け回り躍動している。
 やがて、人目から忍ぶようにテラスに着いた人物は、薄っすらと紫色の闇が覆う城下と、それに灯籠の様にぼんやりと淡く灯された光の群れを眺め、平和な街並を一望する。その静穏さを満足げに眺めた後、振り向いて柵に背を預けながら大きく一つ、嘆息した。
「済みませんね、わざわざ知らせていただいて……ウォルフ大臣閣下」
 すると、バルコニーの端からしっかりと抑揚の有る、落ち着いた若い声が掛かって来た。
「気になさるな。上が愚昧だと、我々下の荷が重くなるのでな」
「これはこれは……」
 恐縮です、と続けて恭しく頭を下げるレイヴィス。
「我々としても、アリアハン王国を敵としたくは無いのだよ。我が国の国力が落ち往く中、東の聖王国イシス、西の海運国家ポルトガなどの隣国は虎視眈眈と力を溜め、遠くサマンオサ帝国からは不穏な噂しか聞こえぬ。……そして何よりも脅威なのは魔物、それを統べる魔王バラモスという存在……。この列強と渡り歩き、民を護るには、こちらもアリアハン王国の後ろ盾が欲しいのは事実」
 ここで大臣は大きく溜息を吐く。
「カザーブに遣わせているリンドブルム駐留官からはカンダタ一味…盗賊団“飛影”は国内の賊徒を駆逐してくれていると報告が為されている。帰還した騎士団長からも同様の報告を受けた。だが、王は金の冠の行方、盗まれた事実のみに執着し、その事には耳も傾けぬ……」
「そこに舞い込んできた『勇者』を使おうとなさったのですね。そちらの事情を鑑みれば、正に“飛んで火に入る夏の虫”ですからね」
「……それについては詫びよう。盗賊団“飛影”…つまりは“流星”。その噂は私も知っているからな。彼らが何を目的として動いているかは知る由も無いが、我々と敵対する意志も見受けられない。逆に彼らを敵として我等に利など無い。だが王は懲りずに何度も騎士団を派遣した。その結果は御存知であろう?」
 肯定の意を示すように、レイヴィスは恭しく頭を垂れる。
「度重なる騎士団の派遣は、国益に響く事だ。そして何よりもその事実は、民に不穏な噂の種を与えてしまう事になるだろう。幾ら情報規制をしているとはいえ、人の口に戸は立てられぬからな。そんな折、貴国の『勇者』の旅立ちが後一月という事だったのでな。表向きは鎖国中の貴国から国外に出るには、誘いの洞窟の封と解き、旅の扉を使う他無い。ならば必ず我が国に参られる、と言う訳だ。……陛下にとってそれは苦渋だったらしいが、あの方の虚栄心など気にしていても仕方あるまい。優先すべきは個である王よりも全たる国、……民なのだからな」
 騎士団は国家の為にあって、王個人の私兵にあらず。ウォルフの溜息はそれを語る。
「感服致しました。こちらと致しましても、今回貴方から事前に話を通して頂いたお陰で、貴国に対しての交渉を有利に運ぶ事ができました。互いの陣営に不利益になるような事は皆無ですし、お互い様というものです」
「恐縮だ。……つかぬ事を訊くが、宜しいか?」
「答えられる範囲でならば」
 意味深に言葉を鎮めながら返すレイヴィス。極めて事務的な、暖かさの無い単調さだ。この淡々とした様は、これまで、そしてこれから交わされる会話の全てを既に予期していた様にも思える。
 そんな突飛な事を脳裡の片隅に浮かばせたまま、大臣ウォルフは続ける。
「……『勇者』に着いて行かなくて宜しかったのか? 貴方は監視が役目と窺っていたが」
「協力者は各地に存在しておりますし、同行者にもそれは当て嵌まります」
「抜かりは無いという事か。……ラヴェル王は大した手腕だな」
「……それに――」
 言いかけて、レイヴィスは一旦言葉を溜める。星々の大海をゆっくりと漕ぎ進んでいた暗色の雲の隙間から、白い冷光をぼんやりと纏った三日月がその顔を出した。まるで、続く言葉を待つ聴聞者の様にひっそりと窺っている。
「それに?」
 その様子を訝しみながら、ウォルフは反芻する。
「私は、彼に嫌われておりますので」
 穏やかに眼を細めて微笑むレイヴィスに、大臣が逆に萎縮してしまった。
 一瞬眼の色が変化した様に見えたのは、夜空を流れる雲に月明かりが遮られた為の錯覚だったのだろうか。何故かは理解し様も無いが、只ならぬ威圧感と焦燥感に襲われて足が竦んだ。背を冷たい汗がのっそりと撫でるのが、更に畏怖という感情を呼び起こしていく。
 全身の毛が逆立つ感覚と言うのは、まさにこの事か。そう揺れる思考を抑えつける。動揺を表に出さないように苦心しながら、ウォルフは綴った。
「…そうか。………では、また何か判ったら知らせよう」
「恐縮です。ウォルフ=ドルストイ大臣閣下……」
 二人の会話は、更ける夜と共に夜闇に飲まれ、誰に聞かれる事も無かった……。






 闇掛った暗紫が部屋を満たし、灯明の無いそこでは陰鬱と気分までもが沈んでくるのを誰もが自覚していた。
 自然と浮かんでは流れていく暗澹とした思考は、胸の深くにまで染み渡り深い根を下ろす。ジワリジワリと真白な布地を緋に染め往く血潮の如く、記憶の水底に刻まれる追想に光明は届かない。
 先の喧騒が幻であったかのようにその部屋は、その古塔は、その外界は静謐に満ちている。外から夜の冷涼な風に運ばれ、一定の間隔で耳朶を打つ潮騒が現実と非なるそれの境界を虚ろなものにしていく。視覚を介さない感覚と、意識からなる思考行動だけが更に活発になってくる。
(深い霧に覆われた湖の中、しるべを求めて波間に小舟を揺蕩わせる、というのは丁度こんな感じなのかな……)
 自身の居場所の確信さえ持てない。何時も虚ろな浮遊感に囚われては、それが現実なのかを認識する術を持たない。答えの無い思考を延々と円環に繰り返しては、やがてそれが何の為だったかをも忘れ、ただ晴れない心が音無き慟哭を挙げる。
 ヒイロは暗澹の過ぎる部屋の、黙したまま佇む人間を眺めながらそう思う。




 息が詰まりそうな緊張と沈黙が流れる中、それを破る様にガロスが目を覚ました。
「はっ!? ……ここは?」
「よぉ、ガロス。目ェ覚めたか?」
「ゼノスさん? 首領は!? …………あ、あいつは?」
 目を瞬かせながら、ガロスは今だハッキリしない頭で部屋を見渡す。
 何時の間にか石床が剥がれ、壁が抉れて瓦礫が散々になっている荒れ果てた部屋。こちらの様子を覗き込む様に、自分に声を掛けてきた濃紫髪の首領相談役ゼノス。その背後に衣服をボロボロにして床に座り込んだ、自分達の組織の首領カンダタ。その傍らには何処か飄々とした銀髪の見知らぬ男が立っている。床に膝を着いている浅葱髪の旅の僧侶が纏う法衣を纏った女と、寄り添っている両側で黒髪を結った気の強そうな武闘家風の女。そしてその女と瓜二つの顔の三本も剣を携えた物騒な女が、そろって自分を見下ろしていた。
 そこで漸く意識を失う直前の記憶が甦ってきたのか、再び恐怖に身体を戦慄かせながら死神のような眼をした黒髪の少年ガキの事を思い至って、あからさまに怯える様に部屋に佇む人影の中を見回す。そしてここにその人物がいないと言う事を理解して、ホッと大きく溜息を吐いた。
 気の毒なくらい焦燥し、震えているガロスを見下ろしながら、ゼノスは淡々と言う。
「もう、いざこざは終わった」
「終わったって……、バグっ! あいつは? 他の連中は?」
「……下の階だ」
 ゼノスが声色を少し落して、開け放たれた扉を視線で射す。そこで漸く自分が親友を置き去りにして逃げ出したという事を思い出し、ガロスは狼狽しながら駆け出していった。

 それを横目で追いながら、ヒイロはゼノスに向いた。これから階下から聞えてくるであろう叫び声。それを予期してか遠慮がちに声を萎めていた。
「その……いいのかい?」
「ああ。これからどうするのか、選択し、進む路を決めるのはあいつらだ。どんなお題目を掲げようが、俺達がやってる事も、相手側からすれば略奪や殺戮だ。それを弁解しようなんざ思わねーよ」
 ゼノスは肩を竦めながら部屋の隅に歩みだし、壊れずに掛けてあった燭台を手にし明りを点す。本格的に視界が遮られ始めていた部屋に、火の暖かな光がぼんやりと広がっていった。
 燈る灯の色にその銀髪を染め上げながら、ヒイロ。
「でも、それは……」
「そうだ。俺達が自分で決めた事だ。……必ず嘗てのサマンオサを取り戻す。その為に、その為の責任は全て自分達に返ってくる事をも厭わない。……それが俺達“流星”の連中が掲げる共通の正義だからな」
「……そうだったね」
 語られる事を咀嚼し、吟味しながらヒイロは琥珀の眸を細め、燭台を持つゼノスを見据える。懐かしむような、羨むような、はっきりと迷い無く、澱み無く語られたそれに眩しさを感じていた。
「ま、とりあえずこれで一件落着だ」
「……おい、どこがだ!?」
 カンダタとユリウスの闘いによって荒れた部屋の、隅々にある燭台に火を灯し廻りながらゼノス。その余りに軽い口調に、ミコトは苛立ちを露にしながら叫ぶ。ユリウスによって散々逆撫でされた精神は、未だに収まってはいなかった。
「あんた等が金の冠を王に届けてくれさえすれば、あのお気楽王の性格からしてこれ以上俺らに討伐隊を向けるような事は無いだろ」
 その怒声をさして気にする事無く、ゼノスは肩を竦める。
「……今この塔にいるのは、‘金の冠’を盗み出した新参連中で、俺ら“飛影”のやり方に反故していた奴等だ。こっちとしても、平和ボケの中で育まれた膿を切り出す良い機会だったって訳さ。今ヒイロにも言ったように、これからの現実を生きる為に、選択する事が迫られているって事を認識させる意味でもな」
 組織を統べる者としてのゼノスの言葉には、正当性があった。実際にこの“飛影”の首領では無いが、ここの上位組織である“流星”の大幹部としての言に、ヒイロは内心で頷く。
「それを黙認した俺達にも非はあるだろうが、連中だってテメェ等の意思で王宮から国宝を盗み出し、ここに来た。その行動の結果受ける責任も、あいつらのものだ」
 ゼノスの横で、カンダタが苦々しく顔を顰めているのは、彼の性格から未だに割り切れないからなのだろう。彼は誰よりも部下を大切にする人間なのだ。嘗ても今もそれは変わらないのだろう。
 ふと、以前ロマリアの酒場で色々と情報を提供してくれた少年が頭に浮かんだ。彼の友人達も、自分たちが退けた中にいたのだろうか……。或いは、ユリウスの手によって冥腑に旅立った中にいたのだろうか……。そう考え、ヒイロは無言で頭を横に振る。結果として殺しはしなかったが、自分達も命のやり取りをした以上、ユリウスを責めるつもりなど毛頭無かった。かといって、ミコトの義憤が解らない訳では無い。
(彼らは、運が無かった)
 昔から他の人間の死に直面した時に、ヒイロはそう思う事にしている。



 魔物が跳梁跋扈する昏迷の世。絶望に恐れ、凶行に走る賊徒を輩出する世。
 カザーブ村の様に、何度も何度も魔物や賊徒に襲われて死ぬ人間が大勢いれば、王都ロマリアの様に全く襲われずに安穏と暮らす人間達がいる。まさにその差は、運の良し悪しとしてでも考えなければ、この理不尽な世界に呪怨さえ覚えるだろう。
 運命の女神の気紛れの結果として生ずる、見知らぬ人間の悲劇を嘆き自身の心を砕く事はしない。その緊縛は、やがて自身の足元すら見失わせてしまう恐れがあるから。こんな事を口にしたらミコトやソニアは怒るかも知れないが、それは自分の考えなので曲げるつもりは無い。
 ただ、今彼女達の抱いている義憤、惑乱。それら反故の礎である確固たる信念、人生という永い時間によって培われた価値観。そして折れない意志と真っ直ぐな意思。自分が持たざるものを持つ二人に羨望を覚える。
 ユリウスにしても、抱いているその深い闇の根底には、似たようなものが有るのだろう。それにすら憧憬を抱いてしまう。
(或いは……俺にも、在ったのかな?)



 窓の外の、深い黒の空の中に悠々と浮かぶ白翠の三日月を見つめながら、ヒイロはそんな事を考える。
 自分の中に在ったであろうもの。或いは在って欲しいと渇望しているもの……。
 どこか自嘲する様に、どこか焦燥の込められた琥珀の眸は、月を擁く夜空に煌く黄碧の星星を捉えていた。

 そんな自問をしているヒイロを横目に、ゼノスが綴った。
「勇者クンを責める必要は無いぜ。あいつ等は自分の意思で行動を起こしたんだ。テメェらのした事に対しての責任の結果、死ぬ事になろうともな……」
 見れば、ミコトは複雑を極めた表情をしていた。
 彼女の価値観からすれば、相容れない事なのかもしれない。納得しようとして、そう簡単に出来る問題では無い筈なのだ。価値観の変容には、それだけ膨大な時間を必要とするもの。会ったばかりの人間の言う事をそう簡単に受け容れられないのは仕方の無い事である。
 戒律と清廉さを胸に生きる僧侶のソニアには、ゼノスの言葉は酷だろう。
 慈愛と博愛を以って平等を翳している彼女の奉ずる精霊神ルビス教。その理念は、怜悧冷徹に形造られた組織と言う集団では、どうしても歪みを生じてしまう。これもまた、仕方の無い事なのかもしれない。
 アズサは他の二人よりも柔軟なのか、或いは理解しているのか動揺を微塵も見せずに、ただ真摯な顔でゼノスの話に聞き入っていた。
「だが、ゼノス……」
 渋るカンダタに、ゼノスは僅かに眼を細めて半眼を向けた。
「カンダタ……、今のサマンオサの事を考えてみろ。狂った皇帝の所為で秩序は乱れ、騎士団に嘗ての誇りなど微塵も無い。皇帝の陰口を唱えただけで処刑される人間が数え切れない程いる」
「それは……」
「世の中がつまらない、何てふざけた事、考える事も出来ないさ。あの国にいる人間にはな……。なぁ、ヒイロ」
「…………ああ」
 苦々しく顔を歪めるカンダタと、厳しい表情で頭を縦に振るヒイロ。彼らは、ゼノスの言う事が尤もなのを知っていた。自分達も、その渦中にいた事があるのだから。
「勇者クンの言う通りな事もあれば、運の有無で人は図太く生きて、恐ろしく簡単に死ぬ。それが今の世の中だろ? 余り認めたくは無いけどな……」
「……だけど!」
 ヒイロの思考を読んだかのようなゼノスの言葉に、ミコトは声を荒げる。が、すぐさまミコトは悄然とした様子になってしまう。それはゼノスの言葉が事実を言っていることだと気付いた。率先して眼を背けていた事に気付いてしまった。そんな世界を今まで見て、歩いてきたのだから……。
「だから、この件はこれで終わりさ。…………ま、後味は悪ぃけどな」
 微かに落した声色でそう言って窓の外に視線を送ると、雲の無い晴れた夜空が悠然と広がっている。夏と言う季節の中でも窓から吹き言って来る風は冷たく、身を掠めていった。
 流れる風の咆哮は誰かの心の慟哭の様に、黙して佇む者達には聞えていた……。






 獣の遠吠えが、虚しく響く夜空。宝石の様に埋め込まれた星々の明りは尚高く、その中で異彩を放つ三日月が、地上に平伏す者を嘲笑うかのように、酷薄に、冷淡に白く輝いている。
 その空の高みを見上げる事しか出来ない大平原を、摺り足で歩きながら呟く。
「終わらねぇ…、このまま、終わらせてたまるかよ……!!」




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