――――第二章
      第十一話 遺されたもの







 蒼い天穹の下、果てしなく広がる藍い海原を一隻の船がゆっくりと波風に揺られながら進んでいた。
 悠然たるその様は、まるでこれから起こるであろう嵐、その前の静謐に満ちた時を未練がましく噛み締めているようでもある。
 寄せては返る一定のリズムを刻む波音。そして、滑らかに流れていく潮風に混ざって、凡そ商船や貿易船の商人や船員とは思えない風体と気質の荒くれな男達の喚声が、慌しく甲板の上を駈け回っている。
 活気と喧騒に満ち溢れている船。その広い舳先には二人の体格の良い男達が、周りの空気に反して船の行く先に薄っすらと見え始めてきた陸地を見据え、気難しい顔で佇んでいる。誰が見ても不安と緊張が読み取れる程、二人が醸している雰囲気は緊迫していた。
 一人は短く刈り込まれて勇ましさの引き立った黒髪の上に、見上げればそこに在る空を彷彿させる蒼穹の宝珠があしらわれたた銀のサークレットを被った、三十を越えた位の青年。鍛え上げられ一切の無駄が無い引き締まった筋肉を擁す肉体に、観賞用かと見紛う程に煌びやかで動きの妨げになら無い軽量の宝鎧を纏い、腰には一振りの神聖な輝きを放つ長剣を括りつけている。傍らの床に置いた正円の楯、魔法紋字による円陣が描かれたそれの中央に埋め込まれている秘石が、蒼い空から射して来る陽光にキラリと青く清涼に光る。纏う装備は、どれも紛れも無く数多の伝承にその名を謳われる伝説級の品々だ。
 一見して一流の戦士だと判るその青年よりも頭一つ背の高い金髪の偉丈夫が、傍らに立つ黒髪の戦士に向って苛立ちを見せながら話し込んでいた。

「オルテガ、どうしても一人で行くのか? サイモンの野郎だってもう少し待てば、きっと……」
 オルテガと呼ばれた戦士は、どこか焦燥している金髪の男とは裏腹に、酷く落ち着いた穏やかな蒼眼で見返す。澱み無く澄み切った双眸は、深々とした森の奥にある波風の発っていない湖を彷彿させる。静かに染み渡るはっきりとした存在感がそこには宿っていた。
「あのサイモンが約束を違えるなど私には信じられない。……きっと、何かあったんだ」
「だったら尚更だ。尚更、危険な地に一人で行く事は無ぇ。俺も着いていくぜ!」
 その若さと剛さを宿した右腕を力強く掲げ、盛り上がった力瘤を叩きながら金髪の男は主張する。
「……それはできない」
 同行して貰えればこれほど頼もしいことは無い。そう頭で思いつつも、自身の思考を振り払う様に首を横に振りながら、オルテガはその申し出をキッパリと断った。
「何故だっ!?」
「お前は自由・・だからだ。だからこそ、苦しんでいる人々の為にできる事がたくさんある。盗賊団“流星”も目的は別の所に有れど、その信念の下に動いている組織だろう?」
 どこか自嘲的な笑みを浮べ、オルテガは呟いた。その儚さに満ちた言葉と表情に、対峙している男は眉を顰める。
「それなら、人を守る最先鋒に立つ『勇者』の、お前だって……」
「……だからかもしれない。『勇者』なんて呼ばれてしまっている為に、私は退く事はできない。『魔王』を目前に躊躇する事はできないんだ。私が少しでも退けば、人々に不安が広がる。私が少しでも躊躇えば、魔物達が勢い付いてしまう。私の一挙一動が双方のバランスを左右してしまう……。そんな処に私は立ってしまっているんだ」
「…………」
 オルテガの独白に、男は言葉を呑み聞き入る。その独白が傲慢でも慢心でも無い事を男は良く知っていた。そんな立場に立つオルテガと長い間、共に旅をして来たのだから。だからこそ決戦を前にして、意外なくらいに情緒的に語られるそれに横槍を入れるような真似は出来なかった。
「……嘗てのアリアハン襲撃の時も、私は国の為に戦ったんじゃない。ただ妻を、父を、そして生れたばかりの……息子を護りたかっただけなんだ。……こんな事を言ってしまっては私は『勇者』失格だな」
「そんな事は無ぇ! それが人間だろ。いいじゃねぇか、護りたい者、大切な者の為に戦う。それが理由で充分じゃ無ぇか」
 頭を振って叫ぶ男にオルテガは嬉しそうに穏やかな笑みを浮べ、何処か恭しく、何処かたどたどしく正面から見据えその剛肩に手を乗せる。
「……ありがとう、カンダタ。お前のような友を持って私は幸せだ」
 そう改めてオルテガが頭を下げながら言うと、胸の奥に例えようの無い感情が詰まって、対峙していた男…カンダタはもう何も言えなくなってしまった。

「陸地に着いたぞー!!」
 マストの先端部に備えられた見張り台の上から、猛々しい声が甲板上に響く。接岸の準備をしていた船員、見張りをしていた船員、甲板上にいた幾十人総ての人間の視線がオルテガに集中した。
 期待がはっきりと篭められた数々の視線をその身に受け、微塵も気後れしない威風堂々とした風体でオルテガはしっかりと頷く。床に置いてあった楯を拾い上げ、備えておいた道具袋を背負い、下船の準備をする。するとそこに、白金髪と濃紫髪の少年が勢い良く駆け寄ってきた。
「オルテガのおっさん! 死ぬんじゃねぇぞ!」
「魔王なんざに負けるなよ!!」
 それほどまでに慌てて来たのか、全身で息をしながらも二人の少年は一気に捲し立てた。まだ幼さが残った、戦士としてはまだまだ駆け出しである二人。見上げてくるその年齢に見合った純真な視線を受けて、オルテガもたおやかに微笑む。
「ああ、わかってるさ。ノヴァにゼノスも元気でな」
 まだ歳若い少年二人の頭を、オルテガは武骨で大きい手でクシャリと撫でてやる。二人は大きな目をパチパチと瞬かせながら、嬉しさと照れを顕にして頬を上気させた。
 その幼さの残る少年らしい仕草を見て、ふと、遠い故郷の息子は今どうしているか、と脳裡を過ぎる。思えば、こうやって頭を撫でてやる事すら出来なかった。言葉を交わす事すら出来なかった。これでは父親失格だな、と自責の念が渦巻くがこれからの決戦に憂いを抱いたまま挑む訳にはいかない。
 そう思いながらオルテガは誰にも気付かれない位に溜息を吐いて気を引き締め、再びカンダタを振り向いた。
「……カンダタ、お前の力、苦しんでいる人々を護る為に使ってくれ」
「ああ! 約束だ!!」
 真っ直ぐな蒼い双眸を向けて来るオルテガに、カンダタは力強く首を縦に振る。後方の憂いは無い、そう言い聞かせる様に。自分に出来る最大限の虚勢で、友の不安を払拭する。
 カンダタとオルテガは口元に笑みを浮べて互いに拳を打ちつけ合った。固く強く交わされた誓いの儀式。その痺れの残った掌を満足気に握り締めながらオルテガは踵を返す。
 やがて、颯爽と上陸しその先に悠然と佇む火山を目指して一人歩き始めた。
 船員達が歓声を挙げて見送る中、オルテガは一度も振り返る事は無く、カンダタも声を挙げる事は無い。
 ここで声を挙げてしまえば、オルテガに全てを任せた他の多くの人間達と同じ様になってしまう。多くの時間を共有した自分はそれだけはしたく無いと考えていた為だ。
 そんな想いからか、『勇者』の雄々しい後ろ姿に、カンダタはほんの微かに孤独を感じ取っていた。
『勇者』の凱旋を願うのでは無く、『親友』の無事を願ってカンダタはただ黙し、遠く姿が霞み見えなくなってもその跡をいつまでも見つめていた。

――それがカンダタの見た親友、勇者オルテガの最期の姿だった……。






「…………?」
 カンダタは来るべき痛みが来ない事に、恐る恐る眼を開けた。
 眼前でユリウスは猛る炎を纏った剣を振り上げたまま、その腕に絡みついた鈍色の鎖によって剣を振り下ろせないでいる。冷たく少年の右腕に絡みつく鎖を辿って視線を動かすと、入り口の扉の所に数名の人影が捉えられた。
 逆光で各々の顔は見えないが、鎖を手繰るその風体には見覚えがあった。その人物を記憶の中から引き出す様に、カンダタは眼を細め、影で薄っすらと影に覆われた人物達を見上げる。
「……盗賊同士、仲間意識でも芽生えたのか?」
「…ユリウス、もう戦わなくて良いんだ」
 自身を縛る鎖を手繰る人物に向けて、ユリウスは冷たい痛烈な言葉を綴った。感情の篭らないそれとは裏腹に、口調は掲げた剣に猛る炎の様に抑揚頓挫が表れていた。
 対して、鎖を手繰る人物…ヒイロも普段らしからぬ厳しい表情をしたまま、真銀の髪の様に鋭い視線を外さない。
 暫く、そのまま互いに一触即発といった気勢で睨み合っていた。が、やがて億劫になったのかユリウスは溜息を吐き、剣を振り上げていた右腕を下ろす。溜息と共に、剣に猛っていた炎は消え失せ、何の変哲も無い鈍色の刀身が淡々と部屋に射し入る光を映し、ぼんやりと灯っていた。
 その奪還者らしき者達の影の中から、一人こちらに近付いて来る。
「よぉ、カンダタ。まだ生きてやがったか」
 軽い足取りで近付いて来て、腰を下ろし自分の怪我の様子に目を細めながらゼノス。
(全く、この男は……)
 飄々としたこの態度と言葉にカンダタは苦笑し、信頼を置く人物が無事である事に安堵して嘆息する。
「…ゼノス。お前も無事か?」
「俺が死ぬ訳ねぇだろ? ま、捕虜にはなっちまったがな」
「……どこの世界にそんな鷹揚としている捕虜がいる」
 大袈裟に肩を竦めて言うゼノスに、カンダタは溜息と共に口元に笑みを浮べる。言葉通りにそう思い、可笑しくなった。信頼はしていたが、実際に顔を見ると安堵の息を吐かずにはいられない。
「やあ、カンダタ。久しぶり」
 するとそこに別の人物の声が、その人物に付き従う影と共に近づいてきた。どこか昔聞いた事の有る、落ち着いた声色だ。ふと胸に郷愁的なものを感じながら、カンダタはその人物に視線を移す。
 漸く逆光に慣れ、穏やかな笑みを湛えてこちらを見下ろしてくる人物の顔がはっきりと確認できると、カンダタは今度こそ驚愕して眼を見開いた。
「! お前…、バルマフウラか?」
 鋭さと冷たさを印象付ける銀髪に、対比するような穏やかさと暖かさを点す琥珀の瞳。そして、纏う油断無い飄々とした雰囲気……。目の前で薄く笑みを洩らしている青年に、カンダタが思い当たる人物は一人しかいなかった。
 盗賊団“飛影”結成前。その源たる盗賊団“流星”が突如暴君と化した皇帝が率いるサマンオサ帝国の大軍に圧倒され往く中で、風の様に現れては次々と賢しい作戦を提案、執行して劣勢を次々と覆し、今の巨大化した勢力の礎を築き上げた若き参謀……。その人物が目の前の人物と重なる。
「そうだよ」
「俺もこいつが相手側にいた時は驚いたぜ」
 カンダタの脳裡に描いた通りの笑顔と声で、その思考を肯定する様にヒイロは返した。横でゼノスがヒイロの肩を叩きながら、溜息を吐いている。どうやら自分が今感じている驚愕を、邂逅の際にゼノスも感じた、とその行動から窺い知る事ができた。
「ああ……。そうだな」
 カンダタは自身の重症を忘れ、懐かしい邂逅に感嘆を洩らしていた。





「…勇者クン、もういいだろ?」
 カンダタの前に進みながらゼノス。
 カンダタよりも淡白なのか、言葉に抑揚は無い。今の今まで死闘を繰り広げていたカンダタは、ゼノスのその軽口に僅かに憮然として眼を細めるが、言ったゼノスは見ない振りをしていた。ただ、半ばカンダタを庇う様にユリウスとの間に滑り込んできたゼノスの風体は、これ以上やるなら自分が相手だ、とでも言っている様にも見える。やはりその辺りは、彼も仲間を重んじる性質だと言う事か。
 ユリウスとしても、そんな彼らの仲間内の心情には興味が無かったし、これ以上戦う気も失せていたので、肩を竦めながら大きく深く溜息を吐いた。
「……そっちから仕掛けて来た事だ。金の冠は既に‘奪還’してある。俺らは盗賊団の頭、カンダタの‘討伐’など命じられてはいない」
 言いながらユリウスは、腰の鞘に鋼鉄の剣を収める。剣を持っていた右腕に反して、左腕はもう感覚が無くなっていて動きそうも無かった。故に外套で覆い隠し、他の人間に見られないようにしていた。
(他人に弱みなど見せてはいけない)
 そう自分を律する考えとは裏腹に、身体中から厭な汗が吹き出ていて、汗を含んだ前髪が眉間にねっとりと張り付いているのが忌々しかった。そんな苛立ちにも似た穏やかでは無い様子を体現する様に、どこか憮然としながら自身の前髪を掻き上げるユリウス。

 内心の動きなど知る由も無いが、そんなユリウスの反応に満足したのかゼノスは肩を竦めながら頭を振り、今度は部屋の入り口付近で部屋の荒涼とした様に唖然として佇んでいたソニアに向って口を開く。
「お嬢ちゃん、僧侶だろ? カンダタに回復魔法を掛けてやってくれないか?」
「…ソニア、頼むよ」
「え、ええ……」
 敵であった筈のゼノスはおろか、仲間のヒイロにまで一様に頭を下げられて、しどろもどろになりながらもソニアは頷いた。
 今、自分の力は必要とされている。そんな矜持を自分に言い聞かせて胸中の戸惑いを意識の隅に押し遣りながら、恐る恐る床に座り込んでは身体中から血を流している敵対していた組織の首領、カンダタの傍に寄って傷の具合を確かめる。
(酷い……)
 カンダタの傷を見眺め、ソニアは内心で零した。
 鮮血に染まった身体中のあちこちについた切り傷はそれ程深くは無く、初等回復魔法ホイミで事無きを得そうだった。カンダタの傷で目立って酷いのは、左腕に刻まれたゾッとする程深く長い裂傷と、右肩をほぼ貫通しているであろう刺傷。そのどちらもが肉が焼け爛れて血が既に凝固して黒化しており、表皮細胞の殆どが壊死しているようであった。この分では神経も筋肉も、血管もズタズタになっているだろう。一体どのような攻撃を受けたらこれほどまでの惨事なるのか想像もつかなかったソニアは、カンダタの傷を見て思わず嗚咽を洩らしてしまう。
 胸中で一息吐いて気を取り直し、まず重傷の左腕に添える様に手を翳す。そして、紅の双眸を伏せながら精神を集中させる。
「霊聖なる生命の光よ。失われし欠片を糧に、新たなる命の芽を育め。べホイミ!」
 紡がれた言葉と共に、優しい波動を放つ白光の帯がソニアの掌から幾重にも生れ、焼け爛れ黒化したカンダタの左腕を隙間無く包み込んでいく。
 その心地良い命の胎動を感じ、温かい安らぎにカンダタはその眸を閉じた。




 紡がれた魔法と共に、幾許か薄暗くなり始めていた部屋を優しい暖かさを宿した白光がぼんやりと包んでいく。横目でその様子を捉えながら、ユリウスは先程壁際に放り投げた自分の道具袋を右手で拾い上げた。
 それがズッシリと重く感じるのは自分が疲弊している事だと悟り、内心で大きく溜息を吐く。それで僅かに気が緩んだ為か左腕を中心にして全身に激痛が雷鳴の様に走り、思わず声を洩らしそうになるがそれに耐える。喘いだ所で痛みが引く訳でも無いし、何より意味が無いからだった。いつもの様に無表情の上に、険しく眉間に皺を寄せて扉の方へ踵を返した。
 すると、今まで入り口で立ち尽していたミコトが、鬼気迫る表情でユリウスに歩み寄る。そして……。
「ユリウスっ!!」
 ユリウスが名を呼ばれ顔を上げた瞬間、ミコトは叫呼と共にその左頬に力一杯拳で殴りつけた。その行動にカンダタの治療を始めていたソニア、傍らに立つヒイロはおろか、ゼノスやカンダタすらも驚いて顔を上げた。
 全力で殴られた為か、既に満身創痍であったユリウスはミコトの拳を躱す事も出来ずに石床に転がる。それでユリウスは口内を切ったらしく赤い血が混ざった唾を吐いた。この時、ただ大人しく殴られたユリウスを見て、僅かにヒイロやアズサは目を細めていた。
「っ、……何だ?」
 外套の襟元で口元を拭い、重くなった身体をなんとか起こしながらユリウス。半眼でミコトを捉えていて、その闇色の視線は敵に対峙した時のように至極冷たい。対してミコトはあからさまに憤慨しており、鋭く光る緑灰の眼には強い感情に満ち溢れていた。
「何だ、じゃないっ! お前、一体自分が何をしたか解っているのか!?」
「何の事だ?」
 訝しそうに眉を寄せたユリウスは逡巡の結果、ミコトに殴られる謂れなど無いと至りそのままを口にする。その抑揚の無い答えに、ミコトは白磁の頬を怒気で更に赤くしてユリウスの緋色に染まりつつある外套の襟に掴みかかった。その掌は殴打の様に繰り出され、自身の外套を捻り上げる様に掴む腕力。思いの他それが強かったのか、疲弊し切ったユリウスの体には激痛が走る。それを表に出さない様にユリウスは大きく溜息を吐くが、更なるミコトの義憤の炎を昂ぶらせる事になってしまった。
 興奮している為か、憤然としたミコトの吐息のリズムは早く疎らで、肩を大きく上下させている。睨み上げて来る眼からは批難と厳責の色に満ちているという事がはっきりと判る。真っ直ぐにこちらを貫いてくるそれには、並大抵の人間なら萎縮してしまう程の気迫、意志の焔が猛っていた。
 だが、その程度で臆するユリウスでは無い。ミコトの、この刺すような視線を向けられようとも、ユリウスは何の感慨も沸かない、感じない。ただ酷く辟易したようにミコトを見下ろしていた。
「…お前はっ! あんなに沢山の人間を殺しておいて、何も感じないのかっ?」
「……言った筈だ。敵意を持って来る奴に容赦はしない、と。……連中は俺を殺す気で掛かってきた。だから俺もそれに抗した。ただ、その結果だ」
 至極ウンザリしながら淡々と返すユリウス。この塔に来る前からも、先程敵であるカンダタとも同じ問答をした為、いい加減答えるのが億劫になっていた。
「お前って奴は、それでも『勇者』なのか!? それが正義だとでも言うのか!?」
「またそれか……。俺はそんなもの自称した覚えは無い。周りが勝手に言っている事だ。他人の『勇者』の定義がどうだろうが、そんなもの俺には関係の無い事だし、取るに足らないどうでもいい事だ。俺はただ魔王を殺す。魔物を滅ぼす。その過程で立ち塞がる人間も殺す。…………それだけだ」
 冷たく吐き捨てられた言葉に、裡で荒れ狂う義憤に身が裂かれそうになるのを必死で抑えながら、僅かな希望を抱いて願う様にミコトは続ける。その様を明瞭に示す様に、声はわなわなと擦れ震えていた。
「! ……お前は、同じ人間を殺すのに躊躇いは無いと言うのか?」
「そんなもの無いな。魔物だろうと人間だろうと、命のやり取りを迫られている時に、それを気にする必要性が何処にある? 殺さなければ殺される世界で、敵意と殺意を剥き出しで来る魔物、人間。違いなど無いだろう」
「お前は……人間と魔物が同じだと言うのか?」
「……人間って、何なんだろうな。感情云々で綺麗事を並べたかと思うと、理路整然とどんな汚行も平然と全うする。善悪是非で自己の価値観を正当化しては己を独尊し、慙愧と悲壮の念を美徳としては一方的に他者を憐憫する」
「……っ!」
「俺にとっては、魔物も人間も同じ……いや、違うな。狡猾で残虐な思考行動ができる分、人間の方がずっと性質が悪い」
 余りの言葉に身体を戦慄かせているミコト。その震えを外套越しに感じ、ユリウスは肩を竦めた。
「……じゃあ何だ? 魔物を倒す旅の過程で、もし人間に刃を向けられたら大人しく殺されろとでも言うのか? 躊躇している間に殺されれば、それこそ本末転倒だろ?」
 淡々と語られる言葉に愕然としながら、ミコトは声を震わせる。信じられない。そうその豊かに変わる表情は物語っていた。無表情に滔々と語るユリウスの面に、心臓を掴まれたような畏れを感じてしまうが、自分もここで引き下がる訳にはいかない。そう言い聞かせて自分を奮い立たせる。
「そんな事、言ってないっ!」
「お前が言っているのはそう言う事だ」
「違う! 殺さなくてもやり過す術は有るっ!! 殺す、殺される……。お前にはそれしかないのかっ!? ……お前には人の命の重さがわからないのかっっ!?」
 喉が枯れそうな程にミコトは叫ぶ。今回のような事情はともかく、魔王討伐の旅の過程で人間に刃を向けられるなど、考えたくも無かった。そして自分が刃を向けることも。だからこそ、ミコトはユリウスの言が理解できずに、眸に批難を載せたまま反駁を続けていた。
「そんなもの……、考える必要が何処に有る? 何を説いた所で、人間も魔物も同じ一つの生命に過ぎない。それが事実だ」
 思案する様に眸を伏せ、どこか自嘲的にすら聞こえる程、ユリウスの声には抑揚が無かった。が……。
「ならば訊くが、お前は何故殺した後に魔物の冥福を祈る? 自己満足か? 自己弁護か? 殺しておきながら、御免なさいで済むのか? それで殺された側は納得するとでも言うのか?」
「そうじゃないっ!! 命は何よりも尊いものだ。だからこそ奪った事に対しての罪科を背負う事と、奪われた命の冥福を祈る義務がある! それは生者の務めだ! 生き残った者が負う責めだ!!」
 僧侶の常套文句であるそれを、義と礼節を重んじるミコトが言う事に違和感は無いと、半ばこの状況を蚊帳の外から見ていたヒイロは思う。それはこれまでの道中での魔物との戦闘後に、ソニアと共に黙祷を捧げ続けてきた事からも明らかであったからだ。
 対して、ユリウスはそれを理解し難いと頭を振って、大きく溜息を吐いた。
「命が尊い? そんな事有り得ない」
「…………」
「身分、名声、地位、名誉、立場! そんな下らない肩書きだけで尊ばれる命があれば、簡単に消える命もあるっ! …………疎まれ、蔑まれ、嘲られる命もある」
 そこでユリウスは言葉を濁して、その漆黒の双眸を細めた。
「な、……に?」
「何もしていない奴が、尊ばれ生かされる。『良心』に従って多くの命を護ろうと立ち上がり、自らを犠牲にしたというのに……。その死者は蔑まれ罵られ嘲られるっ! 何も知らずに護られ生き残った奴等が護られたという事にすら気付かずに、薄ら笑いを浮べながらその命を蔑む罵る嘲笑うっっ! 尊いだと? …………何処にそんなものがあると言うんだっ!?」
「…………」
 忌々しそうに眉を顰めて捲し立てるユリウス。その漆黒の双眸は更なる昏さに塗れ、深い深い闇を湛えていた。全てを拒むような黒が、そこに在った。

 そんなユリウスの冷たい視線と真っ向から対峙しながら、ミコトは驚いていた。これまでに、こんな饒舌なユリウスなど見た事が無かったからだ。ユリウスの肩越しに見えるヒイロやアズサも唖然として眼を大きく見開いていた。
 言葉そのものは淡々としていたが、堰を切ったように早口に捲し立てるそれから、吹き出しそうになる何かを必死で抑えつけている様に感じられる。今にも叫び出しそうな程の激しい…怒りが、ユリウスから感じられる気がしていた。
(怒っているのか? あのユリウスが!?)
 ピリピリと空気を伝わり肌に刺さる感覚が、ミコトにそれを思い起こさせる。だが普段の無感動無表情振りも相俟って、間近でそれを見ながらもミコトには確かめる術は無い。ただ剣呑な眼光のユリウスに圧されそうになるのを、自分の下唇をきつく噛んで耐える事しか出来なかった。
「そんなもの有りはしない! 全て生きている人間が作り上げたていの良いこじ付けだっ! 自分達の生に後暗さを持たせない為の慰み、自分達を正当化する為の言い訳だっ!」
「違うっ!!」
「違わないさ! どいつもこいつも命の取捨択一も他人任せで、自ら動こうともしない。力の無い事を「弱さは人間の美徳だ」として、その悲壮に酔っている。困難な現状の打破を「自分達とは違う誰か・・・・・・・・・が為してくれる事」そんな風に自分に言い聞かせてな。そのくせ道徳意識を掲げ、勧善懲悪を翳し、歯の浮くような綺麗事ばかり重ね、連ねる! ……馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しいっっ!!」
「違う、……違うっ!」
「お為ごかしに過ぎない。結局はなっ!!」
 ミコトの抵抗は最早、感情だけであった。脊髄反射的な感情だけが意思を越え、先走って口から発せられていた。
 ユリウスの言う事は間違っていると、ミコトは自分の中の価値観が大声で言っているのを感じ取っていた。ユリウスの言が、自分の正義に悖っている事は明らかであった。その筈なのに、ミコトは口にして言い出す事が出来ない。ただ、次から次へと心の中から沸き上がって来る、悄然とした思いを抑えつけながら拳を戦慄かせて、それしか言い出せなかった。




 遠い水平線に太陽が沈み込み始め、射し入って来る西日がそこに居る者達を分け隔て無く照らし出す。その温かな暖色の光を受けて生じる影がより一層、彼らの面の明暗を浮き彫りにしていた。
 一連のやり取りを、半ば蚊帳の外から見眺めていたアズサには、夕日の朱に塗れ、普段らしからぬ大声を張り上げて叫ぶユリウスが、泣いているように見えて仕方が無かった。




 開け放たれたままの扉と窓から吹き入って来る潮騒が嫌味なくらい狂おしく、沈黙に静まり返った場を嘲る様に駆け巡っている。
 夜という深く光の射さない時は、もう眼前に迫っていた……。




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