――――第一章
      第六話 古代の塔







 アリアハン大河を南に下だり、アリアハン大陸唯一の入り江に至るまでに存在する孤島の一つ。
 外海の鹹水かんすいと大河の淡水が交わり、たゆたう水の流れと共に生きる命の入り乱れる河口を、遥か高みから見下ろす形でその塔は存在していた。
 ナジミの塔…高くそびえるその雄大な姿は、遥か昔アリアハンが世界の盟主として君臨していた頃には既にそこに存在していたという世界最古の古代遺跡の一つ。ナジミという名の由来は歴史には一切記されておらず、嘗ては天を支えているかのように聳え立つその姿から、世界を支えているという神、柱神の一つとして崇められていた。
 移ろい、そして流れ往く世界を、自身は何一つ変わらぬ姿で今も見守り続けている……。






 レーベ村を出立して二日と数時間。
 ナジミの塔へは、アリアハン大陸西南端の森林地帯の先に、ポッカリとその口を開けている岬の洞窟を抜けていった。潮風が入り込み鬱蒼うっそうとじめじめした洞窟を、襲い来る魔物達を蹴散らしながら一行は進む。
 ユリウスが先頭で左手に松明を灯しながら、入り組んでいる岩屋を何の迷いも見せずに奥へ進んでいく。レーベ村から洞窟に至るまでに戦闘を幾度と無く続けてきた事。そして、鬱蒼とした闇が押し寄せて来るようなこの洞窟の雰囲気に気だるそうにしているミコトは、同じく疲れたような表情をして沈黙を保っているソニアを気遣いながら、独りこちらの様子を気にも介さないで進んでいくユリウスに、憮然としながら声を掛ける。
「おい、ユリウス。お前はこの洞窟の道筋を知っているのか?」
「……ああ。何度か来た事がある」
「そうか。…で、どれくらいでここを抜けられるんだ?」
「……疲れたのか?」
 ユリウスはそのミコトの問いに答えずに、少しだけ顔を傾けてポツリと呟く。松明から放たれている暖色の光を受けて、その瞳の色は更なる闇色に染まる。言われたミコトは、小馬鹿にされたのかと思い少々ムキになって頬を赤らめた。
「! そう言うわけじゃない。ただ、あとどれくらいかと……」
「もうすぐだ。この先は広い空間になっている。その先が出口だ」
 ユリウスも相当数の魔物を屠っているというのに、その表情には汗一つ掻いておらず、疲労などまるで感じていない様子であった。しかも、この鬱蒼とした闇が自身の住処でもあるかのような気安さが、今のやり取りに微かに感じ取れる気がした。
 それにミコトは内心恐怖にも近い感情を覚えながらも、それを振り払う様に両側で結われた髪を左右に躍らせる。ソニアも同じ様な事を感じ取ったのか、微かに身動ぎさせていた。
 二人の様子を刹那の間横目にしながら、ユリウスは微かに目を細め再び先を見据え歩み出す。その視線に含まれた微かな悄然とした様子は洞窟の闇に阻まれて二人に気付かれる事は無かった。

 大小様々な岩が散乱している洞窟の中、比較的歩きやすい道を選びながらユリウスは内心溜息を吐いた。



 この武闘家の少女は、単純で根が真っ直ぐ過ぎる気質の様だ。…そう自分の人物鑑定眼はミコトを評価している。
 確かにルイーダの紹介通り、長年旅していた事もあってかその戦闘力は目を見張るものがあり、それはこれまでの道中での戦闘で証明されていた。ただ、事有る毎にムキに返されてはこっちが気疲れしてしまう。溜息の一つも吐かずにはいられない。
 まぁ、最初から猜疑の目を向けてくる僧侶ソニアもいる事だし、それは今更……か。



 入り口の方から聞こえてくる、風の咆哮がごつごつとした岩肌に反響して不気味な旋律を奏でている。その不協和音を耳にしながら、三人は更なる闇の先に足を進める。

 洞窟に入って数時間……。やがて、出口が近いと誰もが理解できる程、目先の道には光に満ちていた。
 長い間、暗闇の中にいた為に目がその眩しい光に慣れていない。思わず気が遠くなりそうな感覚に陥りながら、ソニアは軽く頭を振る。そんな様子に苦笑しながらミコト。
「大丈夫?」
「ええ。ごめんね、心配掛けて…」
「気にしないで。仲間・・を心配するのは当然の事だからね」
 ミコトはソニアを気遣いながら、こちらを気にもしないで前方を黙々と歩き、逆光の中でその姿が影に覆われて、それに呑み込まれて行くようなユリウスを、どこか憮然とした視線で追っていた。
 先の通路から差し込んでくる光がそれを嘲笑っているかのように、厭味なくらい眩しく感じられた……。







 自然洞窟とは明らかに異なる雰囲気、人の手によって創造されたと思しきフロアに一行は辿り着いた。
 ここも見知った地だと、先頭を行くユリウスが道案内をする。
「この通路を真っ直ぐ進むと、アリアハン城の地下に繋がっている」
 地面の下で方向の感覚が乏しくなる中、ユリウスの案内で王都アリアハンの方角に更に数時間進むと今までの通路よりも遥かに広い空間にでた。自分たちのいる側とは反対の壁は遥か遠くに、闇にその姿を掠められながら存在している。この広大な地下のフロアは目指している塔の一部であろうと誰もが思わざるを得なかった。
「……ここはもう塔の地下だ。そこの階段を上るぞ」
 さっさと進むユリウスの後に、ミコト、ソニアの順で続く。
「海の下を通ってきたのか。どうりでジメジメしているわけだ」
 周囲の湿った空気によって薄っすらと汗で滲んだ掌を擦りながら、海底を歩いて通ったという事実にミコトは感嘆する。海底にこれだけの建造物を造ったとされる古のわざの高さにミコトだけでなくソニアも感心していた。
「ユリウス、あっちはどこに続いているんだ?」
 ふと、ミコトは来た道とは別の北の方角を指す。その遥か先の壁に闇が集中している部分が確認できた。それはこのフロアよりも狭い空間が存在し、それが通路であることを示している。
「……そっちは行った事はないが、方角からするとレーベの近くに出るんじゃないか?」
 ユリウスは肩を竦めて答えた。
 そんなユリウスのあっけらかんとした説明に、ならばそちらを来た方が早かったのではないか、とソニアは言おうとしたのだが、その方角からの見知らぬ人間の声によりそれは呑み込まれる事になった。

「この建築様式はアープと同じようだな。……となると同一の文明がこの塔も建造したと考えられるか。……ん!? ここの紋様は…先史文明期の魔法ルーン紋字配列に似ているけど、また微妙に違う代物か。妖精種言語にも似ている気がするけど……。いや、まてよ…この塔がアープの塔と同一の文明が建造したのならば……。でも、そうすると建造年代の差異が…………」
 壁の模様に片手を触れて、もう片方の手で口元を押さえている青年は何かを考える様にブツブツと呟いている。フロアが薄暗かった為、詳しい表情はわからなかったが、盗賊の様な軽快な動きを遮らないような格好をしている。
「………何?」
「……さぁ」
「…おい」
 突然の来訪者にミコトとソニアだけでなく、ユリウスまでもが唖然とした視線を青年に向けていた。
「……ん? 誰だい、君達は?」
 その三つの視線にようやく気が付いた青年は首を傾げながら尋ねたが、間髪入れずにユリウスが青年の行動について問い返す。
「それはこっちの台詞だ。あんたこそ何をしている?」
「俺? 俺はこの塔を調べているんだよ。この塔はかなり古い時代に築かれたみたいだし、今では有り得ない程の高い技術による建造物だからね。……それに、ほら見てみなよ。この壁の紋様、現在とは全く別の魔法大系の紋字だ。これらが何を示しているのか、興味深いとは思わないかい?」
 透けるような銀髪と淡い琥珀の眼をもつこの青年は、ユリウスの憮然とした態度に気を害すること無く丁寧に、自分の行動について応えた。このユリウスの横柄な態度を気にも介さない様子から相当の人格者だと伺える。尤も、雰囲気を解さないこのマイペース振りと、魔物が蔓延っている場所で呑気に壁や柱を観察する気魂には、少々呆れざるを得ないが……。
「……あんた、ヒイロ=バルマフウラか?」
「そうだけど…どうして君は俺の名前を知っているんだい? そんなに目立った事はしていないんだけどなぁ」
 惚けたような反応をみせるヒイロと呼ばれた青年にどこか呆気に取られながらも、ユリウスは溜息を吐きつつ荷物袋から一枚の羊皮紙を取り出して、それを青年に突き付ける。
「……これを見ろ」
「ん? ああ、ルイーダさんの紹介状か。……と言う事は君が勇者・・ユリウス君だね」
 得心がいった様にヒイロは相槌を打つ。と同時に眼前の少年をあからさまに反応を試す様に『勇者』という単語を強調してユリウスの名を問う。ユリウスはそれに面倒臭そうに肩を竦めながら、溜息を一つ吐いた。
「自称した覚えは無いがな……」
 その受け答えに満足したのか、何処か憮然としているようなユリウスに苦笑しながらヒイロは後方で、訝しげな視線を送ってくるソニアとミコトに柔らかく笑みを零しながら視線を移した。
「じゃあ、そちらのお嬢さん方は君の仲間ってところかな?」
「……ええ、まあ」
 突然振られた問いにソニアは呆気に取られたままで、しどろもどろに答えるしか出来なかった。その様子にヒイロは未だ自己紹介をしていない事に気が付いて、また苦笑してしまう。
「失礼。俺はヒイロ=バルマフウラ。宜しく」
 被っていた上着と同色の帽子を脱ぎ、改めて礼儀正しく手を差し出しながら自身の名を告げるヒイロに、ようやく警戒心を解いたのかソニアとミコトは順に名乗り手を交える。
「ソニア=ライズバードです」
「私はミコト=シングウ。宜しく」
 ミコトにして見ればこの礼儀正しい青年に感銘すら覚え、何かしらの意図を含ませた視線をユリウスに送りつける。それに気づいたユリウスは鬱陶しそうに肩を竦めるだけだった。

「じゃあ、俺も魔王討伐に同行させて貰っていいかな?」
 何の気負いも臆面も無く、飄々とした風体でいう銀髪の青年に、ユリウスは訝しそうに眉を寄せ鋭い視線を送る。大義名分を背負った旅に同行する事で甘い汁を啜ろうとするのか、或いは確固たる自身の目的があるのか測るかの様に……。
「……何が目的だ?」
「ちょっと、ユリウス。失礼よ」
 初対面の人間に対しての態度では無い、と彼女の性分からかソニアはユリウスを諌めた。対して怪訝な視線を向けられたヒイロは苦笑しながら、逆にソニアを宥める。
「はは、いいよソニアさん。突然こんな所に現れた人間を訝しむのは仕方が無いさ。……君達は魔王の居場所であるネクロゴンド城に辿り着く方法を突き止めるために、世界を廻ろうとしているんだろう?」

 魔王が居城としている旧ネクロゴンド城は、魔王がこの地に降り立った時に生じた地殻変動により、城を含む周囲の大地が隆起してしまい、今現在その地は世界最高峰の台地と化している。当然、海路だけで到達できる訳が無く、巨壁の様に聳え立つ断崖絶壁は、人に登山の選択すらさせはしない。尤も、災いの本拠地同然である山岳地帯を登山すると言うのは、魔物の的に成るようなものであり現実味に欠けるが……。
 この事実は、市中に住む一般の人々には決して知られる事が無い現実であった。魔王と言う魔物を統べている存在については、国家首脳が徹底した情報制御で漏れないようにしている。それを知る術があるのは、危険を顧みずに外の世界を往く冒険者達で、厄災の根本とも言える地の情報を知っていると言う事は、ルイーダの言どおりに世情に詳しいようであった。

 淡い琥珀の両眼は揺らぐ事無く真っ直ぐにユリウスを、その闇色の双眸を捉えていた。互いに視線を反らす事無く、暫しの間耳鳴りがしそうな程の静寂が広大な空間を支配する……。
 対峙する二人を交互に見ながらミコトもまた、ユリウスがヒイロにした質問の答えを自身の内で反芻していた。そして、まだそれを口にすることは出来ないという結論に至り、首を横に振る。
 戦慄にも似たこの静寂の中で、不自然なくらい高まってしまった自分の鼓動が傍で不安そうにしているソニアに聞こえてしまわないかと、ミコトは狼狽してしまう。
「必要ならば、な」
 やがて静寂を破る様にユリウスが口を開くと、その言葉に満足したのかヒイロは口の端を上げる。
「……俺は“探し物”をしているんだ。それこそ、世界中を見て廻らないと見つからないような」
 物思いに耽る様に視線を中空に漂わせる琥珀の眼に、一抹の哀しさが疾る。
「……それは――」
「わかった。同行するなら好きにしな。目的を優先させて抜けるのも、あんたの自由だ」
 徐に切り出そうとするソニアを遮って、そう言うとヒイロの反応を待たずにユリウスはミコトに一瞥をし、踵を返してその先にある上階への階段に独りで進んでいった。
 今の、ユリウスの視線がヒイロに言った言葉と同じ意味を含んでいると察したミコトは、思わず眼を伏せる。ヒイロはヒイロでもっと追求されるものだと覚悟していたから、ユリウスの返答に少々困惑してしまった。

 俯いている様子のミコトと、呆気に取られたままのヒイロ。両者を心配するソニア。三人はこの地下の閑静な空間で暫し立ち尽くしていた。
 やがて上階から雪崩込んでくる魔物の悲鳴が響き渡るまで、誰一人動く事は出来なかった。








 遅れて一階に到着した三人は、おびただしい数の頭と胴体が切り離された魔物の死骸と、それらを取巻く様に中心に立つユリウス、そして彼に対峙する一人の中年の男を見た。
 中年の男は一般人とは異なる不思議な雰囲気を宿しており、周りにある凄惨な風景にも眉一つ動かさずにユリウスを見据えている。
 やがて魔物の死骸は霧のように消えていき、死臭だけが塔外から流れてくる風に乗ってフロア中に漂っていた。
「どうやら、お仲間さんが見えられたようですね」
 男は笑顔を絶やさずに飄々と語る。人の良さそうな笑顔とは裏腹に、醸し出している雰囲気は遅れてきた三人を圧倒するには充分過ぎる気迫に満ちていた。真っ向からそれを受けてもユリウスは眉一つ動かさない。
「すまない、ユリウス」
「別に問題無い」
 未だ抜剣したままのユリウスに駆け寄り、戦闘に遅れたことをヒイロは謝る。
 ユリウスは頬に着いた返り血を拭うことなく、淡々と答える。ただ、その視線は前だけをじっと捉えていた。
「ジジイは上だな」
「はい。最上階であなた方を待っておいでです。お疲れの様でしたら部屋をご用意致しますが、どうします?」
(……部屋?)
「必要無い。……行くぞ」
 笑顔を絶やさないで男の雰囲気と言葉に、胡散臭い物を感じたミコトは警戒心を解く事はしない。
 一度、半分だけ顔を振り向けて口を開くと、ユリウスは扉の開け放たれたの部屋の階段へ歩を進める。
「気をつけて下さい。上階も魔物の巣窟ですよ」
「知っている」
 背中から掛けられる声に、ユリウスはそれだけ返すと階段を上り始めた。
「皆様もお気をつけてください。私はこの先の部屋に宿を構えております。進むのが無理と判断なさったら、是非とも我が宿へいらして下さい」
 商売人のそれらしく深深と頭を下げる中年の男に、一同頭を垂れ、ユリウスの後をを追った。
 こんな魔物の巣窟で誰が宿を取るのか、という疑問は各々の胸中に押し込まれたままで……。




「ユリウス。訊いて良いかな?」
 周囲に魔物の気配が無いか、警戒しながらヒイロは徐に口を開いた。対して、ユリウスはげんなりした様に溜息を吐いて、ヒイロに半眼を向ける。
「……何を?」
「階下にいたあの人。一体誰なんだい?」
 ユリウスの憮然とした態度を微塵も気にしないで、ヒイロは臆面も無く言う。その問いには、ミコトもソニアも先程胸中で思った事だったので、興味が沸いた。
 そんな三者の視線を受け、溜息を吐きながらユリウス。
「……聞いてなかったのか? 宿屋の主人だ」
「主人って……。こんな所に誰が泊まりに来るんだ?」
 ユリウスの淡々とした答えに、頬を引き攣らせながら反駁しミコトは、魔物相手に商売でもしているのか、と考えてしまう。……実際にそんな事有るわけが無いのだが、考えずにはいられなかった。ここに至るまでに結構な回数、魔物との戦闘をこなして来た。魔物の巣窟と言っても良い場所で、まともな神経の持ち主ならこんな物騒な所に宿泊しには来ないだろう、そう思ったからだ。
「……この塔は、どう云う訳かは判らないが魔物を呼び寄せる性質がある。それを利用してジジイが弟子達に、この塔で実戦を積ませているんだ。それであの主人は救護班、兼宿泊施設の管理人と言う訳だ」
 ミコトの思考に答える様にユリウスが淡々と語る。その内容に興味を惹かれたのかヒイロは、口元に手を当てて考え込んだ。
「そんな性質が……。理由は判らないのかい?」
「……詳しい事は知らない。ただ、魔力がこの塔に集まりやすいと聞いた事がある。まあ、ジジイはジジイで弟子の実戦相手に困らない、と喜んでいるから詳しい事情なんてどうでも良いのかも知れないがな」
「…へぇ。やっぱり、この塔は興味深いなぁ……」
 元々、古代遺跡であるこの塔に興味が有って調査に来ていたヒイロは、塔の壁の模様を眺めながら感嘆を洩らす。
 そんな中、一人あの宿の主人を心配していたのは僧侶のソニアである。
「あの人は魔物に襲われても大丈夫なの?」
「問題無い。あの主人はああ見えて、結構な腕前の武闘家だ。アリアハン大陸程度の魔物に負けるなんて事は有り得無いだろうな」
 愚問だな、と肩を竦めながらユリウス。
 話題の人物と対峙した時に沸いた疑念が晴れたのか、三人は納得した面持ちになる。
「……お前も詳しいって事は、何度も来た事があるんだな?」
「……暇潰し程度には、な」
「………おい」
 やけに内情に詳しいユリウスにミコトは聞いてみたが、その答えにまたその白い頬を引き攣らせる結果になってしまった。声色を下げて震わせているミコトを無視して、ユリウスは肩を竦めながら先に進んでいった。

「こっちだ。この角の先、少し道が狭くなっているから、死にたくないなら壁にくっついて来るんだな」
 そう不吉な言葉を言い残し、ユリウスは先行して角を曲がり塔の南側に位置する通路に差しかかる。
「こ、怖い……」
 ソニアその場に座り込み、恐る恐る眼下を眺めて呟いた。
 そこは見晴らしのいい開けた通路だった。壁が無く、柱が何本も列ねられているだけの空中回廊……。
 海から吹いてくる風が心地よく疲労した体を撫でて行く。見下ろす風景はアリアハン大陸を超え、大海原の更に向こうに水平線が大空との境界をおぼろげに保っている。大空の蒼と大海の藍…その見事な調和が今までの疲れを癒す。
 吹き入って来る風に身を任せ、この壮大な青のキャンパスに飛んで行きたくなる衝動を押さえながら、ミコトはソニアの身体を支える。
「ソニア、下を見ては駄目。ここは、早く通り抜けよう」
 そういってミコトは促し、ソニアは頷きながら立ち上がった。微かに膝が震えている事にソニアは頬を紅潮させ、ミコトは苦笑してしまう。
 いつまで経っても後ろから来ない同行者達を、ユリウスは回廊を抜けた所で無機質に眺めていた。




「しかし、何だってこんな塔に賢者様は住んでいるんだ?」
 わざわざ入り組んだ迷宮の、最上階を住処としている賢者の思考を理解できずに、ミコトは思わず呟いていた。
 弟子の修練の場として利用すると言う事は、賛同し兼ねないが事情は判った。だが、今訪ねるべき世界に名立たる老賢者はここに住んでいるという……。
 この塔の高さから、最上階から見下ろす景色は絶景であろうと考えられるが、それだけの為に魔物の蔓延る地に住もうなどとは到底思う事は出来ない。先程、空中回廊での景色には感銘を受けたが、住むとなれば別問題だ。
 今現在、尋ねる側のミコトとしては魔物がいるだけでも厄介なのに、こう迷宮の様に入り組んでいては気が滅入ると言うものだ。愚痴の一つも零さずにはいられなかった。
 そんなミコトの溜息混じりの問いに、ヒイロは首を傾げながら、知己であろうユリウスに振る。
「さあ、わからないな。ユリウスは何か知ってるか?」
「人嫌いなんだろ? こんなところに住む、ジジイの考えなど判る訳が無い」
 答えたくないのか、或いは興味が無いのかユリウスは素っ気無く答える。
「ジジイのことなんか考えても無駄だ。さっさと会って、用件を済ませて、こんなところから帰るぞ」
「お前、その賢者が嫌いなのか? さっきから聞いていると、そう聞こえる」
「……そんな事、お前には関係無い」
 ミコトの問いに一瞬、ユリウス目を細める。その一瞬をヒイロは見逃さなかった。
 やがて答えるのも億劫になったユリウスは肩を竦め、先に行ってしまった。

「……何かあるんだろ。詮索は良くないな」
「そんな立ち入った事聞いたか? 私は」
 肩に手を置いて穏やかな口調で宥めてくるヒイロに、まるで自分が咎められているみたいだ、とミコトは錯覚してしまう。何処か拗ねた様に唇を尖らせながらミコトは口を開いていた。
「うーん……、でもまぁ、ミコトも冒険者ならわかるだろう。人それぞれの事情って奴さ。自分の中に閉まっておいて、他人に触れられたくないものがあるんじゃないか? そして、それを無理にこじ開ける権利なんて誰も持ってはいない……」
 開けた壁の間から遠い大地に王都アリアハンが一望できる。その外の風景を眺めながら、どこか自嘲する様にヒイロは言う。
「……ヒイロって、盗賊とは思えないような事を言うよね。私、盗賊の人に余り良いイメージが無かったから」
 瞑目しているミコトを他所に、言いながらソニアが少し済まなさそうに小さく舌を出しているので、ヒイロは苦笑する。
「ハハハッ、まあ、職業盗賊ってだけだし、それに……」
「それに?」
「年の功だよ」
 冗談めかして言うヒイロにミコトとソニアは微笑む。
「歳って……、そんなに変わらないだろう?」
「まあ、そうなんだけどね」
「フフッ……」
 場違いな雰囲気が周囲に広がる。
 殺伐とした魔物の巣窟内にあって、どこかそれは安心できる心地良いものだった……。




 後方でそんなやり取りがなされている時、ユリウスは剣を振るっていた。同行者達と距離が離れていた為、魔物の一団と遭遇してしまったのだ。
 遅れて来ない彼らを別に気にするでもなく、ユリウスは単身魔物の群れを次々と切り刻んでいく。鋭い牙や爪を楯で弾き、躱しながら、口元に笑みすら浮かべ剣を振り下ろし次の標的に向かう。

 あの談笑の中に居るより、殺気と血飛沫が飛び交う戦いの場に居る事の方が自分らしい、と改めて自覚して内心苦笑してしまう。
 彼ら三人が、魔物の断末魔を聞きつけ、追いついたのはユリウスが全ての魔物を全滅させたすぐ後のことだった。




back  top  next