――――第一章
      第四話 倉皇そうこうたる旅立ち







 アリアハン王国――。

 かつて世界の主要国家間での同盟協定を結び、その盟主として事実上全世界を支配していた一大王国。
 栄華と繁栄を極めたその国の名は全世界にとどろいていた。
 だが、盛者必衰の言葉が示すとおりその輝かしい栄光は、支配国での疫病の蔓延、反乱分子による内紛、異常気象が齎す莫大な資源損害。それらのような国力低下要因が盟主としての威信を失墜させていったのは疑い様が無い。
 しかし、決してそれだけでアリアハン王国の行く末が暗澹あんたんとする程、国家運営の首脳部は愚昧な人間達で構成されてはいない。嘗てのような盟主として全世界を管理、掌握できる程の力は無くとも、外交や内政において決して自国の不利になるような事は無かった。
 アリアハン王国という名の直接的な没落原因。それは今より数える事二十余年。この世界に突如として降臨した魔王バラモスの台頭である。

 氾濫した魔物の進軍により世界の調和が崩壊し、各国間の交易は断絶、各々の自治国家での対応を余儀なくされていった。次々と齎される領地、領民の被害損害……。そんな悲報が驟雨しゅううの様に続く中でうたわれるアリアハンの英雄、勇者オルテガの訃報……。
 それはアリアハンだけで無く、世界全土を絶望の暗礁へといざなう。
 心痛の余り崩御した前王の後に就任した、現アリアハン国王ラヴェル十二世は迫り来る魔物から国土を、国民を守るために主だった外交手段の一つである、誘いの洞窟に存在する旅の扉を封印する事に決定した。

――現在では稀代の勇者オルテガの名声と共に、その名は名残惜しく世界に広まっている。






「何時見てもナジミの塔は大きいわね……」
 ソニアは街の外に出るのと同時に嘆息交じりに呟いた。
 それもその筈である。王都アリアハンより西、その先に広がるアリアハン平原、そして海峡を越えてようやくその塔に辿り着く事が出来るのだ。直線距離にしてもかなりの隔たりがあるにも関わらず、城下街の外にでて直にその姿をはっきりと確認できると言う事は、その塔が並々ならぬ大きさを誇っている事の証明である。
 ソニアの呆けるような反応は、真っ当な人間として正しいものだった。
「あれは見張りの塔なんでしょう?」
「……あれは古代四柱神の一つだ」
 ソニアの反応にユリウスは面倒臭そうに言う。
「古代四柱神?」
 ユリウスの聞きなれない言葉にソニアは首を傾げた。
「ああ……。北のガルナ、西のシャンパーニ、そして東のアープ。それぞれの方位を守護し、それら全てで世界を支えているとされている。古代の人間はそれを塔に見たてて信仰の対象としていたんだ。それで四方塔とも呼ばれているな」
「……」
「アリアハン王国建国以前に建設された物で、建国初期には周辺勢力に対しての見張りの塔として利用されていたらしい。その名残として、大陸西南端にある岬の洞窟とアリアハン城の地下にその通路が続いている」
「そうなの……。良くそんな事まで知っているわね」
 ユリウスの異常に詳しい説明にソニアは素直に感心の言葉を述べる。国の義務教育機関はもとより、自分が卒業してそれほど間の無い王立神官学校ですらその様な事を教えてはいなかったからだ。
 また、アリアハン王国に在るあらゆる歴史書を紐解いてみても、あのナジミの塔の詳細な記述が一切存在しない。ただ、王国成立期には既にこの地に腰を下ろしていたという事実が記されているだけであった。それが真実なのか、都合良く書き換えられたものなのか、この国に住む誰一人として判断はできなかったが。
 感心したようなソニアを横目で一瞥すると、ユリウスは一つ溜息を吐いた。
「……聞いた話だ。無駄話は終わりにして進むぞ。今日中にアリアハン大橋まで行く予定だからな」
 これからの予定を言うとユリウスは踵を返し、さっさと進んでいった。ただ、一瞬哀しそうな光がその闇色の双眸に走ったのを、ソニアが気付く事は無かった。
「アリアハン大橋? どうしてそんなに近場なの?」
 意気込んで旅立つ割には目的地が予想よりも近場であったため、ソニアは訝しんだ。
 ソニアのその様子にユリウスは肩を竦め、振り返らず前に歩を進めながら答える。
近場・・? ……橋に着いてから同じ台詞を吐けるのか考えるんだな」
「な、何よ……」
 ソニアは、そのユリウスの反応に何となく腑に落ちないものを感じながらも、自身の務めを果すべく、置いて行かれ無い様にユリウスの後ろを歩き始める。

 周囲の草原を駆け抜ける風が、旅の出立を祝うファンファーレを奏でている様だとソニアは思った。対して、ユリウスにはそれが葬送行進曲の様に聞こえてならなかった。





 未だに途絶えることの無い王都の城壁を右手に捕らえたまま、レーベに続く街道の石畳を歩きながら、ユリウスはこれからの旅の行程を考えていた。



 自分独りで行くのであれば極力途中で休んだりするのを避け、さっさとレーベ村に行く。当初はそういう予定だった。だが、王の気の利いた心遣いにより同行者がつけられた。
 その同行者というのが、旅とは無縁そうな深窓の令嬢である事から、無理はできないだろうと判断した。
 別に気を遣っている訳では無いが、王宮から命令でつけられている以上不興をこうむるのは得策じゃない。そう思ったからこそ、旅の初日の目的地を比較的苦労無く到達できるアリアハン大橋としたのだ。
 単なる旅路であるのならばもう少し先まで進めるのだろうが、途中魔物との戦闘がある事を考慮すると、その辺りが適切であろうと判断したのも理由の一つだ。
 二、三日も有ればレーベ村に着くだろう。そこで、どうやってアリアハン大陸から脱出するか聞き込めば良い。
 国として鎖国体制を執って以来、唯一つの交流国であるランシールからの外交船の往来も年々減少し、今の時期に来ない以上、徒歩で進むしかない。ならば行き先の見当は概ね付くが、確証が無い以上迂闊な事は口にしない方が無難に済むか……。



(……面倒だな)
 そうユリウスは内心溜息を吐いて、眼前に広がっているアリアハン大平原を北に向って伸びている街道の石畳を踏み締める。ソニアも後ろから、遅れまいと巡礼の僧が持つような錫杖を握り締めてついて来ていた。





 王都アリアハンとアリアハン大陸北部最大の村落レーベの距離は、徒歩でだいたい三日程度歩き詰めた位で行ける距離である。但し、それは何もなければの話である。
 昨今それは非常に稀な事で、それを証明しているかのように道中何度も魔物との戦闘があった。
 どれも、スライムや大ガラス、一角兎など小柄で微弱な力しか持たぬ魔物であった為、二人にとってはさしたる障害では無かった。
 最前線で魔物の一団を紙のように切り裂いていくユリウス。そして後方から僧侶のみが操れる真空魔法で援護しているソニア。真空魔法を扱うには僧侶としてそれなりの経験を要するのだが、伊達に王立神官学校を主席で卒業した訳ではないと思い、ユリウスは感心する。
 お世辞にも連携を執っているとは言えなかったが、互いに独自の判断で魔物を退けていく……。
 世界全体から見て、弱小と呼べる魔物しか生息していないアリアハン大陸で、二人が彼らに遅れを取るような事はまず無かった。








 出立した時以来一切の言葉を交わす事無く、只、黙々と前進する二人……。
 その表情は、片や相変わらずの無表情。漆黒の双眸にはただ眼前の道を写しているだけで、人の持つ感情が微塵も感じられない。片や広い世界に足を踏み出したという昂揚感と、いつ魔物に遭遇するかという不安感を真紅の瞳に映し込んでいた。

 広大なアリアハン平原に拓かれた街道を進んでいるので、魔物の姿は遠目でも確認でき、遭遇する事は何度か有っても、強襲されるという事は皆無だった。
 本当に今、世界が切迫しているのかと疑念を持ってしまう程に旅は順調に進み、ユリウスとソニアの二人は予定よりも幾分か早くアリアハン大陸を十字に走る大河…その南の河口に掛けられた大橋までの距離を踏破することができた。




 古き時代に建造されたにも関わらず、朽ちる様子をまるで見せないその石造りの大橋を、二人は渡っていた。
 日が傾き始めた為、影が橋の上を彩るかの様にその姿を躍らせている。
 大橋の下を悠々と流れる大河は澄んでいて、夕日に反射する水面みなもは金細工の様にきらきらと煌く。茜色に染まり始めた空と同じ色に染まり、橋から見渡せる河の辺にはかつての集落の跡がもの哀しさを漂わせながら佇んでいる。




 アリアハン大河…アリアハン大陸中を十字に走る大河で、アリアハン大陸で生活する人間の生命線でもある。王都よりも離れた地にあるが遥か昔、建国初期に引いた水路が今も現役で使われている為、また王都周辺には地下水脈も豊富である為に王都周辺が水不足に見舞われたという歴史は無い。アリアハン大河と同じ水系で、大陸東部の高山地帯の奥地にその水源がある。
 川魚が豊かで、年の漁獲高も国を潤すには充分なものであった。この大河近隣には、かつてそれを利益とする小さな集落が幾つか存在していたのだが、『魔王』の出現によるモンスターの魔物化。それによる被害を恐れ、それらの集落から人は去り続け、やがて集落そのものが無くなったのである。
 時が経つに連れてそれら集落の残滓は霞み、河口に架けられた大橋から眺める風景は、何時しか哀愁を感じさせて止まない事を吟遊詩人達は詠い、冒険者達は感じる。

 ……そんな情景を目の当たりにしても、二人は橋で立ち止まる事はしなかった。




 橋を越えて、数十分進んだ所は見渡しの良い平地になっていた。
 まだ日は沈み切っていなかったのでユリウスとしてはまだ先に進みたかったのだが、慣れないと言うよりも初めての旅で疲労をあらわにしているソニアに合わせて、ここで野営をすることを提案した。
「大丈夫よ。先に進みましょう」
 だが、ソニアは頑なにそれを拒否している。
 レーベ側の、橋の付近の平地で既に老いた切り株に腰を下ろしていたソニアを闇色の双眸で見下ろし、ユリウスはキッパリとソニアの言を遮る。
「駄目だ」
「どうして!!」
 尚もソニアは食い下がる。……それは意固地になっていたからかもしれない。ソニアは自分でユリウスを監視すると言って同行した手前、その相手に情けを掛けられるのを嫌っていたのである。
「見るからに疲弊し切っている人間が強がるな」
「強がってなんか……」
 元々白い肌を更に青白くしながら、強がるソニアを諌めユリウスは溜息を吐く。
 引くつもりの無いソニアは、その意志を示す様に真っ直ぐな視線をユリウスに送っていたが、強がっている様にしか見えない彼女の様子に、ユリウスはウンザリしながらも宥める為に彼女にとって少し辛辣な言葉を綴った。
「このまま先に進んで、戦闘中にへばられでもしたらこの上なく邪魔だからな。休める内に休んでおくんだ。……でなければ、死ぬぞ」
「……」
 その言葉の端々から感じ取れる、このまま進んでも足手纏いにしかならない、という意味に気付いて、ソニアは終に反論する事は出来なくなる。やがて諦めた様に俯き、首を縦に振った。




 火を起こした時も、簡単に食事を摂った後も二人は無言であった。
 満天の星空の下、初夏ではあるがまだ肌寒い夜の風に焚き火が燻る様子を、毛布を被りながら紅の双眸で見つめていたソニアは、重い沈黙に耐えられなくなったのか、火を挟んで真向かいに腰を下ろし目を伏せているユリウスに、恐る恐る口を開く。
「……ねぇ、ミコトさんとヒイロさんってどんな人なんだろう」
「そんな事、会った事の無い俺が知る訳が無い」
 焚き火に薪を放り込みながら、目を閉じたままユリウスは素っ気無く答える。
「……じゃあ、どうやって探すつもりなの?」
「ルイーダから貰った紹介状に、二人の容姿の特徴を書いて貰った。それで探すんだな」
 どうでも良いといったユリウスの態度に、ソニアは苛立ちを募らせていく。
「……どうして、そんな他人事の様に言うの?」
「馴れ合いはしない。旅立つ前にお前も認めたはずだ」
 何を言ってもこちらの望む解答が得られないという事を悟ったソニアは一つ嘆息して、城を辞した時と同じ様な猜疑に満ちた視線をユリウスに向けた。

「……じゃあ、これだけは答えて。……‘あの噂’は本当なの?」
 ソニアのその言葉に、ようやくユリウスはその漆黒の双眸を開く。焚き火の温かな赤い光を浴びるなかでも、その色は闇色のままで感情が感じられない。
「……首を縦に振ればお前はどうするんだ?」
「それは……」
 唐突に返された問いに、ユリウスとは正反対に紅い双眸を感情という波で揺らして、ソニアは言葉を繋げず沈黙する。ユリウスが首を縦に振れば、彼を憎むであろう事は明白であったからだ。
 言葉が繋ぐ事ができないという事が目に見えて判ったので、ユリウスは大きく溜息を吐いた。
「憎みたければ憎めばいい。呪いたければ呪えばいい。…………殺したければ、殺せばいい」
「!!」
 弾かれた様にソニアは眼を見開いて顔をあげる。その紅の瞳は焦点が合わずに右往左往していた。
「……それが答えだ」
「……」
 ソニアは何も口にすることが出来なかった。自分の中で様々な思いが渦を巻いて、思考を固めることすら出来ないでいたからだ。ただ今まで以上に強い視線だけをユリウスに送りつけていた。
 ユリウスもその視線を避ける事はしないで真っ向から見据えていた。全てを受け容れる黒い瞳で……。
 沈黙が支配する中、焚き火の燻る音だけが厭に大きく感じられた……。





 あの後、二人は一言も発する事無く時間は過ぎていった。
 夜は更け辺りを静寂が支配し、微かに遠くの方から自然のざわめきが心地良い夜の風に乗って響き渡っていた。
 焚き火とユリウスに背を向けて毛布を被って休んだソニアを一瞥した後、ユリウスはパチパチと燻る炎に自らの意識を投影させ、そして深い深い思案の海に沈んでいった。




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