――――第一章
      第二話 はじまりの鐘







 アリアハン王宮。
 積み重ね、歩んできた歴史の長さとその重みを物語る堅固さを誇るが、永きに渡り世界の中心であった事実を知らしめる優雅さも損なわれずに兼ね備えられた王宮……。
 一般人にもこの王宮内に備われた歴史と由緒ある図書館や、人同士の交流の場として応接間が開放されている事から、国王の人となりが伺える。国民に親しまれているが故に人の往来が多いこの王宮は、彼の執る王政が善きものである事を示している。
 尤もこの荘厳さに気圧されない一般人は決して多くなく、気負わずに城内を闊歩できる者は王城に住まう王家の人間か、王城で従事する人間に限られてくるのだが……。




「ユリウス=ブラムバルド。招致に応じました」
 王宮の二階。荘厳な空気が支配する謁見の間は、その深い歴史と輝かしい権威を示す如く潤沢な贅を尽くし、虚栄を全面に圧し出しているのがそこに在るだけで理解できる。
 ユリウスは跪き礼節にのっとった挨拶をする。王国の頂点である王を前にして、年齢にそぐわない微塵も気後れた様子の無い立ち振る舞いは、この少年がただならぬ存在である事を示している。
 その背後に整列している騎士達も場の醸す空気、そして歴史的瞬間であろう場にいる事への緊張の為か愚直なまでに力強く、そして恭しく敬礼した。その訓練された無駄の無い一挙一動は場の雰囲気を清冽に引き締める。
「よく来たな。待っていたぞユリウスよ」
 玉座に座りながら、現アリアハン王ラヴェル十二世は眼前の少年を見下ろしながら口の端を満足気に持ち上げる。若く泰然とした眼差しは力強さと鋭さを同居させていたが、穏やかなものだった。
「とうとう、この時を迎えたか……」
 ラヴェルは微笑を解き、真摯な眼差しでユリウスを見据えた。低く厳かな声が天井の高い室内に響き渡る。
 いつものように人の良さそうなものとは程遠く、彫りの深い精悍な顔は真剣そのものである。それは玉座の前に跪く者との覆す事の出来ない、絶対的な隔たりを否応無しに感じさせるものであった。
 それ程の覇気がラヴェルからは発されている。周りの騎士ですら物怖じしてしまう眼光と気迫を、真っ向から受けても少年は至って平静であった。線の細いその面は謁見の間に通された時からずっと揺らいではいない。
 その威風堂々たる様子に、騎士達は期待と羨望を向けずにはいられなかった。
「はい。本日をもちまして十六となりました」
 周りのそんな様子を微塵に介さず、ユリウスは王の問いに淡々と答える。静かな抑揚の無いその口調が、この気圧されそうな荘厳な場に在ってハッキリと深く響かせていた。
「そうか。ついに成人を迎えたか。待ちわびたぞ、この時を……」
 一音一音を丁寧にゆっくりと語る王の声は、その言葉通り焦燥の色に満ちている。それがこの場の空気を更に冷たく静かにしてゆく。
 王の傍で控える大臣ガイストや宮廷魔術師長リグリア、宮廷騎士団長アルベルト等、宮中の権謀術数に数えられる者達も同様の色を浮べていた。
 アリアハン王国では通常十六歳で成人と見なされる。
 ただの市井に暮らす一般の人間であるのであれば、これほどまでに王は感嘆を見せなかったであろう。
 それがこのアリアハンという国…いや世界にとって重要な存在、“英雄オルテガの息子”にして“アリアハンの勇者”という称号を継いだユリウスであるからこその反応だという事を、ユリウス自身を含め、謁見の間にいる全ての者には判っていたからだ。
「歳月というものは早いものだ。オルテガの訃報が届いてからもう十余年……思えば、オルテガの旅立ちの時もわしはここでそれに立会い、その勇姿を目に焼き付けていた。その時はまだまだわしも、そなたとそう変わらない歳の頃だったというのに……」
 わしも歳をとる訳だな、と王はわらう。言葉に反して、王自身の年齢はまだ四十にも満たないのだが。
 内から込み上げて来る情動のまま眼を細め口を動かす王に、ユリウスは頭を下げたまま聞き入っていた。懐古に浸るこの王の前から、一刻も早く立ち去りたい衝動を内心でようやく押さえながら。
「勇者オルテガの忘れ形見、ユリウス=ブラムバルドよ。アリアハン王国ラヴェル十二世の名の下に命じる。“勇者”として世界に仇為す魔王やからを滅してまいれ!!」
 王はその声色と寸分違わぬ厳しく真摯な表情をしていた。同じくその視線も強い期待、それを嘱望しているという事が肌に突き刺さるようにヒシヒシと伝わってくる。
 王だけではない。横で控える大臣も、宮廷魔術師長も、宮廷騎士団長も。背後に整列している騎士達からも同様の視線が送られているのを、ユリウスは背中で感じとる。この場にいる総ての者が、その視線を自らに向けていると言う事を察し、何の感慨も無くユリウスは溜息を吐いた。
 そして、ゆっくりと頭を下げたまま沈黙する。その泡沫うたかたの沈黙は、深い思案の海へと誘い込んでいく……。
 その様子は王をはじめ周りにいた人間には、事の重大さに、双肩に圧し掛かった責任に圧倒されようとしている少年のように映っていたのだろう。だが反して、当の本人の心中は全く別の事を考えていた――。

(王の茶番好きにも困ったものだ……)
 そもそも自分はその魔王討伐の為に、国の監督の下で記憶に残らない時期から、在りとあらゆる戦闘訓練を施されてきたと言うのに……。
 身分という絶対的な隔たりがある以上、こちらに拒否権などは無い。改めて公式の場で、勅命を下すという形で逃げ道を封じているつもりなのか……。
 権力という暴力の切先を突き付けて、庶民を脅しているつもりなのだろうか?
――次々に湧きあがる疑念や猜疑心は、尽きる事を知らない。
 断る事で何かしらの罪に問われるのは疑い様が無い。今後、城下に残る家族への日当たりが悪くなる事など容易に想像できる。
 責任転嫁などという馬鹿げた無責任な大衆心理が働き、白い目で見られた挙句、最悪迫害という形に発展するなど目に見えている。それ程までに、大衆心理とは無責任かつ無慈悲で残酷なものだ。
 既に他国に大々的に公表している為、断れば国の面目は丸潰れだろう。……それはそれで一興だが。
 だが、やはり家族に迷惑がかかる。それだけは何としても避けなくてはならない。
 そんな思考を繰り広げていた。極短時間ではあったが――。

「ユリウス=ブラムバルド。“アリアハンの勇者”としてその任務、謹んで承ります」
 ユリウスは特に意に介する様子も無く、極めて単調に答えた。まるで、近場にお使いにでも行くかのように気負い無く。こう答えるのが一番手っ取り早く話が終わると思ったからだ。
 だが、王はこの受け答えに満足気な表情を浮べる。
「うむ。それでこそオルテガの息子だ。そなたならば父の遺志を継ぐことができるだろう」
「恐縮です」
 王はその単調さを自信の顕れと取り、口元に笑みを作る。
「畏れながら陛下。討つべき魔王とは?」
 ユリウスは至って平静を保ちながら、白々しく既に知っている敵の名を尋ねた。
 魔王の名は、城内では様々な噂という形となって飛び交っていた。城に剣の修練の為に幾度と無く足を運んでいだユリウスの耳に入る事は、当然の成り行きであった。
「敵は、魔王バラモス」
「バラモス……」
 気乗りしている王に調子を合わせる事が、この場を穏便にやり過ごすには最適だと判断した。故に、ユリウスはその名を仰々しく一音、一音丁寧に反芻する。
「世界の多くの者は、未だ魔王バラモスの名前すら知らぬ。しかし、このまま放っておけば世界はバラモスの手に落ちるであろう……それだけは、なんとしても食い止めなければならぬ」
 ラヴェルは苦渋に眉を寄せ、顔を強張らせながら語る。玉座を掴む手が微かに震えていた。
 その表情からは見知った青年王ではなく、一国を治める者の双肩に圧し掛かる責任と重圧、人の上に立ち率いていく指導者としての信念の火をユリウスは垣間見たような気がした。
「今一度言おう。オルテガの遺志を継ぐ者。若き“勇者”ユリウスよ。魔王バラモスを倒してまいれ!」
 再び、ユリウスは思案する様に瞼を閉じる――。

――正直な話、自分にとって魔王も世界もどういい事柄だった。
 顔すら知らない父の無念を晴らそうなどと思いもしなかったし、見ず知らずの大多数の人間の為に命を掛ける事など、自分とは無縁の馬鹿馬鹿しい事だとさえ考えていた。
 そして何より、一人の人間が世界を救うなどと言う事自体、おごりであり勘違いも甚だしい……世界全体の問題を一人の個人に託す者達の心理など理解できないし、したくもない。
 こんな事を考えている自分を、母と祖父が知ったらどんな顔をするだろうか……。
 ただ、今の自分を突き動かすのはただ一つの想い。
 他人には知る由も無い、たった一つ自分の中に残された黒き光。身が焦れる程、気が狂う程の強く冷たい光。
 それが、魔王討伐と同じ線上にあるだけの事でしかなかった――。

 刹那の逡巡の後、ユリウスは眼を開く。
「必ずや、ご期待に添えるよう尽力を致す所存です」
 重々しい沈黙を打ち破る様に、ユリウスは勇ましく立ち上がり、姿勢を正し力強く言った。
 実に恭しく、そして雄々しく述べるその姿は、かつて眼前で同じようにして旅立っていった英雄、勇者オルテガその人のようであった。
 それを目の当たりにして、王は口元を嬉しそうに歪ませる。
 王以外にも謁見の間にいた者達がユリウスに、嘗てのオルテガを見出したのは言うまでも無い事だった。
 今より数える事、凡そ十六年前。オルテガが旅立った時も同じ仕草をしていたのだから。



 ユリウスは王や取巻きの大臣達をこれ以上見る気もつもりも無く、颯爽と踵を返してその場を去ろうとする。が、他ならぬ王に呼び止められてしまった。
「待て、ユリウス。そう急くな」
「?」
 内心ウンザリしながらユリウスは立ち止まる。表には決して出さずに、平静を保ちながらゆっくりと再び王を視界に捉える。
「そなたの力は知っている。だが、一人では出立させる訳にはいかぬ。オルテガと同じてつを踏ませる訳にはいかぬからな」
「……と、申しますと?」
「我が王宮から一人才能ある者を供につけよう」
「……供、ですか」
 この王の言葉には、流石のユリウスも面を食らったように声を零してしまった。ユリウスは初めから独りで旅立つつもりでいたからだ。

――同行する人間が増えるとそれだけ面倒が増すに決まっている。
 王宮からという事は大方、監視役といったところだろうか。
 旅の道中でアリアハンという国の威信を下げない様にする為か。或いは、行方不明になり余計な不安を煽るよりは、死んだら死んだで報告する為か……命令に背いた際の、裏切った際の処刑執行人とも考えられる。

 何とも素敵な心遣いだ、とユリウスは内心毒突いていた。
 思案に伏せていた面に、再び王の声が降り掛かってくる。
「……来たな、彼女だ。彼女は宮廷司祭で、春に王立神官学校を主席で卒業した優秀な僧侶だ」
 王は自分の遥か後方の、音を立てて開いた扉を見ている。王の言葉と視線につられて、ユリウスも気の進まない様子でその人物に視線を移した。
 真っ直ぐに敷かれた真紅の絨毯を一歩、一歩しっかりと踏み締め、その両脇に控える騎士達の敬礼を一身に受けながら、宮廷司祭が纏うアリアハンの国章が胸に刺繍された、ゆったりとした厚みの有る白のローブに身を包んだ女性が一礼をして王前に跪いた。
 薄い浅葱色のストレートの長い髪と対比するかのような紅の瞳が印象的な美しい娘だった。線が細く、淡い儚ささえ漂わせる様相は見る者を強く惹き付ける。
「……確かソニア、ソニア=ライズバードだったな。……ィの義妹」
 事の意外さに、ユリウスは珍しく驚いて言葉を口外に漏らしてしまう。最後の言葉だけは、口内で掻き消えてしまい誰の耳にも入ることは無かったが。
「……久しぶりね。よろしく、ユリウス」
 唖然として眼を見開いているユリウスとは対照的に、ソニアと呼ばれた少女は整った眉を寄せ、キッとその紅い双眸でユリウスを捉える。凡そ友好的とは言い難い様子でユリウスに頭を垂れていた。
 二人のその特異な雰囲気に、訝しんだ王は眼を細めながら言う。
「何だ……二人とも顔見知りか?」
「…………」
「はい」
 唖然としたまま黙しているユリウスに代わり、ソニアが王に向き直り厳かに頷いた。
「そうか。知り合い同士ならば話は早い。あとは慣例に従い、冒険者ギルドのあるルイーダの酒場にて同行者を募るといい。ルイーダの酒場の場所はわかるな?」
「……承知致しました」
 内心頭を抱えていたユリウスが、その動揺を悟られないように至って取り澄ましながら返す。僅かに声が曇っていたがその変化に気付く者は無く、堂々とした態度に尚も羨望の眼差しを送る騎士、兵士さえもいる。
 僅かにざわめきつつあった謁見の間の人間達を手で制し、ラヴェルは威厳を込めて二人の若者に言った。
「ならば行くがいい。若き希望の勇者達よ」
 王の激励を半ば遮るようにユリウスは深深と腰を折って一礼し、踵を返す。
 それに部屋の両脇を固めていた騎士達が力強く敬礼をする。王をはじめ、大臣や宮廷魔術師長、騎士団長が胸を張り直立不動で“勇者”の旅立ちを見守っていた。








 傍目でも自分でもわかるくらい足早に謁見の間を後にして、階段を下る。王宮内の石畳に反響する足音が、急いでいるという意思を顕著に物語る。数歩後ろからするパタパタと足音で、ソニアが着いて来るのがわかった。
 颯爽と城門を抜け、王城前の橋を渡り、城下街の大通りに差し掛かった所でソニアは立ち止まる。
「ユリウス! 待って……待ちなさい!」
 ソニアは息を落ち着かせてユリウスに声を掛けた。
「……何だ?」
 面倒臭そうに振り向いてくるユリウスに、不服そうに眉を寄せてソニアは口を開く。
「誤解が無い様に先に言っておくわね。……私は、あなたを監視する為に同行するの」
「それで?」
 自分の立場をハッキリさせようとするソニアの言葉は、先程謁見の間で思案した中での予想の範疇はんちゅうだったので、特に気にする事も無くユリウスは口元に皮肉気な笑みを浮べて返す。
 その余裕さが逆にソニアに動揺を与えた。
「それで!? ……あなた、自分にどんな噂が囁かれているか知らないとは言わせないわ!」
 仲間として同行する者の言葉では無い事を充分承知して自分は言ったつもりであった。
 だがユリウスの気にも留めていない態度に、そこにどんな感情が篭められていたのかを看破されてしまう様な気がして、思わず言うつもりの無かった事をソニアは口にしていた。微かに、握った拳がわなわなと震えている。
 ソニアの真摯な視線に、ユリウスは暫し思案に耽る様に眼を閉じる。

――自分にどんな噂が発っていようが関係の無い事だ。
 噂の伝播と言うのは時に事実を歪曲し、時に事実を誇張しながら広まる。そしてその広がりが大きければ、事実からの隔たりもまた大きい……。
 だからこそ取るに足ら無い無価値な物だと思い、常に気にも留めなかった。
 だけど、一つだけ……ある噂だけは自分も無視を決め込む事が出来ないものがあった。多分ソニアはその事を言っているのだろう。
 ならば仲間として王に紹介されたにも関わらず、この敵意に近い視線の意味も肯ける――。

 大通りの真ん中で立ち止まりながら向かい合う彼らに、通り往く人々は何事かと二人を盗み見る。
 ただでさえ、“勇者”ユリウスはこのアリアハンでは余りにも有名なのだ。それに拍車をかけるように一見したら美男美女の二人である。痴情の縺れなどと思われているのだろう。
 風向きが変わり、微かに風に乗ってそんな周囲の会話が聞こえてくる。
 だが、当の二人にはそんな視線や会話など微塵も気にはならなかった。
 思案の様子を訝しげにソニアは見つめてくるが、当然の様に気にする事無くユリウスはゆっくりと瞼を開き、その端整な顔で優雅に冷たく微笑んだ。
「成程な。馴れ合うつもりなど微塵も無いという事か」
「……そうよ」
 全てを知り、それを受け容れているような深い闇色の瞳がそこには在った。
 ソニアは、思わず深く茫洋としたそれに飲み込まれそうな感覚に陥るが、自分の唇を噛みそれに耐える。瑞々しい眉間に眉を一層しかめて、ユリウスを紅の双眸で見据える。
「結構だ。その方が俺としても都合が良い」
「えっ……」
 ソニアは予想外の反応を返してきたユリウスに、逆に混乱してしまう。ユリウスはその様子を満足げに眺めた後、腰に手を当てて一つ息を吐く。
「ところで」
 この話は終わりだと云わんばかりにユリウスは、かねてからの疑問を口にした。
「お前……その宮廷司祭の格好のままで旅に出るのか?」
 ユリウスは彼女の正装を指差しながら言った。彼女の纏った豪奢なローブは、旅とは無縁のものであったからだ。
「え……あっ」
 先程までの猜疑に満ちた顔とは打って変わり、狼狽しながらその抜けるように白い頬を真っ赤にして、重厚な宮廷司祭のローブを眺めながらソニアは呟いた。
「……着替えてくるわ。先にルイーダの酒場に行っていて」
 照れ隠しの為か、こちらの返事を聞かぬままソニアは、酒場とは逆の方向の自宅に走っていった。
 その様子にユリウスは深い溜息を一つ吐いて、酒場の方へ踵を返し歩み始めた。



 いつのまにか、正午を知らせる大聖堂の鐘の音が街中に響き渡っていた。
 その澄み切った音色を背中に受け、ユリウスは肩に重苦しい疲労感を感じる。そして、未だ昇りきらない白く輝く太陽を忌々しげに見上げた。
(これも、因果という奴か……実に忌々しい事だ)
 街を、日常と平穏を刻む福音の音……変わる事を知らない日常というものには、得てして人を心の底から優しく包み込むような安らぎを秘めている。昔、そんな言葉を聞いた。
 嘲笑うように遠く耳に残る鐘の音が、“路”を歩き出した自分自身を苛んでいくのが手に取るように判った。




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