――――第一章
      第十話 異郷の地へ







―――旅の扉。
 異なる二つの地を繋ぐ橋。時空の揺らぎとも、世界の裂け目とも例えられる、この不可思議な霊泉は世界中に流布している。それを各国が管理し国益の為、或いは侵略の為に利用し、世界に住む人々の交通手段の一つとなっていたのは紛れも無い事実と史実。
 今現在、これを主に利用しているのは冒険者で、その先に待つ見知らぬ新天地に想いを馳せる。
 栄光への標か、死出への路か、誰が作ったのかも判らないこの扉は、ここアリアハン大陸にも存在していた。






 レーベ村を発って幾週間……。
 一行はいつもの様に魔物の襲撃を蹴散らしながら、ようやく誘いの洞窟の監視・管理をしているという祠に辿り着いた。祠の管理人らしき老人はアリアハン王国の役人で、『勇者』であるユリウスの顔を知っていた。その為、彼は『勇者一行』を暖かく迎え入れ、暫しの間、今までの道程での疲れを癒す事に専念する。
 老人の話によると‘封印の石壁'と呼ばれる壁が奥の通路への道を阻んでいるとの事だった。
 厄介な事にその壁は、“魔力の源”である“エーテル”を弾く性質を持っている散魔石で造られており、一切の魔法攻撃はおろか、エーテルを介するあらゆる現象を無効化するという面倒な代物であった。
 その壁を破壊するにはレーベの魔導器研究者から譲り受けた魔法の玉と言う爆裂弾…爆薬と魔力反応性の非常に高い特殊な薬品を一定の割合に混ぜ、それを刻まれた魔法紋字の効果で完全密封化された陶器に封入した魔導器が必要だった。それは器外の魔力密度の変化に敏感に反応する為、それに初等魔法程度の魔力を注ぎ込むだけで尋常では無い爆発力を生み出す事ができる、と言う危険極まりない代物であった。
 研究者の話によれば、魔力を注ぐのはあくまでも起爆を起こすまでの連鎖反応の点火剤に過ぎず、玉から発される爆発はエーテルを一切介さない。それ故に爆発力を自分達で制御できないが、エーテルを弾く性質をもつ封印の石壁を破壊する唯一の、現実的な手段だと言う事であった。

「そういえば、“エーテル”とか“フォース”って、何なんだ?」
 祠で出された温かい飲み物を啜りながら、徐に切り出すミコト。
「……“マナ”って知っているか?」
「“マナ”……。聖典に出てくるルビス様が人々に齎したといわれる生命の果実の事ね」
 ルビス教徒のソニアは、聖典にある文句を思い出しながら呟く。
「……言いまわしは気に入らないが、本質的にはそうだな。“マナ”とはこの世界を満たしている根源、あらゆる存在の原動力の事だ。そしてその“マナ”は更に“エーテル”と“フォース”に分化する」
「それで?」
 ユリウスの遠まわしな説明に、顔を顰めながらミコト。
 自分としてはその起源云々からきっちり説明した方が、二度と説明する必要は無いだろうと踏んでいたのだが、それを遮り結論を急かすミコトに半眼を向ける。
 そんなユリウスの考えなど露知らず、ソニアが拾った。
「エーテルとは霊素。……そうね、魔力、精神力や霊気と言った方が通りは良いかも知れないわ」
「そうだろうね。一般生活レベルでエーテルなんて言葉は使わないからな」
 うんうん、と頷きながらヒイロ。
 そもそも魔法は使えないと自身で言っていた盗賊であるヒイロが、何故こんな専門的な事に詳しいのか疑問であったが、特にユリウスの興味を引くような問題でもないので、適当に相槌を打つ。
「……そもそも、魔術士や学者が使う学術用語だ」
 確かに、学術的な専門用語を熟知している冒険者などそうはいない。いるとすれば、魔法を操る事を得意とする魔法使いや僧侶、或いは賢者くらいなものだ。そうすると、自然と知識の伝播具合に偏りが生じてしまうのも、また自然の成り行きだ。武闘家であるミコトが知らないのも無理は無い。
「魔法が引き起こす現象には必ずエーテルが含まれる。だから封印の石壁を破壊する為に、魔法の玉が必要なんだ」
 ユリウスにして見れば、エーテルを介さない現象を引き起こす道具が、‘魔法'と言う名を冠している事が酷く滑稽に思えたが、特に口にするような事では無かった。
「成程ね。で“フォース”は?」
「……お前は武闘家だろ?」
「? ……当たり前じゃないか」
「フォースは元素。氣、活力や闘気とも呼ばれていて、本質的には同義ね」
「武闘家が氣を高める為に行う集氣法と、魔法使いが魔力を高める為に行う瞑想は、根本的には同じ行為だ。ただ意識的にフォースとエーテルのどちらを選択するかの差でしかない」
 ソニアの俗語を交えた説明と、ユリウスの補足にミコトは深く納得した。
 ふと、頷きながらユリウスが自分を半眼で見てきた理由を悟り、憮然とした表情になる。横からギロリと睨んでくるミコトを、出された茶を飲みながら全くの無表情で無視するユリウス。そんな二人に苦笑を浮べていたが、ふと疑問が沸いたヒイロは口を開く。
「それなら、フォースとエーテルを同時に高める事ができないのはどうしてなんだ?」
 経験的にそれが無理な事象である事はわかってはいたが、理論的な知識が無かったヒイロは、この件に関しても知識の造詣が深そうなユリウスに訊ねてみる。案の定、ヒイロの目論見通りユリウスは無感動に答えた。
「確かにフォースとエーテルを同時に…即ち根源たるマナそのものを収束するのは基本的には不可能だ」
「…どうして?」
 きっぱりと言い切るユリウスに、ミコトも首を傾げた。
「それには、その存在固有のフォースとエーテルの含有存在比の問題と、その許容量キャパシティ物質マテリアル非物質アストラルの存在領域問題が出てくる。そして……」
「あー、もういい。余計に訳が判らなくなってしまう」
「……流石にそれは、ね」
「ははは……」
 ユリウスの言う専門用語と長くなりそうな話を強引にミコトは遮った。ソニアも嘗て学んだ難解な理論を思い出して顔を顰め、言い出したヒイロは場所と状況を悟り、苦笑するしかなかった。
「…………」
 三者三様の理不尽な反応を前に、訊いて来たのはそっちだろ。と、内心で呟きユリウスは大きく溜息を吐いた。

 休憩もそこそこに出立する時。
 祠の管理人の話では誘いの洞窟の劣化は激しく、所々落盤や床が決壊しているだろうとの事だった。更に、目的である旅の扉は地下三階にあるという情報を提供してくれた。








「これが封印の石壁……か?」
 仰々しく鎮座した、二体の厳つい石像に挟まれた壁を見上げながらユリウスが呟く。剛毅の目で見下ろしてくる石像は、封印を解こうとする者を威嚇している様でもあった。尤も、そんなものに臆するユリウスでは無い。
「そうだね。どこから見てもただの石壁にしか見えないけど」
 ミコトは至って冷静に答える。
 それほど広くは無い空間の中で、封印の壁は周囲の遺跡とほぼ同化しており、一見しただけでは見分ける事が出来ないものだった。ただ、その天井の高さは並々ならぬもので、壁を前にしているだけで、押し潰されそうな圧迫感を感じずにはいられなかった。その大半が鋭く見下ろす二体の守衛によるものなのは言うまでも無いが……。
 大陸外からの魔物の流入が無かったのも、この封印の為。それと共に、外界との交流の手段が減ったという事実も否めない。だが、閉ざされた大陸の中で種交配による魔物個体の力は増加する事は無く、外大陸生存種に比べ小型で脆弱な魔物しか生息しなくなった。その分アリアハン大陸での魔物の被害が減少したのも、また事実。
 勇者オルテガの訃報以来、約十年。冷たく閉ざされ続けたそれは、アリアハン大陸において偽りの平穏を保ち続けてきた。
(こんな物をフォースのみの物理攻撃で壊すというのは、現実的には無理だな……)
 ユリウスは、封印の石壁の特徴を聞いた時に思いついた、魔法の玉を使わずに先へ進む方法も、実際にその壁を見て断念せざるを得なかった。

「周りの壁と比較してみても、この壁だけ作られた時期が違うね」
 ヒイロは壁に手を触れながら言い、トントンッと壁を叩くと上の方から埃がパラパラと舞う。
「ん!? この壁の向こうに通路が続いているようだな」
 壁に耳をつけてその反響音を確認しているヒイロに、感心したようにユリウスは言う。
「……よくわかるな」
「まあ、盗賊だからね」
「……そういうものなの?」
 気軽に言うヒイロにソニアは怪訝そうに聞き返す。対してヒイロは微笑みで返した。




 彼等はレーベで貰った魔法の玉を使い、石壁の封印を解いた。
 鼓膜を貫くような轟音と、身体が吹き飛ばされてしまいそうなほどの爆風。そして石壁を抉り取るほどの爆発力……。魔法の玉の威力を目の当たりにしたソニアは思わず息を呑んだ。
 ユリウスとしてはもう二、三個あった方がこの先役に立つかもしれないと思ってもみたが、精製に時間がかかるという事だったので諦める。
 未だ発破の際の噴煙と爆発音がまだ止まない部屋の片隅から突然、場違いな声が上がった。
「へぇ……、封印を解いたのか。しっかし、大層な爆発だったな」
 何とも呑気な、間延びした口調で声は言う。全員この第三者の緊張感の無い声に身構える。
 やがて、発破の際に巻き上げられた白灰色の岩埃や爆薬の硝煙が収まり、薄っすらと煙幕に掠め取られながらもその影姿が現れた。
「そんなに警戒しなくていいぜ。怪しい者じゃないから」
 そういう台詞を言うこと自体、自分は怪しいです、と自己申告しているようなものだとユリウスは思ったが、男の格好にその懸念は杞憂に終わったと理解した。

 男はアリアハンの紋章が入った鎧を纏っていた。兜はかぶっておらず、淡緑色の髪が爆風の余韻で靡いている。歳はユリウスより上なのは見た目からもわかった。パーティ最年長のヒイロよりも上であろうと推測できる。尤も纏っている飄々とした雰囲気はユリウス自身よりも幼く感じられたが……。
「何者だ?」
 ミコトはこういった軽薄そうな人間が嫌いなのか、身構えて警戒を解かなかった。
「これは失礼。俺はアリアハン宮廷騎士団所属のレイヴィス=ヴァレンタイン。宜しく、美しいお嬢さん」
 レイヴィスは手を差し出したが、眉を顰めたままミコトはそれを無視する。
 対して無視された本人は行き場の無い手を、苦笑しながら空々しく振っていた。
「あっ、レイヴィスさん」
「やあ、ソニアさん。久しぶり」
「……知り合いか?」
「え、ええ。……ユリウスも会ったことあるんじゃない?」
「初対面だ」
 怪訝そうに視線を向けてくるソニアの問いをユリウスは即否定した。それを聞いたレイヴィスの頭は、落胆を解りやすく示すようにガクッと項垂れる。
「おいおい、そりゃないぜ……。何度も城内で声を掛けたじゃねーか」
「覚えが無い」
 即座にキッパリそれを否定するユリウス。そのやり取りをみてヒイロは苦笑していた。

「で、宮廷騎士サマが何の用だ?」
 相変わらず興味無さげにユリウスは質問する。
「んーと…、これを渡しにな」
 そういってレイヴィスは、肩に掛けていた袋から一枚の古ぼけた羊皮紙の地図をユリウスに渡した。
 ユリウスがそれを広げると、乳白色の紙面上にはアリアハン大陸の様子が詳細に描かれていたが、それ以外は描かれていない。この空虚な白の世界にの上にポツンとあるアリアハン大陸が、まるで世界から取り残されたような、もしくは世界がこれだけなのか、という錯覚をユリウスに与える。
「何だコレは? 随分中途半端な地図だな……」
 横から地図を覗きながら、異邦の事情を知るミコトは不信気に言った。対して、口元に手を当てて眺めていたヒイロは、合点がいったように手を合わせる。
「……どうやら、この地図は持ち主が今までに行ったことのある場所しか移さないようだね。ユリウスはアリアハン大陸から出たことが無い見たいだし」
 そう言ってヒイロが横から地図に触れると、色鮮やかにアリアハン大陸以外の各地の地形や都市の位置が、白の虚空からぼんやりと浮かび上がる。そしてヒイロが手を離すと、それは蝋燭の火のように敢え無く消えた。得心がいったように頷きながら、貴重な魔導器の一種だよ、と付加える。
「お、兄さん。説明ありがとう。……それはバウルの爺さんからの餞別だな」
「バウル様の?」
「前に渡すの忘れてたらしいぜ」
 レイヴィスはパチンと指を鳴らし揚揚と語る。その仕草は礼節を重んじる騎士とは思えないものだった。それを見て、またもミコトは顔を顰める。
「じゃ、行こうぜ」
 率先して洞窟の奥へ進もうとするレイヴィスに、ウンザリしながらユリウスは辛辣に言う。
「何を言っている。それを渡したのならもう用は無いはずだ。帰れ」
「ユリウス、何もそんな言い方しなくても……」
 これ以上の面倒は御免だ、と言わんばかりに半眼を向けるユリウスを、同じ宮仕えの身であるソニアはたしなめる。その弁護に便乗するような形でレイヴィスが飄々と続いた。
「そうだぞ。それは、いわばついでだ。王から受けた勅命は、ロマリア王にこの親書を届ける事さ」
「親書?」
「ああ。なんでも彼の国に、君等への援助を要請するものらしいぜ」
 小さいが、細やかで豪奢な意匠の書筒を取り出して見せるレイヴィスにヒイロが尋ねていた。
 聞きながらユリウスは、国の首脳陣は自分達がロマリア王国への道を開くのに並行して国交回復でも図るのか、と考えてしまう。確かに彼の国の領土内を進むには、統治している国家の後ろ盾があった方が有利に進む事ができるが、国益に利用されるような形になってしまった事に心底辟易したような溜息を吐く。
 内心で一人ごちているユリウスに気付かず、レイヴィスはこちらの返事も待たずにズカズカと守衛像の残骸を踏み越えて、来訪者を待つ様に不気味な静けさと闇を抱える洞窟の奥に進んでいった。ソニアとヒイロも互いに顔を見合わせて頷き、それに続いていく。
 その場に取り残されたユリウスとミコトは、珍しく同時に溜息を吐いていた。
 未だ立ち昇ったままの発破の際の噴煙が、二人の気分を物語る様に足元に鬱蒼と漂っていた……。





 レイヴィスの剣捌きは見事の一言に尽きた。
 ユリウスのそれと見比べても何ら遜色はない。むしろ腕力の差でレイヴィスに歩が有る程のものだった。豪快さと精巧さを併せ持つ卓越した剣技。ソニアとヒイロはそれに驚嘆の声を上げ、ミコトもその実力を認めざるをえなかった。ユリウスは視界の端にそれを捉えつつ、淡々と向かってくる魔物を斬殺している。
「レイヴィスさん、強いんですね」
 催眠魔法を操り、巨大な角をもつ紫色の一角兎…アルミラージを肩口から袈裟切りして、反対から飛びかかってくる、より醜悪化して全身の体毛が灰色になった大アリクイ…お化けアリクイの腹を真一文字に断つ。次々と外の平原を跋扈するような魔物よりも、凶悪な魔物を易々屠ってゆくレイヴィスにソニアは言った。その声色から、同じ宮仕えの人間がいる事と、その実力の高さに安心を覚えている様であった。
「ハハッ……、惚れたか?」
 緩々と口の端を上げ、明らかに冗談を言っているように答えるレイヴィスに、真に受けたソニアは顔を赤くして首を横に振る。そんな場違いなやり取りを見つつ、ヒイロは苦笑しながら鎖の鞭…チェーンクロスを薙ぎ、ミコトは呆れつつ回し蹴りを魔物に見舞っていた。

 そんな殺伐とした洞窟内にあって明らかに異な談笑の中、ユリウスは同行者達とは少し距離を置いて火炎魔法を操る人型の魔物…魔法使いの一団と戦っていた。
 今まさに魔法を放たんとしていた魔法使いの顔面に、左手で持っていた松明を押し込み、口内に押し込まれた業火によって焼かれてもがいている所を、右手の剣でその首を刎ねる。その後即座に横にいた魔法使いの咽喉に剣を突き立て、それを引き抜く。
 魔法を使われると面倒だったので、次々と一撃で殺せる頭や首を狙い、敵に何もさせずに虐殺していった。
 返り血など気にする事無く、無意識に口元に笑みを浮かべ、活路を切り開いていくユリウスの姿は勇者のそれではなく、まさに血に飢えた獰猛な獣のようでもあった。

 魔法使いの一団を壊滅させ、刀身についた血糊を払い落とし、一息吐いたユリウスは視線に気付く。
 自分の後方で、他の魔物と戦っていた筈の同行者達のものである。同行者達は戦闘を終え、ただ唖然としてユリウスのその凄惨な戦い振りに見入っていたのだった。
「……なんだ?」
 訝しげにユリウスは問う。
「……いや、大丈夫か?」
「別に問題ない」
 そう言い残してユリウスは火の消えた松明に火炎魔法で明かりを灯して、一人で先に進んでいった。
「あっ、おい。一人で進むな」
 ミコトとソニアが松明を振りつつ、それを追いかける。

 レイヴィスは何かを考えていたが、やがて隣を歩いていたヒイロに口を開いた。
「……なあ、あいつっていつもあんな戦い方をしてんのか?」
「ああ。仲間になってからまだ日は浅いけど、あんな感じかな」
 そうか、と頷くレイヴィスにヒイロは尋ねた。
「君は彼と手合わせした事が無いのかい? ソニアの話じゃ、彼は宮廷騎士団とよく手合せをしていたらしいけど」
「んー……、ああ剣術大会? あれは年寄り達の道楽だから、俺は出ない事にしてんのさ」
 忠誠を誓っている筈の騎士らしからぬ物言いにヒイロは苦笑を零してしまう。
「しかし、恐いねぇ……」
「……何がだい?」
「さっきのユリウスさ。笑ってやがった……。あれは命を奪う事に悦びを感じている顔だな」
 含みの有るレイヴィスの呟きに、ヒイロは訝しげに隣を歩くレイヴィスに視線をやる。
「……そうなのかい? 君もよくわかるな、そんな事」
 何かしらの意図を含んだヒイロの問いに、レイヴィスは一瞬表情を無くしたがすぐに先程と同じような人懐こい笑顔を浮べていた。ヒイロはその一瞬を見逃さなかったが、敢えて口にはしない。特に自分が気にする事でも無かったからだ。
 そこにソニアとミコトの声が霞んだ闇の先から掛けられる。それを聞いたヒイロは、洞窟内で大声を出す事に内心で苦笑しながら先を急ぎ、レイヴィスもそれに続いて早足に追っていく。最後尾を、誰にも気づかれる事無く口元に、冷たい酷薄な笑みを浮べながら……。





 誘いの洞窟最下層。
「んー……、ここはこっちだな」
 そう言って顎に手を当てて考え込んでいたレイヴィスは、三本ある通路のうち一番右を指した。
「何で判るんですか?」
 ソニアは不思議そうに首を傾げながら言う。
「実は、アリアハン王室図書館の秘匿文書にこの洞窟の見取り図があってね。王に特別に許可を頂いて、それを覚えてきたのさ」
「……行くぞ」
 レイヴィスの言葉に、重要な事を言わない食わせ者の王と餞別を忘れる老賢者に苛立ちを覚えながらも、ユリウスは先へ進んだ。
 すると薄っすらとした闇の中から、高く天井まで届いていそうな頑堅な金属製の扉が目に入る。扉に刻まれたその仰々しい魔法紋字と彫刻レリーフ……。その様はひとえに、禁忌への扉の封印、と言ったところか。
 封印の石壁といい、眼前の扉といい用心深い事だ、とユリウスは胸中で毒突く。
「なんだ、これは……」
「お前の目が節穴でなければ、扉だ」
 上を向きながら、その悠然さに呆気に取られたまま口を開くミコトに、当然だと云わんばかりにユリウスは間髪入れずに呟く。その答えにミコトは、そんな事は分かっている。と、あからさまに憮然として半眼で睨み返した。後ろでヒイロとレイヴィスは今の恍けたやり取りに可笑しそうに笑いを噛み殺し、ソニアが困ったように顔を顰め込み上げる笑みを堪えていたが、僅かに声は漏れ、二人の耳にもしっかりと届いていた。
 そんな後ろの三人に半眼を向けて冷たい視線を送り、ユリウスは扉を開けようとノブを回すが、扉は開く気配を微塵も見せない。
「駄目だ。鍵が掛けられている」
 するとソニアが何かを思い出したように声をあげた。
「あっ、バウル様から頂いた盗賊の鍵を使えば……」
 それはヒイロも気付いたらしく直に頷いて、道具袋を探し木製の鍵を取り出す。そしてそれを鍵穴に差し、微かに緊張を覚えながらゆっくりと回した。すると鍵は小気味良い音を発てて回り切り、ゴトン…と重い錠が外れた金属音が静まり返った回廊に響き渡った。
「開いた……」
「盗賊バコタも迷惑な代物を作ったものだな」
 感嘆を示すミコトを横目に、ユリウスは何の感慨も無く溜息と共に言葉を吐いた。




 重々しく開かれた扉の少し奥に、ぼんやりと青白い光を湛える泉があった。
「ああ、これが旅の扉だね」
「これが……」
 初めて目の当たりにする不可思議な代物に、ソニアが息を呑む。
「古代の遺産。アバカムの魔法を実体定着した魔導器か……」
 いつものように、抑揚の無い声でユリウス。
「これに飛びこめばロマリアに行けるよ」
 ミコトはソニアの肩に手を置いて言った。微かに口元を上げている。ようやくこの鬱蒼とした洞窟から空の下に出られると判って、気が晴れている様であった。
 ユリウスとソニアにとって、旅の扉を通るという事は初めての体験だった。当然、好奇心と等しく不安も駆り立てられることになる。ヒイロは緊張を顕にしているソニアに、苦笑しながら不安を和らげるように言う。
「大丈夫さ。ちょっと気分が悪くなるだけだから」
「う、うん」
 緊張の為か声が強張り、杖を両手で握り締めているソニアを、ミコトやヒイロ、レイヴィスは微笑ましく眺め、後方でユリウスは旅の扉の青白い光を、表情無く黒曜石の瞳で茫然と眺めていた。

「何なら俺が先に行こーか?」
 ユリウスに半身向き直りながらレイヴィス。その余裕を感じられる風体から、彼も旅の扉を潜った経験が有るのだと推察した。
「ああ」
 抑揚の無い二つ返事を受けた後、レイヴィスは少しの逡巡も無く霊泉に飛びこんだ。青白い光がもやのように広がり、泉を湛える台座の上を覆う。霞む視界の先では、光の粒子が渦に吸い込まれるかの様に脈動している。
 やがて、転移が終わったのかその光の靄は徐々に収まり、先程と何一つ変わらない泉が、次に入る者を待ち構えている様な静けさを保っていた。ただ、人が消えたという事実を残して……。
「……浮かんでこないな」
「当然だろ。ロマリアに出ているんだから」
 ユリウスの呟きに、ミコトは腰に手を当てて呆れた口調で言う。そしてソニアを伴い同時に飛び込んだ。
「じっくり調べたい気もするけど、そんな場合じゃないよなぁ……」
 名残惜しそうにヒイロは、扉の周りの台座に刻まれた紋字を一瞥した後、既に慣れているので躊躇無く泉に飛び込む。そして、ユリウスだけが誰も居なくなった薄暗い空間に取り残された。
 しじまに満ちている空間に心地良さを感じながらも、ユリウスは意を決して勢い良く光の靄に飛び込んだ。





 旅の扉に足を踏み入れた瞬間。視界に飛び込んできたのは白一色の風景……。
 気の遠くなるような世界で、四肢が、神経が、細胞がバラバラに千切られ、自分という存在を構成している総てが分解し、虚空に消滅する。やがて、自分という意識だけが白の世界に取り残された。
 その意識すら徐々に朦朧としていき、このまま何もかも消え去ってしまえば良い…、と薄れ往く意識の中でユリウスはそう思う。
 自分の意識の根底からゆっくりと壊れていく感覚に、悦びと何処か懐かしいものを感じながら、ユリウスは無限に広がる白の世界の、流れの先に意識を移した。
 すると、壊れた後の微かな意識の残滓から、細胞が、神経が、四肢が一つ一つ再生を繰り返して繋ぎ合い、再び元の一つの身体を構築していく……。
 戻った肉体、その漆黒の双眸に映っていた白い世界は鮮やかな色彩に満ちて往き、本来在りし世界が視界に捉えられる。






 一行は旅の扉を潜り遥か北西の異郷の大陸、ロマリア王国に到着した。




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