――――閑話休題
       少年の羽







 ユリウス=ブラムバルド。
 スルトマグナ=ベニヤミン。
 共にアリアハン王国、ダーマ神殿にて魔物駆逐の訓練を長年積み重ねてきた対魔物戦闘における専門家スペシャリスト
 両者の生来備わった天賦の才を遺憾無く発揮する為に繰り返された努力の血実は、常識を遥かに逸脱した能力を自らに齎し、また他に見せ付ける。
 ある者は類まれな才能を敬い、尊び。そしてある者は人外と思しき能力を畏れ、蔑した。
 両極のそれを得るに到ったのは本人達の預かり知らぬ領域の事であるが、冠絶する力は否応無く周囲の眼を惹き付け、間に横たわる隔たりを深長にする事もまた動かない現実だった。実際、周囲が彼らに下す評価の数々は常に真逆の方向性に展開していたが、出発点となる根幹部分には共通した意識が根ざしていた。
 それは、自分達とは違う存在という認識。
 即ち、人の常識や規格から外れた、健常な理解の範疇から逸脱した異端の存在であるという事だ。





「……ユリウスさん」
「何だ?」
 紅蓮の少年魔導士スルトマグナは慎重にその名を呼ぶ。声色は真剣そのもので、燃えるように赤い双眸もただ一点の虚空を凝視したままだ。
「……中々、来ないものですね。ここは見当違いだったのでしょうか?」
「そんな事、俺が知る訳が無いだろう」
 怜悧な少年には不似合いな、心なしか不安げな韻が強く耳の奥に響いてくる。だがユリウスは実に冷静な澄ました佇まいを崩す事無く。視線はスルトマグナに向けず、彼と同様に虚空の一点を貫いたまま。しかし零れた吐息はどこか疲労が滲んでいた。
 普段以上に素っ気無い反応を示すユリウスに、小さく頭を振ったスルトマグナは浅く溜息を吐いて空を見上げた。
「しかし暑いですね。こう無遠慮に照らされたままだと、熱射病で死んでしまいますよ。太陽の眩しさが憎たらしくなってきますねぇ……封印されていた時の事を懐かしく思います」
「大自然に文句を言うな。だいたい、涼しい顔でそんな事を言っても著しく説得力に欠ける」
 なかなか物騒な事を焦がれるように綴るスルトマグナをユリウスは横目で捉える。無表情だが頬を伝う汗は止まらないユリウスに対して、スルトマグナは汗一つ掻いていなかった。
「ミリアやシャルディンス先輩辺りを連れて来て、氷でも出してもらえば良かったかな……あ、そうだ。ユリウスさん、召雷魔法ライデインを使って雨雲を喚んで下さいよ。太陽光が遮られるから気温も下がりますし、一石二鳥というものです」
「……無茶言うな」
 ユリウスの用いる召雷魔法ライデインは雷を操るという、属性系統上極めて稀有な部類の魔法であるが、その発動には自然現象の雨雲の存在を起点としている。その為、魔法顕現による事象が自然法則を基盤にしている以上、雨雲を発生させるにはそれに適した地域とそうでない地域が存在し、その違いは威力や魔力消耗量に多大なる影響を及ぼす。
 乾燥し、大気中の水分が極端に欠しい砂漠地帯で用いるには、召雷魔法は実は余り適していない魔法であった。にも拘らず、先日の戦闘中に用いたのはユリウスが殆ど逆上していた為であった事と、彼が会得している術で大規模な破壊に特化しているのはこの魔法しかなかったという選択肢の為であった。
 制御を疎かにしたほぼ暴走とも言い換えてよい魔法発現であった為、行使の際の魔力消費量は膨大で、且つ現在の魔法が使えない状態を引き起こす一端になったといえる。自らの未熟さが招いた、呆れ返るまでに忌々しい記憶だった。
 そしてその程度の事など魔法顕現の事象より推察できるであろうスルトマグナは、今それを求めている。その言葉が本気かどうかは兎も角、ユリウスとしては込み上げてくる億劫さに辟易せざるを得なかったのだ。
 こんな不毛な会話を繰り広げながら、二人はオアシスの畔にいた。それも横並びになって地面に腰を下ろしている。何も知らない傍から見れば、それはある意味微笑ましく見える光景だったが、二人の醸す雰囲気と表情は真面目そのもので、和やかな空気とは無縁。
 ユリウスは普段佩いている剣を横に置き、スルトマグナも同じように愛杖を置いて代わりに細長い棒を手にしていた。先端に向うほど細くなる貧相な棒は、オアシスの上を奔る風に容易に嬲られ左右に揺れている。その微細な動きに合わせて、何故か水面も小さな波紋を発していた。否、棒の先端から水面に向って、注視しなければ気付かない程度の糸が垂れている。そして、澄んだ水底に時折鈍く輝く影が悠々と姿を見せ、糸に引かれるような形で水中を漕ぎ回っていた。まるで、小さな魚の動きを模すように。
「……スルトマグナ」
「何ですか?」
 険しい眼差しで水中の輝きを追うユリウス。視線を外せないのは、刻々とその位置を変える輝きを追うのはユリウスにしてもそれなりに神経を使う事だったからだ。
「……思ったんだが、ここのオアシスの水は泉性ではないのか?」
「さあ? この土地の風土や生態なんて僕が知る訳無いじゃないですか」
 おい、とユリウスはジト眼でスルトマグナを睨む。
「オアシスとはラー教における聖域の一つだ。無断で居座り、こんな事をして兵達に連行されはしないのか?」
「この場所は外郭楽園から外れた砂漠地帯南東の丘陵地帯に位置しています。こんな時にこんな寂れた場所に来るわけ無いじゃないですか。もし仮に今こんな場所に来る人がいるならば、サボってますよー、ってその人は自ら主張しているようなものです」
 今更ですね、と呆れたように言葉を締めくくるスルトマグナに、ユリウスは声調を低めた。
「……で、結局この行為をする事で一体何が得られるんだ?」
「僕だって初めての経験なんです。この事へのわびさび・・・・を問われても答えかねます」
「……そうか」
 深く長く、思考の内側から滲み出てくる疲れを溶かし、ユリウスは溜息を吐く。
 その時。水面が風に揺られて、二人をせせら笑うよう厭に眩しく煌いた。





 少年二人は今、聖都から遠く離れた所に点在するオアシスの畔で釣りに興じていた。
 何故両者がこんな状況に遭遇する事になったのか。その原因を探るならば、まずは数刻程時の流れに逆らわねばならない。
 全ては些細な、本当に何て事のない一言から始っていた。





「鍛錬に付き合え、だと?」
 ユリウスは訝しんで眼の前の人物を見据えた。感情の光が灯らない視線の先には、スルトマグナが笑みを浮かべながら佇んでいた。
 聖王国イシスは魔物軍と対立し、祖国の存亡を賭けた戦いの日々が続いて早数ヶ月。勝利は辛くも人間側が手にし、今は祖国の復興の為に奔走していた。
 成り行きでその渦中に身を投じる事になったユリウスは、勝利へと導いた功績を以ってイシスから“勇者”としての認定を受けていた。これでアリアハン、ロマリア、イシスという三国からの魔王討伐の旅路の後援を得たという事になる。そして次なる旅の舞台に向う為に着々と準備を進めていたのだが、援助を担うイシスそのものが政治的な外交機能を低下させてしまった為に、出立には今暫しの時間を要するという事で足踏みをする事になってしまっていた。
 思いがけないところで得た余暇に、他の面々は復興作業に手を貸したりと各々の時間を有益に使っていたのだが、ユリウスに至っては持て余した時間の処理を鍛錬以外に見出せなかった為、一人剣の鍛錬に費やす日々を送っていた。
 今日も早朝から人気の無い場所で剣の修行を行わんと仮宿の塔を出た矢先、そこに計ったようなタイミングで現れたスルトマグナに呼び止められたのだ。
 人種や個人差があるのだろうが、スルトマグナの容姿は十五という齢に反して少々幼く映る。多く見てもせいぜい十三歳位が関の山だろう。だがしかし、その幼い外見に囚われて侮ると手痛すぎる火傷を負う事になるのが現実だ。このスルトマグナという少年は、“魔導の聖域”ダーマ神殿において“焔の申し子”と畏敬される神童で、反流魔法を得意とする“魔導士”という職においてその最高位階“大魔導師”の称号を史上最年少で得るに到った天才なのだ。
 ユリウス自身は周囲がスルトマグナに下す評価の内容などに一切の興味を持たなかったが、一年前のアリアハン―ランシール海域戦争において共闘し、こと魔法戦においては勝機を見出すのは極めて難しいとさえ思える程の能力の高さだと、自らの目で見極めていた。
 それ故の苦手意識という訳ではないが、些かやり辛いのは確かである。だがこちらの慎重な思考を知らず、当のスルトマグナは実にあっけらかんとした様子で続けた。
「ええ、どうせ暇でしょう?」
 迷いも遠慮も全く無く断言するスルトマグナに、ユリウスは思わず半眼になった。
「……お前な。俺はこれから――」
「よもや予定があるなんて言わないですよね? 無趣味でどんな事にも無関心な貴方の事ですから、どうせこの後人気の無い場所に引篭もって、独り寂しく剣の鍛錬にでも没頭するしかないんでしょう。それ以外に貴方が取るべき行動パターンが無い事など調査済みです!」
「…………」
 失礼にも人を指した上で言いたい放題であったが、的のど真ん中を射ているだけにユリウスはただ口を噤んだ。図星である上、この口達者な少年相手に下手に切り返せば、怒涛の口撃が追撃として繰り出されかねないと踏んだのだ。
 顔を顰めて押し黙ったユリウスを見止めて、スルトマグナは得意気に続けた。
「まあそれでも貴方にとっては有意義かもしれませんが、傍から見ると寂しすぎます。そこでたまには趣向を変えて、魔法操術向上に勤しんでみては、と提案しているんです」
「優しい心遣いで痛み入る……だが俺が相手をせずとも、あのエルフ女がいるだろう。能力的にはあの女の方が適任だ。お前には言うまでも無い事だと思ったが」
 一言二言どころか三言も四言も多い気もするが、その手の皮肉をユリウスは逐一気にしたりしなかった。ただ、いい加減この一方的なやり取りも鬱陶しくなってきたので矛先を逸らそうと試みると、スルトマグナは数回瞬きし、わざとらしく肩を竦めた。
「ミリアですか? 彼女なら、暑い暑い煩いんで先行してダーマに帰しましたよ。それに、そもそもミリアが僕のお願いを聞いてくれる訳無いじゃないですか」
「そうなのか?」
 随分と気に掛けていた様だったが、とユリウスが口にする前にスルトマグナは饒舌に零した。
「だいたい、ミリアは自分の我侭は何が何でも通そうとするくせに、こっちの要求は頑として無視しますからね。姉弟子とはいえいつも偉そうで高飛車で、おまけに気分屋だから言動は突拍子も無く、非論理的で感情任せの幼稚そのもの。一般に語られる静粛なエルフ像とは次元を隔していますが、エルフには違いないので重ねてきた経験は人間の比ではない……自分の年齢というものをもう少し自覚して欲しいものですよねぇ」
「……」
 その無遠慮さが親しさの裏返しなのか、散々な言われようである。ユリウスとしては誰かの陰口を眼前で展開されようが何の感慨も沸かない為、その事については一切触れない、否定しない。代わりに疲れたように一つ溜息を吐いた。そうやって強引に話の流れを断たなければ、スルトマグナによる愚痴が延々と続きそうで、そんなものに付き合わされるのだけは御免だった。
「お前なら気付いていると思うが、生憎と今、俺は魔法を使えない状態にある」
 両腕を組んでユリウスはスルトマグナを見下ろす。漆黒の双眸に情思は載せず、冷然とした容貌だ。
 己の状態が判然としない事で対処に難儀していたが、丁度魔法の智に関して専門家であるスルトマグナが眼前に居るのだから、参考に聞いてみるのも悪くないかと思いユリウスは淡々と連ねた。
 紡がれたユリウスの告白に、スルトマグナは不敵な笑みを浮かべる。
「ええ、存じております。こっそり解析魔法インパスで調べましたけど、どうも不調のようですね。今の貴方を魔物の群に放り込んで、どれだけ戦い続けられるかその耐久力を観察するのも一興ですが……詳しくはどういう症状なんですか?」
「……体内の魔力が上手く集約できない。闘氣と魔力の不調和が原因であるとは思うのだが。感覚的に二つの歯車が噛み合わないと言えばいいだろうか」
「ふむ。インパスで視た限りでも、貴方の元素フォースの流れと霊素エーテルの流れかそれぞれ混雑し、輻輳を起こしているようでした。……恐らく、その原因の一つとして体内の霊孔レイポイントの一部が閉鎖してしまい、本来在る筈の自然の流れが変化してしまった事が考えられます」
 両腕を組んで眼を細めるスルトマグナを見下ろしながら、ユリウスは渋面を浮かべる。
「身体の中にも世界と同じようにマナの流脈レイラインが存在し、そして霊孔によって外界と繋がる……そう言った理論があると聞いた事はあったが、信じ難いな」
「血液を通す血管の分布に個体差があるように、存在を構成するマナの流動方向も、千差万別です。常に開いている霊孔があれば、閉じ続けている霊孔もある……それらが総体として常態流脈を形成するんですよ。そしてそれが乱れるという症例は、主に闘氣と魔力の両方を扱う事に長けた“賢者”の方々が良く陥る症状なんです。決まってそういう方達は普段から闘氣ばかり使っていて、たまに大きな魔法を使った後に顕れる……または逆の傾向にありますね」
「そうなのか?」
 初めて聞いた新事実に、ユリウスは瞠目する。
「ええ……でもそう考えると、“賢者”ではない貴方がそういった状態に陥ったのには、あの戦闘で用いた魔法剣、いや寧ろ魔法を掻き消した黒い霧の方に原因があるのかもしれませんね」
 あの黒い霧は何ですか、と興味津々と言った様相でスルトマグナは問うも、ユリウスは口元に手を添えたまま考え込むように黙ったまま。
 やがて顔を上げて口を開くユリウスは、いつもの無感情な面持ちだった。
「……いずれにしろ、俺にはお前の鍛錬の相手は勤まりそうに無い」
 それは明らかな拒絶であったが、そんな反応さえも予想の範疇だったのか、スルトマグナは朗らかに笑う。
「大丈夫ですよ。今日は瞑想しようと思ってたので」
 スルトマグナの行動予定を聞いて虚を突かれたユリウスは、思わず掌で額を抑え、呆れたように吐息を零した。
「瞑想なら一人でやるものだ。夜中に一人で用も足せない子供では無いだろう」
「いやいや、今日はちょっと新しい試みで、倭国ジパング式の瞑想を敢行しようかと思っているんですよ」
「倭国式?」
「ええ。一般的な瞑想、或いは集氣法は厭くまでも自身の内側の流れに着目し、それを滑らかで美しい流脈に仕立て上げようと試みる事ですが、十三賢人“四華仙・命”のヒュウガ様が考案された手法は、世界に広がるマナの流脈の特異点…霊穴上でそれを行う事で外界の流れを取り入れ、内なる流れを同調し活性を促す……という方法です。先程言った命脈循環論も彼の方が発表した理論です」
「だが発見されている霊穴は、その土地を治める国家組織がその有用性から概ね何らかの施設に利用している為、不用意に立ち入れないだろう。都合良く手付かずの場所があるとは思えないが」
 そしてそんな場所があるとすれば人間の手が及ばない未開の地であり、魔物が跳梁跋扈するには余りに都合良い危険極まりない魔境という事になる。
「それが、ここイシス大砂漠には点在しているんです。まあ国土の大半が砂漠である事が最大の理由ですね」
「……」
 ユリウスが押し黙っていると、笑みを潜めたスルトマグナが真摯な声色で続けていた。
「もうそろそろ、ダーマに向けて出発するとの話を聞きました。この先魔法が使えないままだと色々困るんじゃないですか?」
「否定はしない。だが――」
「勿論、それが今の貴方の症状の改善に繋がるかは判りません。ですが、試しもしないで無駄だと仰るのは、実に愚かな事だと思いますよ」
 言ってスルトマグナは口元を歪ませる。腰に手を当て堂々と胸を反らす様が、一層慇懃な印象を強めていたが、それが罷り通せるだけの能力と自信に満ち溢れていた。
 投げ掛けられた言の葉を安い挑発だと思いながら、ユリウスは深く嘆息する。
「……いいだろう。聖都ここから離れられるのならば、その挑発に乗ってやる」
「あれ、随分あっさりと……何かありました?」
 余りにもすんなり同意を得られた事が意外だったのか、スルトマグナは眼を大きく瞬かせる。ユリウスは小さく肩を竦めた。
「いや、ここ最近監視の目が強くなっている気がしてな。問答無用で斬りかかってくる奴もいるし、俺としては一刻も早くこんな国から立ち去りたいんだ」
「苦労してますね。……殆ど自身で蒔いた種のような気もしますが」
「知るか」
 そう憮然と吐き棄てたユリウスの言葉は、気のせいか小さかった。
「でも同行してくれて良かったですよ。僕の方もここ最近イスラフィル様にこき使われていて、逃げる口実を探していたんです。あ、釣竿とかチェスとかカードとか色々用意していますので、暇つぶしには事欠きませんから」
「……何をしに行く気だ、お前は」
 言いながら背負った鞄を主張するスルトマグナに、ユリウスは久しく忘れていた重たい頭痛を感じていた。





 こうして人の環から外れ、ある意味人間側よりも魔物に近いとさえ陰で叩かれるようになった二人は、移動魔法でイシス大砂漠南東に位置する場所に存在するオアシスを訪れていた。外郭楽園から遠く離れたこんな場所を、何故スルトマグナが知っていたのか、それを気にしたところで無意味だと覚るユリウスは、ただ成り行きに任せて眩すぎる陽射しの下で人生初になるであろう釣りを体験する事になったのだった。





「スルトマグナ」
 釣竿の先端から伸びる糸と、その更に先にある水中の針を、さながら敵と対峙している時と同じ烈々とした眼差しで見据えながら、ユリウスは単調にその名を呼んだ。
 呼ばれた当のスルトマグナは釣りに飽きたのか竿をその場に捨て置き、今は持ち込んだチェス盤の上で白と黒の駒を動かしている。いつか指した棋譜を暗譜でもしているのか、時折考え込んで手を止める事はあったが、迷い無い調子で過去の対戦と考察を愉しんでいた。
 オアシスに背を向けていたスルトマグナは手を止めず、だが声だけで答えた。
「何ですか?」
「ここは本当に霊穴なのか?」
「間違いないと思いますよ。調べた限り、イシス大砂漠の場の属性エレメントは赤から黄色にかけての赤方系色調の分布です。この場所は顕著にその色彩が輝いて見えますよ」
「赤方系色調という事は炎、熱、光……火炎メラ系、閃熱ギラ系、爆裂イオ系が適しているという事か」
 釣竿の先端を冷静に見据えながらユリウスは呟く。それは自らに言い聞かせる如く口腔内で納められる小さな呟きに過ぎなかったが、直ぐ隣に座るスルトマグナには聞こえていた。そして聞こえたからこそ、些か不愉快そうに表情を歪めた。
「……前々から思っていたのですが、貴方にとって魔法とは何ですか?」
「何だ唐突に?」
 首を動かし、怪訝そうに眼を細めながらユリウスはスルトマグナを捉える。紅蓮の少年はチェス盤に視線を落としたまま、盤上では黒の騎士ナイトが白の僧正ビショップを討ち取っていた。
「いえ、あなたの魔法に対する姿勢を見ていると、どうにも単なる攻撃手段の一つ…道具にしか捉えていないようでしたから」
「無論だ。俺にとって魔法は戦術の一つでしかない。故に――」
「その戦術の幅を広げる為に技術的な面を磨きはすれど、その真理まで追究する必要は無い、と」
 スルトマグナに続く言葉を言い当てられて、少年を見下ろすユリウスはスッと眼を細めた。
「……そうだ。俺に必要なのは、敵を殺す為の力。以前言った思うが、質など問わない。そして魔法に求めるのは威力、効率…如何にして次の手を繰り出すか、その模索だ」
「聞き飽きた文句ですね。それで最近は魔法が使えないものだから、切羽詰ったように剣の鍛錬に打ち込んでいたんですか。何というかまあ……短慮ですねぇ、貴方らしくない」
 まだ残っていたもう片方の白僧正を操り、スルトマグナは黒の兵士と黒の城塞ルークの動きを牽制するように配置する。この一手で盤上の戦局は大きく揺れていたが、二人の間の空気は不気味なほど鎮まりかえっていた。
「……何が言いたい?」
 抑揚無くユリウスは問う。その静けさが彼の不穏な気色を強く印象付ける。
「貴方は以前、僕に聞きました。魔族になる方法を」
「ああ」
「魔物、或いは魔族になる方法についての考察は元々、突如として世界に現れた全く未知の生命体に対し、魔法学の観点からアプローチして展開された理論大系です。そして起点となった魔法学とは物理学、生物学、錬金術、鉱物学などの統合学問であり、霊素と元素、非物質アストラル物質マテリアル。生命の根源、魂魄の真理……つまりは世界の根本原理を眼に見える形で記述する為の方程式です。貴方もご存知の通り、魔法学を追求するという事は世界の真理の深域に足を踏み入れんとする事なのです」
「そんな事はわかっている……それがどうした?」
「世界の普くあらゆる真理を記した資料…『悟りの書』。その冒頭には、『求めよ、されば開かれん。尋ねよ、されば示されん』とあります。真理と叡智の扉を開く為には、先ず扉に手を掛けようとする意志が無ければなりません。故に、世界という基盤に立つあらゆる者が世界を探ろうと試みる事は、世界に向き合い自らを溶け込ませ、逆に流れ込んでくる世界を自らに受け容れる事」
 言いながら駒から手を放し、両手を組んで膝の上に置く。それは祈りの姿勢のようにも見えるが、無神論者である自分には何とも似合わない事だと自覚し、スルトマグナは内心で自嘲した。
「そして流れを受け容れるという事は……知る事、或いは世界との対話をなさんとする姿勢そのもの。相互の理解、相補の循環を以って初めて存在は世界にその影を落とす事になります。知ろうと手を伸ばさない者に、掴めるものなどありませんよ。仮にあったとしても、そんな磐石なる骨子なき造物など、所詮は伽藍堂な蟷螂の斧に過ぎません」
 スルトマグナは深々と溜息を吐き、視線を動かすとユリウスのそれと重なった。無言で無表情のまま、裡でどんな思考が広げているのか窺い知る事はできない。だが射殺すようなそれを憮然とした雰囲気で放つユリウスをスルトマグナは嘲笑った。
「貴方は、結果を求めすぎている。ですが、過程を疎かにしては結果など得られませんよ」
「だが自ら望む結果を見据えておかねば、そこに至る為の確固たる過程を歩めまい」
「……詭弁を弄しますね」
「……どちらがだ」
 肌に射す乾いた空気が周囲を流れる。一触即発という雰囲気が充満していたのを、もしも他の誰かがこの場にいたら思った事だろう。
 しかし数瞬の後。不意にユリウスは力を込めた眼差しを瞼で覆い、スルトマグナは溜息を吐いて天を仰いだ。
「まあ、こんな所に着てまで貴方と口論するような話題ではありませんね。人には人の歩み方というものもありますし」
「……違いない」
 盤面をそのままに、スルトマグナは完全に身体をユリウスの方へと向けて正対する。今までの鋭さは完全に何処かへと霧散していた。
「それより、調子はどうですか?」
 その言葉が釣果を問うているものではない事は聞くまでも無い事だ。ユリウスは自らの掌に視線を落とし、何度か握っては開き、その動作を繰り返す。
「……良く判らないな。正直言って、何かが変化したという実感は沸かない」
「貴方は闘氣と魔力を同時に操れてしまう変態ですからねぇ…一般論は通じないのでしょうか?」
「……せめて変異体質と呼べ」
 釈然としないユリウスの反応にスルトマグナも両腕を組んで小さく唸る。ユリウスはユリウスで容赦無いスルトマグナに言葉を選べ、と渋面を浮かべていた。
「全く以って理解不能です。実に難儀…もとい興味深いですね。闘氣と魔力を交互に等しく鍛えなければならないなんて、“賢者”の方々でもそんな珍奇な方はいませんよ」
「生まれ持った性質に異を唱えて解決する事でもないな。存在している限り、向き合わなければならない」
「そういうところは相変わらず妙に真面目ですよね」
 はぁ、と疲れたように吐息を零すスルトマグナに、ユリウスは小さく肩を竦めた。
「どうでもいい。そういえばお前には変容魔法について訊いておきたいと思っていた」
「変容ですか? 何でまた?」
「変容魔法が俺に行使し得るものなのか、確認しておきたい」
 思わず首を傾げるスルトマグナ。真摯な漆黒の双眸からは、やはり内側の思考を探る事は叶わず。それを求めんとする意識の流れを想像して、スルトマグナは気負わぬように綴った。
「……うーん、お勧めできませんね。どうにも貴方には不向きのようですし」
「消費魔力量の事か? 確かに俺の魔力許容量キャパシティでは懸念を捨てる事はできないが……」
「いえ……それもあるのですが別の事です」
「別? 他に何がある?」
 ユリウス自身、幼少より魔法を扱う事に手を染めて来ていた為、その辺の魔導士以上に魔法を繰れると自負していたが、適正云々に関して不向きと断言するスルトマグナの姿勢にユリウスは特に何の不服も思わなかった。スルトマグナにはそれを納得させるだけの能力があるからだ。だがしかし、どうにも歯切れが悪い言繰りに訝しんで眉を顰めた。
「そもそも、変容魔法の操作というものは粘土細工に酷似しています。魔力という粘土を、自らのイメージで描いた設計図通りに構築して、事象化する。残念ながら現在の魔法大系が固定の既成概念を創り上げてしまっている為に、至極幅が狭まってしまっているのが現状ですけどね」
「だが、そもそも魔法顕現事象を変容させる事自体が逆説だろう? 本来、不可視で感覚的な超常能力だった魔法は、一子相伝の秘術と謳われる程に稀有な能力だった。そして紡がれる顕現事象も、術者によってその効力がバラバラだったと聞く。理解さえ難しいそれを万人に操れるように、数多ある概念や論理を統一して大系化し、一般化がなされて今の魔法大系が築き上げられたのだろう。安定という意味では、これ以上無い程に磐石であるといえるが……」
「でもそれは世界の真実からは程遠い。あくまでもそれらは人に都合の良い真理の形でしょう?」
「……そうだな。人間など所詮自然のサイクルの中の、歯車の一欠片に過ぎないからな」
 もっともな事だ、と頷くユリウスを見止め、スルトマグナは饒舌に続ける。
「変容とは堅固な足場を崩す手法です。だからこそ変容魔法を用いるには大きな魔力は元より、固定された世界を壊し、その先を自由に思い描く為の意志と想像力が必要不可欠なんです。魔法を操る者は往々にして暴走による被害を恐れ、潜在的に安定を求めます。それ故に壊す覚悟を得るのは易々とできる事ではありません。……まあ自分を剱と喩える命知らずなユリウスさんの場合、ひたすら殺戮に走りたがる近視眼的で貧困極まりない想像力では難しいと思うんですよね」
 忌憚無さ過ぎる辛辣な意見には流石にユリウスも視線が冷ややかになる。
 沈黙による無言の圧力と、砂漠の熱気による相乗効果を前に流石に気圧されたスルトマグナは思わず苦笑を浮かべた。
「事実なんですからそんなに睨まないで下さい……でもまあ、変容魔法に手を出さなくとも貴方には魔法剣があるじゃないですか。詳しい原理とかは解りませんけど、あれはあれで常識から逸脱した魔法操術ですし、どちらかと言えば禁断呪法に分類されるものです。……しかし、使うだけで生命を消費するという危険極まりない術法に、良くもまあ手を染めたものですねぇ」
「使えたから使うだけだ」
「貴方らしい言いようです。……ですがその認識が、貴方が足踏みせざるを得ない現状を作り出しているのかもしれませんね」
「軽んじているとでも言うつもりか?」
「いいえ。単に急ぎ過ぎなだけだと思いますよ。初等魔法一つ取っても戦術の幅は幾らでも広げる事が出来ます。例えば魔力集束の容易い魔法で速射性を追及したり、顕現した魔法事象の根源である霊素エーテルと自らの意識とを常にラインで繋げておけば、魔法放射における霊素減衰率による劣化を防ぐ事も可能です。それは直接威力に通じますし、無駄が省けます。更には場の属性を重んじ、相手の存在属性を見極める事と重ね合わせるだけで小さな消費で大きな効果を期待する事もできるでしょう」
 指を一つずつ折って説明された事は確かに理に適っていた。提示された手法によっては意識一つ切り替えるだけで使えそうな術も幾らかあり、有用性を期待できるものもある。
 ここでユリウスは改めて自身を省みた。
 思えばここ最近は、自身の最強の手札である魔法剣イオラを曝してしまい、それを越える大技をどうやって編み出すかだけに没頭していた気がする。敵を殲滅するだけの破壊力を追求し、その構築の為に色々と理論を組み立てようとしていたが、手探りの闇の中では思うように捗らない。魔法が使えない現状もあって、随分と視野が狭くなっていたと自認せざるを得ない無聊な状況だった。
 自らの裡を再度注意深く鑑みれば、今の手の内で魔法剣イオラを超える術は無い事も無い。魔法剣ライデイン…自身が行使できる最強魔法を剣に宿した魔法剣。威力については全面に期待しているものの、何度か試した結果その何れも失敗に終わっている。魔法の制御は元より媒体となる器の方にも問題があり、行使する為に今はまだ現実的ではない為に選択肢からは外していた。
「ジュダ様は良く、迷ったのならば初心に帰れ、という事を仰いますが正にその通りだと思います。勿論初心とは、言うまでも無く自分を知る事、ですね」
「……現在ある手札でも、追求すれば色々と見出せるという事か」
 そう納得するも、術の探索する姿勢を改めるつもりも全く無かったが。だが少し、本当に薄らとだが闇の霧が晴れたような気がしていた。





 白と黒の争いもその趨勢が決しかけていた。
 戦場の指揮者であるスルトマグナは、ここに来て速やかに戦端を動かす。乾いた地盤を揺らす軽快で単調な音が、砂と水のせせらぎが静謐を織り成す灼熱の大地に一時の穏を齎す。
「ユリウスさん」
「何だ?」
 ユリウスは遠い眼で釣竿の先端を見据えており、思考はその遙か先に広がりながら何かを思案している。
 韻も気配も静穏のまま、スルトマグナは言った。
「やはり、魔族になりたいという気持ちは棄てられませんか?」
「……力を求め続ける限り、その選択肢は常に傍らにある。人間という器のままで魔物、魔族と戦い続ける事ができるとも楽観できないからな」
 言いながら、ユリウスの脳裡には、アッサラームで対峙した超絶の魔導師アークマージの姿が浮んでいた。その素性も能力の全容も一切不明であるが、垣間見る事となった力の端でさえ人間の器のままでは到達できないとさえ浮んでしまう始末だった。
 戦う前から気持ちで負けていると、実戦で勝てるものも勝てなくなる。使い古された精神論であるが、それが戦者の理である事もユリウスは理解していた。それだけに、理解の前に勝てないと納得してしまっている自身の意識が至極厄介だったのだ。
 黒の瞳孔に剣呑な色が揺らぐ中、スルトマグナは続けていた。
「“偽躯魄合フュージョン”、“剥心融魂フューリー”、“堕天誓約カヴナント”…それだけでは無いでしょうが、その何れも自ら望んでなれるような事では無いとしても?」
「可能性が零では無いのならば、模索し続けるだけだ」
「まったく……本当に前向きなんだか、後ろ向きなんだかわかりませんね」
「大体自分の進退がどういう方向を向いているかなど、俺自身に判る事では無い」
「そこで開き直るのもどうかと思いますがね……もし、自分の在り方がわからなくなったのなら、一度ダーマを訪れてください。“転職”でもしてみればどうですか?」
 弾かれたようにユリウスはスルトマグナを見やる。
 相変わらず盤面に向っている少年が動かした黒兵士が白の陣地の最奥に到達する。通常ならばその場で昇格プロモーションを宣言し何者に成るかを示す訳だが、スルトマグナは沈黙を保つ。否、これは棋譜を並べているだけであり、この局面の後に兵士が何に昇格したかなど、既に少年の頭の中で展開している事だろう。
 しかし、少年と盤面を無表情に見下ろしていたユリウスには、その沈黙が妙に長く重く感じられていた。
「“転職”……俺に、できるのか?」
 その考えは無かったのか、ユリウスにしては珍しく呆然と擦れる声で呟く。耳聡くそれを拾ったスルトマグナはしっかりと頷いた。
「開かれし門戸は万人に向けてのもの。誰か一人の為に閉ざす愚は冒しません。巷で“勇者”なんて騒がれてますけど、実際に貴方はまだ“無職”の状態ですからね」
「“無職”……何とも分相応な響きだな。だが“転職”とはそれ程までに効果があるものなのか?」
 思わず自嘲するユリウスに、スルトマグナは笑った。
「ええ。魂魄に刻む器の指標ラベルですので、本人が無自覚であろうとも確実に影響します。これは僕自身体験しての事ですので、参考になれば幸いですね」
「……そうか」
「所詮、僕達は力でしかものを言えない人種です。様々な世界に対して発する事の出来ることばは、数多く修得し、保持しておく事に越した事はないですからね」
 そう言って戦を終らせたスルトマグナは、何らかの思いを込めながら摘んだ敵勢のキングを見つめていた。
 ユリウスは言葉を返さない。代わりに感情さえ載せない漆黒の双眸は空の眩い蒼穹を映し、やがて静かに伏せられた。





「お勧めは“遊び人”です。その最高階位“遊びの鉄人”の職歴を現在唯一お持ちであらせられるジュダ様の、古今東西ありとあらゆる遊びの果てに到達した峻烈なる極意の数々、是非ともその眼で見ていただきたいですねぇ。あの方に口利きしてあげましょうか?」
「……断固として断る」




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